TEAM【完結】

Lucas

文字の大きさ
上 下
142 / 181

第141話

しおりを挟む
「うわぁっ!」
 階段を二、三段ずり落ちるおれ。咄嗟に手すりを掴んだので、一番下までは落ちずに済んだ。と言っても、先はまだまだ長く一番下が見えない。
「だっせー」
 そんなおれを見て、サギが指をさして笑う。
「だって、ここ薄暗いし……」
「でも、あたしは平気だし」
「はいはい、おれはどうせどんくさいですよー」
 そう言うと、サギは何故か嬉しそうにニヤニヤ笑う。
 ここは、B地区の病院。の、地下からさらに降りている最中。地下一階で監視している人さえパスできれば、あとは誰もいない。監視はおれに気づかず、サギの「こいつ付き添いー、あたしの彼氏ー。あたし暗いの怖いからー」なんて軽口で通れてしまった。
 その監視が見張る扉から伸びるこの階段。その先、地下二階にD地区の人達がいるらしい。兄ちゃんもそこにいるらしいけど……こんな所でちゃんとした治療をして貰えてるのかな。冷たいコンクリートの壁は、病院というよりも。
「牢獄だな、まるで」
 サギが先回りしてそう言った。
「コマちゃん達もここに?」
「さらに下。地下三階」
「…………」
「ほら、着いたぜ」
 ピョンっと五、六段目くらいからサギが飛び降りた。危ないよ、とはもう言わない。何故ならおれなんかさらに上から滑り落ちましたからね。さすがにすぐに気づいたサギさんが魔法で止めてくれました。
「あ、ありがと」
「カラスってマジで運動神経悪いよな」
「今は怪我してるからだよ。普段ならこんなことないし」
「だな。普段なら腰抜かしてるもんな。度胸だけはついたってことか」
 十一歳に全力で馬鹿にされてますが何も言い返せません。ていうか、普通に元気だな。さっきのは見間違いだったのかな。
 長く伸びた廊下を歩いていく。両側に、反省室のような扉が等間隔で並んでいた。小さな窓がついた扉だ。人の気配が洩れてくる。おれ達が来たことに気づいて息をひそめているのか、不気味なくらい静かだ。冷房が入っているわけでもないのに、空気がひんやりとしている。
「こっち」
 突き当たりの扉をサギが開ける。その先も同じように両側に扉が並ぶ廊下だったが、さっきより短い。左右に三つずつ扉があり、真正面の壁にもまた扉が。
「ここは治療も必要な奴専用だから個室になってるんだ」
「ここに兄ちゃんが?」
 扉には窓はない。こっちの声は聞こえてるのかな。
「ああ。なあ、カラス。さっきさ、何で土下座までしたんだよ?」
「え?」
「あんなことまでしなくても、みんなはちゃんと協力してくれてたぞ」
「分かってる。でも、だからといって甘えちゃいけないと思ったんだ」
「甘えちゃいけないって?」
 サギが首を傾げると、頭のてっぺんで結ばれた髪がピョコンと揺れる。
「みんなが優しすぎるから」
「それお前が頭下げる理由になってねーんだよ。優しいとかじゃなく、みんな自分の意志で協力するつもりだったよ」
「それでも、頭を下げる理由はあるんだよ。だって、そもそもおれが兄ちゃんに……」
「お前、あの兄ちゃんと何かあったのか? ただの喧嘩には見えなかったけど」
「うん……ちょっとね」
「……ついてく?」
 扉の一つをサギが指差す。そこが兄ちゃんの部屋か。おれは首を振る。まずは二人で話したい。
「サギはここで待ってて。帰り道怖いから先に帰らないでね」
「カラスが泣いちゃうかもだから待っててやるよ」
 ドスンと壁に凭れて座るサギに手を振って、おれは扉を開く。
 そこには、病室と変わらない明るさがあり、壁も剥き出しのコンクリートのままじゃなく白く塗装されていた。そういえば鍵もかかっていなかったし、『牢獄』のイメージが和らいでホッとする。目の前にはカーテンで囲われたベッド。おれは「兄ちゃん」と呼びかけてみた。返事はないけど、カーテンに映る影が揺れた気がした。
「おれだよ。開けていい?」
 やっぱり返事はない。おれはカーテンに手をかけて、静かに引いた。
「兄ちゃん……」
 そこには兄ちゃんがいた。ベッドを半分起こして凭れかかっている。おれの方を見ず、ただ反対側へ視線をぼんやりと落としている兄ちゃん。
「あの……怪我、大丈夫?」
 頭と腕には包帯が巻かれてるし、服の隙間からも包帯が見えていた。
「……えっと」
 ベッドの隣に椅子が置かれているのに気がつく。他に誰か来たのだろうか。 
「ここ、座っていい?」
「…………」
「あの、誰か来たの?」
「…………」
 返事はないけど、拒否されたわけでもないから。と、おれは丸椅子に腰掛ける。いざ向かい合えば何から話せばいいか分からない。だけど、のんびり時間をかけることもできない。だから。
「兄ちゃん、単刀直入に言うね。おれ、兄ちゃんと仲直りがしたい」
「…………」
「おれは、これからも兄ちゃんといたい」
「…………」
「でも、このままじゃ学校が、おれや兄ちゃんだけじゃなく、D地区の人達も、コマちゃんも三百も、みんなを処分するかも知れないんだ」
 兄ちゃんの口は堅く閉じられたままで、視線はやはり動かない。
「そんなの、絶対に嫌だから。そういうの、もう嫌だから」
「…………」
「だから、変えたいんだ。協力して欲しい」
 沈黙が続く。通気口からの細い風の音だけが聞こえる。何の反応もないまま、語り続けて意味があるのか。そう思い始めた時。
「変えたい……か」
 兄ちゃんが口を開いた。
「変わるのかよ? こんな……何もない世界」
「変えるんだよ、おれ達で」
「どうやって?」
 兄ちゃんが頭だけ動かしてこっちを見た。ようやく目が合う。途端に、兄ちゃんが小さく噴き出した。
「何だよ、また違う恰好かよ」
「え? ああ……うん、変装のつもり」
「それはさすがにバレバレだ。まあ、昨日のアレよりかはマシだけど」
 大きな手を口元に当て、笑っているのを誤魔化すように咳をする。兄ちゃんの声に、以前のようなぬくもりを感じて目頭が熱くなった。
「昨日の格好はさすがにもうしないよ」
「さすがにあれはもうやめて欲しいな」
 おれ、今兄ちゃんと普通に話せてる?
「でも似合ってたでしょ?」
「実は気にいってるとか?」
「冗談だってば」
 こんな風に、笑いながら話せるなんて、思ってなかったから、だから。
「……何泣いてんだよ?」
「だって……」
 嬉しくて、仕方なくて。
「本当に泣いてばっかだな……お前は」
 気を抜いてしまっていたんだ。だから、兄ちゃんがいつもみたいに、おれの背中に手を伸ばして撫でてくれたのに。堪えるべきだったのに、普通に痛みに反応してしまった。ビクッとおれの体が震え、兄ちゃんの手が離れる。しまったと思った時には遅くて、顔を上げると、ひどく傷ついた表情の兄ちゃんがいた。
「あ……」
「ま、そうだよな。もうさすがに俺のこと怖いよな?」
「違うよ、今のは」
「そんなバリバリ警戒心剥き出しで協力とか言われてもな」
「警戒なんてしてないし、怖がってないよ、その、背中、怪我してて、ちょっと痛くて、それで」
「へえ、それはお大事に」
 顔を背けられる。ああ、失敗した。兄ちゃんだって、精一杯歩み寄ろうとしてくれていたのに。仲直りできそうだったのに。
「本当に、違うんだよ……」
「…………」
「……嘘じゃないよ?」
「…………」
「兄ちゃん……」
「…………」
 これ以上は、逆効果だ。そう感じたおれは、一旦戻ることにした。眼鏡を外して、涙を袖で乱暴に拭う。
「明日も、お見舞い来るね」
 声が震えないように、できるだけ明るくそう言って、おれは部屋を後にした。時間がないのに。分かってはいたけど、何も言葉が思いつかなかった。あの空気がつらくて、逃げ出さずにはいられなかった。
しおりを挟む

処理中です...