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怒りの矛先
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「夕食は、ふたりに食べさせてから大人の食事なの。そうしないと落ち着かないから。」
ユウが笑った。夏は小鳥遊の顔ばかり穴が開くほどにじっと見ていた。
「覚えているのかしらね。」
ユウが不思議そうだった。
「違うよ…トウコさんが、ガクさんの写真を見せて、もうひとりのお父さんだよ~ってやってるからだよ。」
小鳥遊はそれを聞くと胸が詰まった。
「本物の方がカッコ良いぞと思ってるのかも知れないな。」
今泉の父の隆三が笑った。
大人の食事が始まると、食べたばかりのふたりも大人達の膝に乗せろとせがんだ。
夏は小鳥遊の膝に当たり前のようによじ登ると、小鉢の中におもむろに手を突っ込んで煮物のにんじんを掴んで口に入れた。
「あらら…夏さん。」
「いいえ大丈夫ですよ。」
華に比べて夏はやんちゃだった。
今泉を見ていると、冬が安心してひとりでアメリカに帰る事が出来る理由が判った。
今泉はよく気が付き、細やかに子供達の面倒を見ていた。
動き回る1歳児ふたりを同時に風呂に入れ、出て来たところをユウが捕まえて手早く着替えさせるという分担作業が出来ていた。
夜は広い座敷で、子供二人を真ん中に、今泉と小鳥遊が両端に布団を敷いて寝た。
ゴソゴソと動き回るふたりをよそに、一時間程今泉と寝たふりをしていると、華も夏も眠ってしまった。
「大人が起きていると思うと、寝ないんで駄目なんです。」
こんなに小さくても賢いんですねと小鳥遊は笑った。
「僕は夏の間はずっとここに居る予定です。ガクさんが暇なときは、遠いですけれど、いつでも遊びに来てください。僕の新学期が、始まるまではトーコさんは向こうでひとりっきりです。」
今泉は小鳥遊の目をじっと見つめた。
「静さん…本当にありがとう。」
…こうして子供達と一緒に眠れる日が来るとは思っていなかった。
「夏休みはもう取ったんですか?」
「いいえ。これからです。」
「そうですか…。長く取れると良いですね。」
今泉は静かに言った。
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「トーコ。あなたが、准看護師の仕事手伝っちゃうと困るんだけど。」
今日の受け持ち患者のバイタルサインを端末で確認している冬に向かって看護師が言った。
「え?どうして?時間があるから手伝ってるだけなんだけど?」
看護師がため息をついた。
「アリスったら私達にも手伝ってって言うのよ。」
アリスは准看護師だ。身の回りの世話をするのは主に准看護師の仕事。
看護師は、点滴や、配薬、看護プランを立てたり、退院サマリーを書いたりするのが主な仕事だ。
…あーつまんない。
「あら。忙しいのなら忙しいって断れば良いじゃない。」
画面から目を離さず答えた。
「あの子達手伝って貰って当たり前って最近は思ってるのよ。」
…どうしてこうもお尻の重いひとたちばかりなんだろう。
「あなたが率先して手伝っちゃうからよ。」
ドクター・スミスは静かにそれを聞いていた。
「患者の状態をデーターだけで見ることがまだあなたたちみたいに上手に私出来ないのよ。だから一緒に介助しながら自分の眼で観察しているの。」
…あ アリスが来たわよ。
「トーコ。ちょっと気になる事があるんだけど一緒に見てくれる?」
アリスがナースステーションに顔を出して言った。
「ゴメン。入力あと3分ぐらいで出来るから、ちょっと待っててくれる?」
「わかったわ。」
「ほらね?」
看護師が意地悪く言ったが、冬は何も答えずに席を立った。
「この患者さん…尿量が少ないんだけど。」
「輸液量は変わって無いわよね…。カテーテル詰まって無い?あ…なんか浮遊物多いね。熱は?」
冬はアリスと一緒に確認をしていた。
「トーコごめん。他の看護師に言われてるんでしょ?」
「あー。別に平気。私は聞いてくれた方が良いわ。気にせず聞いてね。」
冬は笑った。
…観察もまともに出来ない看護師にデーターだけでプランを立てられたりしたらそっちの方が怖いわよ。
「でも…。」
アリスは褐色の美しい肌をしていたが、手は手洗いを頻繁にするので少し荒れていた。
「他の人は関係ない。おかしいと思ったりなんか変だと疑うことが大切だと思うの。」
冬はアリスの顔を覗き込んで言った。
「ねぇ。今度,日勤が一緒になったら夕飯食べない?凹んでるあなたが元気になるように、ご馳走しちゃう♪」
冬は笑った。
「トーコがご馳走してくれるの?やったぁ。これ私のメアドと電話番号。」
アリスは嬉しそうにメモを渡した。准看護師達にトーコは良く動くし話しやすいので評判が良かった。
トーコのチームは、和気藹々としていた。勤務に来てトーコのチームと言うだけで、喜ぶ准看護師も多かった。
「OK. 私のメール届いた?携帯の番号も入れといたから。」
冬はそれを受け取るとすぐにその場で登録をし,返信を返した。
「うん。勤務見て連絡するわ。一緒に日勤の時が良いわね。」
アリスはとても嬉しそうだった。
「トーコー!お客さん来てるわよ。」
他のチームの看護師がナースステーションから叫んだ。
「はぁい。今行くわ。」
ステーションに戻ると,ドクター・スミスと立ち話をしている大きな後ろ姿が見えた。
小鳥遊だった。
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「トーコが来ましたよ。」
小鳥遊が振り返ると懐かしい冬が立っていた。
驚き、怒り、悲しみなど冬の表情は、一瞬強張り複雑に変化した。
「あなたにきちんと謝りたくて。」
「…。」
つかつかと小鳥遊の前に来た。
―――― バチーーーーーン。
ステーションで働いているスタッフが一斉に冬を見た。
幸せな生活から悲しみのどん底に突き落とされて,冬は到底冷静にはなれなかった。
「Screw you!」
抱きしめようとした小鳥遊を突き飛ばした。
「触らないで!」
小鳥遊は冬が痩せてしまったように思えた。
「話すことは何も無いわ。帰って…。」
冬はそれきり勤務に戻ってしまい,
小鳥遊はそれでも待っていた。
「ガク…今日は帰った方が良い。トーコは混乱しているんだよ。」
ドクター・スミスは,小鳥遊の肩をポンポンと叩いた。宿泊先のホテルのルーム番号を書いて渡し,病棟を離れた。
「あなた…凄いわね。」
看護師でゴシップ好きのレベッカは面白そうだった。
髪をブロンドに染めた化粧の濃いぽっちゃりとした看護師で、冬よりも少し年下の様に見えた。
冬はどうしても小鳥遊を赦すことが出来ないし、それでもまだ愛しているという混ざり合わない気持ちが渦を巻き消化不良を胃の中で起こしているように思えた。
「一発殴ったぐらいじゃ全然足りないわよ。」
冬はPC画面に向かって独り言をいった。
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小鳥遊は毎日のように病院に来た。
「一度で良いから,きちんと話をさせて下さい。」
「いいえ…貴方はあるかも知れませんけれど私はありませんから。」
「ねぇ…あなたたち毎日仕事の邪魔よ。」
意地悪な看護師のレベッカが言った。
…確かに迷惑だ。
冬は大きなため息をついた。
「ちょっと待ってて。」
冬はメモに家のアドレスを書いて鍵と一緒に渡した。
「悪いけど,部屋で待ってて。お腹が空いたら自由に冷蔵庫のものを食べて良いですから。」
冬の家は広すぎず狭すぎず、
4人で暮らすには丁度良い大きさだった。
アメリカの家庭によくある家族写真。今泉と冬が華と夏を抱き微笑んでいる写真が、暖炉の上に飾られていた。
そこには小鳥遊がみることが出来なかった、子供達の成長の様子があった。
整理整頓されたキッチンにリビングルーム、冷蔵庫を開けると、残り物だと思われる食事が入っていて、小鳥遊はそれを食べた。
食後大きなソファーで休んでいるといつの間にか眠ってしまっていたらしく、玄関のドアが開く音で目が覚めた。
冬と小鳥遊は暫くお互いを見つめ合っていた。
「僕は…本当に酷いことをしてしまいました。」
バッグを乱暴にダイニングテーブルの上に置いた。
「ええ。」
冬が2階へあがると、着替えて戻ってきた。その手には茶封筒が握られていた。
そしてA4の茶封筒をテーブルの上に滑らせるように小鳥遊の目の前に投げた。
「これ…あげるわ。」
小鳥遊は茶封筒を開けると思わず息を飲んだ。あの時のふたりの女と小鳥遊がベットの上で全裸で寝ている写真、ゴミ箱の中の使用済みコンドーム、女性達が脱ぎ捨てた洋服などあの時に冬が目撃した時の写真が、A4サイズに引き伸ばされていた。
「こ…これは。」
これを冬が子供達を連れて帰ってきた時に目撃したと思うと、ナイフで刺された様な鋭い痛みを胸に感じた。
「弁護士を雇って離婚する時に使おうと思っていたの。でも…内縁関係だったんですもの使う必要も無かった…だから あなたにあげる。」
冬は冷たく笑った。
「よりによって…家に連れ込むなんて…。性欲に負けるなんて、You’re so pathetic.
「僕は、あなたをそして静さんを傷つけてしまいました。本当に取り返しのつかないことをしてしまいました。」
「女にだらしないことを家庭に、子供達と住んでいたあの家に持ち込んだことが許せないの。」
冬の顔は苦痛に歪んでいた。
小鳥遊は何も言わず黙って聞いていた。
「心から貴方を愛していたの…信じてた。」
大きなため息をひとつついた。
「僕は…愛してます…今でも。」
冬は小鳥遊が言い終わらないうちに、吐き捨てるように言った。
「…だったらなんであんなことしたのよ!」
冬は椅子から立ち上がると、
ダイニングをウロウロと歩き回った。
「何の言い訳にもなりませんが、性嗜好障害で治療を受けています。主にカウンセリングですが…。あなたが言っていた通りでした。」
…愛してるなら,あんな酷いこと出来る筈ないじゃない。
「病気だから仕方が無い?病気だったら何でもして良いわけ?」
冬は納得が出来なかった。以前にも何度か指摘したのにも関わらず小鳥遊は全く聞き入れなかったからだ。
「お願い…もう帰って。明日も日勤で早いの。」
冬は玄関のドアを開けた。
「また明日も来ます…あなたが許してくれるまで…。」
ドアを閉めて鍵を掛けると、冬の眼に涙が溢れてきた。
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「ねぇねぇ…この間の彼…誰?」
ゴシップ好きの看護師達に代わる代わる同じことを説明しなくてはいけなかった。
「色々あるのよ。」
…面倒臭い。
「わざわざここまであなたを追いかけて来たの?いやだドラマみたい。」
冬はため息をつきながらPCに向かって今日の検査予定を確認していた。
「ドクター・スミスとここに来ると良く話してたけど、医者なの?」
…ドクター・スミスと連絡を取り合っていたんだ。だからこの場所が判ったんだ。ドクタースミスの裏切者め。
「うん。」
「ヘェ~。背が高くて素敵じゃない。あなた結構やるのね。」
「ドクター・ブラックは二股だったのね。」
レベッカが、また要らぬ口を挟んだ。
「何度言えば判るの?ドクター・ブラックはただの友達…ていうか余り関わりたくない人ね。そんなこと言うならレベッカこそもう一度アタックしてみたら?振られちゃったんでしょう?新しい彼女できちゃったみたいだけど。真夜中にデートの誘い?相手が当直明けなのに、私だったらしないけど。」
冬は自分のイライラをレベッカにぶつけた。レベッカの顔にみるみる怒りの表情が浮かんだ。
…ああ 大人げないことしちゃった。
この手のゴシップは、うんざりだった。看護師と医者が不倫をしているとか、離婚をしそうだとか、親権を争って泥沼になっているとか、冬には全く興味が無かったし、まさか自分がそのゴシップに関わることになるとは思ってもいなかった。
険悪なムードを壊すために誰かが言った。
「夕方からストームだって。」
「えーまた信号機壊れたりするのかなぁ。渋滞するしいやだわ~。」
「まぁ、緊急入院は減るから良いけど。」
ドクター・スミスがそっと冬の隣のPCの前に座って、患者の画像を見ながら言った。
「ガクはとても君のことを心配していたんだよ。」
冬はちらりとドクター・スミスを見た。
「僕はね…君たちの間に何が起こったのかは、聞かないよ。」
…絶対聞いてる…ガクさんは正直すぎるから。
「ガクに居場所を教えた癖に。」
今度はドクターがおどけた顔をして見せた。
「僕が言えることは、きちんと話し合うこと。それだけ。」
そして席を逃げるように立ちステーションを去っていった。入れ替わりで数人の看護師がやって来た。
天気予報通り夕方から嵐になった。真夏だと言うのに、肌寒くて凍えそうだった。家に帰ると、小鳥遊が玄関で凍えて待っていた。
「ちょっと…何やってるの。」
「トーコさんを待ってました。」
小鳥遊は雨に濡れて、凍えていた。
「いつから待ってたの?」
「えーっと15時頃ですかね。朝6時から仕事って言ってたから、そのぐらいには帰るかなぁと思って。」
「3時間以上じゃない!今60℉よ!それにね、うちの病棟は12時間勤務なのよ。」
「それを早く言って下さい。」
…あきれた!
冬はバックから鍵を探した。その間にも雨は叩きつけるように振っていて、冬もびしょ濡れになった。
「こんな雨の中、馬鹿みたいに待ってるなんて誰も思わないでしょう普通?」
冬は急いでドアを開けると、小鳥遊を入れた。
「あなたと静さんに馬鹿と言われるのには慣れました。」
弱々しく笑った。
「もう。良いから早く入って。お風呂沸かすから。」
冬はガタガタ震えている小鳥遊にバスタオルを渡した。
「お風呂湧けるまでこれ着てて。静さんのだから、丈が短いと思うけど。お湯がたまったらお風呂入ってて。」
小鳥遊がお風呂に入っている間に、濡れた洋服を洗濯し、残りのご飯で雑炊を作った。
携帯が鳴り見ると今泉からだった。小鳥遊が来ていることを話しても余り驚かない様子だった。話の様子から、自分が一人で家にいる事を教えたのは今泉の様だった。
「トーコさん。もう許してあげれば?」
今泉は優しく言った。
「なっ…。」
「トーコさん自分でも判っているでしょう?ガクさんだって反省していることだし…。」
冬は今は悲しみよりも、怒りの方が強かった。
「そんなこと言ったって、ラブホテルでコソコソならまだしも、私たちの家で、いつも愛し合って寝ているベッドであんなことするなんて、鈍器でフルスウィングで殴ってもまだ足りないわ!」
今泉は声を出して笑った。
「ね...意地を張らずに…夏さんや華ちゃんの為にも。僕は知ってるよ。君がまだガクさんのことをとても愛していること。」
小鳥遊が風呂から出て来る音が聞こえた。
「あ…ゴメンまた後でかけ直すわね。」
冬は慌てて電話を切った。
「ご飯食べて無いんでしょう?雑炊作ったから食べて。」
テーブルの上に卵雑炊と梅干を置いた。
「洋服は下着までびしょ濡れだったから洗ってるの。明日の朝まで嵐だっていうから、今日は泊って。寝室準備しておいたから。」
冬は食パンとバナナ、ミルクで夕飯を簡単に済ませた。
「トーコさん。済みません。」
小鳥遊が食べ終わり、お茶を飲んでいた。
「なんか…気持ちが悪い…。」
小鳥遊は突然ふらつきながら、キッチンのシンクへ近づくと食べたものを嘔吐した。
小鳥遊の顔が少し赤いことに気が付き、
額に手をそっと触れると熱があった。
「ガクさん熱があるじゃない。」
体温を測ると39度あった。
ベッドへ連れて行った。
「今氷枕作って来るから、先に寝てて。」
小鳥遊は重い体を引き摺る様にしてベッドに潜り込んだ。
冬は頭に氷枕を当て、サイドテーブルにボトルウォーターを置いた。
「吐き気が落ち着いたら薬飲みましょうね。」
そういって冬も風呂に入った。
薬を持って様子を見に行くと寝息を立てて寝ていた。額にそっと触れるとまだ熱かった
…起きたら薬飲ませなくっちゃ。
ベッドからそっと立ち上がろうとすると小鳥遊に手を引っ張られた。ベッドの上に倒れ込んだ。
「トーコさん。お願いだから今夜だけ一緒に寝て下さい。僕寂しくて…何もしませんから。」
… お願いします。
冬はため息をついた。
「そんな甘えたって駄目です。はい薬飲む。」
冬は手を振り解こうとしたが、強い力で握られてた。
小鳥遊の左手には、
まだ結婚指輪が光っていた。
外では雷と強い風の音が聞こえた。
一瞬部屋の明りがちかちかと瞬いた。
「停電になっちゃうかしら…。」
一瞬真昼の様に明るくなった直後だった。
―――ドカーンッ
凄まじい音がしたかとおもうと、窓ガラスがビリビリと音を立てた。
窓の外では大きな庭木が風に弄ばれて踊っていた。
―――ガシャーン。
隣の部屋から大きな音がした。
「様子見て来る。」
冬は慌てて音がした今泉の書斎兼勉強部屋に入ると、大きな窓ガラスが割れ、雨と風が吹き込んでいた。
「Ugh!」
冬はバスタオルと、粘着テープで割れたガラスの部分を覆った。
慌ててガレージへ行き、子供用の本棚を作ろうと買ってあったボードと工具箱を持った。小鳥遊がその音を聞きつけて、起きて来た。
「手伝いましょう。」
大きな手で板を抑えた。
「大丈夫すぐ終わるから、ガクさん寝てて。ガラス割れて危ないから!」
小鳥遊は何も言わず押え続けた。冬は何本か釘を打った。
「ありがとう。助かったわ。」
びしょ濡れの床と窓ガラスの破片,本は幸いなことに余り濡れて居たかった。真っ暗闇の中で雷でガラスの破片がキラキラと光った。
「掃除はとりあえず明日にしましょう。あなたも着替えないと。」
冬は椅子から降りた。風呂上がりに着替えたばかりのTシャツは濡れ、冬の身体にぴったりと張り付いていた。
「…薬飲んでて。着替えて来るから。」
冬はそれに気が付いて慌てて自室に入っていった。小鳥遊はその後ろ姿を静かに見送った。
そして寝室へと戻り冬が用意してくれた薬を水で流し込みベッドに潜り込んだ。
暫くすると冬が小さな懐中電灯を小鳥遊の寝室に持ってきた。
「トイレに行く時はこれを使って。今夜は復旧しないと思うから。おやすみなさい。」
サイドテーブルに静かに置いた。
「トーコさん…。」
小鳥遊は何か言いかけたが、冬はそれに気付かぬ振りをして部屋をでた。
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「Hi.昨日は凄かったわね。あなたのところは被害は無かった?」
庭先で冬が誰かと話す声で小鳥遊は目が覚めた。ベッドの上で体を起こすと少しふらふらとした。
「庭の木が折れたぐらいだな。」
男性の声が聞こえた。枕元の体温計で熱を測ると37度台まで下がっていた。
「そう。手伝いが必要だったら言ってね。」
枕元には、乾いた小鳥遊の服がきちんと畳んで置いてあった。洋服に着替え、庭を見ると、冬が落ちた枯葉や小枝を拾い集めていた。
窓ガラスが割れた部屋を覗くと、既に綺麗に片づけられていた。昨日は気が付かなかったが、今泉の机の上には冬の写真が飾られていた。
本棚には麻酔や薬剤に関する本が並んでいた。部屋は、きちんと整理整頓されており、今泉の几帳面さが出ているように思えた。ゆっくりと1階へ降りた。
「あら…ガクさん起きてたの。まだ停電中だから、お湯が出ないの。ガスは使えるんだけど。パンでも食べてて。私ちょっと隣へ行ってくる。」
そう言うと、ポットに入れたコーヒーを持って外へ出て行った。
「IHコンロじゃ使えないでしょう?コーヒー煎れたから、飲んで。ポットを返してくれるのはいつでも良いから。」
「ああ…ありがとう。いつも悪いね。」
隣に住む老夫婦への差し入れをした冬が戻って来た。
「熱はどう?」
冬は小鳥遊の前にコーヒーを置いた。
「下がったみたいです。」
「良かった。午前中、大学へ行かなくっちゃいけないの。戻って来たら、ホテルまで送っていくわ。それまでゆっくりしていて。」
コーヒーは温かかった。
「大学は夏休みじゃないんですか?」
鍋がぐつぐつと音を立て始めた。
「休み中も、EMTやナーシングの生徒に実習室を解放してるんだけど、講師が持ち回りで見張り番するのよ。勉強教えたり、実技の練習をしたり自習室みたいなものね。」
冬は冷蔵庫から梅干しを出してテーブルの上に置いた。
「一緒に行っても良いですか?」
出来立てのおかゆを小鳥遊の前に置いた。
「良いけど…でも…今日は休んでいた方が良いんじゃない?」
小鳥遊は出来るだけ冬と一緒に時間を過ごしたかった。
「もう大丈夫ですから。」
小鳥遊は微笑んだ。
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冬が行くと既に教室の入り口で待っている生徒が居た。
「おはよう…待たせちゃったわね。」
教室の鍵を開けると、生徒達はおしゃべりをしながらぞろぞろと教室に入った。大学の実習室は広々としていた。
ベッドや床頭台が10台ほど並び、吸引器などもあり、本物の病室のようだった。手前には学校の理科室にあるような実験テーブルが同じく10台並んでいた。
教員用の実験テーブルに荷物を置いた。
「今日は、お友達のドクターがお手伝いに来てくれたから、判らないことがあったら聞いてね。とっても丁寧に教えてくれるわよ。」
…お友達か。
小鳥遊は苦笑いをしたが、すぐに人懐っこい生徒達に、何科のドクターですか~?どこから来たんですか~?と質問攻めにあった。
冬は人体模型を出したり、ステートや血圧計や体温計を置いた。冬はテーブルの上にラップトップを置き、仕事をしていた。小鳥遊は、質問攻めからやっと解放された。
「大学生なんて大人だと思ってたけど、考えてみれば私の年齢の約半分だもん。びっくりしちゃうわよね。」
冬は画面から目をはなさずに笑った。生徒たちは好き勝手に練習をしていた。
「Dr.G。猫がみたいんだけど駄目?」
…そうかトーコさんはドクターって呼ばれるんだ。
「ちょっと待って、解剖学の先生に聞いてみる…居るかしら。」
冬は内線でだれかと話をしていた。
「見るだけなら出して良いっているから出すけど、触っちゃ駄目よ。ガクさんちょっと手伝ってくれる?」
「猫?」
「ええ解剖用の猫。解剖生理の授業で必須なのよ。」
隣接した部屋に入るとホルマリンの香りがした。解剖用に処理された猫が1匹ずつ真空パックになっていた。
「看護師でも解剖ってあるんですね。」
冬に指示された大きなケースを棚から降ろすとホルマリンの鼻を刺す様な刺激臭がした。
解剖生理学の講師が、綺麗に解剖して、筋肉や臓器のなまえが、きちんとわかるようにラベルが付いていた。
「ええ。」
実験用テーブルの上に置いた。
「見終わったら 臭いから蓋締めてね。ラベルがついてるからそれには触らないでね。」
生徒に声を掛けた。
「Dr.Gってなんか面白いですね。」
小鳥遊は笑った。
「ゲッショウって読めないから。Gets&showですって紹介すると覚えてくれるんだけど、みんなメンドクサイみたい。」
冬が笑った。
「大学の教授にって言われているんでしょう?Dr.Smithが言ってましたが…。」
「もう…おしゃべりなんだから。教授じゃなくて准教授ね。」
「給料は今の倍になるそうですが、教員は嫌ですか?」
冬の隣に丸椅子を持ってきて座った。
「臨床が好きだし、患者さんと話して居ると楽しいし…。脳外は特にあり得ない事件とか起こっちゃいけないけど起こるでしょう?」
実技も勉強もバランスが取れている冬は相変わらずだと小鳥遊は思った。冬は秋セメのパワーポイントを作っていた。
「実は、ここに来る1ヶ月程前に、静さんのご実家に行ってきたんです。」
冬の手が止まった。
「華ちゃんも夏さんも大きくなってて驚きました。」
…そう。
冬は、夏の顔を思い出していた。日に日に小鳥遊の顔に似てきていた。
「どうだった Mini Meに会った気分は?」
小鳥遊が笑った。
「ユウさんにも“そっくりね”と言われました。僕の顔を穴が開くほど見てました…ガン見ってやつですね。」
「ガン見…って。」
冬は笑った。
生徒たちの笑い声が教室に響いた。ひとりの生徒が,CPR用の人形で心臓マッサージの練習していたが,上手くいかず、死んでしまった事を告げていた。
「ちょっとそのAnnieちゃん高いんだから丁寧に扱ってね。」
冬が笑いながら言った。上手に蘇生すると目を開けて,有難うといってくれたり、異常波形を見ることも出来る高額な人形だった。
「僕らの時代は太郎さんとか、はな子さんでしたけどね。」
生徒が代わる代わる練習をしていた。
「私の時はアニーちゃんとかアンネちゃんとかだったかな。」
再び死亡したことを告げるアラームが鳴り,笑いが起こった。
「Dr.Gどうしてもアニーが死んじゃうんですけど。」
お前何人殺したら気が済むんだよと,他の生徒が笑っていた。
「あなたたち,実際の現場じゃそんな余裕も,無くなっちゃうんだからね。CPRだけはちゃんと練習しておきなさいね。」
「先生が映った動画見てた~♪カッコ良かった。」
生徒のひとりが言った。
…もうだいぶ昔の話のような気がする。
「その時,一緒にいたドクターが実はドクター・タカナシだったのよ。」
冬が笑って言った。
「へぇ。」
「…ということで病み上がりのDr.小鳥遊がCPRを見せてくれるそうです。」
冬は笑って言った。
「やり慣れているあなたの方が上手でしょう?」
小鳥遊は苦笑した。
「医局長…アニーちゃんを死なせない様に頑張って。」
冬が意地悪そうに笑った。
「努力します。」
小鳥遊は笑いながら,生徒の所へと向かい、冬はPCの手を止めてその大きな後ろ姿を眺めた。
…判ってる。
冬は,愛情が怒りや悲しみの痛みを和らげていくのを感じていた。
ただ,その効き目がまた再び無くなってしまうのではないかという不安に駆られていた。気が付くと小鳥遊が戻って来ていた。
「…子供達に僕の写真…見せてくれていたそうですね。」
冬は何も答えずPCの画面を見ていた。
「ありがとう。」
暫く沈黙が流れた。
「華ちゃんと夏さんの為だから。」
冬の視線は資料と画面を行き来している。
「それでも…僕は嬉しかったです。」
小鳥遊は、自分の手の指輪を見つめた。
「夫としてdisgusting だったけど,良いお父さんだったから。」
…ムカつく夫か。
小鳥遊は言われても仕方が無いと思った。
冬はちらりと小鳥遊の顔を見た。
「何ですか?」
「珍しく反論しないなと思って。」
冬が意地悪く笑った。
「その通り…でしたから。」
小鳥遊は寂しそうに笑った。
「あ…そろそろ時間!あと5分でここ閉めるわよ~片付け始めてね。」
生徒がバタバタと自分の荷物を片付けて教室から出て行った。
はい仕事一つ終わりっと言いながらPCを閉じた。
「ずっとこちらで働くつもりですか?」
「うーん。判らないわ。静さんは暫く働いて日本に戻りたいみたいだけど…。」
「ガクさんこそ、留学とか考えなかったの?」
「僕は…論文を書いたりするよりも、手術が好きだから。それにもう新しいことに情熱を燃やせるほど若くも無いですし…。」
誰も居なくなった自習室の片づけを始めたので小鳥遊も手伝った。
「日本ではそうかも知れないけれど、ここでは違うわ。ガクさんも判るでしょう?若くも無い…は言い訳だわ。」
CPRの人形を片付けながら冬が言った。
…確かに言い訳だ。
努力家の冬に言われると、耳が痛かった。でも自分は挑戦する事よりも、今ある事をコツコツとしていく方が向いていると思った。
「お昼はどこで食べたい?お腹が空いちゃった。」
冬も資料をカバンに放り込み、荷物を持った。
「事件に巻き込まれない所だったらどこでも。」
冬は教室の電気を消しながら、声を出して笑った。
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小鳥遊のホテルへ送って行くと、昨日の嵐の影響で停電が続き、クローズになった。ロビーのガラスが割れたり、客室の窓ガラスが割れたり被害も出ていた。キャンセルや、カードキーが使えなくなり、ドア鍵を借りようとする客でロビーはごった返していた。
「仕方ないわ…家に来る?」
冬はため息をついた。
「良いんですか?」
小鳥遊が表情がぱっと明るくなった。
「駄目だと言ったら他を探してくれるんですか?」
…やっぱり虐めたくなる。
「相変わらず…意地悪ですね。」
小鳥遊が少し寂しそうな顔をしたので、冬は笑った。
「ロビーで待ってますから…荷物持って来てください。」
冬は言うと、小鳥遊は階段を使って部屋へと急いだ。
買い物をして家に帰ると、電気が復旧していた。
窓ガラスの修理を頼んだが、約束の時間をとうに過ぎても来なかった。
「はいはい…いつものアメリカ時間ね。」
当日来ないことや、半日遅れてくることがしょっちゅうだった。
ふたりで夕食を食べていると冬の携帯が鳴った。
「…判ったわ。30分で行くわ。」
「どうかしましたか?」
「夜勤者が突然来れなくなったんですって、だから急遽夜勤に行ってくる。結構あるのよ。明日の朝6時過ぎには戻るから。家にあるものは何でも好きに使って。」
冬はピンクのスクラブに着替え、
慌ただしく家を出た。
小鳥遊はキッチンに置かれたままの汚れた皿を洗い、ゆっくりと風呂に入った。
今泉のものだと思われるシャンプーの隣には冬のシャンプー,そして子供用のものが並んでいる。
冬のものをそっと手に取って使った。小鳥遊の下半身は熱くなり痛い程だった。冬の艶めかしい体がちらついた。
柔らかい唇、快感で尖った乳首、白くて波打つように動く腰、引き締まった花弁の中の感じやすい蕾。甘い香りのする愛液、包み込まれるようなあの感触。
気が付けば無意識に腫れ上がった自分を、色々なことを思い出しながら、ゆっくりとそして徐々に早くしごいていた。そしてそれはすぐに、ドクドクと拍動すると、白い液体を放出した。
…トーコさん。
冬の肌の温もりが恋しかった。
ユウが笑った。夏は小鳥遊の顔ばかり穴が開くほどにじっと見ていた。
「覚えているのかしらね。」
ユウが不思議そうだった。
「違うよ…トウコさんが、ガクさんの写真を見せて、もうひとりのお父さんだよ~ってやってるからだよ。」
小鳥遊はそれを聞くと胸が詰まった。
「本物の方がカッコ良いぞと思ってるのかも知れないな。」
今泉の父の隆三が笑った。
大人の食事が始まると、食べたばかりのふたりも大人達の膝に乗せろとせがんだ。
夏は小鳥遊の膝に当たり前のようによじ登ると、小鉢の中におもむろに手を突っ込んで煮物のにんじんを掴んで口に入れた。
「あらら…夏さん。」
「いいえ大丈夫ですよ。」
華に比べて夏はやんちゃだった。
今泉を見ていると、冬が安心してひとりでアメリカに帰る事が出来る理由が判った。
今泉はよく気が付き、細やかに子供達の面倒を見ていた。
動き回る1歳児ふたりを同時に風呂に入れ、出て来たところをユウが捕まえて手早く着替えさせるという分担作業が出来ていた。
夜は広い座敷で、子供二人を真ん中に、今泉と小鳥遊が両端に布団を敷いて寝た。
ゴソゴソと動き回るふたりをよそに、一時間程今泉と寝たふりをしていると、華も夏も眠ってしまった。
「大人が起きていると思うと、寝ないんで駄目なんです。」
こんなに小さくても賢いんですねと小鳥遊は笑った。
「僕は夏の間はずっとここに居る予定です。ガクさんが暇なときは、遠いですけれど、いつでも遊びに来てください。僕の新学期が、始まるまではトーコさんは向こうでひとりっきりです。」
今泉は小鳥遊の目をじっと見つめた。
「静さん…本当にありがとう。」
…こうして子供達と一緒に眠れる日が来るとは思っていなかった。
「夏休みはもう取ったんですか?」
「いいえ。これからです。」
「そうですか…。長く取れると良いですね。」
今泉は静かに言った。
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「トーコ。あなたが、准看護師の仕事手伝っちゃうと困るんだけど。」
今日の受け持ち患者のバイタルサインを端末で確認している冬に向かって看護師が言った。
「え?どうして?時間があるから手伝ってるだけなんだけど?」
看護師がため息をついた。
「アリスったら私達にも手伝ってって言うのよ。」
アリスは准看護師だ。身の回りの世話をするのは主に准看護師の仕事。
看護師は、点滴や、配薬、看護プランを立てたり、退院サマリーを書いたりするのが主な仕事だ。
…あーつまんない。
「あら。忙しいのなら忙しいって断れば良いじゃない。」
画面から目を離さず答えた。
「あの子達手伝って貰って当たり前って最近は思ってるのよ。」
…どうしてこうもお尻の重いひとたちばかりなんだろう。
「あなたが率先して手伝っちゃうからよ。」
ドクター・スミスは静かにそれを聞いていた。
「患者の状態をデーターだけで見ることがまだあなたたちみたいに上手に私出来ないのよ。だから一緒に介助しながら自分の眼で観察しているの。」
…あ アリスが来たわよ。
「トーコ。ちょっと気になる事があるんだけど一緒に見てくれる?」
アリスがナースステーションに顔を出して言った。
「ゴメン。入力あと3分ぐらいで出来るから、ちょっと待っててくれる?」
「わかったわ。」
「ほらね?」
看護師が意地悪く言ったが、冬は何も答えずに席を立った。
「この患者さん…尿量が少ないんだけど。」
「輸液量は変わって無いわよね…。カテーテル詰まって無い?あ…なんか浮遊物多いね。熱は?」
冬はアリスと一緒に確認をしていた。
「トーコごめん。他の看護師に言われてるんでしょ?」
「あー。別に平気。私は聞いてくれた方が良いわ。気にせず聞いてね。」
冬は笑った。
…観察もまともに出来ない看護師にデーターだけでプランを立てられたりしたらそっちの方が怖いわよ。
「でも…。」
アリスは褐色の美しい肌をしていたが、手は手洗いを頻繁にするので少し荒れていた。
「他の人は関係ない。おかしいと思ったりなんか変だと疑うことが大切だと思うの。」
冬はアリスの顔を覗き込んで言った。
「ねぇ。今度,日勤が一緒になったら夕飯食べない?凹んでるあなたが元気になるように、ご馳走しちゃう♪」
冬は笑った。
「トーコがご馳走してくれるの?やったぁ。これ私のメアドと電話番号。」
アリスは嬉しそうにメモを渡した。准看護師達にトーコは良く動くし話しやすいので評判が良かった。
トーコのチームは、和気藹々としていた。勤務に来てトーコのチームと言うだけで、喜ぶ准看護師も多かった。
「OK. 私のメール届いた?携帯の番号も入れといたから。」
冬はそれを受け取るとすぐにその場で登録をし,返信を返した。
「うん。勤務見て連絡するわ。一緒に日勤の時が良いわね。」
アリスはとても嬉しそうだった。
「トーコー!お客さん来てるわよ。」
他のチームの看護師がナースステーションから叫んだ。
「はぁい。今行くわ。」
ステーションに戻ると,ドクター・スミスと立ち話をしている大きな後ろ姿が見えた。
小鳥遊だった。
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「トーコが来ましたよ。」
小鳥遊が振り返ると懐かしい冬が立っていた。
驚き、怒り、悲しみなど冬の表情は、一瞬強張り複雑に変化した。
「あなたにきちんと謝りたくて。」
「…。」
つかつかと小鳥遊の前に来た。
―――― バチーーーーーン。
ステーションで働いているスタッフが一斉に冬を見た。
幸せな生活から悲しみのどん底に突き落とされて,冬は到底冷静にはなれなかった。
「Screw you!」
抱きしめようとした小鳥遊を突き飛ばした。
「触らないで!」
小鳥遊は冬が痩せてしまったように思えた。
「話すことは何も無いわ。帰って…。」
冬はそれきり勤務に戻ってしまい,
小鳥遊はそれでも待っていた。
「ガク…今日は帰った方が良い。トーコは混乱しているんだよ。」
ドクター・スミスは,小鳥遊の肩をポンポンと叩いた。宿泊先のホテルのルーム番号を書いて渡し,病棟を離れた。
「あなた…凄いわね。」
看護師でゴシップ好きのレベッカは面白そうだった。
髪をブロンドに染めた化粧の濃いぽっちゃりとした看護師で、冬よりも少し年下の様に見えた。
冬はどうしても小鳥遊を赦すことが出来ないし、それでもまだ愛しているという混ざり合わない気持ちが渦を巻き消化不良を胃の中で起こしているように思えた。
「一発殴ったぐらいじゃ全然足りないわよ。」
冬はPC画面に向かって独り言をいった。
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小鳥遊は毎日のように病院に来た。
「一度で良いから,きちんと話をさせて下さい。」
「いいえ…貴方はあるかも知れませんけれど私はありませんから。」
「ねぇ…あなたたち毎日仕事の邪魔よ。」
意地悪な看護師のレベッカが言った。
…確かに迷惑だ。
冬は大きなため息をついた。
「ちょっと待ってて。」
冬はメモに家のアドレスを書いて鍵と一緒に渡した。
「悪いけど,部屋で待ってて。お腹が空いたら自由に冷蔵庫のものを食べて良いですから。」
冬の家は広すぎず狭すぎず、
4人で暮らすには丁度良い大きさだった。
アメリカの家庭によくある家族写真。今泉と冬が華と夏を抱き微笑んでいる写真が、暖炉の上に飾られていた。
そこには小鳥遊がみることが出来なかった、子供達の成長の様子があった。
整理整頓されたキッチンにリビングルーム、冷蔵庫を開けると、残り物だと思われる食事が入っていて、小鳥遊はそれを食べた。
食後大きなソファーで休んでいるといつの間にか眠ってしまっていたらしく、玄関のドアが開く音で目が覚めた。
冬と小鳥遊は暫くお互いを見つめ合っていた。
「僕は…本当に酷いことをしてしまいました。」
バッグを乱暴にダイニングテーブルの上に置いた。
「ええ。」
冬が2階へあがると、着替えて戻ってきた。その手には茶封筒が握られていた。
そしてA4の茶封筒をテーブルの上に滑らせるように小鳥遊の目の前に投げた。
「これ…あげるわ。」
小鳥遊は茶封筒を開けると思わず息を飲んだ。あの時のふたりの女と小鳥遊がベットの上で全裸で寝ている写真、ゴミ箱の中の使用済みコンドーム、女性達が脱ぎ捨てた洋服などあの時に冬が目撃した時の写真が、A4サイズに引き伸ばされていた。
「こ…これは。」
これを冬が子供達を連れて帰ってきた時に目撃したと思うと、ナイフで刺された様な鋭い痛みを胸に感じた。
「弁護士を雇って離婚する時に使おうと思っていたの。でも…内縁関係だったんですもの使う必要も無かった…だから あなたにあげる。」
冬は冷たく笑った。
「よりによって…家に連れ込むなんて…。性欲に負けるなんて、You’re so pathetic.
「僕は、あなたをそして静さんを傷つけてしまいました。本当に取り返しのつかないことをしてしまいました。」
「女にだらしないことを家庭に、子供達と住んでいたあの家に持ち込んだことが許せないの。」
冬の顔は苦痛に歪んでいた。
小鳥遊は何も言わず黙って聞いていた。
「心から貴方を愛していたの…信じてた。」
大きなため息をひとつついた。
「僕は…愛してます…今でも。」
冬は小鳥遊が言い終わらないうちに、吐き捨てるように言った。
「…だったらなんであんなことしたのよ!」
冬は椅子から立ち上がると、
ダイニングをウロウロと歩き回った。
「何の言い訳にもなりませんが、性嗜好障害で治療を受けています。主にカウンセリングですが…。あなたが言っていた通りでした。」
…愛してるなら,あんな酷いこと出来る筈ないじゃない。
「病気だから仕方が無い?病気だったら何でもして良いわけ?」
冬は納得が出来なかった。以前にも何度か指摘したのにも関わらず小鳥遊は全く聞き入れなかったからだ。
「お願い…もう帰って。明日も日勤で早いの。」
冬は玄関のドアを開けた。
「また明日も来ます…あなたが許してくれるまで…。」
ドアを閉めて鍵を掛けると、冬の眼に涙が溢れてきた。
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「ねぇねぇ…この間の彼…誰?」
ゴシップ好きの看護師達に代わる代わる同じことを説明しなくてはいけなかった。
「色々あるのよ。」
…面倒臭い。
「わざわざここまであなたを追いかけて来たの?いやだドラマみたい。」
冬はため息をつきながらPCに向かって今日の検査予定を確認していた。
「ドクター・スミスとここに来ると良く話してたけど、医者なの?」
…ドクター・スミスと連絡を取り合っていたんだ。だからこの場所が判ったんだ。ドクタースミスの裏切者め。
「うん。」
「ヘェ~。背が高くて素敵じゃない。あなた結構やるのね。」
「ドクター・ブラックは二股だったのね。」
レベッカが、また要らぬ口を挟んだ。
「何度言えば判るの?ドクター・ブラックはただの友達…ていうか余り関わりたくない人ね。そんなこと言うならレベッカこそもう一度アタックしてみたら?振られちゃったんでしょう?新しい彼女できちゃったみたいだけど。真夜中にデートの誘い?相手が当直明けなのに、私だったらしないけど。」
冬は自分のイライラをレベッカにぶつけた。レベッカの顔にみるみる怒りの表情が浮かんだ。
…ああ 大人げないことしちゃった。
この手のゴシップは、うんざりだった。看護師と医者が不倫をしているとか、離婚をしそうだとか、親権を争って泥沼になっているとか、冬には全く興味が無かったし、まさか自分がそのゴシップに関わることになるとは思ってもいなかった。
険悪なムードを壊すために誰かが言った。
「夕方からストームだって。」
「えーまた信号機壊れたりするのかなぁ。渋滞するしいやだわ~。」
「まぁ、緊急入院は減るから良いけど。」
ドクター・スミスがそっと冬の隣のPCの前に座って、患者の画像を見ながら言った。
「ガクはとても君のことを心配していたんだよ。」
冬はちらりとドクター・スミスを見た。
「僕はね…君たちの間に何が起こったのかは、聞かないよ。」
…絶対聞いてる…ガクさんは正直すぎるから。
「ガクに居場所を教えた癖に。」
今度はドクターがおどけた顔をして見せた。
「僕が言えることは、きちんと話し合うこと。それだけ。」
そして席を逃げるように立ちステーションを去っていった。入れ替わりで数人の看護師がやって来た。
天気予報通り夕方から嵐になった。真夏だと言うのに、肌寒くて凍えそうだった。家に帰ると、小鳥遊が玄関で凍えて待っていた。
「ちょっと…何やってるの。」
「トーコさんを待ってました。」
小鳥遊は雨に濡れて、凍えていた。
「いつから待ってたの?」
「えーっと15時頃ですかね。朝6時から仕事って言ってたから、そのぐらいには帰るかなぁと思って。」
「3時間以上じゃない!今60℉よ!それにね、うちの病棟は12時間勤務なのよ。」
「それを早く言って下さい。」
…あきれた!
冬はバックから鍵を探した。その間にも雨は叩きつけるように振っていて、冬もびしょ濡れになった。
「こんな雨の中、馬鹿みたいに待ってるなんて誰も思わないでしょう普通?」
冬は急いでドアを開けると、小鳥遊を入れた。
「あなたと静さんに馬鹿と言われるのには慣れました。」
弱々しく笑った。
「もう。良いから早く入って。お風呂沸かすから。」
冬はガタガタ震えている小鳥遊にバスタオルを渡した。
「お風呂湧けるまでこれ着てて。静さんのだから、丈が短いと思うけど。お湯がたまったらお風呂入ってて。」
小鳥遊がお風呂に入っている間に、濡れた洋服を洗濯し、残りのご飯で雑炊を作った。
携帯が鳴り見ると今泉からだった。小鳥遊が来ていることを話しても余り驚かない様子だった。話の様子から、自分が一人で家にいる事を教えたのは今泉の様だった。
「トーコさん。もう許してあげれば?」
今泉は優しく言った。
「なっ…。」
「トーコさん自分でも判っているでしょう?ガクさんだって反省していることだし…。」
冬は今は悲しみよりも、怒りの方が強かった。
「そんなこと言ったって、ラブホテルでコソコソならまだしも、私たちの家で、いつも愛し合って寝ているベッドであんなことするなんて、鈍器でフルスウィングで殴ってもまだ足りないわ!」
今泉は声を出して笑った。
「ね...意地を張らずに…夏さんや華ちゃんの為にも。僕は知ってるよ。君がまだガクさんのことをとても愛していること。」
小鳥遊が風呂から出て来る音が聞こえた。
「あ…ゴメンまた後でかけ直すわね。」
冬は慌てて電話を切った。
「ご飯食べて無いんでしょう?雑炊作ったから食べて。」
テーブルの上に卵雑炊と梅干を置いた。
「洋服は下着までびしょ濡れだったから洗ってるの。明日の朝まで嵐だっていうから、今日は泊って。寝室準備しておいたから。」
冬は食パンとバナナ、ミルクで夕飯を簡単に済ませた。
「トーコさん。済みません。」
小鳥遊が食べ終わり、お茶を飲んでいた。
「なんか…気持ちが悪い…。」
小鳥遊は突然ふらつきながら、キッチンのシンクへ近づくと食べたものを嘔吐した。
小鳥遊の顔が少し赤いことに気が付き、
額に手をそっと触れると熱があった。
「ガクさん熱があるじゃない。」
体温を測ると39度あった。
ベッドへ連れて行った。
「今氷枕作って来るから、先に寝てて。」
小鳥遊は重い体を引き摺る様にしてベッドに潜り込んだ。
冬は頭に氷枕を当て、サイドテーブルにボトルウォーターを置いた。
「吐き気が落ち着いたら薬飲みましょうね。」
そういって冬も風呂に入った。
薬を持って様子を見に行くと寝息を立てて寝ていた。額にそっと触れるとまだ熱かった
…起きたら薬飲ませなくっちゃ。
ベッドからそっと立ち上がろうとすると小鳥遊に手を引っ張られた。ベッドの上に倒れ込んだ。
「トーコさん。お願いだから今夜だけ一緒に寝て下さい。僕寂しくて…何もしませんから。」
… お願いします。
冬はため息をついた。
「そんな甘えたって駄目です。はい薬飲む。」
冬は手を振り解こうとしたが、強い力で握られてた。
小鳥遊の左手には、
まだ結婚指輪が光っていた。
外では雷と強い風の音が聞こえた。
一瞬部屋の明りがちかちかと瞬いた。
「停電になっちゃうかしら…。」
一瞬真昼の様に明るくなった直後だった。
―――ドカーンッ
凄まじい音がしたかとおもうと、窓ガラスがビリビリと音を立てた。
窓の外では大きな庭木が風に弄ばれて踊っていた。
―――ガシャーン。
隣の部屋から大きな音がした。
「様子見て来る。」
冬は慌てて音がした今泉の書斎兼勉強部屋に入ると、大きな窓ガラスが割れ、雨と風が吹き込んでいた。
「Ugh!」
冬はバスタオルと、粘着テープで割れたガラスの部分を覆った。
慌ててガレージへ行き、子供用の本棚を作ろうと買ってあったボードと工具箱を持った。小鳥遊がその音を聞きつけて、起きて来た。
「手伝いましょう。」
大きな手で板を抑えた。
「大丈夫すぐ終わるから、ガクさん寝てて。ガラス割れて危ないから!」
小鳥遊は何も言わず押え続けた。冬は何本か釘を打った。
「ありがとう。助かったわ。」
びしょ濡れの床と窓ガラスの破片,本は幸いなことに余り濡れて居たかった。真っ暗闇の中で雷でガラスの破片がキラキラと光った。
「掃除はとりあえず明日にしましょう。あなたも着替えないと。」
冬は椅子から降りた。風呂上がりに着替えたばかりのTシャツは濡れ、冬の身体にぴったりと張り付いていた。
「…薬飲んでて。着替えて来るから。」
冬はそれに気が付いて慌てて自室に入っていった。小鳥遊はその後ろ姿を静かに見送った。
そして寝室へと戻り冬が用意してくれた薬を水で流し込みベッドに潜り込んだ。
暫くすると冬が小さな懐中電灯を小鳥遊の寝室に持ってきた。
「トイレに行く時はこれを使って。今夜は復旧しないと思うから。おやすみなさい。」
サイドテーブルに静かに置いた。
「トーコさん…。」
小鳥遊は何か言いかけたが、冬はそれに気付かぬ振りをして部屋をでた。
+:-:+:-:+:🐈⬛-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+
「Hi.昨日は凄かったわね。あなたのところは被害は無かった?」
庭先で冬が誰かと話す声で小鳥遊は目が覚めた。ベッドの上で体を起こすと少しふらふらとした。
「庭の木が折れたぐらいだな。」
男性の声が聞こえた。枕元の体温計で熱を測ると37度台まで下がっていた。
「そう。手伝いが必要だったら言ってね。」
枕元には、乾いた小鳥遊の服がきちんと畳んで置いてあった。洋服に着替え、庭を見ると、冬が落ちた枯葉や小枝を拾い集めていた。
窓ガラスが割れた部屋を覗くと、既に綺麗に片づけられていた。昨日は気が付かなかったが、今泉の机の上には冬の写真が飾られていた。
本棚には麻酔や薬剤に関する本が並んでいた。部屋は、きちんと整理整頓されており、今泉の几帳面さが出ているように思えた。ゆっくりと1階へ降りた。
「あら…ガクさん起きてたの。まだ停電中だから、お湯が出ないの。ガスは使えるんだけど。パンでも食べてて。私ちょっと隣へ行ってくる。」
そう言うと、ポットに入れたコーヒーを持って外へ出て行った。
「IHコンロじゃ使えないでしょう?コーヒー煎れたから、飲んで。ポットを返してくれるのはいつでも良いから。」
「ああ…ありがとう。いつも悪いね。」
隣に住む老夫婦への差し入れをした冬が戻って来た。
「熱はどう?」
冬は小鳥遊の前にコーヒーを置いた。
「下がったみたいです。」
「良かった。午前中、大学へ行かなくっちゃいけないの。戻って来たら、ホテルまで送っていくわ。それまでゆっくりしていて。」
コーヒーは温かかった。
「大学は夏休みじゃないんですか?」
鍋がぐつぐつと音を立て始めた。
「休み中も、EMTやナーシングの生徒に実習室を解放してるんだけど、講師が持ち回りで見張り番するのよ。勉強教えたり、実技の練習をしたり自習室みたいなものね。」
冬は冷蔵庫から梅干しを出してテーブルの上に置いた。
「一緒に行っても良いですか?」
出来立てのおかゆを小鳥遊の前に置いた。
「良いけど…でも…今日は休んでいた方が良いんじゃない?」
小鳥遊は出来るだけ冬と一緒に時間を過ごしたかった。
「もう大丈夫ですから。」
小鳥遊は微笑んだ。
+:-:+:-:🐈⬛+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+
冬が行くと既に教室の入り口で待っている生徒が居た。
「おはよう…待たせちゃったわね。」
教室の鍵を開けると、生徒達はおしゃべりをしながらぞろぞろと教室に入った。大学の実習室は広々としていた。
ベッドや床頭台が10台ほど並び、吸引器などもあり、本物の病室のようだった。手前には学校の理科室にあるような実験テーブルが同じく10台並んでいた。
教員用の実験テーブルに荷物を置いた。
「今日は、お友達のドクターがお手伝いに来てくれたから、判らないことがあったら聞いてね。とっても丁寧に教えてくれるわよ。」
…お友達か。
小鳥遊は苦笑いをしたが、すぐに人懐っこい生徒達に、何科のドクターですか~?どこから来たんですか~?と質問攻めにあった。
冬は人体模型を出したり、ステートや血圧計や体温計を置いた。冬はテーブルの上にラップトップを置き、仕事をしていた。小鳥遊は、質問攻めからやっと解放された。
「大学生なんて大人だと思ってたけど、考えてみれば私の年齢の約半分だもん。びっくりしちゃうわよね。」
冬は画面から目をはなさずに笑った。生徒たちは好き勝手に練習をしていた。
「Dr.G。猫がみたいんだけど駄目?」
…そうかトーコさんはドクターって呼ばれるんだ。
「ちょっと待って、解剖学の先生に聞いてみる…居るかしら。」
冬は内線でだれかと話をしていた。
「見るだけなら出して良いっているから出すけど、触っちゃ駄目よ。ガクさんちょっと手伝ってくれる?」
「猫?」
「ええ解剖用の猫。解剖生理の授業で必須なのよ。」
隣接した部屋に入るとホルマリンの香りがした。解剖用に処理された猫が1匹ずつ真空パックになっていた。
「看護師でも解剖ってあるんですね。」
冬に指示された大きなケースを棚から降ろすとホルマリンの鼻を刺す様な刺激臭がした。
解剖生理学の講師が、綺麗に解剖して、筋肉や臓器のなまえが、きちんとわかるようにラベルが付いていた。
「ええ。」
実験用テーブルの上に置いた。
「見終わったら 臭いから蓋締めてね。ラベルがついてるからそれには触らないでね。」
生徒に声を掛けた。
「Dr.Gってなんか面白いですね。」
小鳥遊は笑った。
「ゲッショウって読めないから。Gets&showですって紹介すると覚えてくれるんだけど、みんなメンドクサイみたい。」
冬が笑った。
「大学の教授にって言われているんでしょう?Dr.Smithが言ってましたが…。」
「もう…おしゃべりなんだから。教授じゃなくて准教授ね。」
「給料は今の倍になるそうですが、教員は嫌ですか?」
冬の隣に丸椅子を持ってきて座った。
「臨床が好きだし、患者さんと話して居ると楽しいし…。脳外は特にあり得ない事件とか起こっちゃいけないけど起こるでしょう?」
実技も勉強もバランスが取れている冬は相変わらずだと小鳥遊は思った。冬は秋セメのパワーポイントを作っていた。
「実は、ここに来る1ヶ月程前に、静さんのご実家に行ってきたんです。」
冬の手が止まった。
「華ちゃんも夏さんも大きくなってて驚きました。」
…そう。
冬は、夏の顔を思い出していた。日に日に小鳥遊の顔に似てきていた。
「どうだった Mini Meに会った気分は?」
小鳥遊が笑った。
「ユウさんにも“そっくりね”と言われました。僕の顔を穴が開くほど見てました…ガン見ってやつですね。」
「ガン見…って。」
冬は笑った。
生徒たちの笑い声が教室に響いた。ひとりの生徒が,CPR用の人形で心臓マッサージの練習していたが,上手くいかず、死んでしまった事を告げていた。
「ちょっとそのAnnieちゃん高いんだから丁寧に扱ってね。」
冬が笑いながら言った。上手に蘇生すると目を開けて,有難うといってくれたり、異常波形を見ることも出来る高額な人形だった。
「僕らの時代は太郎さんとか、はな子さんでしたけどね。」
生徒が代わる代わる練習をしていた。
「私の時はアニーちゃんとかアンネちゃんとかだったかな。」
再び死亡したことを告げるアラームが鳴り,笑いが起こった。
「Dr.Gどうしてもアニーが死んじゃうんですけど。」
お前何人殺したら気が済むんだよと,他の生徒が笑っていた。
「あなたたち,実際の現場じゃそんな余裕も,無くなっちゃうんだからね。CPRだけはちゃんと練習しておきなさいね。」
「先生が映った動画見てた~♪カッコ良かった。」
生徒のひとりが言った。
…もうだいぶ昔の話のような気がする。
「その時,一緒にいたドクターが実はドクター・タカナシだったのよ。」
冬が笑って言った。
「へぇ。」
「…ということで病み上がりのDr.小鳥遊がCPRを見せてくれるそうです。」
冬は笑って言った。
「やり慣れているあなたの方が上手でしょう?」
小鳥遊は苦笑した。
「医局長…アニーちゃんを死なせない様に頑張って。」
冬が意地悪そうに笑った。
「努力します。」
小鳥遊は笑いながら,生徒の所へと向かい、冬はPCの手を止めてその大きな後ろ姿を眺めた。
…判ってる。
冬は,愛情が怒りや悲しみの痛みを和らげていくのを感じていた。
ただ,その効き目がまた再び無くなってしまうのではないかという不安に駆られていた。気が付くと小鳥遊が戻って来ていた。
「…子供達に僕の写真…見せてくれていたそうですね。」
冬は何も答えずPCの画面を見ていた。
「ありがとう。」
暫く沈黙が流れた。
「華ちゃんと夏さんの為だから。」
冬の視線は資料と画面を行き来している。
「それでも…僕は嬉しかったです。」
小鳥遊は、自分の手の指輪を見つめた。
「夫としてdisgusting だったけど,良いお父さんだったから。」
…ムカつく夫か。
小鳥遊は言われても仕方が無いと思った。
冬はちらりと小鳥遊の顔を見た。
「何ですか?」
「珍しく反論しないなと思って。」
冬が意地悪く笑った。
「その通り…でしたから。」
小鳥遊は寂しそうに笑った。
「あ…そろそろ時間!あと5分でここ閉めるわよ~片付け始めてね。」
生徒がバタバタと自分の荷物を片付けて教室から出て行った。
はい仕事一つ終わりっと言いながらPCを閉じた。
「ずっとこちらで働くつもりですか?」
「うーん。判らないわ。静さんは暫く働いて日本に戻りたいみたいだけど…。」
「ガクさんこそ、留学とか考えなかったの?」
「僕は…論文を書いたりするよりも、手術が好きだから。それにもう新しいことに情熱を燃やせるほど若くも無いですし…。」
誰も居なくなった自習室の片づけを始めたので小鳥遊も手伝った。
「日本ではそうかも知れないけれど、ここでは違うわ。ガクさんも判るでしょう?若くも無い…は言い訳だわ。」
CPRの人形を片付けながら冬が言った。
…確かに言い訳だ。
努力家の冬に言われると、耳が痛かった。でも自分は挑戦する事よりも、今ある事をコツコツとしていく方が向いていると思った。
「お昼はどこで食べたい?お腹が空いちゃった。」
冬も資料をカバンに放り込み、荷物を持った。
「事件に巻き込まれない所だったらどこでも。」
冬は教室の電気を消しながら、声を出して笑った。
+:-:+:-:🐈⬛+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+
小鳥遊のホテルへ送って行くと、昨日の嵐の影響で停電が続き、クローズになった。ロビーのガラスが割れたり、客室の窓ガラスが割れたり被害も出ていた。キャンセルや、カードキーが使えなくなり、ドア鍵を借りようとする客でロビーはごった返していた。
「仕方ないわ…家に来る?」
冬はため息をついた。
「良いんですか?」
小鳥遊が表情がぱっと明るくなった。
「駄目だと言ったら他を探してくれるんですか?」
…やっぱり虐めたくなる。
「相変わらず…意地悪ですね。」
小鳥遊が少し寂しそうな顔をしたので、冬は笑った。
「ロビーで待ってますから…荷物持って来てください。」
冬は言うと、小鳥遊は階段を使って部屋へと急いだ。
買い物をして家に帰ると、電気が復旧していた。
窓ガラスの修理を頼んだが、約束の時間をとうに過ぎても来なかった。
「はいはい…いつものアメリカ時間ね。」
当日来ないことや、半日遅れてくることがしょっちゅうだった。
ふたりで夕食を食べていると冬の携帯が鳴った。
「…判ったわ。30分で行くわ。」
「どうかしましたか?」
「夜勤者が突然来れなくなったんですって、だから急遽夜勤に行ってくる。結構あるのよ。明日の朝6時過ぎには戻るから。家にあるものは何でも好きに使って。」
冬はピンクのスクラブに着替え、
慌ただしく家を出た。
小鳥遊はキッチンに置かれたままの汚れた皿を洗い、ゆっくりと風呂に入った。
今泉のものだと思われるシャンプーの隣には冬のシャンプー,そして子供用のものが並んでいる。
冬のものをそっと手に取って使った。小鳥遊の下半身は熱くなり痛い程だった。冬の艶めかしい体がちらついた。
柔らかい唇、快感で尖った乳首、白くて波打つように動く腰、引き締まった花弁の中の感じやすい蕾。甘い香りのする愛液、包み込まれるようなあの感触。
気が付けば無意識に腫れ上がった自分を、色々なことを思い出しながら、ゆっくりとそして徐々に早くしごいていた。そしてそれはすぐに、ドクドクと拍動すると、白い液体を放出した。
…トーコさん。
冬の肌の温もりが恋しかった。
0
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※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
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