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コミュ障で引き籠りで美少年

土地神と吸血鬼

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 愛美あいみ梨珠りじゅをラルフに送ってもらう為、送り出した真咲まさきは床に残っていた液体を指に取り鼻を近づけた。
 スンスンと鼻を鳴らし臭いを確認すると、事務所を出て雑居ビルの屋上に上がり、おもむろに白のダウンジャケットと濃紺のカシミヤセーターを脱いだ。
 引き締まった白い上半身が顕わになる。

「ううぅッ……この時期にやんのは、やっぱキツイぜ……」

 両腕を摩りそう呟いた真咲の上半身が見る間に黒い獣の毛に覆われ、背中に皮膜で出来た羽根が生える。

「行くか……」

 呟きと共に羽根を広げると、真咲は脱いだ服を抱え冬の夜空に羽ばたいた。
 臭いは街の西側、雪深い山脈が連なる土地へと続いている。
 余裕があればタクシーか公共交通機関を使いたい所だったが、拓海たくみさらった者の目的が分からない以上、のんびりしてはいられない。

 夜とはいえ奇怪な生き物が空を飛んでいれば見咎められる可能性はあるだろうが、保身に走り大切な友人を失う事よりは身バレして自分の居場所を失う方がまだマシだ。

 そう考えた真咲は焦りを感じつつ細く欠けた月の下、翼をはためかせた。


 ■◇■◇■◇■


 臭いを追って辿り着いた場所は、街の西、山中にある小さな池だった。
 池のほとりに降り立つと、真咲は変身を解き抱えていた服を再度身に着けた。

 たまにアニメや映画で服や鎧を着たまま翼を生やしている物を見たりするが、アレはいったいどうやっているのか……。
 コツがあるなら教えて欲しい。

 そんな事を考えつつ周囲の様子に視線を向ける。
 周囲には森が広がり、森の木々には雪が積もっていた。
 池はかつては信仰の対象だったらしく、朽ちかけた小さな社が一つ雪に埋もれて立っている。

「忘れられた土地神ってとこか……いるんだろう!? 出て来いよ!!」

 真咲の声が雪で音の消えた森に響き渡った。
 凍り付いた池の上を風が通り抜け、積もった雪を舞い上がらせる。
 淡い月明かりにその雪が輝きながら、再び氷の上に落ちた時、池の中央の氷がひび割れ巨大な白蛇が鎌首をもたげた。

『……何が騒いでいるのかと思えば、血にけがれた羽虫ではないか……今宵は気分がいい、見逃してやるから失せよ』
「そういう訳にはいかないねぇ。あんたが攫った奴は俺のダチなんだ。返してもらうぜ」
『血を吸わねば生きられぬ羽虫風情が土地を守護する神に逆らうのか?』

「神ぃ? 社を見る限り、あんたを神として崇めてる奴はもういないみたいだがなぁ?」
『うるさい!!! 妻をめとり力を取り戻せば、人は再び我の下に返ってくるわ!!!』

 白い大蛇は口を開け牙を剥きながら真咲に怒号を浴びせた。

「妻? ……あんた男だよな?」
『それが何だ!?』
「気付いてねぇのか? 拓海は男だぜ?」

『………………何?』
「いや、だから……顔だけ見りゃあいつは美少女だけど、正真正銘、男だぜ」
『ハッ、馬鹿な事を言うな! あれほど可憐で美しい男がこの世にいる筈が……本当に男なのか?』

 白蛇は真咲の言葉で動揺したのか、少し挙動をおかしくして最終的に小首をかしげ真咲に尋ねた。

「疑り深い奴だなぁ、ホントに男なんだって。俺、一緒に風呂に入って見た事あるし」
『……そんな……ようやく理想の相手を見つけ、伴侶はんりょしるしまで刻んだというのに……』
「ちゃんと確認しねぇからだ。分かったらさっさと拓海を返してくれ」
『……いや認めぬ……認めぬぞ!! 我はあの娘を娶り、まぐわう事で力を取り戻すのだ!!』

 大蛇は叫びを上げ、氷を砕きながら真咲ににじり寄った。

『……不都合な真実は貴様ごと飲み込んでくれる』
「はぁ……過ちを認めねぇで無理矢理捻じ曲げた所で結果は変わんねぇぜ」
『我は神ぞ!! 伴侶が男であるなら、ことわりを変え女人に変じてみせよう!!』

「……知ってるか? 自分の思い通りならねぇ事を、喚き散らしてどうにかしようって奴はなぁ……神じゃなくてガキって言うんだよ!!」
『ほざけ、羽虫が!!』
「グッ!?」

 大蛇は口を開け霧を吐き出し真咲に浴びせた。
 霧は周囲を覆い尽くし視界を遮るとともに包まれた真咲の体を溶かし焼いた。
 シュウシュウと音を立て身に着けていた服は溶け、焼かれた皮膚はただれてずるりと落ちた。

『フンッ、所詮は血吸いの下賤なあやかし、神である我の敵では無かったか……』

 そう言ってカカッと笑った大蛇はやがていぶかし気に笑うのを止めた。
 霧の中に光が浮かぶ、その赤い揺らめきは次第に大きさを増し、高く上がると一気に霧を吹き飛ばした。

「ったくよぉ、力を使うとすっげー腹が減るんだぞ」

 言葉を発した男の周囲はその熱によって雪が解け、その溶けた雪も一瞬で蒸発し渇いた大地が覗いていた。

『炎……』
「火傷したくなきゃ、拓海を返せ。今なら半殺しで許してやるからよぉ」

 全身から炎を吹き出しながら、真咲は白蛇ににじり寄った。
 踏み出した足が触れた地面は草が焼け焦げ黒く変わる。

『クッ、貴様が火を操るなら、それを上回る水で飲み込んでくれる!!』

 巨大な白蛇はその身をくねらせ薄明りの夜空を泳いだ。宙を泳ぎか細い月の下で制止すると、天を仰ぎ雲を呼ぶ。
 すると俄かに空はかき曇り、雷と共に冷たい雨を池の周囲に降り注がせた。

『グハハ、この雨は毒気を含んでおる! いつまで耐えられるか見ものだのう!!』
「はぁ……精一杯頑張ってこの程度か……信仰を失った神様ってのは哀れなもんだぜ」

 かつて、あの蛇神は山を潤しその恵みを麓の集落へ注いでいたのだろう。
 しかし時代が進みダムが作られ一帯の水問題が解決すると、人々の気持ちも離れていったのでは無いだろうか。
 そうやってすたれ消えていった土地神を真咲は何人も知っていた。

 真咲は悲し気にため息を吐くとその身を無数の蝙蝠へと変えた。
 炎纏った蝙蝠はキイキイと泣き声を上げ、空を泳ぐ大蛇に襲いかかる。

 蝙蝠にまとわりつかれた大蛇は鱗を焼かれながら暴れ藻掻いた。

『この羽虫がぁ!!』

 大蛇が苦し紛れに吐いた霧は炎で弾かれ、鎌首をもたげ繰り出した牙は容易く躱された。
 無数の蝙蝠はある者は炎で鱗を焼き、ある者は牙で鱗ごと肉を抉り取った。
 やがて大蛇の白かった鱗は黒く焼け焦げ、うねる全身から血を滴らせる。

『はぁ、はぁ……こんな……我はここまで……羽虫に後れを取る程、弱くなったというのか……』

 白い蛇が荒い息を吐きながらそう言うと、群がっていた蝙蝠は蛇から離れ一つになった。
 一つになった黒い塊は一瞬で皮膜の翼を持った人の姿にその身を変える。

「今のあんたじゃ俺には勝てねぇよ……拓海にはよ、惚れた相手がいるんだ……それが憧れか本物の恋かは俺には分からねぇが、ずっと人との関わりを拒んで来たあいつが、初めて自分から足を踏み出したんだ……帰してやってくれないか?」

『……やはり人は人と生きるべきだというのか? ……神と人が共に生きれる時代では無いと……』

「共に生きる云々の前に、お前は強引すぎだ……嫁さんが欲しいなら手ほどきしてやるから、俺を訪ねて来い」
『手ほどき?』
「おう! まずはナンパの仕方を教えてやるぜ!」

 そう言うと真咲は大蛇に向かい笑みを見せる。

『……お前は時代に迎合しているのだな……』
「まあな……あんたみたいな奴を俺は何人も見たよ。皆、昔は良かったって言いながら、人に忘れられて消えていった……あんたはどうする?」
『我は……』

 大蛇は自らの住処の池を見下ろし、森に目をやり山を見上げ、最後に遠く輝く人の街に視線を向けた。

『あんな明るい場所で暮らせるだろうか……』
「やる気があるならどこでだって生きていけるさ、神様には戻れなくても一匹のあやかしとして」
『妖か……人と触れ合えるなら、それも良いかもしれんな……』

 そう呟いた大蛇は大地に降りると、とぐろを巻いて人の姿に身を変えた。
 古風な狩衣かりぎぬを纏った黒く長い髪の青年がそこに現れる。
 真咲もその後を追って雪が解け、雨で濡れた土の上に足を下ろした。

 青年は無言のまま、池の中に足を踏み入れ水の中に姿を消した。
 そして程なく気を失っている様子の拓海を抱え、再び池の中から姿を見せる。
 青年も拓海も水から上がったというのに、その体は一切濡れた様子は無かった。

「……伴侶の印は消した……この者にはすまなかったと伝えてくれ」
「やだね。それはお前が自分で言いな……そうだ、あとお前が拓海を攫った時一緒にいた人、愛美さんにも謝れよな」
「…………それが人の街で暮らす掟か?」

「違う。知性をもってるもんのする、最低限のマナーだ……あと、服を弁償しろよな。あれ気に入ってたんだぜ」
「うっ……我はこの時代の人の銭は持っておらぬ」
「んじゃ、働いて返せ。安心しな、働き口は紹介してやるからよぉ」

 そう言ってニタリと笑った真咲に青年は顔を引きつらせため息を吐いた。

「はぁ……一体何なのだお前は……」
「俺は木村真咲、新城町の便利屋だ」

 そう言うと真咲はニカッと笑い歯を光らせた。
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