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ヤクザ稼業と落とし前

駄女神とその眷属

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 山の神である女は尾毘芭那比売おびはなひめと名乗り真咲まさきに肉を焼かせ、酒と共に喰らった。
 彼女はいたく慎一郎しんいちろうを気に入ったようで、自ら燗にした酒を慎一郎のコップに注いでやっている。
 やがてしたたかに酔っぱらったオビハナは笑いながら遠吠えを上げた。

 アオーンとその声は雪深い山に木霊した。

「慎一郎ぉ……今、呼んだのじゃぁ……ククッ、お主も……きっとぉ……気に入るぞぉ……ぶふぅ……」

 慎一郎に顔を寄せたオビハナは酒臭い息を吐きながらニヤニヤと笑う。

「呼んだって何を……?」
「決まっておろう! お主の嫁じゃよ、嫁ぇ……」

 オビハナは据わった目を慎一郎に向けながらニヒヒッと笑う。
 かなり出来上がっているようだ。

「鬼ぃ!! 雪枝ゆきえだの為に肉を焼けぃ!!」
「クソッ、酒癖の悪ぃ神様だぜ……」
「何じゃとぉ……妾のぉ……どこが……ヒックッ……酒癖がぁ……悪い?」
「……自覚がねぇのか……」

 顔をひくつかせた真咲に、慎一郎が歩み寄り耳元で囁く。

「おい、酒に水を混ぜろ、この手の輩には水も酒も変わらん」
「分かった」
「慎一郎ぉ!! 何を鬼とぉ、コソコソ話しておるぅ!! お主は妾のぉ、ヒックッ、相手をせぬかぁ!!」
「おっ、おう! 真咲、頼むぞ」
「あ、ああ」

 持ち込んだ酒は真咲が運んだ一升瓶と、慎一郎が暖を取る為持ち込んだウイスキーだけ。
 その一升瓶にはもう殆ど酒は残っていない。消費された酒の殆どはオビハナの腹に消えていた。
 真咲はオビハナから隠しながら、その空になりかけの一升瓶に炎を使って溶かした雪を流し込む。

 バレないかとヒヤヒヤしながら燗にして、ちろりからオビハナのコップに真咲は酒を注いだ。

「ふむ……」

 グビリッと湯気の立つほぼ水の酒を口に含んだオビハナは、満足そうな笑みを浮かべる。

「先程とは違う酒かぁ? 実に飲み口がよいぃ!!」
「あ? ああ、そうなんだよ! そいつは純米酒でスッキリさわやかな奴だぜ!」
「純米酒……なるほど、なるほどぉ……慎一郎、貴様も飲めぇ! 飲みやすくて旨いぞぉ!」

「……いただこう」
「うむ、鬼ぃ、慎一郎にも酒を!!」
「はいはい」

 日本の神や妖怪は酒好きが多い。だが八岐大蛇やまたのおろち酒呑童子しゅてんどうじの例もあるように飲み過ぎれば失敗する事もある。
 そんな事を思い出しながら、真咲は苦笑を浮かべる慎一郎のコップに酒の入った白湯をそそいでやった。

「……確かに……飲みやすいな」
「であろ?」

 ニヒヒッとオビハナが笑った時、「姫様!!」と若い娘の声が響いた。
 視線を向ければ白い狼の背に乗ったオビハナに似た容姿の若い女が、酔っぱらった彼女を睨んでいる。

「あなた達……姫様を酔わせて何をする気ですか!?」
「酔わせてって……こいつが酒を寄越せっていうからよぉ」

 女は狼の背から降りると、右足を引きずりながら雪を踏みしめオビハナに歩み寄った。
 風で大陸風の衣が揺れ、それにより彼女が隻腕である事に真咲達も気付いた。

「なぜ、かような者達の歓待を受けたのです?」
「んあ? 雪枝ぁ、お主はこの慎一郎に輿入れせよぉ! そして一生面倒を見てもらうのじゃぁ!」
「輿入れ? 面倒?」

 雪枝と呼ばれた女はオビハナが指差した男、小島慎一郎に金の瞳を向けた。
 女のその小ぶりで形のよい鼻がスンッと小さく一つ鳴る。

「……この者は人間ではないですか……それに僅かですが私を撃った者の残り香がします……何故その様な者に?」
「何故ぇ? 妾はこの慎一郎を気に入ったのじゃぁ! お主もきっとぉ、気に入る筈じゃぁ!」

「まったく……お話になりませんね……人間……慎一郎でしたね、それとそこの鬼の方、姫様がどのような事を申されたか分かりませんが、私に関する事は聞く必要はございません」

「そうか……では他の条件を果たすとしよう……そこの神様からは斗馬とうま、あんたを撃った男を連れて来る事、それと肉と酒をアンタ達が満足するだけ持って来いと言われた……どれ程あればいい?」

 尋ねた慎一郎に雪枝は残った右手の人差し指を顎に当てながら首を捻る。

「そうですね……肉は牛が二頭もあれば姫様も満足するでしょう……お酒は余り飲ませたくないので三樽程ご用意いただけますか?」
「何じゃとぉ!? 三樽で足りるかぁ!! 十樽は持って来いぃ……雪枝ぁ! ……慎一郎はぁ、よい男じゃぞぉ……」
「姫様、飲み過ぎです……大して強くもないのに……それに、それ程気に入ったのならご自分の婿にすればよいのです」

「んんん? それもそうじゃのぉ……慎一郎、妾と夫婦めおとにぃ……ふぃぃ……なるかぁ?」
「オビハナさんよぉ、俺はただの人間でしかもヤクザだぜ。神様の旦那は荷が重すぎる」
「なんじゃぁ、つまらん! ふぅ……鬼ぃ! 酒ぇ!!」

 オビハナは真っ赤な顔で真咲にグイッとコップを突き出した。

「もう止めた方がいいぜ」
「そんな事いわずにぃ……鬼ぃ……酒を……もう一杯だけじゃぁ……たのん、たの……」

 トロンとした目で真咲を見たオビハナだったが、その目が重力に引かれる様に閉じられ椅子にもたれたままスース―と寝息を立て始めた。

「寝た?」
「はぁ……姫様はお酒を飲むといつもこうなのです……今日は特にはしゃいでおられた……よっぽど慎一郎を気に入ったのでしょう」

 真咲が気持ちよさそうに眠るオビハナの顔を覗き込み呟くと、雪枝は深いため息を吐いて首を振りつつそう話した。

「そうか……所でオヤッさん……アンタを銃で撃った男の父親は本当に生きているのか?」
「ええ、あの方の連れていた犬がお願いだから止めてくれと頼むものですから……」
「犬が……オヤッさん、ジャックを可愛がっていたからなぁ……」
「確かに、あの犬もよく懐いているようでした、彼の傍から離れようとしませんから……どうしてあの様に慕われる者の息子があんな事を……」

 雪枝は失った左腕の二の腕を右手で触りながら呟いた。

「なぁ、雪枝ちゃんだっけ? 何があったのか教えてくれないか?」
「……あなたは鬼でありながらなぜ人に協力を?」
「こいつはダチだからよぉ」
「ダチ……血吸いの鬼が人と友人とは…………まぁ、いいでしょう……あれは年が明けた頃の事で御座いました……」

 その日、雪枝は仲間と共に鹿の群れを追っていた。
 その際、鹿を追う事に夢中になり深追いをした彼女は、麓近くまで気が付けば降りてしまっていた。
 気が付いた時、引き返せばよかったのだが、つい欲の出た彼女は群れからはぐれた鹿を追ってしまった。

 それが間違いだったと気付いたのは、伸ばした前足が弾け飛んだ時だ。
 雪の上を転がり血を散らせた雪枝に、風下から近づいた銃を持った男は楽しくて仕方が無いといった表情を見せた。

「まさか日本にこんな奴がいるとはねぇ……チッ、足がねぇんじゃあコレクションに出来ねぇじゃねぇか」

 雪枝の左前脚が欠けている事に気付いた男は苛立ちと共に再度銃を構えた。
 引き金が引き絞られる前に、雪枝は雪の上を残った三本の足で跳ねる様に飛んだ。その飛んだ足跡を散弾が撃ち雪を弾かせる。

「まだ動くか!? 逃がすかよ!! てめぇは俺の家の敷物にしてやるぜぇ!!」

 彼女は神の眷属ではあったが年若く、まだ通力はそれ程使えない。
 傷ついた今の彼女に出来る事といえば、幻を見せ男から逃げる事だけだ。

「クソッ!? なんだよいきなり霧が!? ふざけんな、いい所でよぉ!!」

 男は手にした散弾銃を当てずっぽうで乱射した。その散弾の一部が雪枝の右の後ろ脚を運悪く捉える。
 ギャンッと鳴いた声を聞き男は喜びの声を上げていた。

「へへッ、さすがフルオートショットガンだ。適当でも当たるぜぇ……」

 作り出した霧の中、ガチャガチャと銃を操作する音に恐怖を感じながら、それでも足を引きずりその場から逃げ出し、雪枝は何とか彼女を探していた仲間と合流する事が出来た。
 その後、社に戻った彼女は傷の手当を受け、三日三晩高熱と悪夢にうなされながらも何とか一命を取り留めた。

「フルオートショットガン……」

 話を聞いた慎一郎の顔から血の気が引いていた。

「……あの男は明らかに鹿では無く私を狙っていた……ですがこの結果を招いたのは鹿に夢中になった私の落ち度……姫様は怒り狂っておりましたが、私は姫様程、怒りは感じておりません……ただ、この体では満足に姫様のお世話が出来ないのが心苦しゅうございます……」

 そう語る雪枝の顔は哀しく沈んでいた。

「……真咲、お前の力でこの娘の傷を癒せないか?」
「すまねぇがそれは出来ねぇ……この娘は、雪枝ちゃんは神の眷属だ。俺の力は闇の力……相性が悪すぎるぜ」

「クッ、そうか……なぁ、夫婦云々は置いておいて俺にアンタの世話をやらせてもらえねぇか?」
「何故です? その話はもう終わった筈……」

「その男……斗馬が使っていた銃は俺が管理していたもんだ……いつの間にか消えていて……探してはいたんだが……アンタの怪我の責任は俺にある……すまねぇ」

 頭を下げた慎一郎を見て、雪枝は戸惑いながらもそれに答える。

「あなたがあの鉄砲を……だとしても鉄砲を使ったのはあの男で、男に気付かずあの場に飛び込んだのは私です、あなたに責は……」

 頑なな雪枝に慎一郎は立ち上がると更に深く頭を下げた。

「頼む! このままじゃ俺は一生引き摺っちまう! 助けると思って責任を取らせちゃもらえねぇか!?」
「ですから何度も言っている様にあなたの所為では……」
「世話になれよ、雪枝ちゃん。こいつ、一度言いだしたら聞かねぇぜ」
「んあぁ、そうじゃぞ雪枝ぁ……そやつは頑固で……義理堅い……にゃむ……なんじゃったかいのぉ?」
「駄目な女神様だぜ……まぁ、神様がこう言ってんだ。お試しで世話になってみろよ」

 再び眠り始めたオビハナを見てふぅーとため息を付いた雪枝は口を開く。

「……私を撃った男を連れて来ると言いましたね?」
「ああ」
「ではそれに私も同行いたします。姫様の言う様にあなたが義理堅く信用に足る人間と分かれば、提案を考慮してみましょう」
「本当か!? 恩に着る!!」
「こっ、考慮するだけです! 受け入れるとはまだ言っていません!」

 雪枝の残った右手を握り再び頭を下げた慎一郎に、彼女は顔を赤らめながら声を上げた。
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