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第六夜
妹は邂逅する
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「それじゃあチャイム鳴らすよ?」
姉が私に了解を求める。ここで待ったをかけたって、意味なんてない。数分時間を置いたってメンタルが急に強靭になったりなんてしないんだから。
半ば諦めの境地で、私は姉に頷きを返した。
少し高いインターホンの音が微かに聴こえて、少しの間を置いて男の人の声が聞こえた。『今開ける』と、簡素な言葉だけ残して。
「い、今のがお兄さん?」
訊かなくたってわかる、意味のない質問。そんな問いかけにも、姉は頭を撫でながら優しく応えてくれた。
バクバクと心臓の音が煩い。もう自分が立っているのかどうかもあやふやだ。
早く開いて欲しいという気持ちと、このまま開かないで欲しいという気持ちが渦巻いて。やがて、カチャリと鍵が外された音が響いた。
「っ!」
ゆっくりと扉がこちらに向かって開かれて、続けて太くたくましい腕が現れた。
「いらっしゃい。悪いな、連日来てもらって」
「いいのいいの。むしろこっちこそ連日お邪魔しちゃってごめんね」
姉と親しげに話す男性。この人が件の兄なのだろう。思っていたよりは小柄だったが、それでもやっぱりマッチョだし体も大きい。180センチ以上はありそうだ。
「一条の妹さんだよな。わざわざ来てくれてありがとな」
「あっ……ひゃっ、こ、こちっ……っ!」
「ん?」
男性の両の目がこちらを見つめている。この後に及んでもシミュレーションがぐるぐると空回りし始めていて、何を言えばいいのかが定まらない。
助けを乞うように姉に視線を向けると、姉はニコやかな笑みを浮かべつつも私の背中を押すばかりだった。
あれほど優しい言葉をかけてくれたというのに。この場では助けてくれないらしい。
「はっ……えとっ……こ、こんにちは……」
「こんにちは」
私がノロノロボソボソと挨拶するのを最後まで待ってから、男性は挨拶を返してくれた。
男性の微笑みは姉が私にしてくれるものとどこか似ていて、この人が長男なんだということを強く感じ取れた。
「それじゃあ上がってくれ。中でカオルも待ってる」
「っ!」
カオル。件の事故で両腕を失った男の子の名前。
「お邪魔します」
「お、おっ、じゃまします……」
「洗面所とか、もうわかるよな? 俺は先にリビングで待ってるから」
「少しでもカオルくんの傍にいたい?」
「あっちも緊張はしてるからな。リビング入る前には声かけ頼むな」
「オッケー。あさひ、こっちおいで」
リビングと思しき部屋へ向かう男性と別れて、姉に連れられ洗面所に向かう。
「……大きかったでしょ?」
「う、うん……」
「恐かった?」
「……ちょっぴり」
「でもがんばったね。一歩前進だ」
思っていたよりもスムーズに事が進んだのは事実だ。そこは嬉しい。でも、山場がまだ残っていることも間違いない。まだ、カオル君との対面が残っている。
「あ、ほら見て。この洗顔フォーム私たちが使ってるのとおんなじなんだよ」
「……ほんとだ」
姉の言葉も聞き流して、脳内ではまたシミュレーションが始まる。
先ほどはこんにちはで成功したのだから、今回も同じで行くべきだろうか。でも、初めてなのだから初めましてが正解のような気もする。しかし挨拶にばかり気を遣っていると視線が疎かになる可能性があるから、やっぱり先ほども使ったこんにちはの方が。いや、姉の後ろに隠れるという手段を使えば視線は気にする必要が、でもそんなの失礼すぎるし、だからって一番まずいのはやっぱり視線なわけで――
「鹿島くん、開けるよー?」
「っ!?」
気付けば姉はもうリビングの扉に手をかけていて、私はそのすぐ後ろに突っ立っていた。もう、扉が開くまで数秒もない。
「お邪魔しまーす。あ、カオルくん久しぶりー……でもなかったね。あれ、なんか今日オシャレさん?」
「あんまりイジらないでやってくれ。俺が無理やり着替えさせたんだ」
「そうなの? でもすっごくいいと思う。カオルくんってそういうのも似合うんだね」
「……あ、ありがとうございます」
「今日は私たちもオシャレしてきたんだよ。ほら、あさひ。出ておいで」
ああ、いよいよだ。もう逃げ出せない。
意を決して、姉の手に押されるままに、私は姉の前へ進み出た。
「っ…………こ、こんにち、は――」
考えていたことなんて全部頭から吹っ飛んで。
その顔から目を逸らすことなんてできなくて。
イスにちょこんと座っている少年。長袖のパーカーを羽織って、細身のスキニーを履いて、サラサラの黒い長髪を流して、私を見ている男の子。
時間が止まってしまったような感覚の中で、私はその男の子を見つめていることしかできなかった。
姉が私に了解を求める。ここで待ったをかけたって、意味なんてない。数分時間を置いたってメンタルが急に強靭になったりなんてしないんだから。
半ば諦めの境地で、私は姉に頷きを返した。
少し高いインターホンの音が微かに聴こえて、少しの間を置いて男の人の声が聞こえた。『今開ける』と、簡素な言葉だけ残して。
「い、今のがお兄さん?」
訊かなくたってわかる、意味のない質問。そんな問いかけにも、姉は頭を撫でながら優しく応えてくれた。
バクバクと心臓の音が煩い。もう自分が立っているのかどうかもあやふやだ。
早く開いて欲しいという気持ちと、このまま開かないで欲しいという気持ちが渦巻いて。やがて、カチャリと鍵が外された音が響いた。
「っ!」
ゆっくりと扉がこちらに向かって開かれて、続けて太くたくましい腕が現れた。
「いらっしゃい。悪いな、連日来てもらって」
「いいのいいの。むしろこっちこそ連日お邪魔しちゃってごめんね」
姉と親しげに話す男性。この人が件の兄なのだろう。思っていたよりは小柄だったが、それでもやっぱりマッチョだし体も大きい。180センチ以上はありそうだ。
「一条の妹さんだよな。わざわざ来てくれてありがとな」
「あっ……ひゃっ、こ、こちっ……っ!」
「ん?」
男性の両の目がこちらを見つめている。この後に及んでもシミュレーションがぐるぐると空回りし始めていて、何を言えばいいのかが定まらない。
助けを乞うように姉に視線を向けると、姉はニコやかな笑みを浮かべつつも私の背中を押すばかりだった。
あれほど優しい言葉をかけてくれたというのに。この場では助けてくれないらしい。
「はっ……えとっ……こ、こんにちは……」
「こんにちは」
私がノロノロボソボソと挨拶するのを最後まで待ってから、男性は挨拶を返してくれた。
男性の微笑みは姉が私にしてくれるものとどこか似ていて、この人が長男なんだということを強く感じ取れた。
「それじゃあ上がってくれ。中でカオルも待ってる」
「っ!」
カオル。件の事故で両腕を失った男の子の名前。
「お邪魔します」
「お、おっ、じゃまします……」
「洗面所とか、もうわかるよな? 俺は先にリビングで待ってるから」
「少しでもカオルくんの傍にいたい?」
「あっちも緊張はしてるからな。リビング入る前には声かけ頼むな」
「オッケー。あさひ、こっちおいで」
リビングと思しき部屋へ向かう男性と別れて、姉に連れられ洗面所に向かう。
「……大きかったでしょ?」
「う、うん……」
「恐かった?」
「……ちょっぴり」
「でもがんばったね。一歩前進だ」
思っていたよりもスムーズに事が進んだのは事実だ。そこは嬉しい。でも、山場がまだ残っていることも間違いない。まだ、カオル君との対面が残っている。
「あ、ほら見て。この洗顔フォーム私たちが使ってるのとおんなじなんだよ」
「……ほんとだ」
姉の言葉も聞き流して、脳内ではまたシミュレーションが始まる。
先ほどはこんにちはで成功したのだから、今回も同じで行くべきだろうか。でも、初めてなのだから初めましてが正解のような気もする。しかし挨拶にばかり気を遣っていると視線が疎かになる可能性があるから、やっぱり先ほども使ったこんにちはの方が。いや、姉の後ろに隠れるという手段を使えば視線は気にする必要が、でもそんなの失礼すぎるし、だからって一番まずいのはやっぱり視線なわけで――
「鹿島くん、開けるよー?」
「っ!?」
気付けば姉はもうリビングの扉に手をかけていて、私はそのすぐ後ろに突っ立っていた。もう、扉が開くまで数秒もない。
「お邪魔しまーす。あ、カオルくん久しぶりー……でもなかったね。あれ、なんか今日オシャレさん?」
「あんまりイジらないでやってくれ。俺が無理やり着替えさせたんだ」
「そうなの? でもすっごくいいと思う。カオルくんってそういうのも似合うんだね」
「……あ、ありがとうございます」
「今日は私たちもオシャレしてきたんだよ。ほら、あさひ。出ておいで」
ああ、いよいよだ。もう逃げ出せない。
意を決して、姉の手に押されるままに、私は姉の前へ進み出た。
「っ…………こ、こんにち、は――」
考えていたことなんて全部頭から吹っ飛んで。
その顔から目を逸らすことなんてできなくて。
イスにちょこんと座っている少年。長袖のパーカーを羽織って、細身のスキニーを履いて、サラサラの黒い長髪を流して、私を見ている男の子。
時間が止まってしまったような感覚の中で、私はその男の子を見つめていることしかできなかった。
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