桃次(今様ももたろう)

こせ きっか

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桃次(今様ももたろう)

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   陸奥の山々に囲まれた、ある寂しい村落に、まるで風に吹かれるようにして一人の男が迷いこんできました。
   年のころは六十とも七十とも、その髭づらからは分別できませんが、目深に被ったハンチングの下から覗く目の色は優しげて、話す声も穏やかでしたから、その人品を愛でて、村人のその男に一軒の廃屋を与えることにしました。
   そこは村落といっても名ばかりの、十数軒の家が山襞に隠れるようにひっそりと肩を寄せあって暮らしていました。
   男は廃屋を片づけ、破れを繕い、放ったらかしの畑を耕し、その里に住みはじめました。

  何月かが経って、夏が終わるころに、男ははじめて自分がずっと川下の部落からやって来たこと、自分の名が桃次であることを隣り家の主に告げたそうです。
   隣り家の主人、名は太兵衛といいますが、そのとき太兵衛は、桃次が何日もかけてこの村にやってきたわけを訊きたいと思ったそうですが、思いとどまったと言います。そのかわり、
「桃次さ、おまえさん、この家の正和さんにそっくりじゃが、この家の身寄りじゃないのかい。」
と尋ねたそうです。
   そのころは、桃次も髭を剃ってこざっぱりしていたので、太兵衛も自分が子どものころ見知った正和さんを思い出して、思ったとおりのことを言ったんだそうです。

   秋が過ぎ、やがて雪に埋もれる長い冬がやってきました。そんなある日、
「太兵衛どん。隣りの桃次さん、冬の支度できてるべか。はじめて迎える冬だに。」
と嘉兵衛があまりせっつくものだから、心配になった太兵衛は嘉兵衛と連れだって桃次の家へ向いて行きました。
   だが、心配するほどもなく、玄関までの道はしゃんと雪かきができていました。
  ドンドン、ドン。
   雪を被った戸口を嘉兵衛が叩くと、
「はい、はい。いま開けますじゃ。」
と、桃次が覗き窓から顔をのぞかせ、二人が土間に入るのももどかし気に、
「ちょうどよかった。お二人さんにぜひとも訊きてえことがあるんじゃ。」
と、せかせかと言いました。
「あの右端の写真、なんか見覚えがあるんじゃが・・・。」
   桃次は、土間の正面の長押の上にかかった肖像画を指さして言いました。
   二人は板敷きの囲炉裏の間に上がり、肖像画を見上げました。
「桃次さん、こりゃ、写真でねえ。こりゃ、肖像画といって、木炭で描かれたもんじゃ。」
「ふうん、うめえもんだなあ。」
「なして桃次さはそんなふうに思うんじゃ。
「よくわからねが、あれを日がな見つめていたら、小せえころ見たように思えたんじゃ。」
「ふうん。」
   嘉兵衛と太兵衛は互いに顔を見合せました。
   すると、桃次は太兵衛の背中を押すようにして、太い柱へ歩み寄ると、
「これを見てくれろ。ここにあるキズだが。正一、和、みわってあるのは、この家の子らの身の丈をはかったやもんだ。昭和十六年五月とあるが・・・。」
と、思うとおりを言うと、太兵衛が、
「そいつは、おれと同い年の正一と、その妹のみわのことだがよ。あの肖像画は、この家の正和さの父御で、えっと、なんて言ったかな、たしか正造さんと言ったげな。正和さんは、もう十年もめぇに逝ってしまっての。子どもらもこの家を捨てて町さ出ていったきりってわけさ。」
と、胸につっかかったように言いました。
「んだども、太兵衛どん。その、和ってのは一体だれのこんだ?」
「そいつがわからねえ。」
と太兵衛も目を擦りながら、むにゅむにゅと答えるしかありませんでした。
「ふうん、ふしぎじゃのう。」
   二人は自分たちが桃次のところへやってきた用件をすっかり忘れ、顔を見合せては
嘆息を繰り返し、帰っていきました。

   ようやく根雪も解けて、田の畦に蕗のとうが顔を出す春となりました。すると、あっというまに、あたり一面の景色がかわって、木々の花が咲き競い、桃の節句がやってきました。
   今日は、太兵衛の一人娘の孫、たえの雛の節句です。婆のまつも静岡の娘のところから帰ってきて、その夜の楽しいひな祭りの夕餉を囲んだときのことです。太兵衛はまつに、隣り家の桃次のことを語って聞かせました。すると、まつは、遠い目をしてこんなことを話し出したのです。
ーーーこれは、わしがここに嫁に来る前の、爺さまが子どものころの話じゃから、正確には言えんがの。夏の日のこと、川で正和と弟とが遊んでいたときのことじゃ。その日は、前の晩に降った雨で水嵩が多かったそうでの、正和さが深みにはまって溺れかけたそうじゃ。
   そのとき年端もいかぬ弟が正和を助けようと思うてか、深みに飛び込んだそうじゃ。そのお陰かどうか、とにかく正和さは岸につかまって命びろいをしたんじゃが、弟のほうはそのまま川下へ流されてしもうたんじゃな。それから幾日も探しまわったが、ついに見つけることはかなわなかったんじゃ。正和はああいう性格じゃから、責任を感じてのう。それからはすっかり無口になってしまってのう。
   柱のキズな、あれは我の二人の子と同じように、生きてることをねごうて、弟を数に入れてな、ああして身の丈をはかって記したんじゃな。
   だがな、わしはおまえの話を聞いてのう、はっと思い至ったんじゃ。その男はまちがいなく、あのとき行方不明の、当の和一じゃなかろうかとな。かわいそうに、いまごろになって、自分の生まれ故郷を思い出したんじゃな。いままで、われを何と思うて生きてきたんじゃろうか。
                               (おしまい)
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