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幸せなボツ
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──卒業式当日。
空は青く晴れて空気も澄み渡り気持ちのいい朝なのに、私の心は朝からどんよりと曇っていた。
それでも懸命に姿勢を正し、いつも通りを装いながら、卒業式を終えた。
そして今、私はドレスに着替えて、ルーベンスと大扉の前にいる。
今頃この扉の向こう──大広間には、たくさんの卒業生や招待客で埋め尽くされていることだろう。
陛下の祝辞の後、私たち二人はそろって会場に入り、結婚時期についての発表がなされる。
だけどその前に、私にはしなければならないことがある。
それは──。
「ネリ。ここまできたら、もう仕方がない。私と──」
「婚約破棄、受け入れますわ」
「え……」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まってしまったルーベンスをまっすぐに見つめ、私は再び口を開いてもう一度その言葉を発する。
「婚約破棄、受け入れます。あなたを自由にしてさしあげますわ」
「!!」
これでいい。
だって結婚しても裏でこそこそつながっているようであれば、私はきっとルーベンスを信じていくことはできない。
ルーベンスが、私ではなく彼女に支えてもらいたいのだと思うのであれば、私がでしゃばることはできない。
彼が求める支えは、私ではない。彼女なのだから。
「受け入れる……と?」
「えぇ」
「っ……ぐっ……」
は!? え、ちょ、な、何でルーベンスが泣いてるの!?
目を大きく見開いたまま、大粒の涙をボロボロと流し始めるルーベンスに、私も何がどうなっているのかわからず混乱したまま涙を流し続ける彼を見つめる。
「なぜだ!? なぜ今更そんな……婚約破棄を受け入れるなんて……っ、今までずっとボツだと言って来たではないか……!!」
「そ、それは、理由を聞いても気分だとかなんとか納得材料の無いことばかりおっしゃるから……っ!! ……ですが、他に女性がいるのでしたら、それは十分な判断材料になりますわ」
「へ? 女性……?」
何をとぼけた顔をしているのだろう。
あぁ、なんだかだんだん腹が立ってきた。
「おい、何を──」
「王太子の妻には、未来の王妃として未来の夫を支えるだけでなく、子を生し育てる義務があります。気の乗らない女では、その義務を果たすことはできないでしょう。他にいい方がいるのであれば、その方にお任せするのが一番理に適っています。なので、この婚約破棄のお話……、お受け、いたしますわ」
胸が苦しい。
気を抜いたら最後、涙があふれてしまうだろう。
それだけは、決してあってはならない。
最後まで毅然としていること──それがルーベンスの婚約者としての矜持だ。
私がまっすぐにルーベンスを見つめそう言うと……くしゃり、と彼の端整な顔が歪んだ。
「い……いやだ!! 婚約は破棄しない」
「…………は?」
何を言っているの? この男は。
これまであんなに毎日毎日馬鹿の一つ覚えのように婚約破棄を申し入れてきたくせに、今更。
「っ、意味が分からない……っ。他に好きな人が出来たと言ってくれていたら、私、すぐにでも婚約破棄に応じたというのに」
「嘘でも、好きな人ができたなんてことは言いたくはない」
「え?」
嘘?
だけど昨日、私は見たもの。
女の子と抱き合っているルーベンスを。
優しい言葉をかけて背を撫でていた。
思い出すだけで胸がずきんと痛む。
「昨日の女の子でしょう? あなたの好きな人」
「昨日の? どれだ?」
「昨日の放課後、廊下を降りてすぐのところで抱き合っていたじゃない!!」
しらじらしい。
思い出したくもないのにこんなこと言わせないでほしい。
鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなる。
するとルーベンスは、そのことに思い至ったようにはっとしてから、焦ったように私の両肩を掴み迫った。
「違う!! あれはそういうんじゃなくて……」
「何が違うんですの? はぐくんできた愛は変わらないとか言っていたくせに……!!」
「それは私とではない!! ハロルド先生とのだ!!」
「は……?」
ハロルド先生?
て、うちのクラスの担任じゃ……。
ぽかんと口を開けたまま呆然とする私を見て、ルーベンスは深く長いため息をついてから、再び口を開いた。
「あの女生徒は隣のクラスのアリス・ロアン子爵令嬢。ハロルド先生と付き合ってるんだ」
「つ、付き合──!?」
「しーっ!! 声が大きい。……たまたまハロルド先生とロアン子爵令嬢の逢瀬に鉢合わせしてな、あまりに二人が純愛なもんで、それから見守るようになって……。まだ親にも何も言っていない未婚約の状態で、ロアン子爵令嬢もさすがに不安だったんだろう。いきなり泣き始めたから、ハロルド先生に押し付けてきた。それに抱き合ってたんじゃなくて、彼女が泣いて取り乱してよろけたのを支えただけだ」
確かに婚約という確かな証の無い状態で卒業して会えなくなるというのは不安だろうし、まして相手が教師ともなれば親の説得も難しい。
それが本当ならば、不安で取り乱すのも仕方がないのかもしれない。
卒業という節目に終わりを感じてしまったならば尚更。
「なら、あの方は……」
「私が好きな女性ではない」
そんな、それじゃぁ全部、私の勘違い?
だけどそれなら、婚約破棄は?
「で、でも、あなたはだんだん私と距離を取り始めた!! 挙句の果てには婚約破棄まで申し出始めて……。他に好きな人ができたから以外でどんな理由があるというんですの? まさか本当に、ただなんとなくだなんてことはないのでしょう?」
ただなんとなくで婚約破棄を言い渡され続けても困る。
義務と矜持だけではない。
この13年が、空っぽのように感じてしまうから。
「それは……。……ネリを、守りたかったから……」
「私を?」
眉を顰めて首をかしげる私に、ルーベンスが一度大きく息を吸ってから何かを決意したかのような表情で再び口を開いた。
「反王制派から──」
「!!」
「反王制派が動き始めたと報告を受けたのが、3か月前。その話を聞いて、一番に考えたのがネリ、お前のことだった。私の妻となれば王族となる。そうなれば、いずれネリが狙われることになるだろう。お前を危険にさらすことになるのだけは避けたかった」
3か月前……。
確かにルーベンスが婚約破棄を言い始めたのも3か月前からだ。
「なら……。私を守るために、婚約破棄を?」
「……あぁ」
「っ、なら何で、今になって婚約破棄しないって……」
まだ反王制派問題は解決していないはず。
なのにさっきは婚約破棄を嫌がった。
それはなぜなのか。
「……この間、孤児院で襲われた時からずっと考えてた。私は何のために文学だけでなく武術も学んでいたのか、と。そしてわかったんだ。私が武術を死に物狂いで学んできたのは、大切なものを──ネリを守るためだ」
「!!」
あまりに真剣な瞳に目が離せないままに、思わず息を呑む。
そしてルーベンスは私の手を取りまっすぐに私を見つめたまま口を開いた。
「距離を取り始めたのは、ただ、その……成長するにつれてどんどん綺麗になっていくネリに、どう接していいのかわからなかっただけで……。……私がネリを好きな気持ちは変わらない。これから何があっても、私がネリを守ると誓う。だから──だから、ネリ。私と、結婚してください」
「っ……」
心の奥からじんわりと滲み溢れるあたたかいもの。
求めていた言葉。
だけど────「……ボツ」
「…………へ?」
私がつぶやいた言葉に、ルーベンスの時が止まった。
「え、と……、ネリ、さん?」
戸惑うルーベンスに、無情にもラッパの音が高らかに響き渡り、大扉がゆっくりと開き始める。
そしてつながれた手を握り返すと、私は彼を見上げてこう言った。
「私の納得できるプロポーズを持ってきてくださいましね、ルーベンス」
期限は半年。
きっと半年後、私は幸せそうに笑っているだろう。
最愛の彼の隣で──。
それまであと何回、この幸せな「ボツ」を重ねるだろうかと、私は一人口を緩ませるのだった。
END
空は青く晴れて空気も澄み渡り気持ちのいい朝なのに、私の心は朝からどんよりと曇っていた。
それでも懸命に姿勢を正し、いつも通りを装いながら、卒業式を終えた。
そして今、私はドレスに着替えて、ルーベンスと大扉の前にいる。
今頃この扉の向こう──大広間には、たくさんの卒業生や招待客で埋め尽くされていることだろう。
陛下の祝辞の後、私たち二人はそろって会場に入り、結婚時期についての発表がなされる。
だけどその前に、私にはしなければならないことがある。
それは──。
「ネリ。ここまできたら、もう仕方がない。私と──」
「婚約破棄、受け入れますわ」
「え……」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まってしまったルーベンスをまっすぐに見つめ、私は再び口を開いてもう一度その言葉を発する。
「婚約破棄、受け入れます。あなたを自由にしてさしあげますわ」
「!!」
これでいい。
だって結婚しても裏でこそこそつながっているようであれば、私はきっとルーベンスを信じていくことはできない。
ルーベンスが、私ではなく彼女に支えてもらいたいのだと思うのであれば、私がでしゃばることはできない。
彼が求める支えは、私ではない。彼女なのだから。
「受け入れる……と?」
「えぇ」
「っ……ぐっ……」
は!? え、ちょ、な、何でルーベンスが泣いてるの!?
目を大きく見開いたまま、大粒の涙をボロボロと流し始めるルーベンスに、私も何がどうなっているのかわからず混乱したまま涙を流し続ける彼を見つめる。
「なぜだ!? なぜ今更そんな……婚約破棄を受け入れるなんて……っ、今までずっとボツだと言って来たではないか……!!」
「そ、それは、理由を聞いても気分だとかなんとか納得材料の無いことばかりおっしゃるから……っ!! ……ですが、他に女性がいるのでしたら、それは十分な判断材料になりますわ」
「へ? 女性……?」
何をとぼけた顔をしているのだろう。
あぁ、なんだかだんだん腹が立ってきた。
「おい、何を──」
「王太子の妻には、未来の王妃として未来の夫を支えるだけでなく、子を生し育てる義務があります。気の乗らない女では、その義務を果たすことはできないでしょう。他にいい方がいるのであれば、その方にお任せするのが一番理に適っています。なので、この婚約破棄のお話……、お受け、いたしますわ」
胸が苦しい。
気を抜いたら最後、涙があふれてしまうだろう。
それだけは、決してあってはならない。
最後まで毅然としていること──それがルーベンスの婚約者としての矜持だ。
私がまっすぐにルーベンスを見つめそう言うと……くしゃり、と彼の端整な顔が歪んだ。
「い……いやだ!! 婚約は破棄しない」
「…………は?」
何を言っているの? この男は。
これまであんなに毎日毎日馬鹿の一つ覚えのように婚約破棄を申し入れてきたくせに、今更。
「っ、意味が分からない……っ。他に好きな人が出来たと言ってくれていたら、私、すぐにでも婚約破棄に応じたというのに」
「嘘でも、好きな人ができたなんてことは言いたくはない」
「え?」
嘘?
だけど昨日、私は見たもの。
女の子と抱き合っているルーベンスを。
優しい言葉をかけて背を撫でていた。
思い出すだけで胸がずきんと痛む。
「昨日の女の子でしょう? あなたの好きな人」
「昨日の? どれだ?」
「昨日の放課後、廊下を降りてすぐのところで抱き合っていたじゃない!!」
しらじらしい。
思い出したくもないのにこんなこと言わせないでほしい。
鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなる。
するとルーベンスは、そのことに思い至ったようにはっとしてから、焦ったように私の両肩を掴み迫った。
「違う!! あれはそういうんじゃなくて……」
「何が違うんですの? はぐくんできた愛は変わらないとか言っていたくせに……!!」
「それは私とではない!! ハロルド先生とのだ!!」
「は……?」
ハロルド先生?
て、うちのクラスの担任じゃ……。
ぽかんと口を開けたまま呆然とする私を見て、ルーベンスは深く長いため息をついてから、再び口を開いた。
「あの女生徒は隣のクラスのアリス・ロアン子爵令嬢。ハロルド先生と付き合ってるんだ」
「つ、付き合──!?」
「しーっ!! 声が大きい。……たまたまハロルド先生とロアン子爵令嬢の逢瀬に鉢合わせしてな、あまりに二人が純愛なもんで、それから見守るようになって……。まだ親にも何も言っていない未婚約の状態で、ロアン子爵令嬢もさすがに不安だったんだろう。いきなり泣き始めたから、ハロルド先生に押し付けてきた。それに抱き合ってたんじゃなくて、彼女が泣いて取り乱してよろけたのを支えただけだ」
確かに婚約という確かな証の無い状態で卒業して会えなくなるというのは不安だろうし、まして相手が教師ともなれば親の説得も難しい。
それが本当ならば、不安で取り乱すのも仕方がないのかもしれない。
卒業という節目に終わりを感じてしまったならば尚更。
「なら、あの方は……」
「私が好きな女性ではない」
そんな、それじゃぁ全部、私の勘違い?
だけどそれなら、婚約破棄は?
「で、でも、あなたはだんだん私と距離を取り始めた!! 挙句の果てには婚約破棄まで申し出始めて……。他に好きな人ができたから以外でどんな理由があるというんですの? まさか本当に、ただなんとなくだなんてことはないのでしょう?」
ただなんとなくで婚約破棄を言い渡され続けても困る。
義務と矜持だけではない。
この13年が、空っぽのように感じてしまうから。
「それは……。……ネリを、守りたかったから……」
「私を?」
眉を顰めて首をかしげる私に、ルーベンスが一度大きく息を吸ってから何かを決意したかのような表情で再び口を開いた。
「反王制派から──」
「!!」
「反王制派が動き始めたと報告を受けたのが、3か月前。その話を聞いて、一番に考えたのがネリ、お前のことだった。私の妻となれば王族となる。そうなれば、いずれネリが狙われることになるだろう。お前を危険にさらすことになるのだけは避けたかった」
3か月前……。
確かにルーベンスが婚約破棄を言い始めたのも3か月前からだ。
「なら……。私を守るために、婚約破棄を?」
「……あぁ」
「っ、なら何で、今になって婚約破棄しないって……」
まだ反王制派問題は解決していないはず。
なのにさっきは婚約破棄を嫌がった。
それはなぜなのか。
「……この間、孤児院で襲われた時からずっと考えてた。私は何のために文学だけでなく武術も学んでいたのか、と。そしてわかったんだ。私が武術を死に物狂いで学んできたのは、大切なものを──ネリを守るためだ」
「!!」
あまりに真剣な瞳に目が離せないままに、思わず息を呑む。
そしてルーベンスは私の手を取りまっすぐに私を見つめたまま口を開いた。
「距離を取り始めたのは、ただ、その……成長するにつれてどんどん綺麗になっていくネリに、どう接していいのかわからなかっただけで……。……私がネリを好きな気持ちは変わらない。これから何があっても、私がネリを守ると誓う。だから──だから、ネリ。私と、結婚してください」
「っ……」
心の奥からじんわりと滲み溢れるあたたかいもの。
求めていた言葉。
だけど────「……ボツ」
「…………へ?」
私がつぶやいた言葉に、ルーベンスの時が止まった。
「え、と……、ネリ、さん?」
戸惑うルーベンスに、無情にもラッパの音が高らかに響き渡り、大扉がゆっくりと開き始める。
そしてつながれた手を握り返すと、私は彼を見上げてこう言った。
「私の納得できるプロポーズを持ってきてくださいましね、ルーベンス」
期限は半年。
きっと半年後、私は幸せそうに笑っているだろう。
最愛の彼の隣で──。
それまであと何回、この幸せな「ボツ」を重ねるだろうかと、私は一人口を緩ませるのだった。
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