生命の花

元精肉鮮魚店

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第一章 世界の果てに咲く花

序章 4

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 先ほどの連中が戻って来たのかとも思ったが、人数や足音の重さが違った。

 体を起こすのは面倒だったので、首だけを動かして鉄格子の向こうへ目を向ける。

 鉄格子の向こうに現れたのは、所員と思われる制服姿の長身の男と、防寒用のマントを身に纏った少女だった。

 長身の男は服装からも分かる通り所員だろうが、あの追手達や異様に冷たい声の男と違い、理知的な雰囲気を持ち、コチラを見る目にも敵意や害意が無い上に亜人を差別し蔑むところがなく、むしろ同情の色さえも見て取れる。

 もう一人のマントを纏った少女は、驚く程美しい亜人の美少女だった。

 見た目は十代後半。粗末な服装と薄汚れたマント、髪も最低限整えた程度であり、化粧だってしていない。

 それであっても輝くばかりの美貌と、十代の少女とは思えない気品の様な、人を平伏させるほどの雰囲気をすでに身に付けていた。

 少なくとも牢に入れられている少女は、人間にしても亜人にしても、これ程美しい人物を見た事が無かった。

「酷い怪我です。早く診療所へ連れて行かないと」

 外の美少女は、急いで牢を開けようとする。

「待て。その前に確認しておきたい事がある」

 美少女に対して、所員の男は冷静に言う。

「まだ生きていたいか、すぐに死にたいか。その確認はこの場で済ませておきたい」

「そんな事、今この場で、ですか?」

「ここでの生活は生きている事を後悔する事にもなるだろう。助けた事を恨まれるのなら、この場で楽になると言う選択肢は与えておくべきだ。特に恨まれるのは俺では無く、君になるのだから」

 牢の外で二人は軽くではあるが、口論している。

 しかし、奇妙な口論をしているという感覚を少女は覚えていた。二人が話している内容の違いは、美少女は亜人の少女を心配し、所員の男はその美少女を心配して発言している。

 所長に媚びていた追手も兼ねた所員達の様に、自分達の事だけを考えた言動とは違う。

 男の言葉は冷たく残酷に聞こえるが、その選択肢を与えなかった事を後悔しているのだろう。

 また、そのために美少女が恨まれる様な事になった経緯もこれまで見てきた事も、その言葉になっている。

 その消えない罪悪感と責任感がありながら、それを背負って立っている。

 この男も見た目はともかく、内面的には美少女と同じ様にこれまでに見た事も無い様な人物らしい。

 しかし、与えられるまでその二択を真剣に考える様な事は無かった。

 まったく無意識に、無条件に生き延びる事だけを考えてここまで来たが、それをこの場で終わらせて楽にするのを選ぶ事は、その価値があると思われる。

 ただ、楽になるのはいつでも出来る。少女は物心ついた時にはすでに反逆者であり、抗い続ける事で生き延び続けてきた。

 何もせずに楽になるという生き方を選ぶのならば、ここに捕らえられるのはもっと早かっただろうし、それ以前にこれほど生きていられなかったはずだ。

「言葉は分かるか? 死んだ方がマシと思える生き方であっても生きたいか、それともここで楽になるか。楽になりたいと言うのなら、俺が今この場で責任を持って楽にしてやる。どうだ、生きたいか、死にたいか。選ぶが良い」

 男は少女に言葉を投げかける。

 冷たい言葉は少女に突き刺さるが、それは絶望感を与える痛みでは無い。

 男の言葉に、少女はノロノロと起き上がってくる。

 瀕死の重傷を負い、衰弱も著しい。並みの少年少女であれば、とっくに死んでいてもおかしくない。生き延びたとしてもこれではまともに動く事も出来ず、走り回る事など通常では有り得ない。

 それでも少女は立ち上がり、歩いて鉄格子を掴んで牢の外の二人を見る。

 その目を見て、美少女は怯えた表情になり、無意識に僅かに後退する。

 少女の最大の特徴であるその瞳は、本人には分かりづらいが見る者を圧迫する。その上に苛烈なまでの狂気も含まれているからこそ、余計に恐ろしさを感じるのだ。

「生きる、と言う事だな」

 所員の男の言葉に、少女は鉄格子を掴んで力強く頷く。

 死にたくない、と懇願するのとは違う。生きる事に意味を見出したい、と言う程、高尚なモノでもない。生きる目的というモノが必要なら、ただ楽に終わらせるつもりは無いと言うだけの事だ。

 生きるというただそれだけの事を、苦痛と共に続けている。もしそのための目的が必要と言うのであれば、彼女はこの苦痛を他の者にも味あわせてやりたい。

 そういう負の感情の方が圧倒的に強い。

「メルディス、診療所に連れて行く」

 その負の感情を読み取っているのかは分からないが、所員の男が美少女に指示を出した後、自らが鉄格子を開ける。

 美少女はボロボロの少女を、持ってきた毛布で包む。

 まったく意識していなかったが、少女は全裸だった。

 ここに運ばれた時の少女はただでさえ泥だらけだった上に、抵抗を続けたとされて追手から暴行を受けて血塗れだったので、体を洗われた後、この牢に放り込まれたのだ。

 痩せ細った身体を包む毛布を掴む弱々しい力しか出せない少女を、メルディスと呼ばれた美少女が支えてやる。

 美少女メルディスも見た目の通り腕力に優れるという訳では無いが、それでもこの少女が恐ろしく軽く感じられる。

 見ただけで分かる痩せ細った少女ではあったが、それにしても軽過ぎる。

 それは、メルディスに体を預け手を借りなくても、ある程度自立して歩けると言う事だ。

「詳しい事は後日改めて説明する。ただし、ここで長生きしたいのであれば騒ぎは起こさない事だ」

 所員の男は、ボロボロの少女に向かって言う。

 おそらくそうだろうと言う事を、追手から逃げている時から予想はしていた。また、追手や目の前の男の制服を見る限りでは、どう考えても学校の先生などではなく軍人や看守の類だ。

 街の中ですら人権など無かった亜人達である。ここで騒ぎなど起こそうものなら、容赦する必要も無い。

 絶望しかないこの収容所だが、無理にでも明るい材料を探すとするなら、それは一部例外はあるとは言え亜人は生け捕りにするという事である。

 忌み嫌われている亜人種であるが、例えば害虫駆除などを行う場合であれば生かして捕らえる手間をかける事はしない。

 亜人を収容所に集めるには、理由がある。

 亜人種の大半は純粋な人間と比べると、何かしら優れたところを持っている。ある種は身体能力に優れ、ある種は魔術を使う際に人間より数倍強力であり、夜目が利き変身できる能力を持った種さえもいる。

 一対一で戦った場合、鍛え上げられた人間の兵士より、今日初めて槍を持った亜人の方が強力な事は珍しい事では無い。

 さらに亜人の中には『不死王』の秘密があると考え、研究している機関が存在する。

 そう言う研究機関であれ、兵士として使い潰されるにしても、ここで『商品』として取り扱ってもらえるのなら、価値さえ見出してもらえば生き延びる事は出来る。

 生き残るのは楽ではない。その道は狭く険しいが、確実に存在する。

 それが分かっただけで、ひとまずは良しとするしかなかった。

「私はメルディス。貴女の名前は?」

 美少女メルディスは少女に話しかけるが、少女はその質問に答える事が出来なかった。

 少女は一時的に意識が戻っただけで、また意識を失っていた。体力の消耗も激しく、見ただけでわかる栄養失調状態、全身の打撲跡などは生きている事がすでに有り得ないくらいである。

 しかし、少女は健康であったとしても、メルディスの質問には答えられなかった。

 少女には名前が無いのだ。
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