TEAM【完結】

Lucas

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第93話

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「あ、カラスくん」
 すると、そこへサギのお父さんがやってきた。ニコニコ笑いながら、おれの肩にかけてあったタオルを取る。
「どうしたんだい? 湯冷めしちゃうよ」
 おれの髪を拭きながら、そう聞いてくるサギのお父さん。どう説明すれば……だって、要はジェイが怖くて部屋に入れないだけだ。
「えっと」
「……そうだ! カラスくん、ちょっと来てごらん」
 サギのお父さんに手を引かれ、おれは二階へと上がる。サギの部屋を通り過ぎ、さらに奥にある部屋へ。
「さ、入って」
「あの、ここってもしかして」
「うん。『息子』の部屋だよ」
 肩を押されゆっくりと部屋へ入る。そして、電気がつけられた。
「わあ……」
 青空の壁紙、至るところにある鳥の模型。天井からいくつも吊るされているそれは、本当に空を飛んでいるようだった。本棚にはぎっしりと鳥に関する本が並べられていて、机の周りにはポスターが貼られている。
「息子はね、鳥が大好きだったんだ。知ってる? 『サギ』って名前もスズメがつけたんだよ」
「あ、はい。サギから聞きました。本当に好きだったんですね」
「うん。とても綺麗な鳥だったからって言ってたよ」
 部屋の奥に進み、サギのお父さんはベッドに座った。
「良かったらここ使って」
「え? で、でも……」
「この通りまだ片づけられなくてさ。それなら、たまには使ってあげた方がいいから」
 自分の隣をポンポンと叩いておれを呼ぶ。それでも動かないおれを見て、こっちへ来ると手を引いてベッドに座らせた。
「君なら大歓迎だよ」
「どうしてですか?」
「娘を見ていれば分かるよ。まあ、ちょっと寂しいけど……」
「……ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
 サギのお父さんが、優しく笑う。その声も優しくて、大人の安心感に、自分のお父さんのこと思い出す。
「だって、おれ、迷惑かけてますよね? 本当なら、D地区にだって戻っちゃダメだったのに」
「迷惑だなんて、そんなこと全然ないよ」
 サギのお父さんがおれの頭を撫でる。その手の大きさに、泣きそうになった。今度はお父さんよりも、兄ちゃんを思い出してしまったから。
「だけど……」
「『自分の家』に帰ることは、悪いことじゃないんだよ」
 ダメだ。涙を止められない。
「カラスくん。息子はね、よくそういう風に泣いてたよ」
 熱い目を擦って、サギのお父さんの顔を見上げる。
「優しい気持ちで泣いてた」
「優しい気持ち……?」
「人の優しさに触れて、涙を流せる子だった。感受性が豊かというのかな?」
 サギのお父さんは、またタオルを持ち上げておれの髪を拭き始める。
「好意を無駄にしない。そんな子だった。だから、こうやって甘やかしたくなっちゃうんだよね」 
 そう言って、嬉しそうに髪を拭いてくれるものだから、おれはされるがままになっている。一通り拭き終わったお父さんは、満足そうにタオルを畳んだ。
「うん、これで大丈夫」
「ありがとうございます……」
「どういたしまして。まあ、鳥だらけで落ち着かないかも知れないけど、噛みついたりしないから安心してね」
 そんな冗談に笑うおれを見て、サギのお父さんはさらに嬉しそうな顔をした。サギのお母さんと同じ暖かさがある人だった。
「サギのお父さんも鳥が好きなんですか?」
「うん?」
「お兄さんの名前も鳥だから」
「ああ、あれね。あれはお母さんがつけたんだよ。でも、鳥からつけたんじゃないんだ」
「そうなんですか?」
「うん。『蜂』だよ。『スズメバチ』」
 『蜂』という言葉に、おれは固まる。
「変わってるよね? お母さん、昆虫好きでね。強い虫の名前がつけたかったんだって。男の子だから強く育ってほしいって」
 サギのお父さんは本棚に近づくと、一冊の本を手に取った。
「あったあった。昆虫図鑑。一冊だけ買ってあげたんだ。息子が見てみたいっていうから」
 懐かしそうにパラパラとページをめくる。
「でもね、写真を見て怖がって泣き出しちゃってさ、可愛かったなぁ」
「……そう、ですか」
「そういえば、君達の制服もミツバチみたいで可愛いよね」
「…………」
 『黄色』と『黒』。その服を見る度に、怯えていた。『蜂』に怯えるように。
「さ、そろそろベッドに入って。本当に風邪引いちゃうよ」
「はい……おやすみなさい」
「おやすみ」
 サギのお父さんが部屋を出る。電気が消え、真っ暗になった部屋で、おれはもう一度起き上がる。そして、手を伸ばした。机の上にあるスタンドライトをつける。
『スズメバチ』。
「……あった」
 手繰り寄せた昆虫図鑑をパラパラとめくると、すぐにそのページが開かれた。怖い顔をしたスズメバチの写真。たしかに、子どもは怖がって泣いちゃうかも。
「働き蜂と、女王蜂。そんなのがいるんだ……」
 女王蜂を、巣を守る為に戦うスズメバチ。その為なら、戦いを怖れない。遺伝子にそう組み込まれている。子ども向けの図鑑には、あまり詳しいことまでは書かれていない。だけど、おれは食い入るようにその本を読んでいた。おれの中で、何かが繋がりそうだった。
 でも、どこかで繋がることを拒んでいる。それは、今日ずっと不安に感じてたことだ。『おれの記憶』。おれはきっと、ロビン達が戻ってこなくても、結局兄ちゃんから話を聞かなかったと思う。だって、ヒバリのいう通りだから。D地区の人間は所詮何もできない。それなのに、おれはわざわざ記憶を操作された。反抗を恐れていたなら、消すべき記憶が間違っている気がする。
 あの日、おれは自分の足で学校に向かっていた。『C地区』を通って。つまり、『操作』されたのはまだ『D地区』にいる時だ。意識がない間に直接学校へ連れて行った方がてっとり早いのに。
 それに、兄ちゃんとおれしか知らないはずの『カラス』という名前を、学校は知っていた。兄ちゃんと学校側は一度接触している。学校に連れて行く旨を説明されただけなら、おれの『名前』を教える必要はない。『番号』で管理されていたD地区。『番号』以外の呼び名は禁止されていたはず。
 それから、この『蜂』の情報。
 意外なものから結びついてしまったことに、おれは焦る。動悸がして、軽く目眩までした。
「あ……そうだ。飴玉食べてから寝なきゃ……」
 おれは鞄から飴玉を取り出す。甘い匂いに引き寄せられる。蜜に引き寄せられる蜂みたいに。飴玉を口に入れると、不安が吹き飛んだ。考えごともどうでもよくなってしまう。考えなきゃいけないことは、いっぱいあるのに。


「おはよ……」
 フラフラと歩くおれに合わせて、腰のプチカラスもゆらゆら揺れる。
「カラスおせー。もうみんな朝ごはん食べたぞ」
 すでにご飯を食べ終わったサギが、さっそくいつもの飴を口に入れながらそういった。
「うん」
 テーブルにはサンドイッチが置かれている。これは多分、ティトのことを考えてこのメニューにしてくれたんだろうな。
「おはよう、カラス」
「おはよう、ティト。えっと、ヒバリとジェイは?」
「もう学校行ったぞ。ほら、さっさと食えって。あたし達も昼までには戻らねーと怒られる」
 サギに背中を押され、おれは椅子に座った。向かい側に座ってお茶を飲んでいるティトの目は、赤く腫れていた。
「ティト……あの、昨日さ」
 冷蔵庫を開けて、何やら探しているサギに聞こえないように、小声で話しかける。ティトは視線だけ上げた。
「その、大丈夫だった?」
「何が?」
 冷めた声に、聞くことをためらう。そこへサギが戻ってきた。もう飴は食べ終わったのか、手にはアイスが握られている。
「どした? お母さんのサンドイッチうまいぞ」
「あ、そういえばサギのお母さん達は?」
「お母さんは洗濯。お父さんは芝刈り」
「そっか」
「ツッコミはー?」
 おれもティトも笑わないから、サギは不満そうに口を尖らせる。
「たっだいまー。洗濯してたけど桃拾えなかったわー」
 そんな空気の中へ、サギのお母さんの明るい声が飛び込んできた。
「聞いてんなし」
「いや、うちの娘が何か寒いギャグいってるなーと思って。カラスくん、おはよーん。よく寝てたねー」
「あ、おはようございます。すみません……」
「寝る子は育つ!」
 サギのお母さんはそういってキッチンへと入って行く。
「ただいまー。いい天気だから洗車してきたよー」
 続いて、サギのお父さんが入ってきた。
「芝刈り拾えし!」
「え?」
 サギのお父さんは聞いていなかったみたいで首を傾げる。
「あ! カラスくん、おはよう! ゆっくり眠れた?」
「あ、はい。おはようございます……」
 サギのお父さんはこっちへ近づいてきて、テーブルを覗きこむ。
「あれ? 食べないの? お母さんの料理は絶品だよ」
 手つかずのお皿を見て、不思議そうな顔をするお父さんとサギ。
「えっと……せっかく作って貰ったのにごめんなさい……ちょっと、食欲がなくて」
 サギのお母さんには悪いと思ったけど、どうしても食べられる気がしなかった。何故だろう。朝起きた時から頭が重い。
「うん? 具合でも悪いの?」
 サギのお父さんはおれの額に手を当てる。
「あ、熱っぽい。風邪かな? ちょっと待っててね」
 キッチンへ走って行くお父さんを見送ると、ティトとサギがすぐにテーブルに身を乗り出す。
「おい、大丈夫か?」
「それ、もしかしてまだ……」
 二人は眉をひそめる。飴玉解禁になってから数日。もう高熱に悩まされることもなくなっていたのに。
 理由は分からないけど、でも風邪だとも思えなかったからおれは小さく頷く。
「長引くな。やっぱ一週間分はきつかったか」
 アイスの棒がサギの手から離れ、フワフワと飛んでゴミ箱に入った。
「大丈夫?」
「…………」
 大丈夫だよと答えたかったけど、もうすでに症状は始まっていた。ぐるぐる回る視界に耐えきれず、目を瞑って額を押さえる。
「お父さん、車出して。カラス気分悪そうだからさー、学校まで送って欲しいんだけど」
 サギがそう声をかけると、キッチンの方から足音が二つ聞こえた。
「カラスくん、大丈夫? 一応風邪薬出してきたんだけど」
「水は飲めるかい?」
 おれは下を向いたまま首を振った。どちらかの手が、またおれに触れる。
「お父さん、これ学校じゃなくて病院の方がいいよ」
「うん、そうだね」
「お父さん、学校に保健室あるからそっちに……」
「保健室でどうこうできる状態じゃないっての。学校には連絡しておいてあげるから、病院行きなさい病院!」
 サギの言葉を遮るお母さん。『病院』って……でも、今サギが止めようとしてたってことは、行ったらまずいんじゃないかな。そもそも、どこの病院だろう。B地区? A地区? どちらにせよ『飴中毒』の症状が出てるって知られたら、また飴玉禁止になってしまう。
「おれなら大丈夫です。だから」
「病院へゴー!」
 気がついたら車は走り出していた。車に揺られている間、おれは誰かの肩にもたれかかっていた。サギとティト、どっちだったんだろう。もう確かめる力も残ってなかったおれは、病院に着く前に意識を失った。
 どうしてまた急に……いや、『急』でもないのか。最初から、中毒のようなものだったじゃないか。おれは。
 長い時間眠っていた気がする。担任の声が聞こえた気がしたけど、もしかしたら、夢の中だったかも知れない。
 早く学校に戻りたい。
 ロビンと仲直りしないと。
 ティトとも話をしなければ。
「……どうしますか? やはり、拒絶反応が出ているようですが」
 これ、誰の声だろう。お医者さんかな。
「そのようですね。ですが、こういった例は稀なので、もう少し様子を見てから……。『処分』にはまだ早いと思います」
 『処分』。そのワードに、背筋が凍った。誰が話しているのか確認したくても、体は動かないし目すら開けられない。おそらく半覚醒状態なんだと思う。どこかに横になっているのだけは分かった。
「ですが、視野には入れて考えておいた方がいいですよ。『暴走』してからでは厄介ですし」
「この子の場合も『暴走』する可能性があるんですか? だってこの子は」
「『魔法使いの血』が流れている以上、可能性はゼロではありません」
 魔法使いの血? どういうことだ? それに、片方は『担任』の声だ。
「万が一暗示が解けるようなことがあれば面倒ですしね」
 暗示。記憶のことか。やっぱり何かおれに思い出されると困ることがあるんだな。
「今のところ、そのような兆しはないので大丈夫だと思いますが……」
 担任はためらいがちにいった。以前、おれはこの人の前で家に帰りたいといって泣いたことがある。もしかしたら、記憶を取り戻しかけていることに気づいているのかも知れない。
「ならいいんですが」
「とにかく、もう少し様子を見させて下さい」
「まったく、生まれる前に分かっていればその時から『管理』出来ていたのに」
「発覚したのは、本当に偶然としかいいようがありませんでしたからね」 
「まさか、『飴玉』を拾われるなんて思いませんでしたね」
 指先が、わずかに動いた。
「とにかく、『魔力』を持ったまま『D地区』に戻られるのが一番問題です。万が一、少しでも暗示が解ける傾向が見られれば」
 担任じゃない方の声、知らない男の人の声がそういった。
「分かっています。ですが『ハーフ』自体が貴重なんです。管理しておく価値は十分にあります」
「……まあ、後は学校側の判断に任せますよ。もし暗示が解けた後に、『どちら』に敵意を向けるかまではこちらでは分かりかねます。ですから」
「その場合は……やむを得ないと思っています。では、私は一度学校に戻ります」
 足音が部屋を出ていく。一気に交わされた会話に、頭が混乱した。そして『記憶』の波が、押し寄せてくる。
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