絶世のディプロマット

一陣茜

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一章 支配の糸(3)

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 会談は名刺交換から始まった。惑星ストリゴイ外務省外務次官室に通されたレイは老齢ろうれいながらもとした体格の男性と握手を交わす。

「惑星ストリゴイ外務省外務次官リッツ・ハールマンだ。よろしく」

「こちらこそ。惑星連合平和維持局調停課レイ・アウダークスです」

 リッツ・ハールマンの年齢は六十を過ぎている。それでも握手に込められた力はとても強く、温かかった。血の巡りが良く健康的な証であり、日々の鍛練たんれんおこたっていない証拠でもある。

 また、白髪しらがであるが毛量もうりょうは多く、鼻筋の通った甘いマスクも相まって星民せいみんからの人気も非常に高い。

 握手を終えて着席した途端、先手を制したのはハールマンだった。

「アウダークス参事官。現在我が星は多忙たぼうであり、雑談の時間すら惜しい状況だ。失礼ながら早速本題に入っても構わないかね?」

「ええ、構いません。噂によれば惑星レムレスとの交渉が難航しているとか」

「そうだ。我が星は新しい経済圏を獲得するべくストリゴイとレムレスを結ぶ銀河鉄道の開通を目指していたが、レムレスの首を縦に振らせることが出来ないままだ」

 ストリゴイは宇宙でも五指ごしに入るほどの経済惑星国家である。単純に考えれば、ストリゴイとの協定は、レムレスにとって悪い話ではない。

 一抹いちまつ懸念けねんを抱きつつ、レイは質問を続ける。

「レムレスが拒む理由は?」

「表向きは技術的に無理と言っているが、実際は資源の流出や人口の減少をこれ以上招くわけにはいかないのだろう。あそこは鉱山事業で成り立ち、採れる石も希少。そして若者は寂れていく自星に嫌気がさし、他星へ流れていく。我が星と協定を結べば、そういって現状に拍車はくしゃがかかると思っているのだろうよ、レムレスは」

「では、そのレムレスに対する保証はどのようにするつもりで?」

「レムレスは自然豊かな土地。観光産業に助力すれば、我が星を起点に多くの惑星から観光客が押し寄せるだろう。もちろん宇宙への道が開ければ雇用の機会も爆発的に増える。こちらはあちらに有利な条件しか出していない」

「レムレスが慎重になっているのは、ストリゴイの思惑が見えないからーーというのもあるでしょう。たしかにレムレスは様々な恩恵おんけいを受けることができますが、ストリゴイに対して大きな利益を授けられません。協定が成立した上でさらに困難な要求を突きつけられた場合、レムレスは断りにくくなる。事実上、従属を強いるのと同じです」

 ハールマンの言葉を乱暴に訳せば、レムレスには大金をあげるから以降はストリゴイの言うことをきけ、ということだ。

「参事官。たしか武力で他の星を制圧した星がなかったかね?  それに比べれば、私のやり方は幾分いくぶん文明的だと思うが」

 ハールマンはレイの母星であるラマンガを持ち出して牽制けんせいする。レイは不快さを表情に出さないように心掛けた。

「たしかにそういった星もあります。しかし私の立場とは関係のない話。惑星連合はどの星にも手を差し伸べますが、特定の星だけを優遇するわけにはいきません」

「だからこそ我々はそちらに調停の打診をしたのだ。一方的にレムレスを脅したような見方をされないためにも、ね」

「これから双方の経済調査をねた視察を行います。予想黒字の差額次第では手を引いてもらいます。構いませんね?」

 ささやかながらも警告をもって掣肘せいちゅうを加えたレイだったが、ハールマンに怯む様子は微塵もなかった。

「当然だ。仮にそうなった場合、我々は手を引く。しかし未開惑星の開拓にいそしむ惑星は他にも大勢ある。中途半端な力を持つ惑星がレムレスに圧力をかければ、それこそ君たちが最も恐れる星間せいかん戦争が勃発ぼっぱつする懸念もある。そうなれば平和維持局は大変な損失をこうむる。まさかそんなことはないと思うが、この話を頓挫とんざさせたら、君のディプロマットとしての出世も潰えてしまうだろうね」

 交渉が失敗に終われば事態はさらに悪化する。その責任を取れるのかと、ハールマンは脅している。

 レイが新参者だからハールマンは脅しているわけではない。たとえ惑星連合の最高議長が相手であっても、同じ言葉を吐き捨てただろう。それほどまでにストリゴイの外交を取りまとめてきたハールマンの権力は強大かつ絶大だった。

「少し影が伸び始めましたね。まだ陽は沈んでいないというのに」

「君が夜だと思っているものは、実は夕暮れですらない昼間だということだよ。私が思う夜は、迷うことさえ諦めさせるほどの漆黒だ」

 ブラックホール・ハールマン。ストリゴイと交渉したディプロマットは一様いちようにハールマンをそう呼称する。どんなに強いカードを揃えて挑んでも、全て無力化され、圧倒的な重力でこちらを引き寄せ、飲み込んでしまう。

 成る程、これはいきなりの難局だとレイは嘆息たんそくしかけた。

「たしかにあなたの言う通り、発展途上の惑星よりストリゴイがレムレスと手を結べば、このあたりの経済圏は磐石ばんじゃくのものとなる。しかし銀河鉄道開通後、経済力が劣る星は人口や労働力などあらゆる面で減少の一途を辿る傾向にある。大きな惑星に資本を吸い上げられるからです。ゆえに、惑星によっては空から降ってくるレールをと呼ぶことも」

「我々はどこかの星と違い、他の惑星を植民地のように扱わない。なんでもアスワンでは自星の言葉を使うことすら禁じられたとか」

 ラマンガでは自星の言葉を共通語と呼び、属領となった惑星に使用を命じる。それを拒否して役人に見つかれば、逮捕は免れない。

「悲しい現実です。だからこそ私は、世の中の絶望を少しでも薄めたい」

 レイの言葉を聞いて、ハールマンは笑いをこらえた。だが、あまりにも青臭く不可能な理想に、鼻を鳴らし腹までゆすって哄笑こうしょうした。

「失礼。はっきり申し上げると、私は何も失ったことがないから絶望という経験がない。しかしながら絶望という言葉の意味ならわかる。絶望とは一切の闇。決して光に照らされないから絶望というのだ。道理的に薄めようがない」

「自然現象ならばそうでしょう。しかし人為的な害悪は排除できる。あなたほどの人物ならば、人の道理は心得ているはずだ」 

「我々がしているのは友人同士のコミュニケーションではないぞ、参事官。星と星の外交なのだよ。外交とは非情なものさ。揺るぎない信念で相手の信念を打ち負かす。見たところ君にも信念のひとつやふたつありそうだが、まだ武器が心もとないな」

 惑星連合は大きな組織だが、表明している立場は常に中立。頑丈な後ろ楯には違いないが、やはりハールマンほどの人物を切り崩すには鋭い剣がいる。

 レイはふと自分の護衛官である九太郎を思い出した。

「私は守るための剣しか持ち歩かないもので」

「あの青年のように、か?  しかしいまどき珍しいぞ。刀剣を携えた人間の護衛官というのは。なんなら私が最新鋭のアンドロイドを紹介しようか?  どんな敵もすぐに察知し、レーザーで焼き殺す。プログラムを組む人間が優秀であれば、なおさら強力になる」

「遠慮します。そういえばーー」

 惑星ストリゴイが大きな経済圏を獲得できたのは、軍事用アンドロイドを開発し、さらには大量生産するために必要な鉱石をあちこちからかき集めたという背景がある。レイにはストリゴイがレムレスを狙う理由がわからなかったが、ハールマンの発言を受け、おぼろげながらストリゴイの思惑が見えてきた。

 レイは慎重にストリゴイの真意を探る。

「レムレスには大量のセラフィウム鉱石がある。主な用途はクリアトンネルを造るためです。しかしそれ以外では使い道がない。強度がありすぎて加工が難しいからです。そこであなたはレムレスの加工職人に目をつけたのでは?  圧倒的な強度を誇るセラフィウム鉱石を素材にアンドロイドが製造できれば、ストリゴイのアンドロイド産業はさらに飛躍するーー戦争でも始めるつもりですか?」

「武器の売買について非難されるいわれはない。我々の軍事用アンドロイドは高く評価され、惑星連合が所有する救援軍の正式モデルとして採用されている。問うべきは買う側のモラルだよ」

 いまやほとんどのアンドロイドはストリゴイ製である。コストは安く、されどパフォーマンスは高い。俗にいうコスパが良いというやつだ。故障はするが、誤作動による事故は一件もない。安心安全安価のストリゴイ製アンドロイド。だけど、どこかの惑星ではそのアンドロイドたちが人間を殺している現実も確かに存在している。

 同じ人間の命令によって。

 そう。結局、人間のモラル次第だということはレイも理解している。人を傷つけるから包丁は売れないなんて店はない。使う者が道を誤らなければ良いだけの話。

 しかしそれでもレイには納得できなかった。一本の包丁と一体のアンドロイドでは、があまりにも違うからだ。

 現在のスペックでも一体で最低五百人は殺せる。そこにセラフィウムが投入されたら、考えるのもおぞましい。

「レムレスは軍を持たない平和主義です。自星が戦争に参加しないことは勿論、他星に武器が流れることもよく思わない。果たして職人や技術の流出を認めるでしょうか?」

「レムレスがノーと言うなら我々は無理に引っ張るつもりはない。とにもかくにも、まずは鉄道の開通からだ。それさえできれば、後はどうとでもなる」

 ストリゴイは少しずつレムレスの利権を奪い取っていき、レムレス自ら職人の流出に頼らざるを得ない状況に持っていくつもりなのだろう。それに対してレイが口を出す権利はない。

 レイが関われるのは交渉が終わるまで。それ以降の問題には一切関知できないという惑星連合の掟もある。

 平和維持局が惑星同士の貿易に介入すれば、職務を逸脱いつだつした行為と見なされ、レイは処分されてしまう。

 これは銀河鉄道の開通なんてなごやかな交渉ではない。

 弱小惑星を狙った、ストリゴイの侵攻。

 ハールマンはレイにあわれみの言葉を投げかける。

「辛いだろうね。職務の上では、君はなんとしてでも交渉を成功に導かなければならない。しかし私人としての立場を取るなら、君は我々の目論見もくろみを阻止したい。ラマンガのアスワン侵攻を目 の当たりにした君なら、当然の心情だ」

 無論、ハールマンに油断はない。誰が使者としてよこされるのかをいち早く調査し、レイ・アウダークスの経歴を隅々まで洗っている。

「私という人間をそこまで知りながら、よくこの交渉に参加させましたね」

「ラマンガ惑星総統、

 おもむろにハールマンの口からもたらされた名前に、レイはを忘れた。だが九太郎に前もって注意されていたおかげで、さほど動揺を晒さずに済んだ。

「我がストリゴイも潔癖けっぺきな星とは言えないが、あの男のように野蛮な政策は打ち出さない。演説では自らの星を宇宙の中心だと吹聴ふいちょうし、いざとなれば圧倒的な軍事力をちらつかせ、他の星から金を巻き上げる。惑星連合の出資額は宇宙一ゆえ、最高議長でさえ、あの男にひざまずいている。惑星ラマンガの独走を止めるには、我がストリゴイが経済力でラマンガを圧倒しなければならないのだ。あの男と間近で接してきた君なら、我々の理念に賛同してくれると信じていたのだがね」

「どうして私がエマナスタシー総統をよく思っていないと?」

「三年前の惑星アスワンだ」

 フラッシュバック。

 蜻蛉とんぼの羽ばたきにも似た、鳴り止まない機関銃マシンガンの音。

 そこらに撒き散らされた血液と硝煙しょうえんの臭気が、鼻をつく。

 レイの身も心も焼き尽くした炎の記憶が、まざまざとよみがえる。

「……ラマンガ大使館襲撃事件。私を除く二百六十名の職員と四十二名の駐在武官が殺された、あの日ですか?」

「そうだ。唯一生き残った君の証言を用いて、一部のテロリストが起こした行動をアスワン星民の総意と決めつけ、エマナスタシー総統は戦争に踏み切った」

 とうとうレイは、これまで抑えてきた感情のリミッターを外されてしまった。

「殺された職員の中には総統の息子もいた!  私は隣で撃ち殺されるのを見ていた!  私の証言などなくても、ラマンガの報復は避けられなかった!」

「しかしーー星民感情を煽るには充分な役目を果たした。君は優秀な剣士だったそうだが、テロリストに半身を何度も撃ち抜かれ、二度と剣をにぎれぬ身体にされたそうだな。それに、その眼。それは眼球デバイスだろう。高性能義眼では剣闘の試合資格は得られない。無残にも全てを奪われた君の姿を見て、ラマンガの民は事件の凄惨せいさんさを肌で感じ、自星の侵略行為を盲目的に了解したのだ」

 君は大いに利用されたのだ、とハールマンは核心を突いた。

 レイの胸に刻まれた、深くんで醜い、けがれた傷痕を。

「どこまで協力的だったのかは推測の域を出ないが、君も心のどこかで薄々気づいていたのではないかね?  このまま優れた剣士でいたところで何も変えられない。大きな権力に寄り添い、役に立たねば、自分は使い捨てられる。だから証言を求められ、応じた」

「仮にそうだとすれば、私にとって総統は恩人になる。この若さで惑星連合への出向しゅっこうを命じられ、大きな交渉を任せられている。あなたに付く理由はない」

「いいや、違う。君の目は世界を呪っている者の目だ。特定の誰かではなく、この世界が気に食わないのだろう?  君の敵は、君以外の全ての人間だ」

 あるいは、とハールマンは付け加える。

「君自身すら、君は恨んでいるようだ」
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