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異世界転生しても、私の人生はハードモードのようだ

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はっきり言おう。
私の人生は生まれた時からハードモードだった。

母は病気で私がまだ小さいうちに亡くなった。
父は酒浸りで、まともに優しくしてもらった覚えがなかった。

家にあった貯金は、酒浸りの父がすべて酒に変えてしまった。

大学にも行けず、高校卒業とともに働かざるを得なかった私にはろくな就職先はなかった。

ようやく見つけた職場は所謂ブラック企業と呼ばれているところで、残業代ももらえずに毎日サービス残業を強いられていた。

最低な毎日だったけど、腐らずに生きていけたのは大好きな小説『月下の夢』の存在があったからだ。

『月下の夢』とは、剣や魔法飛び交うファンタジー小説だ。

メジャーな小説ではなかったけれど、私はこの小説が大好きでよく読んでいた。

簡単にストーリーを説明すると、現代で暮らしていた女の子が異世界を助ける救世主として呼ばれ、勇者たちと一緒に冒険をして世界を救う話だ。
女の子が冒険する姿を見て、私もこんな風に冒険してみたいとよく思っていた。

……まあ、これは小説の話で、実際は異世界なんてなくて私の現実は過酷なままだったけど。


「あ」

夜遅くまで残業させられた日の夜。

横断歩道で信号待ちをしていた私は、こちらに向かって突っ込んできたトラックに轢かれて死んだ。
目の前まで迫ってきたトラックを見て、怖いとか死にたくないとかそういう気持ちは一切わかなかった。

ああ、これでようやく終われるのか。と、私が考えていたことはそんなことだった。

痛みはなかった。

トラックに衝突した瞬間、私ーー笹川アヤナの意識はブラックアウトしたからだ。



…のはずだった。


「…さま、……お嬢様、起きてください」


暗闇に中から聞こえた声に、暗闇に放り出されていた意識が急上昇していくのが分かる。


「お嬢様、目を覚ましてください」


「……っ、……え、ここは……どこ?」


がばりと起き上がると、見知らぬ部屋が広がっていた。
豪華に飾り立てられた装飾品いっぱいの家具類。西洋のお屋敷でしか見ないようなシャンデリアが天からつり下がっている。

「……お嬢様、大丈夫ですか?ここはカステラ―ジ家のお屋敷ですよ」

隣を見るとこれまた見知らぬ女の子が無表情で立っている。
金髪を後ろ手に結った可愛らしい子だ。年齢は10歳前後くらいに見える。そしてその子の来ている服はメイドカフェとかで働いている人が着ている服に似ている。

「カステラ―ジ家……??」

あれ、その名前はどこかで聞いたことがあるような……。

大きすぎるベッドからやっとの思いで降り、すぐそばにあった鏡台までゆっくりと歩く。
そして鏡の前に立っていた人物の顔を見て、私は固まった。
そこに映っていた顔は二十数年見慣れてきた自分の顔ではなかった。
腰まで伸びる鮮やかな紫の髪。日に焼けたことがないような白い肌。そして美しい琥珀色の瞳。

その姿は大好きだった小説『月下の夢』に出てくる悪役魔女の顔そっくりだった。

……悲鳴を押し殺せたのはほぼ奇跡に近かった。
何故、どうしてが頭の中を物凄い勢いで占めていくのが分かる。


「……お嬢様、どうしましたか?」

後ろの方でさっきの女の子が声をかけてくるのが分かるが、今はそれどころではない。




ーーこれって間違いなくベロウ=カステラ―ジの顔だよね!!??


さっきの女の子も私に向かって確かにカステラ―ジ家と言っていた。


ベロウ=カステラ―ジ。

その名前は忘れもしない。
事あるごとに『月下の夢』の主人公月宮リコの邪魔したりいじわるしたりする嫌なキャラクターだ。

私は何度も小説を読んでいた。内容も暗記している。ベロウの挿絵だって何度も見ていた。だからこの顔がベロウのものだとすぐに分かった。

「ねえ、あなた。ちょっと私の名前を読んでみてもらえないかな」

鏡台から振り返ってさっきから微動だにせず、ベッドの側に立っていた女の子に声をかける。
女の子は無表情でそこに突っ立っていたが、私の問いかけにわずかに怪訝そうな顔をする。

「……あなた様の名前は、ベロウ=カステラ―ジ様です」


ーーなんてことだ。もうここまではっきり言われてしまえば確定してしまったも同然だ。

トラックに轢かれて死んでしまったはずの私がなぜベロウになっているのか分からないが、もしこの世界が『月下の夢』の世界で、私がベロウ=カステラ―ジだと言うのなら私はまたも過酷な人生を歩まされることになるかもしれない。



……何故なら、『月下の夢』のラストで魔女ベロウ=カステラ―ジはーー処刑されてしまうからだ。


ベロウ=カステラ―ジは代々魔力の高い家系であるカステラージ家の一人娘だ。
一人娘ということもあり可愛がられて育ったベロワはわがままに育ち、才能と魔力も備わっていたので傲慢でプライドの高い女の子に成長した。

その性格のせいで陰では『カステラ―ジ家の魔女』と呼ばれるほどの言いぐさだったのだが、確かにベロウの性格はとても悪く、小説を読んでいた時もベロウの出てくる時はあまりいい気分にはならなかった。

確か物語では彼女が住む王国の第三王子と結婚することになっていたが、『才も魔力もあるこの私がなぜ第一王子ではなく第三王子と結婚しなくてはならない』とそれを拒み、勇者である第一王子との結婚を望んでいた。だけど第一王子の心はベロウではなく『月下の夢』の主人公月宮リコに向いた。

ベロウはそれが気に入らなくて、ことあるごとにリコの冒険の邪魔をした。
けれどリコは妨害にめげず、小説のラストでは世界を支配しようとしていた魔王と和解し世界を救った。
第一王子はその後リコに自分の思いを告げた。リコもそれを受け入れ現代には帰らずに異世界で第一王子と結婚する。
そしてリコに散々いじわるや妨害を繰り返したベロウは物語の最後、カステラ―ジ家からも見放されて第一王子の命によりされた。

と、ここまでが『月下の夢』の大まかなストーリーだ。


ーー冗談じゃない。

何の因果か知らないが、私はあんな性格の悪い子になる気はないし生まれ変わってまで過酷な人生をつかみ取る気はない。
ベロウ=カステラ―ジは才にも魔力にも恵まれた人間なのだ。

第一王子と結婚すること以外の選択肢も無数にあるだろう。


ーー決めた。

この人生では何とか処刑エンドを回避して、平和な暮らしを手に入れよう。

そのためにはまず、自分の今の状況を把握しなくてはならない。



「ねえ、あなたはどうしてさっきからそこを動かないの?」


さっきから気になっていたことだが、使用人らしき女の子はベッドの側から一切動こうとせずにいた。
使用人というと忙しく動き回っているイメージだったのだが。
すると女の子の口から信じられない言葉が飛び出した。

「……以前あなた様から『お前のような平民は私の指示なく動くことを許さない。もし指示なく動いたら魔法でお前の足を焼き切る』と仰られたので、こうして動かないようにしておりました」


ーー想像以上に処刑エンドを回避が難しいように感じてきた。

小説のラストではベロウの処刑に反対するものは一人もいなかったが、その理由の一端が見えた気がした。
普段からこんな感じで人に接していたのだろうか、『魔女』と陰で言われてしまうのも仕方がないように思えてくる。
そうすると、まずはその印象を変えることが処刑エンドを逃れるうえで必要かもしれない。

私は小さく咳ばらいをしてから、ベッドの側に立っていた女の子の側にやってきた。
それから女の子に向かって深々と頭を下げる。
頭越しに女の子が息をのむのが分かった。


「酷いこと言ってごめんなさい。こんな言葉一つで許してもらえるとは思わないけど、これからは気を付けるから……だからあなたも以前言ったことは気にせず、自分の思ったように行動して大丈夫だから」

「お、お嬢様……?」

ベロウが頭を下げるとは思っていなかったのだろう。顔を上げると、想像以上に戸惑った顔をした女の子がそこに立っていた。
いったい今までどんな酷いこと言ってきたんだろ…と頭の隅で思いながら、私は口を開く。

「以前聞いてたら申し訳ないのだけど、もう一度聞くわ。あなたの名前は何て言うの?」

「私の名前ですか?……私はアンナと言います……」

「アンナ、アンナね。とても可愛い名前。……よろしくね」

可愛い名前と言われたアンナは初めて小さく笑った。

「アンナ、ごめんなさい。変なこと聞くけど、私はいつも朝はどう過ごしていたのかしら」

「お嬢様はいつも私に指示をされながら朝の支度を済ませ朝食に向かわれます」

「そっか、じゃあ申し訳ないけど朝の支度を手伝ってもらってもいいかな?」

「はい!」

アンナはとても元気のいい返事をしてから、しまったと言うように自分の口をふさいだ。

「どうかしたの?」

「い、いえ!初めてお会いした時に大きな声で返事をしてしまって……そしたら、その日一日中口を縫い付けられる魔法を使われたので……」

「……本当にごめんね、もうしないから、しないからアンナの普通で話して……」

アンナの口から出てくるエピソード聞くたびに気分が落ち込みそうになる。
最早性格悪いってレベルじゃない気がしてきた……。

そのあとアンナが用意したお湯で顔を洗い、長い髪をとかしてもらったり服装も一緒に見てもらった。

髪ぐらいは自分で梳かすと言ったのだが、仕事だからと譲らず結局アンナにしてもらうことになった。

最初は無表情な子だと思っていたが、一緒に過ごしているとアンナはとてもよく笑う明るい子だということが分かった。

きっと、今までベロウに散々嫌な目に合わされて笑わない様にしてきたのだと思う。

そう考えると私はベロウ本人ではないはずなのに申し訳なさが胸に落ちた。


「お嬢様、支度が済みましたので朝食を食べに行きましょう。お父様がお待ちですよ」

「え、ああ…うん、そうね」

父親…そう聞くだけで飲んだくれだった自分の父親を思い出す。
小説ではほとんど出番はなかったが、ベロウの父親は一体どんな人なんだろう……。

そんなことを思いながら私はアンナと一緒に自分の部屋を後にした。















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