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第19話 既に手遅れ
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ゴウキと共に取り残され、落ち着かないでいた子供にゴウキは声をかけた。
「さて小僧、名は?」
「…………」
答えようとしない少年にゴウキはおや?と思った。
「年は?」
「多分15」
「親は?」
「両方死んだ」
「どっちが鬼《オーガ》か覚えとるか?」
「母親は人間だった。俺を産んですぐ死んだ」
名前以外はすらすらと答える少年の様子に成程、とゴウキは納得し、念の為に聞いてみる。
「親から貰った名はあるか?」
「ある」
「他に名は貰わんかったか? 例えば父親から」
「俺が生まれる前に戦で死んだって聞いた。それ以外は何も聞いてない」
ゴウキはちょっと遠い目をして頷いた。
「そうかあ、そうじゃろうなあ、父親が鬼《オーガ》じゃもんなあ」
ザイはいまいち意味を掴みかねた顔でゴウキを見上げる。
純血の鬼《オーガ》は向こう見ずで無鉄砲な者が多い。特に雄は単細胞で血気盛んだ。
戦争となれば戦いを好む鬼《オーガ》の事だ、人間の母親と共に残される生まれてくる子供の先まで考えは及ぶまい。
「鬼種はな、名を二つ持つ。生まれた時と15の成人を迎えた時の二つじゃな。これまた不思議でな、15の年を迎えた途端にそれまでの名を他人が口にする事を忌むようになる。なんでそれを諱《いみな》と言うて、成人した後の名を字《あざな》と言う。成人した鬼種は字《あざな》しか使わんのよ」
ゴウキも馴れたもので、小さな黒い頭を撫でて言う。
少年は嫌がりはしないが迷惑そうな顔をする。
「鬼《オーガ》の血っちゅうのは色々面倒でな、儂らのような混じりモンでもその血には逆らえん。諱を呼んでいいのは家族や伴侶くらいじゃな。それでも易々と口にしていいモンではないが」
「はんりょ……」
小さく呟いた言葉に重く頷く。
「まあ、鬼の血が許さんじゃろうが、諱は伏せとけ。鬼種にとって諱を明かすっちゅうのは余程の事よ。字《あざな》は本来ならより血の近いモンから与えられるモンじゃが、現時点では大きな括りになるが、鬼《オーガ》っちゅう同じ種の血を引いとるという事で儂が名前を考えてやる。なんじゃ、その嫌そうな顔は? お前、巫女様に名を貰おうなどと思うなよ。名を貰っても巫女様以外には呼ばれたくなかろう」
図星だったようで少年がぐっと詰まる。
「儂で我慢しとけ」
な? と言い聞かせると少年はしぶしぶ頷いた。
そんな少年をみてさて困ったぞ、とゴウキは思った。
ここから先をどう説明したものかと悩む。
角にしろ、名にしろ、何かと逆鱗の多い種族ではあるが、逆に言ってしまえば制約の多い種とも言える。
鬼《オーガ》にとって角は何より重要だ。
その角に触れる事ができるのは鬼《オーガ》自身が角を捧げるに足る相手と認めた者だけだ。
無論、そうほいほいと捧げられるものではない。
なにせ鬼種はプライドの塊のような生き物だ。基本的に力の弱い他種族を見下し、同族の中の序列にしか従わない。そして力の強さと角を見る。角は鬼種の力の象徴でもある。
強い鬼ほど立派な角を持つ。
そんな鬼種が他者に角に触れる行為を許すというのは生半可な事ではないのだ。
ゴウキとて、相手が心から敬愛する巫女様であれば捧げられるものなら捧げたい。それだけの恩がある。だとしても角を捧げるのは至難の業だ。
巫女様が弱いわけではない。巫女様はゴウキと比べるのも烏滸がましい程の『格』を持った上位の存在だ。巫女様が本気になればゴウキなどは一瞬で塵となる。
なのに鬼《オーガ》の血がそれを許さない。
だと言うのにこの子供は巫女様にそれを許す。
格上のゴウキにさえ一切怯みを見せずに本気の殺意を向けてくる程の、それこそゴウキを上回る気位の高さを見せるこの子供がだ。
それが本人が意識した上での行為であれば問題はないが、無意識にそうと知らずに相手にそれを許したとなれば、その後の反応に不安が募る。
鬼の血を引くモノは時として理性と本能が噛み合わない場合がある。
自分が勝手に相手に角を下げたにも関わらず、それを相手が下げさせたと勘違いして事故が起こる。
黙っていれば問題はないが、巫女様はこの子供をゴウキに『引き渡す』ではなく『預ける』と言ったのだ。今まで供の一人もつけた事のないあの巫女様がだ。
この城にも鬼種はいる。儀礼や祭典もある。その意味はいずれ知る事になるだろう。
ゴウキは覚悟を決めた。
「小僧、角を捧げるという言葉を知っているか?」
少年は無言で首を振った。その目には警戒の色が浮かぶ。
「何も角を引っこ抜いて捧げるわけではない。安心せい。
角を捧げるっちゅうんはな、捧げた相手の下にに降《くだ》るという事じゃな」
「降《くだ》る?」
「捧げた相手になら何をされても良い、自身をどのように扱っても良いと許す事よ。その証として角に触れて貰うのよ。『あなたに従いますのでどうか角に触れてください』とな」
言葉をどう繕おうと結局の処はそこなのだ。より強い相手を屈服させる事を喜びとする鬼種にとって、これ程の屈辱はない。
(さて、どう出るか。)
それをどういう意味かも知らずに、それでも自ら角を捧げておいて、己の勝手の為に巫女様に牙を剥くようなら考えねばならない。
この子供の矜持を叩き折るには骨が折れるだろうなと考えを巡らせる。
ゴウキは少年の様子を見守った。
少年はじっと何かを考え込み、ひとつ頷く。
「納得した」
これにはゴウキが驚いた。
「納得したのか?」
「した」
その目に嘘はない。
「巫女様に遜《へりくだ》るか?」
「フェイならいい」
少年の言葉にゴウキの頬が引きつった。
まだ問題は全て解決していない。
「小僧、その『フェイ』というのは巫女様の事か?」
「そうだ」
「巫女様が名を名乗られたという話は聞いた事がないが、その名、巫女様から聞いたのか?」
ゴウキの中で予想はついていたが、その予想の敢えて外れた方向で質問する。
できれば外れて欲しい予想だった。
「フェイが好きに呼べと言った」
「…………お前が贈った名を巫女様が受け入れたと」
少年が頷いた。
ゴウキは目頭を押さえた。
鬼種のように諱を持つ種は少ない。ゴウキの知る限り、東の五花国《イーズ》を除けばそういった文化は見当たらない。特別な事情を持つ者を除けばどんなヒト種も生まれた時から名を一つしか持たない。
鬼種は諱を持たない番う相手に自分が呼ぶ為の名を贈る。
ヒト種の文化や習性にそこまで関心を持たぬ事をいいことに、巫女様に名を贈ろうとした者はゴウキの知る限りでも両手の数では足りない。
そんな男達に対して巫女様は決して名を受け取ろうとはしなかった。
巫女様にも何か察するものがあったのだろう。
例えば男の下心とか。
目の前の少年には下心はなかったのだろう、ただ純粋に名を呼びたかっただけだと分かる。
あったとしても恋心、しかし、最初《ハナ》からヒトと深く関わる事のない巫女様がそんなものに気づける筈もない。恐らくは純粋な好意として受け取ったに違いない。
いろいろとやらかしてしまっていた。
あと一つでも揃ってしまえば手の施しようがない。
そこへノックの音と共に巫女様の来訪が告げられた。
少年が素早く反応を示す。
扉が開き、巫女様が姿を現すと少年はすぐに巫女様の元に駆け寄った。
「フェイ!」
「いい子にしていたか? ザイ」
巫女様のセリフにゴウキが固まった。
「巫女様」
どうにか声を絞り出した。
「何か?」
「その小僧の名……」
「ああ、この子の名がどうした?」
それは決してゴウキに明かそうとしなかった少年の諱である事を少年のゴウキを見る嫌そうな顔で察した。
角を捧げ、諱を明かし、名を贈る。
その意味するところは恭順と求愛。
既に手遅れなのだとゴウキは悟った。
「さて小僧、名は?」
「…………」
答えようとしない少年にゴウキはおや?と思った。
「年は?」
「多分15」
「親は?」
「両方死んだ」
「どっちが鬼《オーガ》か覚えとるか?」
「母親は人間だった。俺を産んですぐ死んだ」
名前以外はすらすらと答える少年の様子に成程、とゴウキは納得し、念の為に聞いてみる。
「親から貰った名はあるか?」
「ある」
「他に名は貰わんかったか? 例えば父親から」
「俺が生まれる前に戦で死んだって聞いた。それ以外は何も聞いてない」
ゴウキはちょっと遠い目をして頷いた。
「そうかあ、そうじゃろうなあ、父親が鬼《オーガ》じゃもんなあ」
ザイはいまいち意味を掴みかねた顔でゴウキを見上げる。
純血の鬼《オーガ》は向こう見ずで無鉄砲な者が多い。特に雄は単細胞で血気盛んだ。
戦争となれば戦いを好む鬼《オーガ》の事だ、人間の母親と共に残される生まれてくる子供の先まで考えは及ぶまい。
「鬼種はな、名を二つ持つ。生まれた時と15の成人を迎えた時の二つじゃな。これまた不思議でな、15の年を迎えた途端にそれまでの名を他人が口にする事を忌むようになる。なんでそれを諱《いみな》と言うて、成人した後の名を字《あざな》と言う。成人した鬼種は字《あざな》しか使わんのよ」
ゴウキも馴れたもので、小さな黒い頭を撫でて言う。
少年は嫌がりはしないが迷惑そうな顔をする。
「鬼《オーガ》の血っちゅうのは色々面倒でな、儂らのような混じりモンでもその血には逆らえん。諱を呼んでいいのは家族や伴侶くらいじゃな。それでも易々と口にしていいモンではないが」
「はんりょ……」
小さく呟いた言葉に重く頷く。
「まあ、鬼の血が許さんじゃろうが、諱は伏せとけ。鬼種にとって諱を明かすっちゅうのは余程の事よ。字《あざな》は本来ならより血の近いモンから与えられるモンじゃが、現時点では大きな括りになるが、鬼《オーガ》っちゅう同じ種の血を引いとるという事で儂が名前を考えてやる。なんじゃ、その嫌そうな顔は? お前、巫女様に名を貰おうなどと思うなよ。名を貰っても巫女様以外には呼ばれたくなかろう」
図星だったようで少年がぐっと詰まる。
「儂で我慢しとけ」
な? と言い聞かせると少年はしぶしぶ頷いた。
そんな少年をみてさて困ったぞ、とゴウキは思った。
ここから先をどう説明したものかと悩む。
角にしろ、名にしろ、何かと逆鱗の多い種族ではあるが、逆に言ってしまえば制約の多い種とも言える。
鬼《オーガ》にとって角は何より重要だ。
その角に触れる事ができるのは鬼《オーガ》自身が角を捧げるに足る相手と認めた者だけだ。
無論、そうほいほいと捧げられるものではない。
なにせ鬼種はプライドの塊のような生き物だ。基本的に力の弱い他種族を見下し、同族の中の序列にしか従わない。そして力の強さと角を見る。角は鬼種の力の象徴でもある。
強い鬼ほど立派な角を持つ。
そんな鬼種が他者に角に触れる行為を許すというのは生半可な事ではないのだ。
ゴウキとて、相手が心から敬愛する巫女様であれば捧げられるものなら捧げたい。それだけの恩がある。だとしても角を捧げるのは至難の業だ。
巫女様が弱いわけではない。巫女様はゴウキと比べるのも烏滸がましい程の『格』を持った上位の存在だ。巫女様が本気になればゴウキなどは一瞬で塵となる。
なのに鬼《オーガ》の血がそれを許さない。
だと言うのにこの子供は巫女様にそれを許す。
格上のゴウキにさえ一切怯みを見せずに本気の殺意を向けてくる程の、それこそゴウキを上回る気位の高さを見せるこの子供がだ。
それが本人が意識した上での行為であれば問題はないが、無意識にそうと知らずに相手にそれを許したとなれば、その後の反応に不安が募る。
鬼の血を引くモノは時として理性と本能が噛み合わない場合がある。
自分が勝手に相手に角を下げたにも関わらず、それを相手が下げさせたと勘違いして事故が起こる。
黙っていれば問題はないが、巫女様はこの子供をゴウキに『引き渡す』ではなく『預ける』と言ったのだ。今まで供の一人もつけた事のないあの巫女様がだ。
この城にも鬼種はいる。儀礼や祭典もある。その意味はいずれ知る事になるだろう。
ゴウキは覚悟を決めた。
「小僧、角を捧げるという言葉を知っているか?」
少年は無言で首を振った。その目には警戒の色が浮かぶ。
「何も角を引っこ抜いて捧げるわけではない。安心せい。
角を捧げるっちゅうんはな、捧げた相手の下にに降《くだ》るという事じゃな」
「降《くだ》る?」
「捧げた相手になら何をされても良い、自身をどのように扱っても良いと許す事よ。その証として角に触れて貰うのよ。『あなたに従いますのでどうか角に触れてください』とな」
言葉をどう繕おうと結局の処はそこなのだ。より強い相手を屈服させる事を喜びとする鬼種にとって、これ程の屈辱はない。
(さて、どう出るか。)
それをどういう意味かも知らずに、それでも自ら角を捧げておいて、己の勝手の為に巫女様に牙を剥くようなら考えねばならない。
この子供の矜持を叩き折るには骨が折れるだろうなと考えを巡らせる。
ゴウキは少年の様子を見守った。
少年はじっと何かを考え込み、ひとつ頷く。
「納得した」
これにはゴウキが驚いた。
「納得したのか?」
「した」
その目に嘘はない。
「巫女様に遜《へりくだ》るか?」
「フェイならいい」
少年の言葉にゴウキの頬が引きつった。
まだ問題は全て解決していない。
「小僧、その『フェイ』というのは巫女様の事か?」
「そうだ」
「巫女様が名を名乗られたという話は聞いた事がないが、その名、巫女様から聞いたのか?」
ゴウキの中で予想はついていたが、その予想の敢えて外れた方向で質問する。
できれば外れて欲しい予想だった。
「フェイが好きに呼べと言った」
「…………お前が贈った名を巫女様が受け入れたと」
少年が頷いた。
ゴウキは目頭を押さえた。
鬼種のように諱を持つ種は少ない。ゴウキの知る限り、東の五花国《イーズ》を除けばそういった文化は見当たらない。特別な事情を持つ者を除けばどんなヒト種も生まれた時から名を一つしか持たない。
鬼種は諱を持たない番う相手に自分が呼ぶ為の名を贈る。
ヒト種の文化や習性にそこまで関心を持たぬ事をいいことに、巫女様に名を贈ろうとした者はゴウキの知る限りでも両手の数では足りない。
そんな男達に対して巫女様は決して名を受け取ろうとはしなかった。
巫女様にも何か察するものがあったのだろう。
例えば男の下心とか。
目の前の少年には下心はなかったのだろう、ただ純粋に名を呼びたかっただけだと分かる。
あったとしても恋心、しかし、最初《ハナ》からヒトと深く関わる事のない巫女様がそんなものに気づける筈もない。恐らくは純粋な好意として受け取ったに違いない。
いろいろとやらかしてしまっていた。
あと一つでも揃ってしまえば手の施しようがない。
そこへノックの音と共に巫女様の来訪が告げられた。
少年が素早く反応を示す。
扉が開き、巫女様が姿を現すと少年はすぐに巫女様の元に駆け寄った。
「フェイ!」
「いい子にしていたか? ザイ」
巫女様のセリフにゴウキが固まった。
「巫女様」
どうにか声を絞り出した。
「何か?」
「その小僧の名……」
「ああ、この子の名がどうした?」
それは決してゴウキに明かそうとしなかった少年の諱である事を少年のゴウキを見る嫌そうな顔で察した。
角を捧げ、諱を明かし、名を贈る。
その意味するところは恭順と求愛。
既に手遅れなのだとゴウキは悟った。
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