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それは嘘の痛み
「……どうして?」
先輩は驚いた様子を見せなかった。
冷静で、柔和な表情も崩れていない。
「ねえ、黙っていてはわからないわ。里中さんはどうして、そう思うの?」
先輩の声音は優しくて、
私の言葉をちゃんと聞こうとしてくれていて、
そんな先輩に酷いことをするのは気が引けないわけではないけれど。
でも、とっくに私に躊躇はない。
もう口火は切られたから。
だから後は、私は先輩にひどいことをするだけでいい。
「先輩に不満があるわけじゃありません。先輩の気持ちはとても嬉しく思います。その上で、私も先輩といっしょに居られたらって思います」
「それなら、どうして?」
「……感情と痛みは別なんです、先輩。本当はずっと黙っていられたら、私が我慢できていたら、それが一番だったんですけど……もう限界なんです」
「痛みって……心の傷のこと? それなら、ふたりで――」
「やだなあ、先輩。私が痛むって言ったなら、心よりももっと相応しい場所があるじゃないですか?」
「? …………っ!」
わざとらしく。
見せつけるように。
私は右目の眼帯に指を這わせた。
「先輩を恨んでないのは本当ですよ。今だって、先輩が加害者だなんて私は認めていません。でも、それとこれとは別の話というか、体と心が完全にはシンクロしてくれないというか……。先輩を見ていると痛むんですよ、潰れた右目が」
「っ……ぅっ……」
先輩の表情が曇った。
「体が先輩とあの時の痛みを結び付けちゃってるんですかね? 先輩を見ていると、先輩が近くにいるだけで、あの時の痛みが脳裏をかすめるんです。右目が野球ボールに潰される感覚が、何度も何度も駆け回ってしまうんです。ズキズキと、ジクジクと……。おかしいですよね。先輩とお話するのは楽しいのに、同時に痛くて辛いだなんて」
それは真っ赤な嘘。
右目が痛むなんてありえない。
そもそも感覚も喪われているのだから。
それでも、先輩は私の嘘を信じてしまっていて。
私よりもずっと辛そうで、苦しそうだった。
「どうして、教えてくれなかったの? もっと、早くに……。それに、この前だって……もう、痛みはないって……嘘だったの……?」
「……言えるわけないじゃないですか、本当のことなんて。先輩だって、自分がどんな様子だったかわかってますよね? さっき先輩も言ってたんですから。無理やりに私に付き添うことが迷惑だって自分でもわかってたって。先輩がそれを自覚していることなんて、私にだって伝わってきてました。そしてそれでも罪滅ぼしの為にと必死な先輩に、どうして私が本当のことを言えるんですか? あなたが近づくだけで右目が痛むので関わらないでください、なんて」
「っ……」
喉が乾燥している。
体がこれ以上私に喋らせないようにしている。
それでも、なんとか私は唾を飲み込んで喉を潤して、
くっつきそうになる喉を無理やりに開いて、
先輩にひどい言葉を投げ続けた。
「だから、私は我慢するしかなかったんです。先輩を見るだけで痛みが走り回るけれど、それをどうにか楽しい時間で誤魔化して……。でも、やっぱり痛みってちょっと感情の中では強すぎるみたいで。本心ではないんですけれど、先輩は私の中で、私を傷つけ続けるひどい人にカテゴライズされてしまったんです」
「そんなっ……私は……そんなつもりじゃ…………」
「もちろんです。私が黙っていたのが悪いんです。先輩は知らなかったんですから、悪気は無かったことはわかってますし、なんなら悪いことをしていたわけでもありません。ただ、結果的にそうなってしまっただけです。だから、その上でもう一度聞きたいのですけれど……。先輩はこの話を聞いてもなお、私といっしょに居たいですか?」
「っ!」
先輩はすぐには答えなかった。
唇を噛みしめて。
服を握りしめて。
先輩は必死に葛藤をしている。
(やっぱり優しいんですね、先輩は……)
先輩は私の言葉を疑いもしない。
今まで私が右目を痛がる仕草なんて微塵もなかった。
だって嘘なのだから。
それでも先輩は追及しない。
加害者としての先輩が追及することを許してくれないだけなのかもしれないけれど。
(一方で私はこんなひどい嘘を吐いて……先輩は、私の前では素直であろうとしてくれているのに)
心が痛まないわけじゃない。
先輩にひどいことをするのが平気なわけじゃない。
それでも、これが結果的に先輩の為になるのなら、私は先輩を傷つける。
血まみれの手で持ち手の無いナイフを握って、その胸に突き下ろしてみせる。
でも――
「……ねえ、里中さん――」
もしもこれでも先輩が諦めてくれなかったら――
「私はまだ、里中さんの口から拒絶を聞いていないわ」
先輩が私の想定よりもずっと強い人だったら――
「右目が痛くても、里中さんは今日まで私に付き合ってくれた。今日まで私を拒むようなことはずっと言わなかった。だから、もしも里中さんの右目が痛まなくなるのであれば、里中さんは私の手を握ってくれるのかしら」
私は、この人に癒えない傷をもう一つ刻まなければならないのかもなんて――
「……やっぱり私は里中さんといっしょにいたいわ。でも、里中さんを苦しめたいわけじゃないから……だから、その右目が痛まなくなるように、いっしょに考えてみない?」
――そんなこと、考えたくなかった。
先輩は驚いた様子を見せなかった。
冷静で、柔和な表情も崩れていない。
「ねえ、黙っていてはわからないわ。里中さんはどうして、そう思うの?」
先輩の声音は優しくて、
私の言葉をちゃんと聞こうとしてくれていて、
そんな先輩に酷いことをするのは気が引けないわけではないけれど。
でも、とっくに私に躊躇はない。
もう口火は切られたから。
だから後は、私は先輩にひどいことをするだけでいい。
「先輩に不満があるわけじゃありません。先輩の気持ちはとても嬉しく思います。その上で、私も先輩といっしょに居られたらって思います」
「それなら、どうして?」
「……感情と痛みは別なんです、先輩。本当はずっと黙っていられたら、私が我慢できていたら、それが一番だったんですけど……もう限界なんです」
「痛みって……心の傷のこと? それなら、ふたりで――」
「やだなあ、先輩。私が痛むって言ったなら、心よりももっと相応しい場所があるじゃないですか?」
「? …………っ!」
わざとらしく。
見せつけるように。
私は右目の眼帯に指を這わせた。
「先輩を恨んでないのは本当ですよ。今だって、先輩が加害者だなんて私は認めていません。でも、それとこれとは別の話というか、体と心が完全にはシンクロしてくれないというか……。先輩を見ていると痛むんですよ、潰れた右目が」
「っ……ぅっ……」
先輩の表情が曇った。
「体が先輩とあの時の痛みを結び付けちゃってるんですかね? 先輩を見ていると、先輩が近くにいるだけで、あの時の痛みが脳裏をかすめるんです。右目が野球ボールに潰される感覚が、何度も何度も駆け回ってしまうんです。ズキズキと、ジクジクと……。おかしいですよね。先輩とお話するのは楽しいのに、同時に痛くて辛いだなんて」
それは真っ赤な嘘。
右目が痛むなんてありえない。
そもそも感覚も喪われているのだから。
それでも、先輩は私の嘘を信じてしまっていて。
私よりもずっと辛そうで、苦しそうだった。
「どうして、教えてくれなかったの? もっと、早くに……。それに、この前だって……もう、痛みはないって……嘘だったの……?」
「……言えるわけないじゃないですか、本当のことなんて。先輩だって、自分がどんな様子だったかわかってますよね? さっき先輩も言ってたんですから。無理やりに私に付き添うことが迷惑だって自分でもわかってたって。先輩がそれを自覚していることなんて、私にだって伝わってきてました。そしてそれでも罪滅ぼしの為にと必死な先輩に、どうして私が本当のことを言えるんですか? あなたが近づくだけで右目が痛むので関わらないでください、なんて」
「っ……」
喉が乾燥している。
体がこれ以上私に喋らせないようにしている。
それでも、なんとか私は唾を飲み込んで喉を潤して、
くっつきそうになる喉を無理やりに開いて、
先輩にひどい言葉を投げ続けた。
「だから、私は我慢するしかなかったんです。先輩を見るだけで痛みが走り回るけれど、それをどうにか楽しい時間で誤魔化して……。でも、やっぱり痛みってちょっと感情の中では強すぎるみたいで。本心ではないんですけれど、先輩は私の中で、私を傷つけ続けるひどい人にカテゴライズされてしまったんです」
「そんなっ……私は……そんなつもりじゃ…………」
「もちろんです。私が黙っていたのが悪いんです。先輩は知らなかったんですから、悪気は無かったことはわかってますし、なんなら悪いことをしていたわけでもありません。ただ、結果的にそうなってしまっただけです。だから、その上でもう一度聞きたいのですけれど……。先輩はこの話を聞いてもなお、私といっしょに居たいですか?」
「っ!」
先輩はすぐには答えなかった。
唇を噛みしめて。
服を握りしめて。
先輩は必死に葛藤をしている。
(やっぱり優しいんですね、先輩は……)
先輩は私の言葉を疑いもしない。
今まで私が右目を痛がる仕草なんて微塵もなかった。
だって嘘なのだから。
それでも先輩は追及しない。
加害者としての先輩が追及することを許してくれないだけなのかもしれないけれど。
(一方で私はこんなひどい嘘を吐いて……先輩は、私の前では素直であろうとしてくれているのに)
心が痛まないわけじゃない。
先輩にひどいことをするのが平気なわけじゃない。
それでも、これが結果的に先輩の為になるのなら、私は先輩を傷つける。
血まみれの手で持ち手の無いナイフを握って、その胸に突き下ろしてみせる。
でも――
「……ねえ、里中さん――」
もしもこれでも先輩が諦めてくれなかったら――
「私はまだ、里中さんの口から拒絶を聞いていないわ」
先輩が私の想定よりもずっと強い人だったら――
「右目が痛くても、里中さんは今日まで私に付き合ってくれた。今日まで私を拒むようなことはずっと言わなかった。だから、もしも里中さんの右目が痛まなくなるのであれば、里中さんは私の手を握ってくれるのかしら」
私は、この人に癒えない傷をもう一つ刻まなければならないのかもなんて――
「……やっぱり私は里中さんといっしょにいたいわ。でも、里中さんを苦しめたいわけじゃないから……だから、その右目が痛まなくなるように、いっしょに考えてみない?」
――そんなこと、考えたくなかった。
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