2度目の声優人生に突入いたします!

越路遼介

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バイト辞めます

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よく晴れた日、バイト先のマーケットに向かう真理子は通りかかった幼稚園の園庭から嬉しい言葉を聞く。
『オーホッホッホッ!ロゼアンナ!今宵も妾のダンスに魅了されるがいいわ!』
小さな女の子たちが『魔法のお姫様☆ロゼアンナ』ごっこをしていた。思わず足を止めて見てしまう。そして、一通り寸劇を終えると

「次、かな子がキャサリンやる!」
「わたち、わたちがキャサリンやるの!」
ロゼアンナ役はあっさり決まったが、キャサリン役は私が私がと言いあっている。保育士が間に入って何とか鎮まる。その様子を見ていた真理子。
「嬉しいな…。みんながキャサリンを好きになってくれて」

ここからキャサリンの声で園児たちに話しかけたいと云う気持ちを押さえて改めてバイト先に向かう真理子だった。
さっきの嬉しい場面はあったが表情は少し渋い。考え事がある。

真理子のランクはジュニアであるが、キャサリン役の評価がうなぎのぼりの今が売りだす好機である。マネージャーの桜井は真理子のバイトと折り合いをつけてスケジュールを組んでいたが最近は難しくなり、ミーティングで桜井は切り出した。
『村上くん、出来たらマーケットのバイトをやめて声優一本に絞ってほしいのだが…』
『そうしたいのは山々なのですが、そのバイトを辞めてしまうと家賃を払うのが厳しく…』
『ううむ…』
ジュニアが一作品出て得られるギャラは一律15,000円と決まっている。そこから事務所が差し引き声優に支払うと云うもの。いくら売り出し時と云えど真理子に入ってくる給料はそんな大層な金額でもない。自分の体や喉のメンテナンスや化粧代などはすべて自腹だ。事務所が出してくれる金は交通費ぐらいではなかろうか。アパート住まいとはいえ都23区内であるので家賃も高い。声優一本に絞っては生活が厳しくなるのだ。
真理子と同じく、都23区内にアパートを借りている桜井も家賃の高さは知っているので強くは言えないが

『でもね、惜しいんだよ。アニメは無論、ゲームやパチンコ、スロット、そしてドラマCDなどで村上くんが取れそうな仕事結構あるんだ。オファーも来ている』
『マネージャー…』
『バイトを辞めることを視野に入れておいてほしい。『声優は3年目が勝負』を乗り切るためにも、ジュニアのうちに業界に認められないと』
『はい…分かりました…』

その桜井との話から2週間経った。真理子がマーケットを辞めることを迷うのは何も収入だけの問題では無い。義理があるのだ。
広島から独り上京してきた真理子。養成所への入学金とアパート入居の代金などで子供のころからお年玉などを使わずに貯めていた預金は尽いた。必死になってバイトを探して、やっと雇ってくれたのが現在のバイト先、いなほマートである。
働いた経験のない真理子に仕事を教えてくれて、よき社会勉強の場ともなった。

「ずいぶんと考えたけれど、桜井マネージャーの言葉は正しいわ。今が勝負どころなんだもの」
真理子はバイトを辞めることを決めていた。たかがバイトを辞めることでと軽んじるなかれ。重要なターニングポイントである。多くの声優がバイトをしながら仕事を続けているのは確かなことで、実際真理子の前世もそうであった。そうしなければ食べていけないからである。
バイトを辞めて声優だけで食べていきたい。前世の真理子が願い、そして叶わなかったこと。しかし、いざ実現させるとなると複雑な心境となる。我ながら妙な感情と苦笑する真理子だった。

勤務時間が終わると、真理子は店長の大北のもとに歩み
「あ、あの…店長…」
「ん?どうしたんだい、村上さ…」
真理子が泣いていることに気付き
「ど、どうしたの?お客さんに理不尽なクレームでも受けたのかい?」
「ち、違います…。えぐっ、ぐしゅ…」
「じゃあ、どうしたの?」
「すいません…。ぐしゅっ、バイト今月いっぱいで辞めさせてくださぁい…」
「…え?」
「すっ、すいません…。広島から出てきた右も左も分からない小娘をせっかく雇って下されたのに…でも…」

大北は微笑み
「見ているよ、ロゼアンナ、すごいじゃないか」
「ぐしゅっ、店長…」
広島から上京してきた真理子を快く雇ってくれた恩人である。そして、バイトを辞めて声優一本でやっていくと云うのは前世の真理子にとって悲願であった。
涙はそれが実現したことの感無量。そして大恩ある大北に辞めることを告げなければならないのがつらかった。

「泣くんじゃないよ。バイトをしなくても声優で食べていけるようになったんだろう?ならば、私たち、いなほマートの仲間たちにとっては誇るべきで、喜んで送り出したいくらいだよ」
「そうよ、マリちゃん、おめでとう!」
「見ているよ、ロゼアンナ!ウチの娘も大好きで、よくキャサリンごっこしているわよ」
惣菜コーナーのおばちゃんたちも真理子と大北のところにやってきて門出を祝福してくれた。
「あっ、そうだ!サイン、置いていってくれないかな?事務所に飾っておくよ」
と、大北。
「えへへっ、喜んで!」

さて『魔法のお姫様☆ロゼアンナ』に変化が生じた。
真理子の知るストーリーではなくなってきているのだ。本来は物語中盤でリタイアする敵役キャサリンだが、その様子が台本から伺えない。むしろキャサリンの場面は増えている。
手応えを感じ出す真理子。中盤まではロゼアンナとキャサリンは不仲でライバル。後半はラスボスの大魔女ヴァルキリーを倒すため共闘する。この展開になりつつある。
ここからは真理子にとっても未知のキャサリンである。ロゼアンナのパートナーとしてのキャサリンをどう演じればいいのか。それを考えると嬉しくて仕方ない。役作りにおいて中山香織と話しあうことも多くなった。収録が終われば次回に向けて綿密に互いの役について話しあっている。珠玉の時間だった。
芸歴とキャリアは香織の方が上であるが、香織は自分の芝居を引き出す芝居をしてくれる敵役キャサリンを演じる真理子に敬意を払っていた。それは真理子も同じだ。

そして本来なら、キャサリンが物語をリタイアしていた第13話の台本を渡された時、真理子は心の中で『ぃよっしゃあああッ!!』と叫び、ガッツポーズをした。
クライマックスに向けて、ラスボスのヴァルキリーの登場と共に、ロゼアンナとキャサリンが手を組んでいく話がメインとなっていく。真理子の悲願は成就。ついに脚本が書き換えられたのである。それは村上真理子が演じるキャサリンの魅力ゆえだ。
気のせいか、肝心の絵の質も前世より良いように感じる。人気アニメになってくれたから新たに良いスポンサーでもついてくれたのかもしれない。真理子はより気合いを入れてキャサリン役に集中する。

今日の真理子は他のアニメの端役を2本演じたあと、電車で待ち合わせ場所へ。
今夜は康臣とデートだ。
気の利いたエスコートなど期待しちゃいない。ただ、一緒にいたい。美味しいものを食べながら、たくさんおしゃべりしたい。それだけで幸せでたまらないのだから。
走る真理子の先に微笑む康臣がいる。顔を赤めて、真理子は言う。
「ヤスさぁーん!お待たせーッ!」
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