一陣茜の短編集【ムーンバレット】

一陣茜

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220 生きてく強さ

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    声優プロダクション「idolaイドラ」ーーそれが俺、なり智也ともやの所属している声優事務所だ。

     俺は元俳優で、声優になったばかりの頃はまあ叩かれた。

    残念ながらアンチの中には、心の醜さとは裏腹に、センスのかたまりみたいなヤツが必ず存在する。歴史上の人物、中臣鎌足なかとみのかまたりをもじって、俺のことを「外見ガワだけのトモナリ」なんて呼んで「こいつの声を聴くだけで生きる気なくす」と、言いがかりみたいな悪口を俺に届けてくれた。

    けれど、いま思えばーー本当にその当時は頭にきてたがーーいや、いまでも許した覚えは全然ないがーー毎日足の小指をどっかのカドにぶつけろと呪うくらいに恨んではいるがーー絶対に見返してやるというマインドになれたのも事実だ。俺はそこからまくった。巻き返した。活躍できた。

    だからといってアンチには感謝なんて1ミクロンもしてやる気はないが。

    今日の俺の仕事は乙女ゲーのボイス収録だった。乙女ゲーといっても昨今は恋愛シミュレーションだけではなくなってきている。人狼系と呼ばれる騙し騙される心理ゲームから、一騎当千アクションゲームまで様々だ。

    アニメと違ってゲームには「分岐点」が存在する。プレイヤーの選択によって未来が枝分かれしていく。複数の未来が用意されているのは、ゲームを購入するファンにとっては嬉しい。だが俺たち声優にとっては過酷な現場になる。

    広辞苑みたいな分厚い台本を何冊も渡される。

    アニメーションであれば、動く絵のリップシンクに合わせ、ある程度演技プランを固められる。しかしキャラクターの立ち絵だけで、こちら側に芝居を全投げされると責任重大だ。

    声質よりも俳優としての質を問われる。原作があれば、プレッシャーがかかるぶん、なんとなく道筋が見える。だが完全新規のオリジナル作品だと、もうね、自分の引き出しの多さが勝負の分かれ目よ。

    特に今日の収録は、普段とは違う緊張感があった。

    いまや若手のみならず、全世代の俳優が一目置く俳優、赤村あかむら朱人あけひとが見学にきている。

    おそらく宮森監督の新作「竜王」に備えてなんだろうが、来る現場間違ってるだろうが。

    竜王にはやたら前髪の長い美男子は出てこないし、リアルに生きる男の九割九分が言わないような糖度200パーセントの甘い台詞は存在しない。お前を食べてしまいたいよ、なんて現実で言ったら即SNSでブロックされるような台詞は言う必要ない。

「ーーはい。ちょっとね、鳴くん力入りすぎかな。もっとリラックスして」

    収録の途中、音響監督にダメ出しをされた。 俺は赤村を意識するあまり、肩に力が入りすぎていた。ブースの向こう側では、監督よりも厳しい顔をして、赤村がこちらを見ている。

    生前の大鬼河原田おおおにがわらだ龍大三郎りゅうだいさぶろうがそこにいるような威圧感を放っている。

    正直なところ、俺は赤村に「竜王」でコケて欲しかった。しかし俺の収録を参考にしてコケたら、俺の評判まで下がってしまう。

    俳優時代は一発屋としてすぐに仕事はなくなったが、声優になってからは主演も任されるようになった。少しずつ足場を固めてきた。ここで赤村の失敗に巻き込まれて失墜するわけにはいかない。

    つまり俺はマックスパワーで演技をして、赤村の演技に磨きをかけてやらないといけない。

    俺は耳元で囁くように、甘い声で言う。

「……だからオレから逃げようとしても無駄なんだよ……オレとオマエは運命って小さい箱に閉じ込められたツガイの小鳥みたいなものなんだから……さあ、一緒にかごに戻ろう。オレたちの愛の巣へ……」

     我ながら成長したと思う。二年前の俺なら鳥肌が立ち、吐き気をもよおしてしまいかねないような台詞でも難なく言える。いまの俺はウィスパーを超えたウィスパーボイス。もはや半分は息なんじゃないか、みたいな声を出せるのだ。

    どうだ、とばかりに俺は赤村を見る。赤村は口元を手で抑えて、めっちゃ笑いをこらえていた。

     笑うんじゃねーよ。俺はこれでメシ食ってんだよ。中世ヨーロッパのイイトコだけを集めたようなファンタジー世界で、世界中に存在している「姫」のために愛を囁いてるんだよ。どんなに現実がつらくても、俺の声を聴いて癒されている人間が沢山いるんだよ。わけわかんない一族同士の戦いになぜか普通の女子高生が巻き込まれて守られるだけじゃイヤ私も戦うわとか言いながらも結局イケメンたちに守られる世界で頑張って演じてるんだよ。

「はぁーい、オッケーです。吸血鬼伯爵リチャード・ヴェルデヴァル役の鳴智也さん、クランクアップでーす。お疲れ様でしたー!」

「あっざす。あっざす。お疲れ様でしたー!」

    無事、収録は終わった。俺は録音ブースを出て、赤村に声をかける。

「ま、こんなもんだ。参考になったか?」

    赤村は俺の顔なんてまったく見ずに、俺の出演作の台本を眺めていた。

「ここにキャラクター紹介みたいなの書いてあるんですけど、敵か味方かわからないって紹介のキャラは普通に敵でしたし、謎多き存在って紹介のキャラはそこまで謎じゃなかったんですけど?」

「まだまだ青いな。ちゃんとあらすじ読んだか?    主人公は自分の未来が見えちまってるんだよ。。その苦悩こそが、この物語のキモなの」

「他の要素はそこまで大事じゃないと?」

「大事じゃないとは言わないが、俺のではそこまでスポットが当たらないってだけ。そっちのキャラをでたいなら、別の選択肢を選んでくれって話。俺のキャラだって、プレイヤーの選択次第じゃほとんど出てこないしな」

「こんなに分厚い台本ぶん収録して?」

 「熱心なプレイヤーなら2周3周したり、あるいは全キャラと恋してくれるが、好きなキャラしか選ばない人にとっちゃ、俺はただの通行人ーーある意味リアルと変わらない。そう考えたら、多少は演技にも熱が入るんじゃないか?」

    演じたからには、観てもらいたいだろ、とーーよく考えたら赤村の仕事に全然関係ないことを、俺は教えていた。 

    赤村は「デスゲーム作品じゃないのにデスゲームみたいなことしてるんですね声優さんって」なんて素っ気なく言う。

    悔しいけど、その通り。必ずスポットがあたって、その作品を観れば必ず自分の演技を観てくれる映画や舞台とは違う。エンディングイラスト収集のためだけにテキストをスキップされることもあるし、このキャラクターにこの声は合わない、聴きたくない、と思えばボイスをオフにもできる。 

    その救済処置ってワケじゃないけど、特典にドラマCDがついて、全キャラ満遍なく、スキップもオフられもしない演技を披露できる。とはいえ、いまやCDを聴くツール自体が失われているから、やっぱり本編で頑張って、プレイヤーに選んでもらうしかない。

「つうか、なんで俺の現場なんだよ。他にもっと勉強になる現場あるだろーに」

    俺が訊いても赤村は答えない。小指で耳をかっぽじりながら、すました顔をしている。俺の話をよく聞きたいというより、あまり興味がないって感じ。

「おいこら、無視すんな」

   ところが、無視ではなかった。赤村はーーのだ。

    吸血鬼伯爵リチャード・ヴェルデヴァルになっていた。

「……だからオレから逃げようとしても無駄なんだよ……オレとオマエは運命って小さい箱に閉じ込められたツガイの小鳥みたいなものなんだから……さあ、一緒にかごに戻ろう。オレたちの愛の巣へ……オレたちしかいない、他に何も見えない盲目の世界へ。外側はすべて常闇とこやみの小さな小さな硝子がらすはこの中に。いまさらイヤなんて言わないよな。オレにはわかってるんだ。オマエの心は迷宮ラビリンスに迷い込んでる。出口を探して彷徨さまよえば、その前には必ずオレがいて、オマエは通れない。逃げられない。逃げようとも思わない。オマエはもう、どうでもいいんだ。オレしか見えなくて、オレだけが欲しいんだ。オレも同じさ……」

    オマエが欲しい。

    そう言って、赤村は俺を見つめた。嘘だろ、と思った。

    俺が数ヶ月かけて収録しながらやっとモノにした役を、赤村はたった数秒で、俺以上の演技で、この世界に表現してみせた。

    ぞわぞわと寒気がして、首までひんやりする。俺は瞬きを忘れて赤村の顔にみとれていた。

    赤村は台本を俺に返して、首を横に振った。

「ーーやっぱムズいっすね。絵に合わせるって。人によってどんな声を想像するかは自由。ある意味、客の自由な想像を遮ってまで、こっちの演技を押し付けるみたいなもんでしょ?    鳴先輩、こんな無理ゲー、よくやっていけますね?」

「……お、おう。まあな。そこが声優のやりがいみたいなトコあるしな。お前は俳優の才能があるんだから俳優業で頑張れよ。舞台とか映画とかドラマにバンバン出まくれよ」

    つーか、ぜってー声優界にくるんじゃねぇ。また俺の仕事がなくなっちまうーー心の声を全力でミュートしながら、俺は強がった。

    けれど、俄然赤村はやる気だ。やる気だけど、しっかりづいてもいる。役が抜ければまだ16歳ーーいや17歳の少年だ。これから1000万人の客が映画を観て、そのうち何人かの客からは不評を買う。

    悲しいのが、運次第ではなく実力次第で文句を言う客は増える。文句を言うだけならともかく、ネットでわざわざ「つまらないから観る価値なし」と丁寧に宣伝してくれる人間もいる。同じような被害者を増やしたくないと謎の正義感に燃えて躍起になる連中がいる。

    だけどもっと残念なことに、そんな連中がいると知りながら、芝居をやめられない連中がいる。

    俺や赤村みたいな人間だ。

「先輩も知ってるでしょ?   竜王やるんすよ。もう逃げられないんすよ」

「そんなに日和ひよるくらいなら、なんで引き受けたんだよ?」

「子どもの頃、夜が怖かったんです」

「は?    そりゃあ、少なからずそういう子どもはいるだろ」

「だと思います。うちは父親が早く死んじゃって、母親は夜の仕事してたから、俺はよく知り合いの家に預けられたんです」

「その家でいじめられたとか?」

「いえ、とても心優しい家族です。ほら、ムーンバレットの南野みなみの歌奈かないるでしょ?    彼女の家です。幼なじみなんですよ」

「……へぇ」

    俺は話を聞いていいのか、躊躇ためらう。赤村は心配しなくていいと言う。世間には公表されてるし、別に付き合ってないんで、と。

「だけど歌奈ちゃんちは母子家庭で、母親が忙しいときは、俺たちはふたりで夜を迎えなきゃいけなかった。歌奈ちゃんは俺より歳上だったけど、俺が五歳のとき、まだ十歳。いまじゃ無敵のロックスターも小さな女の子だった。まだ頼りなかったし、心細かったんです。そんなとき、よく宮森監督の映画をふたりで観てました。ぽかんとふたりで口を開けて、夢中で観てたら、いつの間にか時間が過ぎ去っていた。気づけば歌奈ちゃんのお母さんが帰ってきて、不安がなくなった」

    もしも、この世界に俺みたいに夜を怖がっている子どもがいるなら、救ってあげられるかもしれない。

    だから、どうしても断れなかったんです。

    赤村は、俺がマンガでしか見たことない、ダンボール箱の中に入れられた捨て犬みたいな瞳をしていた。

    俺は五歳の頃の記憶なんて、ほとんどない。赤村の記憶力が良いのか、感受性が鋭いのか、わからない。いや、どちらも優れているのだろう。じゃなきゃ、あんなに一瞬で他人になれやしない。

    ともあれ、五歳の赤村少年にとって、夜はとても広くて静かで長くて恐ろしいものとして感じていた。急に小さな洞窟に押し込められたような窮屈さと、本当に抜け出せるのか不安になるほど、永遠を感じ取ってしまったのだろう。

    なるほど吸血鬼伯爵リチャード・ヴェルデヴァルは、赤村少年の恐怖体験を具現化したものでもあったのだ。孤独な夜を連れてくる悲しき過去でもあったのだ。そりゃすんなり演じられるワケだ。

    俺は赤村に言う。

「きっと、そーゆートコなんだろうな。俺になくて、お前にあるモノって。俺なんか、ただモテたい、ワーキャー言われたい、チヤホヤされたいーーいま思えば、くだらない動機だった」

「俳優になってモテました?」

「お前がデビューするまでは、地球は俺を中心に回ってると思ってたよ」

「そういや先輩って子役からやってたんですよね?」

「まーな。そんときは全然。成長期で顔が変わってからだな。嘘みたいにモテ始めたのは」

「でも先輩の好きなかがみセアラは振り向いてくれませんでしたね」

    赤村は俺の古傷をぐりぐりエグってきた。

    あー楽しかったな、離瀬夜りせやなんちゃらって男の影が出てくるまでは。ぶっちゃけ年収じゃ俺はまだ負けてねーと思うんだけどなー。むっつか、ななつ上だろ、あのオッサン。どこがいいんだろーなあ。インタビューでは優しいって言ってたよな、セアラ。優しさ?   優しさってなに?     俺だって優しいんだけどなあ。

    まったくよう。

    

「別にいいさ。俺は鏡セアラのファンとしては、いま一番幸せなんだからよ」

「何か良いことでも?」

「ああ。月曜の朝に俺の送ったメールを読んでくれる」

「……それだけ?」

「お前はファン心理ってのをもっと学ぶべきだな。些細なことでいいんだ。ほんのちょっとでも推しが自分を見てくれる時間があれば、それだけで幸せなんだ」

    ふうん、と赤村は納得せず、あまりわかってない感じだった。そして急に「あっ」と何かを思い出す。

「そういや、さっき先輩の質問、無視してすみません」

    無視確定だったんかい。まったくもって、こいつは本当によくわからない生意気さがある。赤村は合掌しながら謝罪し、

「この現場を選んだのは、先輩以外に俳優から声優になって成功してる人がいなかったからです。俺がデビュー前から憧れていた先輩だからです」

    ファンとして百点の解答を叩き出した。客としての才能までエグかった。

    くそう。ますます嫌いになれなくなっちまうじゃねーか。

「ウソつけ」

「そう言われると思って、これ持ってきたんですよ」

    赤村は財布からチケットの半券を出した。ボロボロで、昔から持っているとすぐわかる。

「これ、俺が特撮ヒーローやってた頃の?」

「ヒーローショーのやつです。まだ先輩がガチで変身してると信じていた頃からファンなんです」

     おいおい……頼むよ。俺はよう、お前の念願の主演作品をコケろとか思ってた男なんだよ?    しょーもない人間なんだよ?

    好きになっちゃうじゃない。

「赤村……お前はなんてイイやつなんだ。今日飲みに行く?    先輩おごっちゃうよ?」

「それはムリっす。彼女が待ってるんで」

     秒で断られた。俺の信じてきた縦社会神話はすでに崩壊していたらしい。平成は本当に終わったんだな、と実感したーーって、こいつイマなんて言った?

「おま、かのーー」

「今日は勉強になりました。んじゃ失礼します」

    赤村はバッグをかついで、ささっといなくなる。俺はスタジオの周囲を見回した。誰も聞いてない、よな?

「……まっいっか。熱愛報道くらいで潰れるようなタマでもないしな」

     もういい。俺の誘いをあっさり断る赤村のことなんか放っておこう。

    俺はまた、来週のラジオ番組に向けて、自分の過去を巡る旅に出るとしよう。

     どうせ俺には、生きる理由がもうそれくらいしか残ってねーしな。俺は俺なりの愛を貫くよ。

     ……はあ。

    ……ほんと。

    ……やんなるわー。



【生きてく強さ・了】 
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