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第三章 泥塗れの龍と手負いの麒麟は

第四話 二五七年 寿春への援軍

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 この一戦によって大きく士気をくじかれた諸葛誕の軍勢は、寿春城に篭城する事になった。

 寿春の城は守るに適した堅城であり、司馬昭は四方から攻め立てたもののすぐに落城させる事は出来そうになかった。

「閣下、四方を囲んで攻撃しては敵も死力を尽くして戦おうとします。ここは敢えて呉軍との連携と言う逃げ道を与える為にも南を開け、三方からの攻撃を行うべきです」

 鍾会の提案は、諸将にとって不思議な提案だった。

「兵は合流させる事無く、各個に撃破すべしと言うのが兵法の鉄則ではないか? 若軍師は何やら高度な戦術眼をお持ちのようだが、多少説明していただけないか?」

 王基は鍾会に言う。

「王基将軍の仰る通り、これは敵の合流を誘う様に見せていますが各個に撃破する事が目的の策です」

 鍾会は頷きながら説明する。

「南を開けると、諸葛誕は必ず援軍に出てきた呉軍の最前線である安豊に救援を求めるはず。呉軍としても勝利の為には安豊から援軍を出さざるを得ない状況です。その道に兵を伏せて呉軍を撃破します」

 説明されれば極めて単純な戦術ではあるのだが、全員が攻城戦に意識が向いている中でこの策を思い付くのだから、鍾会も只者ではない。

「皆の者、先の策といい、此度といい、これでこの者を軍師とした事にも納得が出来たであろう。さっそく手を打つとしよう」

 司馬昭はそう言うと、すぐに南の攻撃の手を緩める。



 そう誘導されているとは察する事の出来なかった諸葛誕は、鍾会の予想通りに呉への援軍を要請する書状を送っていた。

 鍾会の予想と違うところがあるとすれば、諸葛誕に精神的な余裕が無かった事もあり、書状の内容が攻撃的で高圧的な内容だった為、呉の大将軍孫綝の頭にも血が上ったと言う事だろう。

「朱異! 全端! どう言うつもりだ!」

 諸葛誕と共に戦場に出たものの、敗れて戻ってきた朱異と全端を呼びつける。

「そちら、略奪に明け暮れてまともに戦おうともせず逃げ帰って来たと書状にあるぞ! 呉軍に人なしと蔑まれるを良しとするつもりか!」

「大将軍、これには……」

「黙れぃ! 言い訳など不要! 魏の軍勢を打ち破り、寿春の城を解放させて来い! この戦、中原への足がかりとする戦ぞ! 寿春程度の城を解放出来ずして中原が取れようか! 司馬昭を蹴散らすまで戻ってくるな!」

 孫綝の感情任せの物言いに朱異は反論しようとしたが、全端に止められる。

「……分かりました」

「ではすぐに出立するが良い!」

 会話になりそうに無い孫綝を相手にするのは時間の無駄と判断した全端は、冷静さを欠いている朱異を伴って出撃の準備をする。

「すまん、全端。熱くなってしまった」

 朱異はすぐに全端に謝罪する。

「いえ、それより問題はこれからです。魏軍が寿春の南を敢えて開けたのは我らに寿春救出の機会を見せて援軍に来たところを、各個に撃破するのが狙いでしょう。ですが、敢えて我々はそれに気付いていないフリをして寿春に向かう事を提案します」

「む? どう言う事だ?」

「こちらの援軍を長く伸ばし、敵の伏兵に横槍を突きやすくさせるのです。わざと敵に分断させて伏兵にしてやられたと見せ、逆に敵伏兵を包囲して殲滅するのです。魏軍は慌てて伏兵の救出に兵を出してくるでしょうが、そこを寿春の城兵に横槍を突かせてさらに朱異将軍率いる本隊で先の伏兵の包囲から救出隊の背後に兵を動かします。二隊を全滅させれば司馬昭も重い腰を上げる事でしょう」

「面白い策だ」

 そう言って全端の策に興味を示したのは、文欽だった。

「だが、腰が重いのは諸葛誕も同じ。それくらい分かりやすく勝機を見せてやらねば動かないだろうからな」

「将軍は魏からの投降者でしたね。魏軍と戦う事に抵抗は?」

「司馬一族と戦う事に抵抗などあるはずもない。まして司馬師ならばともかく、あの司馬昭であれば躊躇う理由も道理も無い」

 文欽は全端の質問に堂々と応える。

「ならば、敵を策にはめる為にこそ戦意の高い部隊が先行するべきなのでは? 特に理由も無く隊列を長くするのはいかにも策があると見えます。是非我が軍を先鋒として魏軍に当たる事を許して下さい! 敵が引けば寿春城に入り勝機を説明し、伏兵が来れば本隊が包囲するまでそれに当たり、本隊が狙われればすぐに駆けつけます」

 そう名乗り出たのは、干詮うせんと言う武将だった。

 これまで大きな武勲にこそ恵まれなかったものの、今後の呉軍では中核を成すと見られている将来有望な武将である。

「なるほど、確かに不自然に隊を長くするより、戦意の高まっている部隊に引っ張られている様に見える方が自然であり、魏の分断も誘いやすい。良い案だ」

「ほう、于詮、やるじゃないか。全端はいまでこそ一武将に過ぎないが、本来であれば大都督補佐、あるいは大都督となっていたほどの智将だ。その全端から認められたのは、誇っていい事だぞ」

 朱異は笑いながら言う。

「朱異将軍、それは言い過ぎです」

 全端は謙遜するが、あながち間違ってもいない。

 全端の叔父であった全琮はかつて大都督の地位にあり、しかも叔母は先帝孫権の娘であり皇族の一員でもあった。

 しかし、孫権の後継者争い、世に言う二宮事件によって一族皆殺しは避けられたものの失脚する事となったのである。

 しかし、だからと言ってその能力までも失った訳ではない。

 実際に外戚と言う事もあって、現皇帝である孫亮からは信頼されているところもある。

 もっとも、その事が孫綝には面白く無いと思われているらしいので、全端は下手に動かないでいた。

「では、さっそくこちらも出るとしようか」

 文欽の言葉に、全員が頷く。

 まずは于詮が先鋒として兵を率いる。

 魏軍としては寿春への援軍を通す訳にはいかないと、陳騫の部隊がそれを抑えに来る。

 すでに策の存在に気付いていると言う事もあるが、こうして見ると陳騫の率いる部隊は呉軍を本気で止めようとしているにしては数か少ない様に見える。

 これは陳騫の役割が呉軍を撃滅する事ではなく、上手くすれば足止め、最悪でも誘導して呉軍の隊列を乱させる事が目的だからだろう。

 于詮の役割はそれに乗ったと思わせて、魏軍の伏兵をあぶり出す事である。

 その為にも多少大袈裟でわざとらしくても、魏の陳騫の部隊を狙う必要があった。

 于詮がそう判断して兵を進めようとした時、陳騫の部隊は予想と違う動きを見せた。

 いきなり戦おうともせずに逃げ始めたのである。

 いずれそう言う動きをしてくると言う事は于詮にも予想はついていたが、あまりにも早い。

 無理に追えば返って孤立する事になるだけでなく、寿春城への援軍と言う本来の目的から大きく逸脱した行動になり、逆に魏軍にこちらの意図をバラす事になる。

 于詮は少し悩んだものの、陳騫の部隊を追うのは断念して寿春城に向かう事にした。

 もちろんその事は後続の文欽、全端、朱異にも報告を入れる。

 文欽はそれでも追うべきだと主張していたが、全端と朱異は魏軍の狙いはこちらに看破されている可能性があると見定めたが故に慎重になっているのだと言う。

 それであれば当初の行動にこだわる事無く、寿春城に入って守りを固めるのは決して悪い手ではないと言う指示が来た。

 さらに全端からは魏の伏兵はこちらが思っていたところとは違うところを狙ってくる恐れがあり、その場合には先鋒隊は寿春の城に入っている恐れがある。故に戦闘になったのを察知した場合には寿春から打って出る事を守将の諸葛誕に伝えておく様にとも言われている。

 確かにそれはある、と于詮も思う。

 当然の様にこちらの中央を分断すると思い込んでいたが、半分以上が城に入ったところを後方から狙ってきて被害を削り取ると言う事は充分に有り得る。

 その場合、中央から分断する以上の戦果は上げられないものの、より確実に被害を与える事が出来そうでもあった。

 結果として、全端の判断は間違っていなかった。

 まさにそこを狙って、魏軍の王基が伏兵として現れたのである。

 その時、于詮と文欽はすでに城に入り、全端もそうしようかと思っていたところ、全端と朱異を分断するかの様に王基は突撃してきた。

 全端自身は自らの隊を素早く反転させて王基の軍を朱異と挟撃する事を狙い、その上で先に城に入った諸葛誕と于詮に城から打って出て王基の軍を包囲殲滅する事を伝える。

 しかし、魏軍は全端の予想通りには動かなかった。

 城から出ようとした于詮、文欽の部隊に向かって魏軍の胡奮、胡烈の兄弟の部隊が襲いかかってきたのである。

 しかも朱異のところには王基だけではなく、石苞や州泰の部隊までもが伏兵として現れ、全端のところには先に逃げていたはずの陳騫の部隊が向かってきていた。

 魏軍の狙いは分断どころではなく、呉の援軍そのものだったのだ。

 だが、それならそれで打つべき手はある。

 ここまでは見事というべき手ではあるが、これはあくまでも呉軍に対する手として有効であり、ここからであれば寿春の諸葛誕の部隊が参加すれば投入してきた魏軍の部隊を各個に打ち破っていく事が出来る、と全端は判断した。

 まずは南門で出口を抑えられている胡奮、胡烈の兄弟を諸葛誕軍が東門から出て打ち破り、そこから溢れ出た于詮、文欽の軍で陳騫と王基を、そして全軍で朱異が戦っている石苞、州泰を打ち破れば魏軍に大打撃を与えられるのだ。

 全端はすぐに寿春城にその事を報告したのだが、諸葛誕は動かなかった。

 と言うより、動けなかったと言う方が正しい。

 動かないと思われていた司馬昭が大軍である本隊を寿春城に向けて動かし、突如攻城戦を仕掛けてきたのである。

 魏軍の部隊はそれぞれが一万近くを率いてきているので、この場に六万近くの戦力を投入しているのだが、それでも本隊にはまだ二十万もの兵力が残されている。

 一方の寿春諸葛誕軍は十万であり、魏本隊の半分しかない。

 しかも今は呉の援軍を迎え入れようとして、南門を開けている状態である。

 魏の大軍が寿春の南門を狙ってきた場合、そこから大量の敵兵が流れ込んでくる。

 当然諸葛誕としては、南門を閉める様に指示を出すしかなかったのだが、それは外で戦っている呉軍を閉め出すと言う事にほかならない。

「待ってくれ、諸葛誕将軍! 我ら呉軍が外で戦っている! 今救出に向かわねば、こちらは包囲殲滅されてしまう!」

「それを待って城が落ちるのを待てと言うのか! 城を守る為の援軍を助ける為に城が落とされたのでは、話にもならん! 今は城門を閉ざすほかなし!」

 于詮の訴えに対し、諸葛誕は切り捨てる様に言う。

 が、これは諸葛誕が横暴と言う訳ではなく、戦術的には止むを得ない判断なのである。

「ならば全端将軍だけでも!」

 于詮はそう言うと胡奮、胡烈の軍の一角を突き破って全端と合流しようとする。

 その動きを見た胡奮と胡烈は無理に于詮を止めようとせず、逆に全端と朱異を分断する王基に協力して朱異への圧力を強める動きを見せた。

 これによって于詮、文欽、全端は寿春城に入る事は出来たのだが、完全に分断される事になった朱異は包囲殲滅されない為にも安豊へ撤退するしかなくなったのである。



 しかし、全滅を免れて敗残兵をまとめて安豊に戻った朱異を待っていたのは、孫綝の激怒であった。

「一度ならず二度までも大敗するとは! その様な武将、呉には必要ない! 誰か! こやつを切り捨てよ!」

 孫権に長らく使えた宿将である朱桓しゅかんを父に持ち、各地で転戦して武勲を上げてきた呉の名将としては、あまりにも非業の最期であった。



「さすが、我が子房なり」

 司馬昭はまたしても大勝利を挙げた鍾会を褒め称える。

「そちの策、見事であった」

「ありがとうございます」

 鍾会は素直に頭を下げる。

「だが、敢えて呉軍の半分を寿春に入れたのは何故だ? 寿春は守りの堅い城。守備兵を増やす事は必ずしも得策とは言えないだろう?」

 そう尋ねたのは胡烈だったが、これは鍾会に対して不満を持っていると言うより単純に戦術面の話だった。

「戦を数として捉えるのであれば、確かに僕の策は片手落ちとも言うべき結果ですが、戦とは数字のぶつかり合いではなく、人と人との戦いです。今回呉軍を寿春の城に入れたのは、次の策の為。ご安心下さい、胡烈将軍。寿春の城は呉軍の援軍を入れて守備兵が増した事によって守りが固くなる様な事は無く、むしろ自滅への道を自ら進んでいく事になりますので」

鍾会は薄く微笑みながら、そう答えた。
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