6 / 10
第六話 故郷、米沢へ
しおりを挟む
私は新幹線に乗り、故郷の米沢を目指しました。
不倫のあげくに離婚、逃げるように出てきた故郷へと。
車窓を眺め、故郷とかつての夫、そして今も愛してやまない娘を思い出していた。
少し長いトンネルに入る。そしてトンネルを出ると銀世界の景色が車窓に。
雪深い町、米沢…。帰ってきたんだと思った。
米沢駅に着いた。雪が積もっているけれど、いま雪は降っていない。
米沢市のマスコットキャラクター、戦国武将直江兼続をゆるキャラ化した『かねたん』の絵が描かれた幟が駅前に何本も立っていた。懐かしい。
直江兼続だけではなく、上杉景勝、前田慶次、兼続の妻お船の方のゆるキャラの幟も。
真奈はお船の方のゆるキャラ大好きだったな。市内のショッピングモール内のゲームセンターで秀夫さんがクレーンゲーム一発でお船の方のぬいぐるみをゲットした時は母娘で大喜び。元夫の意外な特技に驚いたわね。
駅前の路上が雪解け水でビショビショ、念のため長靴を用意しておいて良かったわ。子供のころは溶けている雪を長靴で踏むの好きだったな。
弁護士の根本さんとの約束には、あと二時間ある。私はバスに乗って上杉神社近くの、かつての自宅へと。
今も『山本』という表札があるのが見える。私は接近禁止令が出されているので上杉神社内から、それを見つめるだけ。
偶然でも真奈が家から出てきてくれないだろうかと思い、遠くからかつての我が家を見つめている。成長したあの子の姿を一目見たかったけれど願いは叶わず。
上杉神社本殿に赴き、手を合わせた。娘が幸せに生きられるようにと。
神社から出て行く時、もう一度かつての自宅を見てみた。
「秀夫さん、車を変えたのね。私が助手席に乗った車なんて嫌だったのかも」
駅前に戻り、食事を済ませたあと弁護士事務所へ。
「お待ちしておりました」
「お世話になります、根本先生」
「こちらへ」
秀夫さんとの離婚のさい、秀夫さんの担当として私に慰謝料と養育費の支払い等を請求してきた根本弁護士。今も私たち元夫婦の繋ぎ役をしてくれている。でも、それも今日で終わりにしたい。
「元夫と上野さんに支払う慰謝料の残額、すべて用意出来ました。あと娘の養育費も一括で支払います」
上野さんという女性は私の不倫相手佐藤和真くんの元奥様。私との不倫が理由で、もう佐藤くんとは離婚している。それに伴う慰謝料を請求されていたのだ。
私は支払い能力を示すべく、預金通帳を見せた。預金額を見て根本弁護士は通帳を私に戻した。
「大金です。元旦那様と上野様は一括で支払えることを逆に不信がるかもしれません。どうして、これだけのお金を用意できたかお話し願えますか?」
「そのつもりです。収入源はいくつかあって、一つは恥ずかしながら風俗嬢として稼いだお金、もう一つはアイパイパーとしての広告収入、ピアノ奏者としての報酬です」
私は根元弁護士に関連書類と自分の動画を見せた。
「アイパイパー、私はあまり存じませんが…再生数が多いと広告収入が入るのですか」
「はい、幸いピアノに心得がありましたので。多くの人が聴いてくれています」
「このことを…」
元夫と上野さんに伝えていいか、とのことだろうけど私は首を振る。
「私がどんな方法で慰謝料と養育費の一括払いが出来るほどの収入を得たか、というのは知らせないで下さい。先生の言葉から犯罪や不当な手段で得たお金ではないと保証して下されれば、と思います」
職業に貴賤は無しと言うけれど、やはり私は風俗嬢をしていたと云うことは知られたくなかった。
「分かりました。お二人には、そのように」
「では、先生からの報告が入り次第お金を振り込みますので」
私は弁護士事務所を出た。一泊だけ駅近くのビジネスホテルに泊まるつもりだ。
米沢の大型ショッピングモールにストリートピアノが設置されているので弾きに行こうと思い、私は直通のシャトルバスに乗り込んだ。
家族三人で行ったっけな…。レストラン、お子様ランチに真奈が大喜びで。
ブランドものに興味ない私に『一つくらい自慢が出来るバッグを持てよ』と毎月の小遣いから貯めたお金でいいバッグを買ってくれた秀夫さん…。思い出のあるショッピングモール。未練があるのだな、そう思った。
ショッピングモールに着いた。久しぶりね、建物にそう話しかけてしまった。
今日は土曜日、人が多い。家族連れを見ると何だか羨ましいと思う。特に真奈と同じ年頃の女の子がいる家族は。
モール内のストリートピアノの場所へ。誰も弾いていなかったのでピアノの椅子に座った。今日は撮影しなくてもいい。ただ懐かしい、思い出の場所であの子が大好きな『探偵少女アイカ』のメインテーマを奏でたい。
思えば…水原さんが言った『いまアイパイプに女性ピアニストの動画はない。ねらい目だ』と言ったのは大当たりだった。いま他の女性ピアニストも我も我もと投稿している。その中でも最初の投稿者である私は一番の人気だ。
まあ、自慢じゃないですが腕前もそれなりということもありますが。水原さんに作曲の仕方も教わり、今は作曲家としても生きて行けるようにもなった。今度私がバンドメンバーを務める中村いろはちゃんの楽曲には私が作曲したのもある。
アイドルアプリゲームにも何曲か作曲依頼されているし…私は人と機に恵まれた。
私の弾く『探偵少女アイカ』のメインテーマ、いつの間にか立ち止まって聴いている人も増えていた。女の子は目をキラキラさせて聴いてくれている。『探偵少女アイカ』はみな知っているものね。演奏が終わると大きな拍手をもらえた。故郷米沢から逃げるように出て行った私には何より嬉しいものだった。
私は聴衆にペコリと頭を下げてピアノから去っていく。カフェで一息入れて、あとでまたもう一曲弾こうと思う。ホテルに帰るころには、ちょうどいい時間になっているだろう。
そう思っていた時だった。
「彩希…」
「えっ?」
振り向くと、そこにいたのは元夫の秀夫さんだった。
女性を連れている。秀夫さんは穏やかな笑みを浮かべ、私に歩んできた。
「君のピアノを聴くのは高校以来だけど…すごい腕前だったんだな」
「…え、ええ、今も趣味で続けているの。奥様?」
「ああ、君と別れた一年後に再婚した。消防本部の上役の娘さんで」
「垣野内松美と言います。よろしく」
「もしかして…垣野内中隊長の娘さんですか?」
「私の父をご存じなのですか?」
「私の亡くなった父と同期なんです。もしかしたら署の家族懇親会などでお会いしたことがあるかもしれませんね…。あの…真奈とは上手く行っていますか?」
「はい、最初は戸惑っていたようですが、今は私をお母さんと呼んでくれています」
「良かった…。今日は一緒じゃないのですか?」
「ピアノ教室に行っている。さっき送ってきたばかりで、帰りに買い物に寄ったんだ」
「…ピアノ教室」
「ああ、やはり君のピアノで歌ったころが忘れられないのだろう」
真奈に残った元母親の記憶。秀夫さんにとっては忌々しいものかもしれないけれど習わせてあげているんだ。ありがたいと思う。新たな伴侶と、離婚からしばらく経った月日が少なからず秀夫さんの心の傷を癒してくれたのかもしれない。
「ありがとうございます。あの子にピアノを習わせてくれて」
「君のことを忘れることはあの子に強要していない。習いたいと言うなら、そうさせるよ」
「本当にありがたいと思います。あ、あとで弁護士の根本先生から連絡があると思いますけど、慰謝料の残金と養育費、一括で支払うことにしましたから」
「そ、そんな大金、どうしたんだ?」
まあ、そう思うだろうな。だけど松美さんが
「あなた、女性にお金の出所を訊ねるのはマナー違反よ」
「え?」
「弁護士を経ているのであれば不正のものではないわ。それだけで十分じゃないの」
「うん、そうだな。彩希…。いや乾さん、そのお金、受けさせてもらいます」
「お金の呪縛が解けてホッとする反面、少し寂しさもあります。これで完全に縁が途絶えるわけですから…真奈ともう会えないのだなと」
「分かりませんよ。乾さんと真奈がピアノを続けている限りは」
松美さんの言葉に何か救われた気がした。
いい奥様を娶ったと思った。一年で再婚と云うのにも不思議と不快に思わなかった。
消防士なんて仕事は妻子がいなければ続けられない。亡き父がよく言っていたことだった。
過酷な現場活動、それに対応するための訓練、厳しい上下関係、部署によっては膨大な消防法令や消防設備や危険物関係、火災調査などの知識を頭に叩き込まなくてはならない。
安定した公務員、休みが多いなんて理由で気楽な独身貴族を気取っていたら、必ず妻子ある後輩に追い抜かれてしまう。家族がいないと踏ん張れないのだと。
だから真奈の将来のためにも、秀夫さんがすぐに再婚したことは歓迎出来ることなのだ。音楽を続けているうちに、あの子と会えるかもしれない。軽蔑されているかもしれないけれど、元気な姿を見られれば、それでいい。
「米沢には父母の墓参で来ました」
「そうか、俺はもう墓参することは無いけれどご両親の御霊によろしく言っておいてくれ」
私と秀夫さん夫婦はそこで分かれ、私はカフェに。
ふう、と落ち着くと同時に何か自分でもよく分からない涙が出てきた。
何が悲しいのか、よく分からない。私はカフェの隅でしばらく泣いた。
もう一度弾こうと思っていたけれど、そんな気にもならずカフェを後にし、ホテルに戻ってまた泣いて…。いつの間にか眠っていた。
だけど泣いたらスッキリするという話は本当のようで私は翌朝気分が爽快だった。
何で泣いたのか私にも分からないけれど、もういい。
私はホテルにタクシーを呼んでもらい、父母の眠る霊苑へと。両方の祖父母もすでに他界しているので、私は本当に独りぼっちだ。親戚も疎遠だし。昨日泣いたのは、もしかしてこれかな?
離婚以降、父母の墓参りをするのは初めて。霊苑で働く人が見かねてたまに手入れをしてくれたのか、綺麗な状態なのでありがたかった。墓石を清め、花を生けた。
「お父さん、お母さん、私ね、不倫しちゃって離婚したんだ。もしお父さんとお母さんが生きていたら、何発も引っ叩かれたと思う。多額の慰謝料、そして娘の養育費を支払わなくちゃならず…二人が慈しみ、大切に育ててくれたこの体を売り物にした。本当にごめんなさい」
霊苑に風が優しく吹いた。木々が揺られる音に癒される。
「でもね、そのお仕事が縁で巡り合った人がいて…私にピアノで生きていける道を示してくれたの。もう体を売る仕事を辞めてピアニスト、作曲家として生きている。そしてお金を全部支払う目処がついた。何か人生の区切りみたいな感じがしたからお父さんとお母さんに報告に来ました」
私は手を合わせるのをやめて、立ち上がり、深々と頭を下げた。
「不倫、離婚、そして娼婦になった。あの世で自慢できる娘になれなくてごめんなさい。でも、私はもう過去を振り返らず、まっすぐ前を向いていきます。お父さん、お母さん、私を生んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう、ピアノという他人様に誇れるものを私にくれてありがとう!」
私は凛と父母の墓を見つめ
「さようなら、また来ます」
そう言って霊苑を後にしてタクシーを呼び、米沢駅に向かうのだった。
不倫のあげくに離婚、逃げるように出てきた故郷へと。
車窓を眺め、故郷とかつての夫、そして今も愛してやまない娘を思い出していた。
少し長いトンネルに入る。そしてトンネルを出ると銀世界の景色が車窓に。
雪深い町、米沢…。帰ってきたんだと思った。
米沢駅に着いた。雪が積もっているけれど、いま雪は降っていない。
米沢市のマスコットキャラクター、戦国武将直江兼続をゆるキャラ化した『かねたん』の絵が描かれた幟が駅前に何本も立っていた。懐かしい。
直江兼続だけではなく、上杉景勝、前田慶次、兼続の妻お船の方のゆるキャラの幟も。
真奈はお船の方のゆるキャラ大好きだったな。市内のショッピングモール内のゲームセンターで秀夫さんがクレーンゲーム一発でお船の方のぬいぐるみをゲットした時は母娘で大喜び。元夫の意外な特技に驚いたわね。
駅前の路上が雪解け水でビショビショ、念のため長靴を用意しておいて良かったわ。子供のころは溶けている雪を長靴で踏むの好きだったな。
弁護士の根本さんとの約束には、あと二時間ある。私はバスに乗って上杉神社近くの、かつての自宅へと。
今も『山本』という表札があるのが見える。私は接近禁止令が出されているので上杉神社内から、それを見つめるだけ。
偶然でも真奈が家から出てきてくれないだろうかと思い、遠くからかつての我が家を見つめている。成長したあの子の姿を一目見たかったけれど願いは叶わず。
上杉神社本殿に赴き、手を合わせた。娘が幸せに生きられるようにと。
神社から出て行く時、もう一度かつての自宅を見てみた。
「秀夫さん、車を変えたのね。私が助手席に乗った車なんて嫌だったのかも」
駅前に戻り、食事を済ませたあと弁護士事務所へ。
「お待ちしておりました」
「お世話になります、根本先生」
「こちらへ」
秀夫さんとの離婚のさい、秀夫さんの担当として私に慰謝料と養育費の支払い等を請求してきた根本弁護士。今も私たち元夫婦の繋ぎ役をしてくれている。でも、それも今日で終わりにしたい。
「元夫と上野さんに支払う慰謝料の残額、すべて用意出来ました。あと娘の養育費も一括で支払います」
上野さんという女性は私の不倫相手佐藤和真くんの元奥様。私との不倫が理由で、もう佐藤くんとは離婚している。それに伴う慰謝料を請求されていたのだ。
私は支払い能力を示すべく、預金通帳を見せた。預金額を見て根本弁護士は通帳を私に戻した。
「大金です。元旦那様と上野様は一括で支払えることを逆に不信がるかもしれません。どうして、これだけのお金を用意できたかお話し願えますか?」
「そのつもりです。収入源はいくつかあって、一つは恥ずかしながら風俗嬢として稼いだお金、もう一つはアイパイパーとしての広告収入、ピアノ奏者としての報酬です」
私は根元弁護士に関連書類と自分の動画を見せた。
「アイパイパー、私はあまり存じませんが…再生数が多いと広告収入が入るのですか」
「はい、幸いピアノに心得がありましたので。多くの人が聴いてくれています」
「このことを…」
元夫と上野さんに伝えていいか、とのことだろうけど私は首を振る。
「私がどんな方法で慰謝料と養育費の一括払いが出来るほどの収入を得たか、というのは知らせないで下さい。先生の言葉から犯罪や不当な手段で得たお金ではないと保証して下されれば、と思います」
職業に貴賤は無しと言うけれど、やはり私は風俗嬢をしていたと云うことは知られたくなかった。
「分かりました。お二人には、そのように」
「では、先生からの報告が入り次第お金を振り込みますので」
私は弁護士事務所を出た。一泊だけ駅近くのビジネスホテルに泊まるつもりだ。
米沢の大型ショッピングモールにストリートピアノが設置されているので弾きに行こうと思い、私は直通のシャトルバスに乗り込んだ。
家族三人で行ったっけな…。レストラン、お子様ランチに真奈が大喜びで。
ブランドものに興味ない私に『一つくらい自慢が出来るバッグを持てよ』と毎月の小遣いから貯めたお金でいいバッグを買ってくれた秀夫さん…。思い出のあるショッピングモール。未練があるのだな、そう思った。
ショッピングモールに着いた。久しぶりね、建物にそう話しかけてしまった。
今日は土曜日、人が多い。家族連れを見ると何だか羨ましいと思う。特に真奈と同じ年頃の女の子がいる家族は。
モール内のストリートピアノの場所へ。誰も弾いていなかったのでピアノの椅子に座った。今日は撮影しなくてもいい。ただ懐かしい、思い出の場所であの子が大好きな『探偵少女アイカ』のメインテーマを奏でたい。
思えば…水原さんが言った『いまアイパイプに女性ピアニストの動画はない。ねらい目だ』と言ったのは大当たりだった。いま他の女性ピアニストも我も我もと投稿している。その中でも最初の投稿者である私は一番の人気だ。
まあ、自慢じゃないですが腕前もそれなりということもありますが。水原さんに作曲の仕方も教わり、今は作曲家としても生きて行けるようにもなった。今度私がバンドメンバーを務める中村いろはちゃんの楽曲には私が作曲したのもある。
アイドルアプリゲームにも何曲か作曲依頼されているし…私は人と機に恵まれた。
私の弾く『探偵少女アイカ』のメインテーマ、いつの間にか立ち止まって聴いている人も増えていた。女の子は目をキラキラさせて聴いてくれている。『探偵少女アイカ』はみな知っているものね。演奏が終わると大きな拍手をもらえた。故郷米沢から逃げるように出て行った私には何より嬉しいものだった。
私は聴衆にペコリと頭を下げてピアノから去っていく。カフェで一息入れて、あとでまたもう一曲弾こうと思う。ホテルに帰るころには、ちょうどいい時間になっているだろう。
そう思っていた時だった。
「彩希…」
「えっ?」
振り向くと、そこにいたのは元夫の秀夫さんだった。
女性を連れている。秀夫さんは穏やかな笑みを浮かべ、私に歩んできた。
「君のピアノを聴くのは高校以来だけど…すごい腕前だったんだな」
「…え、ええ、今も趣味で続けているの。奥様?」
「ああ、君と別れた一年後に再婚した。消防本部の上役の娘さんで」
「垣野内松美と言います。よろしく」
「もしかして…垣野内中隊長の娘さんですか?」
「私の父をご存じなのですか?」
「私の亡くなった父と同期なんです。もしかしたら署の家族懇親会などでお会いしたことがあるかもしれませんね…。あの…真奈とは上手く行っていますか?」
「はい、最初は戸惑っていたようですが、今は私をお母さんと呼んでくれています」
「良かった…。今日は一緒じゃないのですか?」
「ピアノ教室に行っている。さっき送ってきたばかりで、帰りに買い物に寄ったんだ」
「…ピアノ教室」
「ああ、やはり君のピアノで歌ったころが忘れられないのだろう」
真奈に残った元母親の記憶。秀夫さんにとっては忌々しいものかもしれないけれど習わせてあげているんだ。ありがたいと思う。新たな伴侶と、離婚からしばらく経った月日が少なからず秀夫さんの心の傷を癒してくれたのかもしれない。
「ありがとうございます。あの子にピアノを習わせてくれて」
「君のことを忘れることはあの子に強要していない。習いたいと言うなら、そうさせるよ」
「本当にありがたいと思います。あ、あとで弁護士の根本先生から連絡があると思いますけど、慰謝料の残金と養育費、一括で支払うことにしましたから」
「そ、そんな大金、どうしたんだ?」
まあ、そう思うだろうな。だけど松美さんが
「あなた、女性にお金の出所を訊ねるのはマナー違反よ」
「え?」
「弁護士を経ているのであれば不正のものではないわ。それだけで十分じゃないの」
「うん、そうだな。彩希…。いや乾さん、そのお金、受けさせてもらいます」
「お金の呪縛が解けてホッとする反面、少し寂しさもあります。これで完全に縁が途絶えるわけですから…真奈ともう会えないのだなと」
「分かりませんよ。乾さんと真奈がピアノを続けている限りは」
松美さんの言葉に何か救われた気がした。
いい奥様を娶ったと思った。一年で再婚と云うのにも不思議と不快に思わなかった。
消防士なんて仕事は妻子がいなければ続けられない。亡き父がよく言っていたことだった。
過酷な現場活動、それに対応するための訓練、厳しい上下関係、部署によっては膨大な消防法令や消防設備や危険物関係、火災調査などの知識を頭に叩き込まなくてはならない。
安定した公務員、休みが多いなんて理由で気楽な独身貴族を気取っていたら、必ず妻子ある後輩に追い抜かれてしまう。家族がいないと踏ん張れないのだと。
だから真奈の将来のためにも、秀夫さんがすぐに再婚したことは歓迎出来ることなのだ。音楽を続けているうちに、あの子と会えるかもしれない。軽蔑されているかもしれないけれど、元気な姿を見られれば、それでいい。
「米沢には父母の墓参で来ました」
「そうか、俺はもう墓参することは無いけれどご両親の御霊によろしく言っておいてくれ」
私と秀夫さん夫婦はそこで分かれ、私はカフェに。
ふう、と落ち着くと同時に何か自分でもよく分からない涙が出てきた。
何が悲しいのか、よく分からない。私はカフェの隅でしばらく泣いた。
もう一度弾こうと思っていたけれど、そんな気にもならずカフェを後にし、ホテルに戻ってまた泣いて…。いつの間にか眠っていた。
だけど泣いたらスッキリするという話は本当のようで私は翌朝気分が爽快だった。
何で泣いたのか私にも分からないけれど、もういい。
私はホテルにタクシーを呼んでもらい、父母の眠る霊苑へと。両方の祖父母もすでに他界しているので、私は本当に独りぼっちだ。親戚も疎遠だし。昨日泣いたのは、もしかしてこれかな?
離婚以降、父母の墓参りをするのは初めて。霊苑で働く人が見かねてたまに手入れをしてくれたのか、綺麗な状態なのでありがたかった。墓石を清め、花を生けた。
「お父さん、お母さん、私ね、不倫しちゃって離婚したんだ。もしお父さんとお母さんが生きていたら、何発も引っ叩かれたと思う。多額の慰謝料、そして娘の養育費を支払わなくちゃならず…二人が慈しみ、大切に育ててくれたこの体を売り物にした。本当にごめんなさい」
霊苑に風が優しく吹いた。木々が揺られる音に癒される。
「でもね、そのお仕事が縁で巡り合った人がいて…私にピアノで生きていける道を示してくれたの。もう体を売る仕事を辞めてピアニスト、作曲家として生きている。そしてお金を全部支払う目処がついた。何か人生の区切りみたいな感じがしたからお父さんとお母さんに報告に来ました」
私は手を合わせるのをやめて、立ち上がり、深々と頭を下げた。
「不倫、離婚、そして娼婦になった。あの世で自慢できる娘になれなくてごめんなさい。でも、私はもう過去を振り返らず、まっすぐ前を向いていきます。お父さん、お母さん、私を生んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう、ピアノという他人様に誇れるものを私にくれてありがとう!」
私は凛と父母の墓を見つめ
「さようなら、また来ます」
そう言って霊苑を後にしてタクシーを呼び、米沢駅に向かうのだった。
1
あなたにおすすめの小説
不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―
MisakiNonagase
大衆娯楽
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」
「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」
失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。
46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる