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桜色の涙
桜風
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今泉がメッセージのやりとりをしていることを知っていた。返信が来るたびに、嬉しそうに携帯を覗く今泉をよく目撃した。それを見るたびに胸が苦しくなった。
看護師達は今泉に新しい彼女が出来たと噂をし相手探しを躍起になっていた。ここ数ヶ月で何人かの看護師が今泉に告白をした。
「彼女がいるので…。」
博愛主義だと思っていたが、冬に一途で、今泉という男がいまいちよく分からなかった。
小鳥遊が当たり前のように食べていた冬が作った料理をべた褒めし、のろけた。
そのうち弁当まで作って貰うようになり平然と皆の前で食べたりしていた。
“密会”と称し、今泉が時々、病棟師長と冬と3人で食堂で楽しそうに話をしたりする姿も見かけた。
自分だけが取り残されてしまったように思えた。小鳥遊は、冬が恋しかった。
毎日のように冬の艶めかしい姿を思い出しては自慰をしたが、虚しさが募るだけだった。
仕事から帰って寝るだけの味気ない生活。別れてからも、冬以外の女性と肉体関係を持つことなど到底考えられなかった。
…トーコさん…今でも僕は君が忘れられない。あの時、あなたを“共有”することを承諾していたら、今も、僕の元にとどまっていてくれてたのだろうか?
病棟で見る冬は、いつも生き生きとしていた。冬が居ると思われる時間帯には用もないのに病棟へつい出向いてしまうこともあった。
…自制が全く利かない。
その症状はだんだんと悪化していくようで小鳥遊は怖かった。
+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:
病院の周囲で桜が咲き出すと、毎年病棟ごとに花見が行われた。
その日は全力で皆が仕事を終わらせるのを目標に一致団結する日でもあった。
場所取り兼買い出し係をくじで決めたが、小鳥遊と冬が当たってしまった。
ブルーシートを持たされ、定時で半ば強制的にあがらされた二人。
小鳥遊は冬が私服に着替える間,玄関で冬を待った。気まずいが、それでも二人っきりでいられると思うとドキドキした。
「お待たせしました。」
まだ肌寒いのにも関わらず冬は春の装いで現れた。淡いピンク色のカシミアのセーターの上には薄手の白いカーディガン、シフォンスカートは、風が吹くたびに冬の細い膝先でフワフワと遊んだ。
冬の上品で女性らしい服装が好きだった。アメリカにいる時には短パンとTシャツというラフな格好が多かったが、普段はいつも可愛いらしい格好をしていた。
慌てて着たのか、その上の少し厚手の真っ白なコートは羽織っているだけだった。歩きながらコートを直し、ベルトをきっちりと締めた。
並んで歩くと冬のあの懐かしい優しくて甘い香りが小鳥遊の鼻を撫でていく。見惚れていた小鳥遊と冬の目が合って、冬が笑った。
「何ですか?」
「いえ…その格好寒く無いのかなと思って。」
「…と思うでしょう?中にヒー●テック着てるからそうでも無いんですよ。」
冬は相変わらず、冬だった。白昼堂々と並んで歩く事なんてアメリカ以来かも知れない…ふと思った。二人は、お菓子などの買い出しにいかなければならなかった。コンビニまでは歩いて10分程度の距離だった。
「あれ?トウコ?先生と一緒にどーしたの?」
道で声を掛けられた。どこの病棟だか分からないが、見覚えがある看護師だった。
「小鳥遊先生とデートなの。」
小鳥遊の腕に手を絡ませた。ちらりと小鳥遊が持っている袋の中のブルーシートを見て笑った。
「あ…そっか"お花見買い出し"デートね。」
冬はすぐに小鳥遊の腕から離れた。
…デートか。
「そうとも言うかな…じゃあね。」
看護師は小鳥遊にお疲れ様ですと言って会釈をし通り過ぎた。
「若い子は、スナック菓子とかチョコレートとかで良いけど、私はお煎餅と大福とかの方がいいなぁ。先生は?」
「僕は…何でも良いかな。」
コンビニが見えて来た。
「先生ジャンケンしましょ。」
「え?」
…はいジャンケーン ぽい。
小鳥遊が負けた。
「はい…今日は先生の奢り。先生が立て替えてくださいね。」
小鳥遊は笑った。
「ジャンケンなんかしなくとも,最初からそうするつもりでしたよ。」
「一応…何と無く。私が荷物持ちしますから。」
コンビニに入り、お菓子をどんどんカゴに入れていく。あっという間にカゴいっぱいになった。
「先生お願いします。」
小鳥遊が列に並んでいる間,冬が居なくなった。レジの支払いが始まる頃に戻って来て、暖かいコーヒー2つと,野菜ジュース,おにぎり2つをカゴの中に入れた。
「あ…。」
小鳥遊は笑った。
「“驕り”でしょ?」
…分かりました。
冬は大きな袋を全部持った。
「良いですよ。僕が持ちますから。」
大きな手が冬に触れ袋を持った。小鳥遊はドキドキしたが、冬は気にも留めていない様だった。
「じゃあ,ひとつ持ちます。」
小鳥遊は片手にブルーシートが入った袋反対には、お菓子を持って歩いた。二人で、もと来た道を戻った。
「お天気、もつかなぁ」
冬が空を見上げた。重たい雲が掛かり、少し風が吹いていた。
「…私…先生に避けられてるような気がしていたんですよね…。」
小鳥遊は気まずかった。こんなに気まずい思いをするのは、初めてて、自分自身も戸惑っていた。
「そうですか?僕は普通に接しているつもりですけれど…以後気を付けます。」
別れた後も冬は普通に真面目ないつもと変わらない冬だった。
「そうですか…なら良かった。」
暫く沈黙が続いた。
「今泉先生とは如何ですか?」
小鳥遊は、つい聞いてしまった自分に驚いた。
「変わらないですよ…一緒にご飯作ったり、ドライブや温泉へ行ったり。」
「よくそれでバレませんね。」
今泉の大胆さには驚くばかりだった。
「そうですね。不思議と。病院から遠くで遊ぶからかも知れません。」
「一緒に住んでいるのですか?」
「いえいえ…休みの時は泊まったりしますけど、普段は余り…あ…でも今泉先生が私のマンションに来ることの方が多いかも。私が学生指導とかしてる時は…。」
…そうか。僕は忙しい冬に無理をさせていたんだ。
「先生は?煩い私が居なくなって伸び伸びでしょ?」
冬は笑った。居なくなってから、冬がどんなに気を使って自分と暮らしていたのかが良く分かった。
「僕は…あなたが、沢山のことをやってくれていたことに気が付きました。」
掃除、洗濯、ご飯にゴミ出し。自分が気が付いた時には冬が全部していた。
「だって…先生忙しいから仕方が無いです。」
冬は全然気にしていないようだった。
…それに比べ今泉はマメに冬を手伝ったりしているのかも知れない。
今更気が付いても遅いことが沢山ありすぎて小鳥遊は辛かった。いつの間にか冬が当たり前のように自分の傍に居てくれると思い込んでいたのかも知れない。
「食事を作ったり、お弁当を作ってあげたりしているそうですね。」
…えっ?
「今泉先生とオペで一緒の時には、色々のろけを聞かされてます。貴女の作ったご飯やお弁当を写真に撮って見せてくれるんですよ。」
…そうだ…皮肉にもそうなってしまったんだ。
「えーっ。そんなことしていたんですね。いつの間に写真を撮ってたんだろう?注意しておかなくっちゃ。」
小鳥遊は苦笑した。今泉は聞かなくても、スキーへ行ったとか、ドライブへ行った時にタイヤがパンクしても自分よりも冬が手際よく変えてしまったとか…他愛も無い話をしていた。
「トーコさんは、車のタイヤも自分で変えられるんですね…凄いですね。」
「えーっそんなことまで?先生は話したの?」
「ええ。聞いても居ないのに詳しく教えてくれます。」
…今まで先生と呼ばれていたのは、自分だったのに。今泉のこともそう呼ぶのか。
「アメリカに住んでいた時に、ジェフに教わったんです。それが今頃役にたってます。もう…小鳥遊先生を煩わせない様に今泉先生には言っておきます。」
小鳥遊は今泉から冬の様子を聞くのは辛いが、同時に自分が知らなかった冬が沢山あることにも気づかされた。
病院の裏の桜並木へ行くと、既にクラーク達が花見をしていた。軽く挨拶をしてブルーシートを敷き二人で少し離れて座った。
冬はおもむろに袋から先ほど買ったコーヒーと野菜ジュース、おにぎりを出した。
「ちょっとお腹空きません?みんな来るの時間掛かると思いますし…梅干しと、シーチキンどちらが良いですか?」
「では…梅干しで…」
冬は小鳥遊がいつも梅干しおにぎりを食べていたことを覚えていた。
「はい…コーヒーと野菜ジュース。」
「え?これ僕にですか?」
「どうせ、自分の好きなものしか食べていないでしょうから。」
そういって冬は笑った。小鳥遊は、冬への甘い思いがふつふつと湧き上がってくるのを感じた。周りに誰も居なかったら、冬を抱きしめていただろう。
「食事はどうしているのですか?」
冬はシーチキンのおにぎりを頬張りながら聞いた。
「コンビニ弁当や、お店ですかね。」
めんどくさいと言いながらも、朝晩と冬は欠かさずに小鳥遊にご飯を作ってくれていた。自分が居ない時には冷蔵庫に入れて、電子レンジで温めて食べられるようにしてくれていた。
「野菜ジュース、面倒じゃ無くて良いですよ。」
冬は笑った。
「ご飯ちゃんと食べて下さいね…。」
冬は少し寂しそうに見えた。
…そんな目で僕を見ないで下さい。
「…ほら、オペ予定とか…あるから。」
小鳥遊と目が合うと冬は慌てて言った。
「特に今月はオペびっしり入っちゃってるし、あ…今週は予約ベッドで満床ですからね。あしからず。」
風が吹きビニールシートが捲れるのを冬が体と手を伸ばし、抑えた。
するとスカートも風で少し捲れた。細すぎない白くて綺麗な足が覗き、再び風が吹くと、肌にぴったりとフィットしたガーターベルトが見えた。
「トーコさんスカート。」
小鳥遊は、まるで高校生のようにドキドキしてしまった。
「あ…ありがとう…ござい…ますっと。」
冬は、片手で近くにあった大きめの石をシートの端に乗せながら、スカートの裾を直した。
あの日もそうだ。別れを告げに来た時…。冬が去った後、部屋をよく見ると、溜まっていたゴミは綺麗に片づけられ、掃除機をかけた形跡もあった。
風呂からあがり、水でも飲もうと冷蔵庫を開けると買った覚えの無い、
野菜ジュース、夕食、翌朝の朝食が入っていた。小鳥遊は泣きそうになった。
「先生との時も…もう少し出かけてたら…良かったな。」
…そうだ。もともと乗馬やダンスなど動くことが好きだった冬が、僕に合わせて、ずっと家に居てくれたんだ。
冬は少し寂しそうに小鳥遊を見て笑った。
「お願いですから、そんな顔をして僕を見ないで下さい。」
小鳥遊は苦笑した。冬に全く落ち度は無かった。どこに行きたい、あれが欲しいなどのおねだりもしなかった。
連絡無しに夜遅くなっても何も言わず、小鳥遊が今まで付き合ってきた女性達に比べれば、言い方は悪いが、全く手が掛からなかった。
「私…そんなに物憂げで物欲しそうな顔をしていましたか?」
…物欲しそうなって。
小鳥遊は声に出して笑った。
…トウコさんは相変わらずトーコさん…だった。
暫く沈黙が続いた。冬が切なそうに小鳥遊を見た。
「I miss you so muchです…。」
ブルーシートの上に膝を抱えて座る冬が小鳥遊を見つめながら呟いた。どれだけ長い時間、冬を自分は拘束していたのかを思い知らされた。自分のことばかりで、冬の何も見て無かった。
「僕もです。」
小鳥遊は、弱弱しく笑った。
突然雨が降って来た。パラパラから土砂降りになるまで、数分の間だった。雨で散り始めた桜の木の下に入って雨宿りしたが、どんどん激しくなった。
「ひゃー今日雨降るって言ってなかったですよね?」
「ええ。」
「駄目だ…今日は中止ですね。」
「僕師長に電話します。」
冬はレジャーシートを畳み、大量に買い込んだお菓子を両手にぶら下げた。雨は土砂降りになり、容赦なく二人を凍えさせた。
「僕の家に来ますか?」
…ここからなら走って5分ちょっとかな。
「はい…寒くて死にそうです。」
ガタガタと震える冬の体からは湯気があがっていた。
「じゃあ急ぎましょう。」
そういうと小鳥遊の家まで二人で走った。懐かしいエントランス前。冬は真っ白な顔に紫色の唇でガタガタと震えた。
「もう少しですから…、」
エレベーターに二人で乗った。二人の足元には大きな水たまりが出来た。
小鳥遊にも冬にも桜の花びらの髪に沢山付いていたが、それを取り合う余裕も無かった。
「だ…だめだ…さ…寒い。」
玄関に大量のお菓子を置くと、ぺたぺたと足跡を付けながら、
二人で風呂場に入り、シャワーを目一杯だしながら、湯船に湯を張った。
「恥ずかしいとか言ってる場合じゃないですね。一緒に入っちゃいましょう。」
冬が体に張り付いた洋服を必死で脱いでいた。
「助かります。」
ふたりとも全裸になった。
丁度シャワーの下に居た冬は小鳥遊の腕を引っ張り、湯が当たるところへと立たせ、一緒に浴びられるように小鳥遊にぴったりとくっついた。
「それじゃあ温まりませんよ。」
小鳥遊は微笑みながら、シャワーヘッドをフックから外し冬に掛かる様にした。
「明日はオペ無い日だから、最悪風邪ひいてもオッケーですね。」
冬は笑ったが体が冷えすぎてガタガタと震えていた。
「日勤ですか?」
「はい。」
風呂場が徐々に温まりだした。頭についていた桜の花びらが落ち、ふたりの足元の間で排水口へと流れていく。
「ああ…生き返る。」
冬は上を向いてシャワーを髪に当てると綺麗に真っ直ぐに流れ艶々と輝きを増した。冬はぽってりと重みのある髪を頭の上で器用に束ねた。
「髪…伸びましたね。」
…そうだ…先生と別れてから結構経ったんだ。
「ええ…そろそろ切らないと手に負えなくなってきました。」
冬は何気なく小鳥遊の顔を見上げた。
「トーコさん…。」
冬の顔に、髪が張り付き、艶めかしかった。
…懐かしい響き。
冬も凍えそうで慌てて小鳥遊と一緒に入ったものの、今になって二人でお風呂でシャワーを浴びているのが恥ずかしかった。
「はい?」
…先生をこんなに間近でみるのは、久しぶりだ。
冬は胸の高鳴りを覚えた。
「僕はあなたにキスをしたくなってしまいました。」
…やっぱり まだ 先生のことが好き。
冬が笑うと小鳥遊は冬の顔を両手で押え、貪るに激しく長い間口づけをした後そっと唇を離した。互いに見つめ合いそしてもう一度口づけを交わした。
長い沈黙。
「先生?」
…駄目だ…やっぱりふたりとも同じくらい好きなんだ。
「はい…。」
…先生はいつも優しい目で見つめて居てくれた。
「私…先生と…キス以上のことを…したくなりました。」
…どちらかなんて選べない。
「ええ…僕もそう思っていたところです。」
小鳥遊も微笑んだ。冬が再び身震いをした。
「取り合えず後の事は湯船に入って温まってからにしましょう。」
丁度良い水位まで湯が溜まった湯船を見て言った。
「そうしましょう。」
二人で次々と湯船に入った。向かい合わせで何も話さずずいぶん長い間、ただ見つめ合っていた。
「なんかこうやって一緒に入って居たのが随分昔のように思えますね。」
小鳥遊が思い出すように言った。
…つい数か月前なのに、痛みと甘い思い出。
「本当に…。」
冬の顔の血色が良くなり、ピンク色へと変わって来た。小鳥遊が冬の顔に張り付いた髪と残っていた桜の花びらをそっと指でとった。どちらともなく再び口づけを交わし、お互いに微笑んだ。
「久しぶりだからちょっと緊張します。」
冬が恥ずかしそうに笑った。
「えっ。そうなんですか?」
思わず小鳥遊は冬に聞いてしまった。
「ええ…先生としたあの時が最後。」
小学生の恋愛でもあるまいし、本当にそんなことがあるのだろうか?小鳥遊はじっと冬の顔を見つめた。
「今泉先生とは?」
「理由はもうしあげられませんが、出来ないんです。」
小鳥遊は驚いた…出まかせでは無いとは判っていたが、本当にそんなことがあるんだろうか?それについて小鳥遊は何か言いたそうな目をしていたが、冬がすかさず言った。
「先生…私の目を見て下さい”Use the force. Feel it.”です。」
「うーん。取り合えず何か判りませんが察しろと言うことですね。」
小鳥遊は笑った。
…そう言えばこうして笑うのも久しぶりだ。冬と居ると、ほっとするのは何故だろう。
「…今日泊っても良いですか?」
冬が心配そうに聞いた。
…トーコさん…そんなこと聞かなくても良いのに。
小鳥遊は他人行儀になってしまった冬が悲しかった。出来る事ならこのままずっと引き留めて帰したくは無かった。
「土砂降りですし、どっちにしろ洋服があんなに濡れてては無理ですよ。」
小鳥遊は優しく微笑んだ。
「トーコさんにずっとここに居て欲しい。」
独り言のように呟いた。
「それは…無理です。私にはナルシスト今泉が居ますから。」
…確かに…そうだ。
胸がズキズキと痛んだ。
「我儘だとは判っています。けれど僕の帰りをずっと待ってて欲しい。僕だけを見てて欲しいんです。」
…今まで付き合った女性達が何度となく自分に向けて言ったセリフ。
小鳥遊は切なそうに言った。
「こんなことは、あなた以外の女性に今まで一度だって感じた事は無かったんです。」
…上手く表現出来ない独占欲。
「え?…それまでは好きな人を独占したいとか思わなかったってこと?」
冬は驚いたように言った。
「ええ…特には…。」
冬はちょっと考え込んで真面目な顔になった。
「先生…それはきっと“恋”の病です。大人になってから拗らせると大変ですよ。病名を付けるなら”若きウェルテル病”。症状は懊悩煩悶全般ですね。」
小鳥遊ははっとした。
「苦しくて辛くて何も手に着かなくなる。理性では解決不可能。治療法は自己回復力に頼るのみです。」
冬は冗談交じりに言った。
…今まで理性でどうにか出来ていたのは、恋じゃないのか?妻も愛していたが、感情のコントロールは出来たし、泣き喚かれても、その様子を嘲笑する余裕さえあった。それなのに何故だ?冬への想いは別だ。自分をイライラさせ、心配させて苦しめて、ずっと悩ませられている。
「理屈じゃ到底解決出来ないんです。」
小鳥遊は冬の顔をじっと見つめた。
「小鳥遊 学は、きっと本当の“恋”をしたんです。」
冬は微笑みそして続けた。
「初恋おめでとう。でも…そうやすやすと初恋は実らないものなんです。」
冬は小鳥遊を見つめてはいるが、まるで遠くを見つめているような目をした。
「初恋は…実らない。」
冬は自分に言い聞かせるように呟いた。
…こんなことを、僕が狂いそうになっている”諸悪の根源”の冬に教えて貰うなんて...なんて皮肉なことだ。
…しかもそれを、全てが終わってから気が付くなんて。
「先生?」
冬は声を掛けた。
…今まで自分に都合の良い楽な疑似恋愛をしてきたのかも知れない。〝恋”はなんて辛くて苦しいんだ。計画的に生きてきた人生の中で一番思い通りにならないこの状況のフラストレーションをどこにぶつけたら良いんだ?
「小鳥遊せんせ?」
…この先何処へ行くのか判らない不安と失望。最悪だ…出口の見えない迷路。いくら考えても悩んでも、答えが出せない難問だ…駄目だ…しんどい。
小鳥遊の目から突然涙が零れ始めた。
「せんせ?…大丈夫ですか?」
冬は小鳥遊を見て驚いた。
「僕は…どうしたら良いんでしょう?トーコさんのことを考えると、苦しくてとても辛いんです。」
冬は小鳥遊を自分の胸に抱きしめた。
「トーコさん…僕は…とても辛い。」
この理性ではどうにも解決できないこの苦しみを前で、小鳥遊は初めて女性の前で泣いた。
…先生…ごめんなさい…本当にごめんなさい。
「私はもう“恋”なんてしたくない。振り回されたくないんです。もう二度と…。人を真剣に好きになることが、怖いの…とっても。だから、そうなる前に逃げ出すことに決めたんです。」
冬と小鳥遊は裸のまま、ベッドへと向かった。ふたりで横になり、長い間キスを楽しんだ。小鳥遊は冬の官能的なとろけるような口づけを心から楽しんだ。
「トーコさん…キスが上手になりましたね。」
冬の滑々で柔らかい頬を懐かしそうに触れながら言った。
「”優しくてエッチなキス”が出来るキス・マスターになれるよう日々精進しています。」
冬はそう言って、小鳥遊の胸に顔を埋めた。
…懐かしい大きくて広い胸。
「あ…そうだ忘れてた!ちょっと待って下さい…。これから色々と建て込んでくる前に…。」
冬はサイド・テーブルの上にあるバッグの中に手を伸ばし、携帯をゴソゴソと探した。横を向いた冬の耳元から小鳥遊は唇と舌を這わせた。
「もう建て込み始めていますよ。」
小鳥遊は懐かしい冬の香りを楽しみながら、クスクスと笑った。その唇が冬の細い鎖骨まで降りてきた。
「あ…ちょっと待って…いまメールしとかなきゃ…心配されちゃう。」
(今日は肉欲に溺れてきますので、そちらには帰りません。)
小鳥遊は驚いた。
「ちょ…トーコさんそんなことをしたら、今泉先生が怒りますよ。」
冬は、大丈夫です…私は包み隠さず、正直に話していますから…と笑った。小鳥遊は生きた心地がしなかったが、すぐに今泉から返事が届いた。
(今泉:ごゆっくりどうぞ。楽しんで来てください。それではまた明日。)
携帯をベットサイドに置くと再び小鳥遊の首に腕を回した。
「ね?大丈夫だったでしょ?」
何故今泉はこんなにも寛大なのか?自分の好きな女性が他の男とセックスをして平気な訳が無い。小鳥遊には全く理解が出来なかった。
「トーコさん…何故今泉先生は、大丈夫なのか…僕にはさっぱり判りません。」
小鳥遊は戸惑ったのと同時に、今泉にとても興味が湧いた。
「理屈じゃどうにもできない時は、”Use the force. Feel it.”です。」
「あなたは、その言葉を使いたいだけでしょう?」
小鳥遊は声を出して笑った。
「はい…そうとも言えますね。」
小鳥遊は思った…変なことに巻き込まれてしまったことは確かだ…と。
「今泉先生の事は、良いんです。今、この瞬間は、わたしは小鳥遊先生のものなんです。」
小鳥遊にキスをせがんだ。
「あなたはどうしてそう小悪魔の様に振舞えるんですかね?」
小鳥遊は、乳房を優しく吸いながら言った。
「自分に正直なだけです…嘘や言い訳は…聞くのも言うのも…とても疲れますから。」
冬は小鳥遊の髪を梳きながら優しく言った。
「たまには、優しい嘘も必要ですよ…。」
小鳥遊はゆっくりと冬の下腹部に手を伸ばした。
…あぁ。
「見え透いた嘘や…繕いは…相手を酷く苦しめる…ことになりますから私は…嫌い。」
花弁の中の蕾は大きく膨らみ、蕩けた蜜が流れ出していた。
…せんせ…気持ちいい。
「トーコさん…今日はどんなことをしましょう。」
大きな腕が冬を優しく包んだ。
「…屈曲位が…いいな。それか先生もお好きな騎乗位もいいです。」
「わかりました…。」
「…いっぱい…愛して…下さい。」
冬は小鳥遊の首に腕を回し、優しい微笑みを浮かべると、小鳥遊も愛しそうに冬を見つめた。
「…はい。」
春の雨はいつの間にか絹糸のように柔らかく降っていた。そして窓に優しく当たり、小さな滴を作っていた。
看護師達は今泉に新しい彼女が出来たと噂をし相手探しを躍起になっていた。ここ数ヶ月で何人かの看護師が今泉に告白をした。
「彼女がいるので…。」
博愛主義だと思っていたが、冬に一途で、今泉という男がいまいちよく分からなかった。
小鳥遊が当たり前のように食べていた冬が作った料理をべた褒めし、のろけた。
そのうち弁当まで作って貰うようになり平然と皆の前で食べたりしていた。
“密会”と称し、今泉が時々、病棟師長と冬と3人で食堂で楽しそうに話をしたりする姿も見かけた。
自分だけが取り残されてしまったように思えた。小鳥遊は、冬が恋しかった。
毎日のように冬の艶めかしい姿を思い出しては自慰をしたが、虚しさが募るだけだった。
仕事から帰って寝るだけの味気ない生活。別れてからも、冬以外の女性と肉体関係を持つことなど到底考えられなかった。
…トーコさん…今でも僕は君が忘れられない。あの時、あなたを“共有”することを承諾していたら、今も、僕の元にとどまっていてくれてたのだろうか?
病棟で見る冬は、いつも生き生きとしていた。冬が居ると思われる時間帯には用もないのに病棟へつい出向いてしまうこともあった。
…自制が全く利かない。
その症状はだんだんと悪化していくようで小鳥遊は怖かった。
+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:
病院の周囲で桜が咲き出すと、毎年病棟ごとに花見が行われた。
その日は全力で皆が仕事を終わらせるのを目標に一致団結する日でもあった。
場所取り兼買い出し係をくじで決めたが、小鳥遊と冬が当たってしまった。
ブルーシートを持たされ、定時で半ば強制的にあがらされた二人。
小鳥遊は冬が私服に着替える間,玄関で冬を待った。気まずいが、それでも二人っきりでいられると思うとドキドキした。
「お待たせしました。」
まだ肌寒いのにも関わらず冬は春の装いで現れた。淡いピンク色のカシミアのセーターの上には薄手の白いカーディガン、シフォンスカートは、風が吹くたびに冬の細い膝先でフワフワと遊んだ。
冬の上品で女性らしい服装が好きだった。アメリカにいる時には短パンとTシャツというラフな格好が多かったが、普段はいつも可愛いらしい格好をしていた。
慌てて着たのか、その上の少し厚手の真っ白なコートは羽織っているだけだった。歩きながらコートを直し、ベルトをきっちりと締めた。
並んで歩くと冬のあの懐かしい優しくて甘い香りが小鳥遊の鼻を撫でていく。見惚れていた小鳥遊と冬の目が合って、冬が笑った。
「何ですか?」
「いえ…その格好寒く無いのかなと思って。」
「…と思うでしょう?中にヒー●テック着てるからそうでも無いんですよ。」
冬は相変わらず、冬だった。白昼堂々と並んで歩く事なんてアメリカ以来かも知れない…ふと思った。二人は、お菓子などの買い出しにいかなければならなかった。コンビニまでは歩いて10分程度の距離だった。
「あれ?トウコ?先生と一緒にどーしたの?」
道で声を掛けられた。どこの病棟だか分からないが、見覚えがある看護師だった。
「小鳥遊先生とデートなの。」
小鳥遊の腕に手を絡ませた。ちらりと小鳥遊が持っている袋の中のブルーシートを見て笑った。
「あ…そっか"お花見買い出し"デートね。」
冬はすぐに小鳥遊の腕から離れた。
…デートか。
「そうとも言うかな…じゃあね。」
看護師は小鳥遊にお疲れ様ですと言って会釈をし通り過ぎた。
「若い子は、スナック菓子とかチョコレートとかで良いけど、私はお煎餅と大福とかの方がいいなぁ。先生は?」
「僕は…何でも良いかな。」
コンビニが見えて来た。
「先生ジャンケンしましょ。」
「え?」
…はいジャンケーン ぽい。
小鳥遊が負けた。
「はい…今日は先生の奢り。先生が立て替えてくださいね。」
小鳥遊は笑った。
「ジャンケンなんかしなくとも,最初からそうするつもりでしたよ。」
「一応…何と無く。私が荷物持ちしますから。」
コンビニに入り、お菓子をどんどんカゴに入れていく。あっという間にカゴいっぱいになった。
「先生お願いします。」
小鳥遊が列に並んでいる間,冬が居なくなった。レジの支払いが始まる頃に戻って来て、暖かいコーヒー2つと,野菜ジュース,おにぎり2つをカゴの中に入れた。
「あ…。」
小鳥遊は笑った。
「“驕り”でしょ?」
…分かりました。
冬は大きな袋を全部持った。
「良いですよ。僕が持ちますから。」
大きな手が冬に触れ袋を持った。小鳥遊はドキドキしたが、冬は気にも留めていない様だった。
「じゃあ,ひとつ持ちます。」
小鳥遊は片手にブルーシートが入った袋反対には、お菓子を持って歩いた。二人で、もと来た道を戻った。
「お天気、もつかなぁ」
冬が空を見上げた。重たい雲が掛かり、少し風が吹いていた。
「…私…先生に避けられてるような気がしていたんですよね…。」
小鳥遊は気まずかった。こんなに気まずい思いをするのは、初めてて、自分自身も戸惑っていた。
「そうですか?僕は普通に接しているつもりですけれど…以後気を付けます。」
別れた後も冬は普通に真面目ないつもと変わらない冬だった。
「そうですか…なら良かった。」
暫く沈黙が続いた。
「今泉先生とは如何ですか?」
小鳥遊は、つい聞いてしまった自分に驚いた。
「変わらないですよ…一緒にご飯作ったり、ドライブや温泉へ行ったり。」
「よくそれでバレませんね。」
今泉の大胆さには驚くばかりだった。
「そうですね。不思議と。病院から遠くで遊ぶからかも知れません。」
「一緒に住んでいるのですか?」
「いえいえ…休みの時は泊まったりしますけど、普段は余り…あ…でも今泉先生が私のマンションに来ることの方が多いかも。私が学生指導とかしてる時は…。」
…そうか。僕は忙しい冬に無理をさせていたんだ。
「先生は?煩い私が居なくなって伸び伸びでしょ?」
冬は笑った。居なくなってから、冬がどんなに気を使って自分と暮らしていたのかが良く分かった。
「僕は…あなたが、沢山のことをやってくれていたことに気が付きました。」
掃除、洗濯、ご飯にゴミ出し。自分が気が付いた時には冬が全部していた。
「だって…先生忙しいから仕方が無いです。」
冬は全然気にしていないようだった。
…それに比べ今泉はマメに冬を手伝ったりしているのかも知れない。
今更気が付いても遅いことが沢山ありすぎて小鳥遊は辛かった。いつの間にか冬が当たり前のように自分の傍に居てくれると思い込んでいたのかも知れない。
「食事を作ったり、お弁当を作ってあげたりしているそうですね。」
…えっ?
「今泉先生とオペで一緒の時には、色々のろけを聞かされてます。貴女の作ったご飯やお弁当を写真に撮って見せてくれるんですよ。」
…そうだ…皮肉にもそうなってしまったんだ。
「えーっ。そんなことしていたんですね。いつの間に写真を撮ってたんだろう?注意しておかなくっちゃ。」
小鳥遊は苦笑した。今泉は聞かなくても、スキーへ行ったとか、ドライブへ行った時にタイヤがパンクしても自分よりも冬が手際よく変えてしまったとか…他愛も無い話をしていた。
「トーコさんは、車のタイヤも自分で変えられるんですね…凄いですね。」
「えーっそんなことまで?先生は話したの?」
「ええ。聞いても居ないのに詳しく教えてくれます。」
…今まで先生と呼ばれていたのは、自分だったのに。今泉のこともそう呼ぶのか。
「アメリカに住んでいた時に、ジェフに教わったんです。それが今頃役にたってます。もう…小鳥遊先生を煩わせない様に今泉先生には言っておきます。」
小鳥遊は今泉から冬の様子を聞くのは辛いが、同時に自分が知らなかった冬が沢山あることにも気づかされた。
病院の裏の桜並木へ行くと、既にクラーク達が花見をしていた。軽く挨拶をしてブルーシートを敷き二人で少し離れて座った。
冬はおもむろに袋から先ほど買ったコーヒーと野菜ジュース、おにぎりを出した。
「ちょっとお腹空きません?みんな来るの時間掛かると思いますし…梅干しと、シーチキンどちらが良いですか?」
「では…梅干しで…」
冬は小鳥遊がいつも梅干しおにぎりを食べていたことを覚えていた。
「はい…コーヒーと野菜ジュース。」
「え?これ僕にですか?」
「どうせ、自分の好きなものしか食べていないでしょうから。」
そういって冬は笑った。小鳥遊は、冬への甘い思いがふつふつと湧き上がってくるのを感じた。周りに誰も居なかったら、冬を抱きしめていただろう。
「食事はどうしているのですか?」
冬はシーチキンのおにぎりを頬張りながら聞いた。
「コンビニ弁当や、お店ですかね。」
めんどくさいと言いながらも、朝晩と冬は欠かさずに小鳥遊にご飯を作ってくれていた。自分が居ない時には冷蔵庫に入れて、電子レンジで温めて食べられるようにしてくれていた。
「野菜ジュース、面倒じゃ無くて良いですよ。」
冬は笑った。
「ご飯ちゃんと食べて下さいね…。」
冬は少し寂しそうに見えた。
…そんな目で僕を見ないで下さい。
「…ほら、オペ予定とか…あるから。」
小鳥遊と目が合うと冬は慌てて言った。
「特に今月はオペびっしり入っちゃってるし、あ…今週は予約ベッドで満床ですからね。あしからず。」
風が吹きビニールシートが捲れるのを冬が体と手を伸ばし、抑えた。
するとスカートも風で少し捲れた。細すぎない白くて綺麗な足が覗き、再び風が吹くと、肌にぴったりとフィットしたガーターベルトが見えた。
「トーコさんスカート。」
小鳥遊は、まるで高校生のようにドキドキしてしまった。
「あ…ありがとう…ござい…ますっと。」
冬は、片手で近くにあった大きめの石をシートの端に乗せながら、スカートの裾を直した。
あの日もそうだ。別れを告げに来た時…。冬が去った後、部屋をよく見ると、溜まっていたゴミは綺麗に片づけられ、掃除機をかけた形跡もあった。
風呂からあがり、水でも飲もうと冷蔵庫を開けると買った覚えの無い、
野菜ジュース、夕食、翌朝の朝食が入っていた。小鳥遊は泣きそうになった。
「先生との時も…もう少し出かけてたら…良かったな。」
…そうだ。もともと乗馬やダンスなど動くことが好きだった冬が、僕に合わせて、ずっと家に居てくれたんだ。
冬は少し寂しそうに小鳥遊を見て笑った。
「お願いですから、そんな顔をして僕を見ないで下さい。」
小鳥遊は苦笑した。冬に全く落ち度は無かった。どこに行きたい、あれが欲しいなどのおねだりもしなかった。
連絡無しに夜遅くなっても何も言わず、小鳥遊が今まで付き合ってきた女性達に比べれば、言い方は悪いが、全く手が掛からなかった。
「私…そんなに物憂げで物欲しそうな顔をしていましたか?」
…物欲しそうなって。
小鳥遊は声に出して笑った。
…トウコさんは相変わらずトーコさん…だった。
暫く沈黙が続いた。冬が切なそうに小鳥遊を見た。
「I miss you so muchです…。」
ブルーシートの上に膝を抱えて座る冬が小鳥遊を見つめながら呟いた。どれだけ長い時間、冬を自分は拘束していたのかを思い知らされた。自分のことばかりで、冬の何も見て無かった。
「僕もです。」
小鳥遊は、弱弱しく笑った。
突然雨が降って来た。パラパラから土砂降りになるまで、数分の間だった。雨で散り始めた桜の木の下に入って雨宿りしたが、どんどん激しくなった。
「ひゃー今日雨降るって言ってなかったですよね?」
「ええ。」
「駄目だ…今日は中止ですね。」
「僕師長に電話します。」
冬はレジャーシートを畳み、大量に買い込んだお菓子を両手にぶら下げた。雨は土砂降りになり、容赦なく二人を凍えさせた。
「僕の家に来ますか?」
…ここからなら走って5分ちょっとかな。
「はい…寒くて死にそうです。」
ガタガタと震える冬の体からは湯気があがっていた。
「じゃあ急ぎましょう。」
そういうと小鳥遊の家まで二人で走った。懐かしいエントランス前。冬は真っ白な顔に紫色の唇でガタガタと震えた。
「もう少しですから…、」
エレベーターに二人で乗った。二人の足元には大きな水たまりが出来た。
小鳥遊にも冬にも桜の花びらの髪に沢山付いていたが、それを取り合う余裕も無かった。
「だ…だめだ…さ…寒い。」
玄関に大量のお菓子を置くと、ぺたぺたと足跡を付けながら、
二人で風呂場に入り、シャワーを目一杯だしながら、湯船に湯を張った。
「恥ずかしいとか言ってる場合じゃないですね。一緒に入っちゃいましょう。」
冬が体に張り付いた洋服を必死で脱いでいた。
「助かります。」
ふたりとも全裸になった。
丁度シャワーの下に居た冬は小鳥遊の腕を引っ張り、湯が当たるところへと立たせ、一緒に浴びられるように小鳥遊にぴったりとくっついた。
「それじゃあ温まりませんよ。」
小鳥遊は微笑みながら、シャワーヘッドをフックから外し冬に掛かる様にした。
「明日はオペ無い日だから、最悪風邪ひいてもオッケーですね。」
冬は笑ったが体が冷えすぎてガタガタと震えていた。
「日勤ですか?」
「はい。」
風呂場が徐々に温まりだした。頭についていた桜の花びらが落ち、ふたりの足元の間で排水口へと流れていく。
「ああ…生き返る。」
冬は上を向いてシャワーを髪に当てると綺麗に真っ直ぐに流れ艶々と輝きを増した。冬はぽってりと重みのある髪を頭の上で器用に束ねた。
「髪…伸びましたね。」
…そうだ…先生と別れてから結構経ったんだ。
「ええ…そろそろ切らないと手に負えなくなってきました。」
冬は何気なく小鳥遊の顔を見上げた。
「トーコさん…。」
冬の顔に、髪が張り付き、艶めかしかった。
…懐かしい響き。
冬も凍えそうで慌てて小鳥遊と一緒に入ったものの、今になって二人でお風呂でシャワーを浴びているのが恥ずかしかった。
「はい?」
…先生をこんなに間近でみるのは、久しぶりだ。
冬は胸の高鳴りを覚えた。
「僕はあなたにキスをしたくなってしまいました。」
…やっぱり まだ 先生のことが好き。
冬が笑うと小鳥遊は冬の顔を両手で押え、貪るに激しく長い間口づけをした後そっと唇を離した。互いに見つめ合いそしてもう一度口づけを交わした。
長い沈黙。
「先生?」
…駄目だ…やっぱりふたりとも同じくらい好きなんだ。
「はい…。」
…先生はいつも優しい目で見つめて居てくれた。
「私…先生と…キス以上のことを…したくなりました。」
…どちらかなんて選べない。
「ええ…僕もそう思っていたところです。」
小鳥遊も微笑んだ。冬が再び身震いをした。
「取り合えず後の事は湯船に入って温まってからにしましょう。」
丁度良い水位まで湯が溜まった湯船を見て言った。
「そうしましょう。」
二人で次々と湯船に入った。向かい合わせで何も話さずずいぶん長い間、ただ見つめ合っていた。
「なんかこうやって一緒に入って居たのが随分昔のように思えますね。」
小鳥遊が思い出すように言った。
…つい数か月前なのに、痛みと甘い思い出。
「本当に…。」
冬の顔の血色が良くなり、ピンク色へと変わって来た。小鳥遊が冬の顔に張り付いた髪と残っていた桜の花びらをそっと指でとった。どちらともなく再び口づけを交わし、お互いに微笑んだ。
「久しぶりだからちょっと緊張します。」
冬が恥ずかしそうに笑った。
「えっ。そうなんですか?」
思わず小鳥遊は冬に聞いてしまった。
「ええ…先生としたあの時が最後。」
小学生の恋愛でもあるまいし、本当にそんなことがあるのだろうか?小鳥遊はじっと冬の顔を見つめた。
「今泉先生とは?」
「理由はもうしあげられませんが、出来ないんです。」
小鳥遊は驚いた…出まかせでは無いとは判っていたが、本当にそんなことがあるんだろうか?それについて小鳥遊は何か言いたそうな目をしていたが、冬がすかさず言った。
「先生…私の目を見て下さい”Use the force. Feel it.”です。」
「うーん。取り合えず何か判りませんが察しろと言うことですね。」
小鳥遊は笑った。
…そう言えばこうして笑うのも久しぶりだ。冬と居ると、ほっとするのは何故だろう。
「…今日泊っても良いですか?」
冬が心配そうに聞いた。
…トーコさん…そんなこと聞かなくても良いのに。
小鳥遊は他人行儀になってしまった冬が悲しかった。出来る事ならこのままずっと引き留めて帰したくは無かった。
「土砂降りですし、どっちにしろ洋服があんなに濡れてては無理ですよ。」
小鳥遊は優しく微笑んだ。
「トーコさんにずっとここに居て欲しい。」
独り言のように呟いた。
「それは…無理です。私にはナルシスト今泉が居ますから。」
…確かに…そうだ。
胸がズキズキと痛んだ。
「我儘だとは判っています。けれど僕の帰りをずっと待ってて欲しい。僕だけを見てて欲しいんです。」
…今まで付き合った女性達が何度となく自分に向けて言ったセリフ。
小鳥遊は切なそうに言った。
「こんなことは、あなた以外の女性に今まで一度だって感じた事は無かったんです。」
…上手く表現出来ない独占欲。
「え?…それまでは好きな人を独占したいとか思わなかったってこと?」
冬は驚いたように言った。
「ええ…特には…。」
冬はちょっと考え込んで真面目な顔になった。
「先生…それはきっと“恋”の病です。大人になってから拗らせると大変ですよ。病名を付けるなら”若きウェルテル病”。症状は懊悩煩悶全般ですね。」
小鳥遊ははっとした。
「苦しくて辛くて何も手に着かなくなる。理性では解決不可能。治療法は自己回復力に頼るのみです。」
冬は冗談交じりに言った。
…今まで理性でどうにか出来ていたのは、恋じゃないのか?妻も愛していたが、感情のコントロールは出来たし、泣き喚かれても、その様子を嘲笑する余裕さえあった。それなのに何故だ?冬への想いは別だ。自分をイライラさせ、心配させて苦しめて、ずっと悩ませられている。
「理屈じゃ到底解決出来ないんです。」
小鳥遊は冬の顔をじっと見つめた。
「小鳥遊 学は、きっと本当の“恋”をしたんです。」
冬は微笑みそして続けた。
「初恋おめでとう。でも…そうやすやすと初恋は実らないものなんです。」
冬は小鳥遊を見つめてはいるが、まるで遠くを見つめているような目をした。
「初恋は…実らない。」
冬は自分に言い聞かせるように呟いた。
…こんなことを、僕が狂いそうになっている”諸悪の根源”の冬に教えて貰うなんて...なんて皮肉なことだ。
…しかもそれを、全てが終わってから気が付くなんて。
「先生?」
冬は声を掛けた。
…今まで自分に都合の良い楽な疑似恋愛をしてきたのかも知れない。〝恋”はなんて辛くて苦しいんだ。計画的に生きてきた人生の中で一番思い通りにならないこの状況のフラストレーションをどこにぶつけたら良いんだ?
「小鳥遊せんせ?」
…この先何処へ行くのか判らない不安と失望。最悪だ…出口の見えない迷路。いくら考えても悩んでも、答えが出せない難問だ…駄目だ…しんどい。
小鳥遊の目から突然涙が零れ始めた。
「せんせ?…大丈夫ですか?」
冬は小鳥遊を見て驚いた。
「僕は…どうしたら良いんでしょう?トーコさんのことを考えると、苦しくてとても辛いんです。」
冬は小鳥遊を自分の胸に抱きしめた。
「トーコさん…僕は…とても辛い。」
この理性ではどうにも解決できないこの苦しみを前で、小鳥遊は初めて女性の前で泣いた。
…先生…ごめんなさい…本当にごめんなさい。
「私はもう“恋”なんてしたくない。振り回されたくないんです。もう二度と…。人を真剣に好きになることが、怖いの…とっても。だから、そうなる前に逃げ出すことに決めたんです。」
冬と小鳥遊は裸のまま、ベッドへと向かった。ふたりで横になり、長い間キスを楽しんだ。小鳥遊は冬の官能的なとろけるような口づけを心から楽しんだ。
「トーコさん…キスが上手になりましたね。」
冬の滑々で柔らかい頬を懐かしそうに触れながら言った。
「”優しくてエッチなキス”が出来るキス・マスターになれるよう日々精進しています。」
冬はそう言って、小鳥遊の胸に顔を埋めた。
…懐かしい大きくて広い胸。
「あ…そうだ忘れてた!ちょっと待って下さい…。これから色々と建て込んでくる前に…。」
冬はサイド・テーブルの上にあるバッグの中に手を伸ばし、携帯をゴソゴソと探した。横を向いた冬の耳元から小鳥遊は唇と舌を這わせた。
「もう建て込み始めていますよ。」
小鳥遊は懐かしい冬の香りを楽しみながら、クスクスと笑った。その唇が冬の細い鎖骨まで降りてきた。
「あ…ちょっと待って…いまメールしとかなきゃ…心配されちゃう。」
(今日は肉欲に溺れてきますので、そちらには帰りません。)
小鳥遊は驚いた。
「ちょ…トーコさんそんなことをしたら、今泉先生が怒りますよ。」
冬は、大丈夫です…私は包み隠さず、正直に話していますから…と笑った。小鳥遊は生きた心地がしなかったが、すぐに今泉から返事が届いた。
(今泉:ごゆっくりどうぞ。楽しんで来てください。それではまた明日。)
携帯をベットサイドに置くと再び小鳥遊の首に腕を回した。
「ね?大丈夫だったでしょ?」
何故今泉はこんなにも寛大なのか?自分の好きな女性が他の男とセックスをして平気な訳が無い。小鳥遊には全く理解が出来なかった。
「トーコさん…何故今泉先生は、大丈夫なのか…僕にはさっぱり判りません。」
小鳥遊は戸惑ったのと同時に、今泉にとても興味が湧いた。
「理屈じゃどうにもできない時は、”Use the force. Feel it.”です。」
「あなたは、その言葉を使いたいだけでしょう?」
小鳥遊は声を出して笑った。
「はい…そうとも言えますね。」
小鳥遊は思った…変なことに巻き込まれてしまったことは確かだ…と。
「今泉先生の事は、良いんです。今、この瞬間は、わたしは小鳥遊先生のものなんです。」
小鳥遊にキスをせがんだ。
「あなたはどうしてそう小悪魔の様に振舞えるんですかね?」
小鳥遊は、乳房を優しく吸いながら言った。
「自分に正直なだけです…嘘や言い訳は…聞くのも言うのも…とても疲れますから。」
冬は小鳥遊の髪を梳きながら優しく言った。
「たまには、優しい嘘も必要ですよ…。」
小鳥遊はゆっくりと冬の下腹部に手を伸ばした。
…あぁ。
「見え透いた嘘や…繕いは…相手を酷く苦しめる…ことになりますから私は…嫌い。」
花弁の中の蕾は大きく膨らみ、蕩けた蜜が流れ出していた。
…せんせ…気持ちいい。
「トーコさん…今日はどんなことをしましょう。」
大きな腕が冬を優しく包んだ。
「…屈曲位が…いいな。それか先生もお好きな騎乗位もいいです。」
「わかりました…。」
「…いっぱい…愛して…下さい。」
冬は小鳥遊の首に腕を回し、優しい微笑みを浮かべると、小鳥遊も愛しそうに冬を見つめた。
「…はい。」
春の雨はいつの間にか絹糸のように柔らかく降っていた。そして窓に優しく当たり、小さな滴を作っていた。
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