一陣茜の短編集【ムーンバレット】

一陣茜

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247 強く繊細な光のように

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 某ファミリーレストランでは29日を「肉の日」と題して「ステーキ食べ放題(制限時間90分)」を開催している。

    私ーー岸田きしだ未来みくは学生時代からの親友である、まりっぺこと鈴木すずき真理まりとディナーの約束をしていた。私の退職祝いとして、まりっぺがご馳走してくれるというのだ。

「どのコースにしますか?」

「もちろんプレミアムステーキコースだべ」

「いいんですか?    大人はひとり5800円ですよ?」

「みくすけ。おれは漫画の連載途切れさせたことねぇ。なんも気にさねでけれ」

    まりっぺはプレミアムステーキコースをふたりぶんオーダーし、私たちは肉の到着を待つ。まりっぺはいきなりボリューム満点の「みすじステーキ」を頼み、私は「やわらかカットステーキ」を注文した。

    親友がゆえに忘れてしまいがちだが、まりっぺは水嶋みずしま真理まり名義で活躍するプロの漫画家だ。10代から商業誌で連載を抱え、40代のいまなおヒット作品を連発している。

    私たちの仲間にはエリーとして広く知られるロックスター、淵神ふちがみ利栄子りえこもいる。リエコも10代にしてデビューした早熟だが、その全盛期は3年と短かった。また、双璧をなすようにアッキークイーンと呼ばれるプロダンサー、里中さとなか明菜あきなーー現在は結婚して牧野まきの明菜あきなになったーーも成功を収めたが、注目され始めたのは30代の後半からである。

    それらを踏まえると、私たち「悪友5人組」の中でも、まりっぺは一番コンスタントに儲けているかせがしらだ。

「忘れていました。まりっぺは大富豪でしたね」

「なんもなんも、たまたまだべ。みくすけはSNS開発しねがったし、リエコやあっきーは水商売みてぇなもんだし、さきりんはカレーの値上げなんてしねぇからな。みんな金に執着しねぇがらよ」

    朗らかに笑う、まりっぺ。やはり私はまりっぺと一緒にいるときが一番落ち着くような気がする。

     私たちの時代にはなかった言葉だが、リエコやあっきーは、本来であればスクール・カーストの「一軍」と呼ばれるステージに所属するような存在だ。私みたいなデバイスオタクと付き合わなければ、ピラミッドの頂点でキラキラオーラを放っていたはずだ。

    誰であれ、へだてなく優しく接してくれるカレー屋の店主さきりんこと今井いまいさきだって、前者ふたりと同じ。多くの男子生徒から憧れの的として注目を浴びていたのに、全然相手にしないで私たちと一緒にいた。

    その点、私とまりっぺは見た目も地味だし、自分の好きな作業にトコトン熱中してさえいれば、周りのことなんてどうでもよくなってしまう。どんなパラレルワールドでも友人になれた可能性がある。

    波長の合う似た者同士だ。

「みくすけ、リエコやあっきーとケンカしてんだってな」

    まりっぺは笑みをたたえたまま、私に言う。私も釣られるように笑ってしまった。

「ケンカって、子どもじゃないんですから。あまり危険な紛争地域には行かないで欲しいと言われただけです。だからボクは言ったんです。リエコやあっきーだってステージの上では命懸けでしょう?    準備を怠れば次のステージはないって」

    ちなみに、恥ずかしながら私の一人称は「ボク」である。社会に出るときは矯正したので、仲間の前だけは大目にみて欲しい。

「んだども、それは自分との闘いだ。みくすけは流れ弾に当たっちまうかもしれねぇんだべ?    夢が終わっても人は生き続けられるが、命が終わったら生きてらんねぇ。心配すんのは当然だ」

「まりっぺも反対ですか?」

「いんや。おれはようやくみくすけがやりたいことをやるって目を輝かせて嬉しいんだ。ほれ、使えっかわがんねーけど、コレ」

    まりっぺは私に大きな紙袋を手渡す。持ってみるとまあまあ重い。

「なんです?   これ」

「防弾チョッキだ。一番のポイントは背中だべ」

    私は紙袋から中身を取り出す。中身は真っ黒い防弾ベスト。その背中部分には、まりっぺの描いたイラストが転写されていた。

    イラストの詳細は、実にまりっぺらしかった。可愛らしい小さな女の子が泣きながら白旗を振っている。漫画みたいに台詞の吹き出しまである。吹き出しには「攻撃すんのはやめてけれ」と秋田弁で書かれていた。

「凄く嬉しいですけど、外国のヒトには通じないと思いますよ?」

「お守りみてぇなもんだ。何処行ぐにしても、おれがついてるが」

    みくすけは、おれが絶対に守ってやるだ。

    にんまりと笑うまりっぺの心意気に、私は胸を打たれた。
  
     いけない。鼻がピクついてしまった。一瞬で目頭が熱くなってしまった。私はナプキンを取る。涙がこぼれる前に、自ら目元の水分を除去した。

    私は当然として、まりっぺも笑顔を保てなくなっていた。神妙な表情で私を心配する。

「どこの紛争地域も正義は二分にぶんされてるけどよ、なかにはどっちにもくみしたり、どっちにもくみしねぇような組織もあるって聞いたことあるべ。そんな奴らに鉢合わせねぇように気を付けねばよ。みくすけは勘が鋭いから、怪しい人間に気づいちまうべ。それだけが心配だ」

「都市伝説みたいなものですけど、まことしやかにネットでは囁かれていますね。たしか組織の名前はーー

    自分たちの正義を守るためなら国家ひとつ相手取ることも辞さない武装組織。ちょうど1ヶ月ほど前である。アメリカで起きた刑務所の爆発事故も、実はオーケストラの仕業ではないかとわれている。

    刑務官、収監されていた囚人たちをまとめて吹っ飛ばした。

    その刑務所にはオーケストラの元メンバーとされている国際テロリスト、イレーヌ・ボーグナインが収監されていた。彼らはたとえ仲間うちでも、任務のためなら容赦なく犠牲にするらしい。それを思えば、無関係の人間たちに取る態度はむべなるかな。ホコリを払うようなものだろう。

「なにがしてぇのかよくわがんねぇけどよ、金銭に目が眩まない奴らほど恐ろしいもんはねぇ。そこには“信念”しかねぇんだから」

    崇高であればいいが、禍々まがまがしさを崇拝してしまうのも、人間のさがである。高潔だからといって、肯定はできない。銃を持った無慈悲な天使は、取引の通じる悪魔よりタチが悪い。

「それを言ったら、いまの日本だって危険ですよ。彼らは全世界に存在していると云われてますし、合衆国大統領が来日している最中です。注意深く動向を見守らないと」

「みくすけは探偵ドラマの主人公みてぇなもんだ。みくすけの行くところで事件が起きちまうでな。あんまウロウロすんでねぇべや」

「……否定できないのが、なんとも歯がゆいですねーーって、ステーキきましたよ」

    鉄板プレートに肉の塊が鎮座し、ジュウジュウと食欲をそそる音を立てながら、私たちの前にやってきた。

    いただきまーす、と私たちは手を合わせてステーキを食べ始める。私はやわらかカットステーキをひとくち。うぅーむ、美味しい。

「そうだ、まりっぺ。子どもたちは放っておいて平気なんですか?」

    まりっぺは3人の息子を持つ母親だ。私に時間をいてくれるのは嬉しいが、下の子はまだ小さかったはずだ。

「子どもたちは……子どもたちで……旦那が他の店に……連れてってるが。心配ねぇ」

    まりっぺは手を止めることなく肉を口に放り込みながら、喋る。200グラムくらいありそうなステーキが早くも半分くらい消えかけている。私なんて1枚のプレートでお腹いっぱいになりそうなのに、さすがまりっぺ。鋼の漫画家の異名は伊達ではない。

「育児に協力的な旦那さんで助かりますね」

「なんたって保育士だべな。子どもの世話はおれよりよっぽど手慣れてるべ」

「それは心強いですね。そういえば、まりっぺは結婚も一番乗りだったんですよね。どうやって知り合ったんです?」

「なーんで知り合ったかは忘れちまったな。たぶん、なんかの取材だべ。でもよう、仲良くなったきっかけは覚えてるべ。なんてことねぇ。ぜんぶリエコがきっかけだ」

「リエコが?    一番結婚に縁遠い存在じゃないですか」

    我ながらヒドイことを言う私。しかし、ここ最近もリエコの恋愛は連敗中だとさきりんから密告されているし、私も陰ながらリエコを心配しているのだ。

「ほら、保育士は筆記試験だけじゃねぐてピアノ伴奏しながら歌ったりする実技試験があるべ?    それに悩んでるっつうから、おれがリエコのライブに連れてったんだ。あんなふうに歌えば子どもたちも喜んでくれるって」

「幸せを振り撒くことだけは天才的ですからね。自分のぶんも取っておけばいいのに、全部あげちゃいますから」

「んだな。そっからはあっという間に仲良くなっちまったでな」

    そう言ってまりっぺは、ステーキもあっという間に完食していた。タッチパネルで次のメニューを選んでいる。

「ハンバーグも食いてぇな。みくすけはもっとぇ。日本を離れたら、まともな食事は食えなくなっちまうかもしんねぇだ。どうせガリガリに痩せてっちまう。ブクブクに太るくらいがちょうどいいべ」

「そうですね。せっかくの食べ放題ですからね」

    私は多少無理しながら、プレートのカットステーキを残さず平らげる。だが、やっぱりすぐに次のメニューには進めない。私は間を置くために、まりっぺだけには正直に話そうと決めた。

「……少しだけ自棄やけになっていたのも事実なんです。リエコは言わずもがな、ずっとボクたちのスターです。あっきーはアポロニオスとの共演で全世代が知るダンサーになりました。まりっぺもずっと漫画家として活躍しています。だけど、ボクだけ何も成し得ていない」

「派手に見える世界だがらな、そう思っても仕方ねぇ。んだどもよ、日陰の世界でも活躍はできる。さきりんはずっと慎ましく飲食店で頑張ってるだ。みくすけだって同じように陰ながら頑張ってるでねぇか?」

「さきりんはちゃんと誰かの笑顔のために働いています。だけどボクは、笑顔は笑顔でも、誰かの恥辱を暴いて下卑げひた笑顔を呼び込むだけ。5人の中で、ボクだけが輝いていないーーそんな自分がイヤになったんです」

    マスメディアの世界で私は学んだ。

    正義は金にならない。

    金にならなければ、人は動かない。ましてや命懸けとなれば、殊更に動かない。

    私とて命は惜しい。しかし私の報道をきっかけに、いずれ、いくつかの、わずかでも、尊い命が救われる時代を作れるかもしれない。

    残念ながら、争いとは無益ではない。利益があるから人は争いを呼び込み、戦火を拡げることを良しとする。その利益を生むために無辜むこたみを傷つけることを良しとする。私はそれを良しとしたくはない。

    何万人の涙を甘露として味わう悪逆非道あくぎゃくひどう悪逆無道あくぎゃくむどう極悪非道ごくあくひどう大逆無道たいぎゃぐむどうな行いを、人の哀しみで懐を満たす存在を白日の下に晒さなければいけない。

    そうすればーー

「それでやっとおれたちの仲間になれるってか?    そったなくだらねこどばり言って、みくすけのほじなしが!」

    私はまりっぺに怒鳴られた。周囲の客の視線が集まり、まりっぺは少しだけ気まずさを感じて、声を抑えた。

「……みくすけ。よぐ聞け。おれたちは、出会ったときから仲間だ。仲間になるってことは、仲間じゃなくなることなんて二度とねぇってことなんだ。そりゃケンカもするだろうし、意見が合わねぇときもあるだろうし、互いの成功を羨ましく思うこともある。けどよ、みーんなわがってんだ。みくすけの純粋さとか、生きにくさとか、そのちっけぇ身体に秘めた正義の心をーーみんな、愛してんだ。みくすけがいなくていいなんて思ってる人間なんて、誰もいねぇ。何度でも言うべや。みくすけーーいんや、岸田未来。おめぇはこの世に生まれただけで世界を明るくしたんだべ。おれたちを笑わせてくれたんだべ。死んでほまれになるなんて、おれは絶対に許さねぇかんな。生きて帰ってこねば……許さねぇだ」

    まりっぺはもっと何かを言いたげだったけれど、ハンバーグが運ばれてきたので、おとなしくなった。店員さんの笑顔に私たちも笑顔で返すけれど、なんとか口角こうかくをあげるのが精一杯だった。お互いに、目は真っ赤だった。ハンバーグの肉汁よりもジュワっと涙が瞳ににじんでいた。

    湯気の立つハンバーグがまるで線香に見えるくらい、私たちは消沈ムードになっていた。

   まりっぺは軽く自分の頭を小突いて、私に謝る。

「さっき言ったことを取り消すつもりはねぇが、怒鳴ったのは悪がったーーやっぱダーメだな。リエコやあっきーが突拍子もねぇこと言って、さきりんが上手くまとめてくれねぇと。おれたち地味コンビだけじゃ、空回からまわっちまうな」

「……ですね。ボクたちは5人揃ってないと。ひとりだって欠けちゃダメですね」

    私くらいなら欠けてもいいと、常に頭の片隅にあった。

    みんなと離れて暮らすうちに、みくすけと呼ばれなくなって生きるうちに、自分のことを私と言いながら誰かと接していくうちに、私の青臭かった心は、まったくの無臭になっていった。

    自分の息吹いぶきすら感じられなくなっていった。

    自分の小さな背丈なんて問題にならないくらい、自分の心に灯る炎が小さく消えかけていた。

    まったくもって、度しがたい。私はいくつになっても卑屈ひくつな性格を変えられない。

    私がぼうっとしてると、まりっぺがテーブルのすみに置いていた私のスマホを指差した。

「さっきからずっと光ってるべ。電話じゃねぇか?」  

「あ、ホントだ。少し、失礼します」

「んだ」

    私はスマホを持って画面の表示を見る。私に電話をしてきたのは、カメラマンの梶浦かじうら直樹なおきだった。

    私は電話に出る。

「もしもし、梶浦くん。どうかしましたか?」

    どうかしましたじゃないですよう、と梶浦くんは何やらご立腹だ。しかし話を聞いてみれば、彼の怒りはごもっともだった。私は謝罪する。

「ごめんなさい梶浦くん。あなたのこと、すっかり忘れていました。日を改めて、また今度にしましょう。この埋め合わせは必ずします。私はいま90分ステーキ食べ放題中なんで。それでは失礼します」

    私は電話を切り、再びスマホをテーブルの隅に追いやった。まりっぺは怪訝けげんな顔で私に尋ねる。

「誰かと約束してたんだか?」

「ええ。私の取材パートナーの男性です。今日は一緒に飲む約束をしていましたが、約束をしたのが1ヶ月も前だったから、すっかり忘れていました」

「別にいまから行ったって構わねぇべや」

「いいんですよ。どうせ、いつかはふたりでピューリッツァー賞をとるんです、と呂律ろれつの回らない口調で言うだけなんですから」

「わがんねぇよ。今夜あたりみくすけにプロポーズしようと思ってたかもしんねぇべ」

「だとしたら、おあいにく様です。肉の日にプロポーズなんて、ロマンに欠けます」

「なーにはんかくせぇこと言ってんだ。別に今日は全国的に肉の日じゃねぇべ」

「どのみち、これからは一蓮托生いちれんたくしょう。運命を共にするんです。

     私はまりっぺのせいで覚えてしまった秋田弁を使って言う。

    んだべか、とまりっぺは納得するも、他の心配事に頭を悩ませていた。

「器用なみくすけで時間がかかるなら、不器用なリエコはいつになるだかわがんねぇな……」

「リエコはかがみセアラと南野みなみの歌奈かなに愛されるなんて奇跡を起こしてるんです。パートナーくらい、すぐに捕まえますよ」

    んだべかねぇ、とまりっぺはリエコの母親にでもなったかのように懸念を拭えていなかった。

    色々話したらスッキリして、ちょうどお腹がいてきた。

    さっきまりっぺの食べたみすじステーキが美味しそうだったので、私も頼むことにしよう。

    私はタッチパネルを操作しながら、思う。日本をつ前に、絶対に5人で集まってご飯を食べようって。高校生のときみたいに、みんなでカラオケに行って、リエコの歌に聞き惚れる時間を過ごそうって。

     思い残すことは、絶対になくならないから。

    思い残すのならば。

    思い出は多いほうがいい。

    ひとつでもーー

    多いほうがいい。



つよ繊細せんさいひかりのように・了】
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