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彷徨える龍

馬中の赤兎、人中の呂布 1

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 盛大だが心のこもっていない袁術の歓迎を受けた翌日、呂布はさっそく袁術が手配したと言う二千の兵を迎え入れる。

 袁術は精鋭を用意すると言っていたものの、それが上辺だけである事は呂布にも張遼にも分かっていたが、この時呂布の前にやって来た二千の兵の大半は少年兵だった。

「……これはどうしたもんかなぁ」

 呂布は困り顔で呟く。

「呂布将軍、袁術様からの増援の兵を率いてきました。私、郝萌かくほうもこれより呂布将軍の旗下に加わることになりますので、よろしくお願いします」

 増援を率いてきた郝萌と言う武将は、そう自己紹介すると頭を下げる。

 のっぺりとした顔の男で、感情の起伏がその表情からは読み取れそうにない。

 何を考えているのか分からない男と言う印象だが、何も考えていないかもしれない。

「呂布将軍!」

 増援の兵を率いてきたのは郝萌だったが、それ以外にも二人の武将がいた。

「お久しぶりです。俺の事、覚えてませんか?」

 そう声をかけてきたのは、張遼より少し歳下に見える若い男だった。

 本人は目を輝かせているが、呂布にはイマイチ記憶に無い男である。

「えっと……」

魏続ぎぞくか?」

 その若者に気付いたのは、呂布ではなく張遼だった。

「やあ、文遠。随分と久しぶりだ。君が羨ましいよ。俺ももう少し先に生まれていれば、呂布将軍と一緒に行動出来たものを」

 魏続は親しげに張遼と話している。

「呂布将軍。彼は一応呂布将軍の親族と言う事になります」

 張遼が呂布に説明する。

 魏続の叔母が丁原の側室だった事もあり、呂布とも血のつながりは皆無ではあるものの親族と言えなくもない。

 厳密に言えば丁原の親族なのだが、魏続は呂布の親族を名乗っていた。

 まあ、完全に嘘ではない。

 丁原の死後、しばらく荊州に残っていたようだが袁術の庇護を受けていたらしく、この度呂布が訪れたと聞いて大慌てでやって来たと言う事だった。

「俺も同行させてもらいます! もう戦場で武勲も上げましたから、将軍のお役に立てますよ!」

 魏続は張り切って自己主張する。

 それには確かに見覚えがあった。

 張遼でさえ並外れた武勇と馬術を持っていながら若すぎると言う事で、丁原軍では正式な将軍としての扱いは受けていなかった。

 それより若い魏続なので、丁原の時代には呂布と共に戦場に出る事は出来なかったのだが、その時に魏続はこんな感じで自己主張してついてこようとしていたのを思い出したのだ。

 だが、もう一人にも見覚えは無かった。

 魏続よりさらに若く、おそらく十代の少年である。

 呂布は助けを求める様に張遼に目配せしたが、張遼にも見覚えは無いらしく小さく首を振った。

 この少年に見覚えが無いのは呂布だけでなく、張遼も同じらしい。

「あー、魏続よ、その彼は?」

「は、はじめまして! 侯成こうせいと言います! 僕も是非、呂布将軍の旗下に加えていただきたく、この度志願しました!」

 その少年、侯成は極度の緊張状態ではあったが、それでもしっかりと自己紹介する事は出来た。

「呂布将軍、この侯成は将来性も見込める、なかなかの男ですよ。文遠にも劣らない逸材だと俺は思っています」

 と、魏続も太鼓判を押している。

 年齢でも実績でも張遼の方が上なのだが、荊州時代には太守の親族と一武将見習いと言う身分の違いもあり、魏続の中では今でもその立ち位置のままのようで年長者の張遼の事をあざなで呼んでいた。

 張遼は気に入らないようだったが、ここで無意味な口論をするのもバカバカしいと判断しているのか、魏続に対して特に何も言う事はしなかった。

 呂布陣営に新たに郝萌、魏続、侯成と言う武将と二千の兵を加え、総数五千となって寿春を出発したが、かなり早い段階で問題が出てきた。

 寿春で加わった二千の兵は志願兵であったらしいが、その者達は十分な訓練などを受けた人物では無く、行軍の辛さに根を上げる者が続出する事になった。





「こりゃ、役には立たないな」

 夜営の準備が終わった高順が、さっそく呂布に向かって言いに来た。

 呂布の幕舎に集まっているのは呂布と張遼、高順の他、郝萌、魏続がいた。

 この場にいない侯成は、呂布の家族の幕舎の護衛である。

 高順から外から護衛しろと厳命されているが、侯成は呂布に心酔しているようで、その家族も同様に思っているところもあるのか、呂布の妻や娘と直接接触する事も極端に緊張するので、言われるまでもなく幕舎の外に立っていた。

「それで、解決法は無いのですか?」

 のっぺりとした郝萌が、やはりのっぺりとした口調で尋ねる。

「解決法? おたくの増援の問題なんだがなぁ」

「我々は既に呂布軍となっていますので、呂布軍で解決法を提示していただくのが道理では?」

「何だと?」

「まあまあ、高さん。郝萌殿の言う事も道理ですから」

 イラつきを見せ始めた高順を、張遼がなだめる。

「袁術殿から物資も補充してもらっているし、援軍と言っても袁紹殿のところであれば十分な軍備もあるはずだ。多少兵力が減少したとしても、さほど問題にはならないのでは?」

「それだと侮られませんか?」

 呂布はまったく気にしていないのだが、魏続はそれを気にしているようだった。

 並外れた実力を持つ呂布は、どれほど過酷な戦場に送られても敵を倒して生還する事が出来るので気にしていないが、普通は魏続が気にしていた様にそれは死活問題になる。

「そんな事で侮られるものなのか?」

「侮られるモノですよ。特に袁紹軍と言えば、名門中の名門。袁術殿からも総数五千で援軍を出したと言う報せは行っているでしょうから、特に交戦もしていないのに兵力を減らしたとあっては、指揮能力に問題アリと判断されても言い逃れできないでしょう」

 呂布の質問に答えたのは、魏続ではなく張遼だった。

 実際に敵対すれば呂布奉先と言う規格外の戦力を実感出来ると言うものだが、さすがにそれを基準にする事など出来ない。

 それを除くとなると、確かに通常の行軍だけで兵が離散するとなれば、それは率いた将の指揮能力や器の問題ともなる。

「適当な賊と戦いますか? そうすれば逃亡兵の言い訳は出来ますが」

「いや、それは良くない。向こうから仕掛けてきたと言うのであればともかく、行軍が辛いと思っている兵に実戦は耐えられないだろう」

 魏続の提案を、呂布は否定する。

「そうか? お前の圧倒的武力を見せつければ大丈夫だと思うけどな。逃げようにも赤兎馬から逃げられるはずもない、と分かるだろうし」

 高順が物騒極まりない事を、平然と言う。

「あ、いい考えですね。あとはそんな賊が都合よく近くにいるか、ですね」

 何故か張遼が同調する。

「呂布将軍の戦をこの眼で見られるんですか!」

「勝利は自信に繋がりますから、勝てるのであれば悪くない考えでしょう」

 魏続は興奮気味で、郝萌はのっぺりとした口調ではあるもののちょっとトゲのある言い方で賛同する。

「あれ? 俺以外戦う事で決まっちゃってる?」

「あとは適度な賊がいるかどうかですが、高さん、その辺りはどうなんですか?」

「この近辺は色んな勢力から溢れた連中が多いからな。適当なヤツを見つけてくる。何日くらい持たせられる?」

「無理な行軍をしなければ、おおよそ一週間程度なら」

「それなら上出来だ。ちょっと実戦経験を積ませてやろう」

 呂布の意見を無視して、高順と張遼は話を進めていく。

「本当にやるの? もう本決まり?」

「奉先には他に良い案があるのか?」

「いや、ないけども」

「じゃあ、決まりだな」

 高順はそう言うと、幕舎を出て行く。

「……俺、一応将軍位なんだよな?」

「そうですよ。俺達の主君です」

 呂布の質問に、張遼は笑顔で答える。

「その割には扱いが軽くないか?」

「そんな事は無いですよ」

 そうは言うものの、張遼の受け答えも軽く、魏続も苦笑いしている。

 表情が変わっていないのは、そもそも表情が極端に分かりにくい郝萌くらいなものだった。

 不満は燻ったままではあったが、それでも張遼は高順に言った通り逃亡兵や脱落者を出さず、河北への行軍を続けた。





 そして三日目、高順が戻ってくる。

 日中の行軍の際、侯成と郝萌が先頭を行き、家族や非戦闘員を含む中衛に呂布と張遼、殿軍に魏続と言う配置で進んでいた。

 そこへ高順が報告に来た、と言うわけである。

「どうやら、こっちから手を出さなくてもこのまま行けば明日には当たりそうだな」

 高順は戻ってくるなり、そんな事を言い出す。

「あまり聞きたくないんだが、どういう事かな? 高順君?」

「いやいや、天下無双の呂布将軍の行く手を阻もうとする身の程知らずがいて、進行方向的に考えるとその縄張りに入る必要があると言う話だよ」

「それだと向こうの意思で俺達の行く手を阻んでいる訳ではないと言う事か?」

「細かいことは気にするな。向こうはやる気みたいだし、ここは押し通るしか無い訳で、それを阻もうとしているのは向こうの意思だ」

「気が進まないな」

 高順の言葉に、呂布は乗り気ではなかった。

「将軍、ものは考えようですよ」

 張遼が話に加わってくる。

「ここで賊をやっていると言う事は、いずれ打倒されるのは仕方が無いですよ。それが袁術になるか孫策になるか、あるいは董卓四天王になるかは分からないですけど、おそらく討伐される事でしょう。相手によっては悲惨な目に遭うでしょうから、それが将軍であればそこまでやらない分マシですよ」

 張遼の言葉は呂布を説得する為のものではあったが、実際にそれは十分に考えられる。

 孫策や袁術の戦い方は詳しく知らないものの、名門で軍備を整える事に苦労しない袁術にとっては賊を降して吸収する必要に迫られる事も無く、それであれば自軍の精強さを知らしめる為にも殲滅する事を求める事はそこまで不自然な事でもない。

 まして旧董卓軍の様に残忍極まりない部隊であれば、袁術軍の殲滅どころではない惨劇が待っている事も有り得ない話ではない事だった。

「ただ賊を倒すだけってのも芸が無いな。どうせなら丸ごと吸収して、勢力を増して袁紹のところに行こう」

「それだと警戒されるんじゃないか?」

 高順はあまり深く考えていないみたいだが、援軍で来たはずの部隊が近くの賊を吸収してその数を増やしてやってくるのは、おそらく歓迎されるとは思うのだがそうでない場合には非常に問題がある。

「ま、警戒されるかもしれないのは間違いないところだが、それでもあの袁紹様であればそんな細かい事に目くじら立てたりしないだろ? 周りの奴らはごちゃごちゃ言うかもしれないが、それは奉先が黙らせると言う事で」

「……それ、庇護を受けられなくならないか?」

 下手に袁紹の気を損ねた場合、援軍はいらないと言う話になりかねないのではないかと言うのが、呂布の不安でもあった。

 袁術と違って袁紹は器も大きく、またそうである事を見せる事も嫌いではないらしいので、助けを求める呂布を袁術の様に露骨にあしらう事は無いと思いたいところだが、袁術と比べて人材面で豊富だと言われている袁紹である。

 噂程度しか知らないのだが、袁紹の旗下にはあの華雄にも匹敵する武将もいるとの事だった。

「少なくとも、張郃は袁紹軍にいるはずですよ」

 と言ったのは張遼である。

 張郃は韓馥軍の若手武将であったが、董卓が長安でいざこざを起こしている時に韓馥も袁紹や公孫瓚といざこざがあったらしく、今では袁紹軍に吸収されている。

「張郃か。アレがいればそんじょそこらの武将じゃ見劣りするだろうな」

 高順も笑いながらだが、頷いている。

 黄巾の乱の際一時的に共闘する事になった張郃だったが、その時に極めて優秀であった事は呂布も知っているが、ほとんど接点の無かった高順も張郃の有能さは知っている。

「そう言えば、黄巾の乱の時に張郃の前に袁紹殿からの使者として誰か来ましたよね? 確か、審配とか言ってたと思うんですけど」

「ああ、確かに。わりと度胸のある人だったよな」

「もし援軍の数が多い事を警戒された場合、張郃と審配殿に口添えしてもらいましょう」

 張遼は洛陽で張郃と共に行動していた期間がある為、張郃の事は呼び捨てにしていた。

「ま、それもこれも勝ってからの話ではあるな。奉先、兵達に準備をさせておこう。明日には戦になるからな」

 高順に煽られて、渋々ではあるが呂布も戦支度を始める事にした。
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