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子供になった英雄

九郎を探して

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九郎くろうさん、ただいまです!!」

 仕事を終え帰宅した未来みらいは、元気よく挨拶をして開いた自分の部屋の様子に違和感を覚えた。
 部屋は真っ暗で静まり返っていた。

「なんで照明が……?」

 彼女は首を捻りつつ、その暗闇の中、手探りで廊下の証明を点けた。
 廊下を進みリビングダイニングの扉を押し開ける。

「九郎さん、ただいま戻りました!! ……アレ? 寝てるのかな……?」

 部屋の照明を点け誰もいない事を確認した未来は、呟きつつ廊下に戻ると寝室のドアを開けた。
 カーテンが閉じられた真っ暗な部屋に廊下からの明かりが射す。
 入り口から見えたベッドは綺麗に整えられ、一目で誰も寝ていない事が分かる。

「まさか……逃亡!? えっ、なんでなんで!?」

 未来と義経が知り合って二日と少し、彼の事をよく知っている訳ではないが、歴史上の人物なのでその意味では知っているが、ともかく関係は良好に思えた。
 無論、関係性でいえば刑事と犯罪者、彼が逃げ出してもおかしくは無い。
 だが真咲から血をもらい力を蓄える意味では未来の下にいた方がいい筈だ。

 なんで、どうして、そんな言葉が頭の中をグルグルと回る中、未来は鞄からスマホを取り出す。
 ロックを外し、画面をタップして電話帳を表示させる。木船正太郎きふねしょうたろう、そう書かれた電話番号をタップしようとして未来は直前で手を止めた。

 正太郎に連絡すればすぐさま包囲網が張られ、恐らく義経を見つける事は出来るだろう。
 だがそうなれば彼は逮捕され尋問と聴取がすぐさま行われる。
 義経は吸血鬼でテロリストではあるが肉体は幼児だ。血を飲み少し力が戻ったとはいえまだ本調子とは言えない。
 未来は現状、義経を警察には渡したくなかった。

「……警察は駄目……後は……」

 未来はスマホを鞄にしまうとそのまま玄関を出て、先程降りたばかりの黄色い軽自動車に乗り込むとエンジンをスタートさせた。


 ■◇■◇■◇■


十郎じゅうろうがいなくなったぁ? でも未来ちゃん、何で俺に?」

 未来の言葉に真咲まさきはどゆことと首を捻りソファーに座った未来を見返した。
 彼の疑問も当然だろう。真咲にとっては義経、いや十郎は事件の被害者であり重要参考人という認識だ。
 いわば警察に保護されている人物である。いなくなる事の意味が分からないのだろう。

 それに仮にいなくなったとしても、警官である未来なら上司である正太郎に報告すれば済む話だ。

「えっと、あの、その、先輩には知られたくなくて……」
「……なるほど、正太郎に怒られたくないって訳か」

「あっ、はい! そっ、そうなんです!! この事が知られたら先輩、参考人の保護も満足に出来ないのか!? って激怒すると思うんです!!」

「まっ、確かに正太郎ならそう言うだろうね……んで、俺は十郎を探せばいいのかい?」
「お願いできますか!? もちろん依頼料はちゃんとお支払いします!!」

 必死な様子の未来を見て、真咲は苦笑しつつ首を振った。

「未来ちゃんから金を貰おうとは思わねぇよ。今回の依頼料は十郎にキッチリ請求させていただきます」
「えっ? なんでく、十郎さんに?」
「女の子をこんなに心配させてんだ。金ぐらい払って当然だぜ」
「……ありがとうございます。木村さん」
「もうっ、そこは真咲さんって呼んでよぉ」

 そう言って肩を竦めた真咲を見て、焦りと不安で一杯だった未来の顔はほんの少し笑顔になった。


 ■◇■◇■◇■


 新城町の裏通り、ホスト風の整った顔の男が茶髪のギャルっぽい女を平手で殴った。
 指輪を嵌めた手で殴られた事で口内を切ったのだろう。女の口の端から一筋、鮮血が流れる。

「ごちゃごちゃうるせぇんだよ! さっさと金よこせよ!」
「ふざけないでよ!! 働きもしないでお金ばかりせびって!!」
「そうかよ! じゃあもうお前とは終わりだな!」
「えっ、ちょっ、ちょっと待ってよ!」

 男が別れを口にしたとたん女は態度を急変させた。
 いそいそと鞄から財布を取り出し、男の手に札を握らせる。

「ほっ、ほら、これでいいでしょ」
「チッ、二万かよ。やっぱお前とは終わりだな。この金は手切れ金として貰っとくぜ」

 そう言うと男は金を持った手をジャンパーのポケットに突っ込み、女に背を向けた。

「そっ、そんな、ねぇ待ってよ!」
「あばよ、佳苗かなえ

 追いすがる女を払いのけ、男はニヤついた笑みを浮かべ女の下を立ち去ろうとした。
 その男の足が不意に止まる。

「あん?」
「どんなに時代が移り変わっても、貴様の様なクズは一定数いるものだな」
「あ? ガキがナマ言ってるとぶっ殺すぞ!」

 男は目の前に立った少年に向けてドスの効いた声を浴びせた。
 だがまだ小学校にも通っていないだろうその少年は、眉一つ動かさず右手の指をパチンと鳴らした。

「うおっ!? 何だ!?」

 裏路地に突然暴風が舞い、男の体がふわりと宙に浮く。風は男を四メートル程の高さまで持ち上げると唐突に消えた。

「えっ、えっ!? グハッ!!!」

 支えを失った男は手足をばたつかせ、うつ伏せのまま四メートルの高さから地面に叩きつけられた。

「……グッ…………」

 うめき声を上げる男に少年は歩み寄ると爪の先で首筋を傷付け、流れ出た血に唇を寄せる。
 首から口を放した少年は、顔を顰め口に含んだ血をゴクリと飲み込んだ。

「クッ、やはり男、それもクズの血は不味いな」

 少年はそう呟いた後、男のこめかみを指で弾く。

「グガガッ!?」

 軽く弾いた様にしか見えなかったが、男は苦痛の声を漏らしクルリと白目を剥いた。

「なっ、何!? いったい何なの!?」
「……娘、見た目に惑わされるな。この男は確かに整った顔立ちをしているが、心根は畜生にも劣る」
「なっ、なんで見ず知らずの子供にそんな事言われなきゃなんないのよ!」

 少年は男のポケットから先程の二万円を取ると、佳苗と呼ばれた女に歩み寄り金を差し出した。

「…………あっ、ありがと」

 佳苗は金を差し出された事で意識が男からそちらに向いたのか、少年にぎこちなく礼を言った。
 そんな佳苗に少年は微笑むと男に張られた彼女の頬を優しく撫で、そのままグロスで光る唇の端から流れ出た血を親指で拭いペロリと舐めた。

「あの男の事は忘れろ。お前ならもっと優しくいい男を見つける事がきっと出来る」
「そ、そうかな?」
「ああ」

 少年はニコリと笑って茶髪の頭を撫でその場を立ち去った。
 茫然と少年を追った女の視界の先、彼の姿は暗い路地に翳む様に消えた。


 ■◇■◇■◇■


「んで、綺麗な顔した子供が現れて風が吹いて男が浮いて落ちたと?」
「うん。そのあとお金も取り返してくれて、頭を撫でられて……あーし、ようやくあいつと別れる決心がついたんだ」

 そう言うと頬を腫らした女はニコッと笑い、直後にいててと苦笑を浮かべた。
 頭を撫でられたと聞いた未来は一瞬顔を強張らせたが、すぐに表情を改め口を開く。

「く、十郎さんに違いありません。その子はどっちへ行きました?」
「えーと、この先の路地を歩いてったけど……何? あの子、アンタの息子?」
「違います! 違いますけど……大事な人です……」

 大事な人と言った未来は唇を突き出し顔を真っ赤にしていた。
 そんな未来を見た佳苗はニヤリと笑う。

「ふーん、大事な人ねぇ……まぁ、いいや。見つかったらお礼言っといてよ。あんがとって」
「……分かりました」

 未来から依頼を受けた真咲は一度彼女の家に戻り、義経が飲んだ血のパックから匂いを追って新城町へと戻って来ていた。
 その後、彼は知り合いから義経の目撃情報を募り、その情報を元に不思議な少年と会ったというギャル風の女性、佳苗の下へ辿り着いたのだ。

「とにかく、話聞かせてくれてありがとな」
「いいよ別に……そうだ! あんた確かこの街じゃわりと有名な便利屋だよね!?」
「まぁ、そこそこ名前は知られてるな」

「じゃあさ、じゃあさ、知り合いも多いよね!?」
「そりゃあ、まぁ……」
「んじゃ、いい男がいたら紹介してよ! あっ、先に言っとくけどアンタはNGだから」

 そう言って胸の前でバツ印を出した佳苗に真咲は顔を顰める。

「なっ、なんでだよ!?」
「だってあんた遊び人なんだよね? あーしでも知ってるよ、遊び人の便利屋のう・わ・さ」
「……」

「あの子に会ってあーし決めたんだ。次は顔じゃなくて心で選ぼうって」
「俺は心だって磨いてんだが……はぁ……佳苗だっけ、んじゃ連絡先を教えろ。いい奴がいたら紹介してやる」
「よろしくー!!」

 妙にスッキリした顔で佳苗は満面の笑みを浮かべ、直後にいててと顔を歪めた。

 連絡先を交換し佳苗と別れた真咲は未来と共に彼女が話した路地へと向かった。
 路地に辿り着いた真咲は鼻を鳴らし匂いを確認する。

「確かにここにいたみてぇだな」
「急ぎましょう! 女性を助ける為とはいえ、これ以上く、十郎さんに犯罪を犯して欲しくはありません!」
「ふぅ……未来ちゃん、なんかイライラしてない?」

「してません! してませんとも! 別にあの人がく、十郎さんに撫でられたからって関係ないですから!」
「……そんなに十郎が佳苗ちゃんを撫でたのが嫌だったんだ……もしかして未来ちゃんってショタコン?」
「ショタコン!? ちっ、違います!! なっ、何で私がショタコンなんですか!?」

 未来の剣幕に圧され真咲はたじろぎつつもそれに答える。

「だって……十郎の事に対する反応が一々恋する女の子だからさ……」
「恋ッ!? そ、そんな事は……恋なんてそんな…………私……」

 未来は勢い良く話し出したもののその声は段々と弱まり、最後は頬を染め、その桃色の頬っぺたに両手を当てた。

「恋……なんでしょうか、これは……?」
「見るからにそうだけど……まっ、いいんじゃない。あいつ見た目は子供だけど中身は大人だし」
「でも、警察官としてこれは明らかに問題です!」
「なんで? あいつ、血を普通の吸血鬼より一杯飲んでるから、多分人間より早く大きくなる筈だし……それに参考人なんでしょ?」
「そっ、それは……」

「いつまでくだらない話をしている?」

「十郎……お前……」
「九郎さん……まさか……」

 路地の先から現れたのは四、五歳程の服の胸元を真っ赤に染めた黒髪の美しい少年だった。
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