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終章 そして…
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精神科医の元で僕は無言を貫いた。誰に何を言ったとしても信じるものがいるとは思えないからだ。弱った心と体はすこしづつ回復していったが、もうあの愛の時間が戻らないのだと思うと胸が締め付けられる。妖子はうまく逃げただろうか?まだあそこに潜んでいるのか?再会は絶望的だとわかっていても、僕は再び月日荘に戻ろうと決めて養生していた。
半月ほどしてあの刑事がやって来た。常念の死体が見つかったのだ。僕は覚悟を決めた。ただ黙秘を貫こうとしていた。
「他の部屋からもいくつも白骨死体が見つかりましてね。驚かんで下さいよ。台所にはその骨を出汁にとった形跡がありましたわ」
それは、あの粥なんだ、と僕は気がついた。吐き気が襲ってきた。刑事は黙って僕を見ていた。
「あんたも出汁にされるとこやったんやな」
それは違う!と、僕は心で叫んだ。妖子を恨む気はまったくなかった。僕たちは愛し合っていた。僕はそう叫びたかった。
「それと建物をしらみつぶしに捜索しましてね。白い蛇が屋根裏で死んでましたわ」
僕は耳を疑った。まさか、まさか?妖子が死んだ?それは信じがたい事実だった。
「専門家に言わすとかなり年取った蛇のようですな。人でも喰って行き長らえてたんでっしゃろな」
僕は言葉もなく呆然としてた。そのあと、言いにくそうに彼は言った。
「それと、あんたの奥さんから預かってきましたんや」
胸ポケットから彼が出したのは離婚届だった。
「奥さんお気の毒でしたな」
僕は妻よりもミルカに申し訳ないと思った。僕のためにミルカは死んだのだ。妖子の秘密を暴こうとしたために。彼女をあのアパートメントに連れ込むべきではなかった。そして僕だけが生き残った。妖子も死んでしまったのか?
僕はいつの間にか涙をポロポロこぼしていた。この刑事はきっと離婚届を見て僕が泣いたと思っただろう。けれど僕は自分の不甲斐なさに泣いたのだ。もっとうまくやるべきだった。そうすれば妖子も守れたのに。常念を殺してでも愛を貫きたかった僕なのに。涙は止まらず、刑事は黙って病室を出ていった。僕はいつまでも泣いていた。
それから一月ほどして僕は解放された。取り調べもあったが、証拠不十分、不可解な事件として世間で騒がれたものの、いつかみんなに忘れ去られた。僕は東京の自宅にも妻のもとにも戻らなかった。離婚届を提出し一人になった。
季節は八月、京都は旧暦の盆である。ひとり花を手に月日荘に向かう。すでに取り壊されたと噂に聞いたけれど、あの場所にまだその建物はあった!緑に囲まれた土手のそば、懐かしいアパートメントが建っていた。蝉の激しい鳴き声のなかを僕は入り口に向かう。玄関には黄色い立ち入り禁止のテープが貼られていたが、それを破り中に入った。
「妖子さん!ようこさん!」
ひんやりした中庭の廊下に僕の声が響く。管理人室のドアは打ち付けられていた。ドアの前に花を手向け、しばし立ち止まる。真夏なのに空気が冷たい。ここだけ時間が止まり別世界なのだ。何度叫んでも返事はなかった。ただ僕の脳裏に囁きが聞こえた。
翔也さん、うちはずっとあなたと一緒にいますぇ。と。脳裏に目を閉じた美しい白い蛇の姿が浮かんだ。
そして突然、なにもしてないのに右手首がチクリと痛んだ。そこを見ると赤いアザが浮き上がっていた。まるで蛇の鱗模様のような鮮やかで美しいアザだった。左手の指でそれを撫でると、妖子が微笑んだような気がした。僕も微笑み、やがてゆっくりとその場を立ち去った。
アパートメントを出て振りかえると、そこにはもう建物の姿はなく更地になった草っ原が広がっていた。一瞬風がふいたがすぐに蝉時雨にかき消されていった。僕はしばらく呆然とその場に立ちすくんでいた。
終
半月ほどしてあの刑事がやって来た。常念の死体が見つかったのだ。僕は覚悟を決めた。ただ黙秘を貫こうとしていた。
「他の部屋からもいくつも白骨死体が見つかりましてね。驚かんで下さいよ。台所にはその骨を出汁にとった形跡がありましたわ」
それは、あの粥なんだ、と僕は気がついた。吐き気が襲ってきた。刑事は黙って僕を見ていた。
「あんたも出汁にされるとこやったんやな」
それは違う!と、僕は心で叫んだ。妖子を恨む気はまったくなかった。僕たちは愛し合っていた。僕はそう叫びたかった。
「それと建物をしらみつぶしに捜索しましてね。白い蛇が屋根裏で死んでましたわ」
僕は耳を疑った。まさか、まさか?妖子が死んだ?それは信じがたい事実だった。
「専門家に言わすとかなり年取った蛇のようですな。人でも喰って行き長らえてたんでっしゃろな」
僕は言葉もなく呆然としてた。そのあと、言いにくそうに彼は言った。
「それと、あんたの奥さんから預かってきましたんや」
胸ポケットから彼が出したのは離婚届だった。
「奥さんお気の毒でしたな」
僕は妻よりもミルカに申し訳ないと思った。僕のためにミルカは死んだのだ。妖子の秘密を暴こうとしたために。彼女をあのアパートメントに連れ込むべきではなかった。そして僕だけが生き残った。妖子も死んでしまったのか?
僕はいつの間にか涙をポロポロこぼしていた。この刑事はきっと離婚届を見て僕が泣いたと思っただろう。けれど僕は自分の不甲斐なさに泣いたのだ。もっとうまくやるべきだった。そうすれば妖子も守れたのに。常念を殺してでも愛を貫きたかった僕なのに。涙は止まらず、刑事は黙って病室を出ていった。僕はいつまでも泣いていた。
それから一月ほどして僕は解放された。取り調べもあったが、証拠不十分、不可解な事件として世間で騒がれたものの、いつかみんなに忘れ去られた。僕は東京の自宅にも妻のもとにも戻らなかった。離婚届を提出し一人になった。
季節は八月、京都は旧暦の盆である。ひとり花を手に月日荘に向かう。すでに取り壊されたと噂に聞いたけれど、あの場所にまだその建物はあった!緑に囲まれた土手のそば、懐かしいアパートメントが建っていた。蝉の激しい鳴き声のなかを僕は入り口に向かう。玄関には黄色い立ち入り禁止のテープが貼られていたが、それを破り中に入った。
「妖子さん!ようこさん!」
ひんやりした中庭の廊下に僕の声が響く。管理人室のドアは打ち付けられていた。ドアの前に花を手向け、しばし立ち止まる。真夏なのに空気が冷たい。ここだけ時間が止まり別世界なのだ。何度叫んでも返事はなかった。ただ僕の脳裏に囁きが聞こえた。
翔也さん、うちはずっとあなたと一緒にいますぇ。と。脳裏に目を閉じた美しい白い蛇の姿が浮かんだ。
そして突然、なにもしてないのに右手首がチクリと痛んだ。そこを見ると赤いアザが浮き上がっていた。まるで蛇の鱗模様のような鮮やかで美しいアザだった。左手の指でそれを撫でると、妖子が微笑んだような気がした。僕も微笑み、やがてゆっくりとその場を立ち去った。
アパートメントを出て振りかえると、そこにはもう建物の姿はなく更地になった草っ原が広がっていた。一瞬風がふいたがすぐに蝉時雨にかき消されていった。僕はしばらく呆然とその場に立ちすくんでいた。
終
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