Cat walK【完結】

Lucas

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映画監督とふれあい広場

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 シャベル男があの公園の近くをうろうろするようになったせいで、僕は少し遠くの公園まで足を延ばさなければならなかった。
 まあいい。今日はホームセンターにも行かなければいけなかったし。
 のんびりと春の陽気を楽しみながら豆太を連れて歩く。すれ違う人たちは揃ってマスクをしている。そして僕のことをじろじろと見ていく。
 嫌な町だ。たいした被害もないのに大騒ぎして。そう考えると、シャベル男はまだいい方だ。ヒト化という現実を受け入れてはいるのだから。
 いつもの公園を通り過ぎると小学校が見えてくる。そういえば、前に出会った頭の悪い財布少年もきっとここに通っているのだろうな。江波えなみ島崎しまざきとかいう奴にはもう話をしたのかな。
「豆太、今日はあっちの公園で遊ぼうね」
 豆太は僕の腕の中でハンドタオルをがじがじと噛んでいる。鳴きはしないけど、本当に全然懐かなくて可愛くない。
 彼女が飼いたいといっていた犬。帰ってきたら喜ぶかな。それまでに、完璧にしておかなければ。彼女のための脚本。もうすぐ完成だ。
 公園が見えてきた。遠くに小学生の集団が見える。そうか、もう下校時間なのか。そのさらに向こうに白い建物が見える。病院だ。
 僕はあまりお世話になったことはないが、彼女はよく通っていた。あんなヤブ医者にかからなくても、僕が支えたのに。
「豆太は元気そうだね。でも一応どこに動物病院があるのかもチェックしておいた方がいいか」
 スマホを取り出し、さらに公園に近づいたところで視線に気づく。
 公園の中に、少年と少女がいる。少女の方は顔見知りだ。少年の方は知らない。少女はこちらに向かって手を振った。少年は少女と僕を交互に見て驚いた顔をしている。
 ランドセルを背負ってマスクをした少年はやや後ずさり、ボーイッシュな雰囲気を纏った少女はこちらへ駆けてくる。少女はマスクをしていない。いつも黒いキャップを被って、大きめのパーカーを着ている。
「久しぶり、お兄さん」
「久しぶり。きみ、学校は?」
「またそれ?」
 少女が吹き出す。それから豆太を見て「かわいい」と言った。そして手招きするので僕は彼女についていく。少年はこちらに視線は送るものの近づいてこよとうとはしない。
 ブランコ、滑り台、そして小さなジャングルジムのようなもの、他には柵に囲まれた砂場。ヒト化が始まる前は常に子どもたちであふれていた公園だ。
 砂場にはレジャーシートが敷いてあって、そこに様々な商品が並べられている。古い雑誌に、モバイルバッテリー、ペットボトル、ボールペン、レターセット、それから彼女の手作りらしきおにぎり。
「今日はなにか買ってって。最近お客さん減って暇なの」
「うーん、とくに必要なものはないかも」
「えー、じゃあ手紙でも出さない? ほら、そこにポスト作ったんだよ」
 砂場の柵に小さな箱が掛けられていた。どうやらこれがポストらしい。
「手紙は届くの?」
「ううん。でも、あたしが返事を書くの」
「手紙を出す人は多い?」
「うん。それに喜ばれる。何も買わなくても、立ち読みしたり、ぼんやりしにくる人もいる。いらっしゃいませとありがとうございましたが聞きたいからって人もくるよ」
「なるほど」
「でも大繁盛ってわけじゃないから退屈で」
 レジャーシートの上で豪快にあぐらをかく少女が頭を垂れる。キャップのせいで完全に表情が見えなくなった。
「そっか、でもごめん。出す人いないから。ねえ、きみ。あの子はきみの知り合い? ずっとこっちを見てるけど」
 少女が顔を上げ少年の方を見る。少年は驚いたようにまた後ずさる。
「ううん。知らない子。たまにここに来てるの見るけど、いつもは大人と一緒。すんっごい背の大きい男の人か、足の悪い女の人とね」
「そうなんだ」
 少年はじりじりと下がっていく。すると離れた場所から声が聞こえた。
町田まちだー! はよ来いや! 先生に怒られるやろ!」
 数人の小学生がこちらに向かって叫んでいる。少年は肩を震わせると慌てて彼らのもとへ駆けて行った。ちょこちょこと走っていく少年を見て少女がクスクスと笑った。
「かわいい。そういえば、集団下校してるんだって。なんか子どもの連れ去り事件とかあったみたいだから」
「そうなんだ。きみは大丈夫なの?」
「意地悪な質問するよね。まあ、いいや。お兄さんいつもおかしいもんね」
 少女がおにぎりを差し出してくる。豆太が欲しそうにしていたが僕は断った。他人の握ったおにぎりなんて絶対食べたくない。おにぎりはコンビニで買うのがいちばん安全だ。
「いつも食べてくれないね」
「潔癖症なんだよね」
「ほんとにひどいこと言うなあ。ていうか、今世の中こんなに大変なんだもん。あたしのことなんか誰も気にしないよ。もうみんな忘れてる、きっと」
「寂しいこと言うんだね」
「じゃあ何か買ってよ」
「要らない。荷物になるから。今日は買い物しなきゃいけないものがあるんだ」
「なに?」
「ちょっとね。それより、他のもの売ってみたら? 今はマスクが流行りらしいから」
 少女はうーんと首を傾げる。キャップが外れそうになり、それを慌てて押さえた。
「マスクね。考えてみる。それより、前に言ってた映画を撮るのは諦めたの? 似合わない育児なんかしちゃって」
「いや、この子は……って、待って、その雑誌貰うよ。いくら?」
 僕はおそらく一度雨の日を経験したらしい雑誌を指さした。少女は嬉しそうにそれを持ち上げて僕に差し出した。
「いいよ。お金は。今度かわいい花でも持ってきてあたしにプレゼントして。てか、こんなものが欲しいの? これその辺で拾ったんだよ?」
「それは見れば分かるよ。これ、僕の彼女が写ってる」
「え? 嘘! 見たい見たい! 女優の卵なんだよね?」
 雑誌の表紙に書かれている特集ページの見出し。彼女が出演したことのある映画の特集だ。たった一言の台詞ではあったが、はじめてクレジットに名前が出たのを喜んでいたのを覚えている。
 かがんでページを捲ると、柵越しに少女も覗き込んできた。映画のワンシーンの撮影。ピントは主演女優に合わせてあるが、彼女もその後ろにしっかりと映っていた。
「この人? へえ、かわいい」
 少女はいつもどおりかわいいと言って褒める。悪い気はしない。
 長い黒髪に、大きな瞳。真っ白な肌に、厚めの唇。それから、泣きぼくろがとても魅力的な、その女性。僕のいちばん大切な人だ。あのアパートだって、元々は彼女の部屋だった。
「あ、なるほど。もしかしてその子彼女さんとお兄さんの子?」
 少女が豆太を指さす。豆太は不思議そうに少女を見ている。
「ううん。違う。ごめん、これ貰っていくね。えっと、お花だっけ? 今度持ってくるよ」
 先に少女の顔に花が咲いた。「待ってるからね」と大きく手を振って見送ってくれる。そんなに花が好きなのか。ボーイッシュな雰囲気だからなんとなく意外だった。
 僕はホームセンターへと急ぐ。
 久しぶりに彼女の姿を見て心が躍る。そうだ。僕は彼女のための映画を作るんだ。
 豆太が腕の中でむずかる。僕はハンドタオルを取り上げ、ポケットから取り出したソフトせんべいを持たせた。あの女が一緒に注文していたやつだ。
 あの女の話を聞いていると、詳細をイメージしやすい。彼女の境遇と似ていたから。でも、そろそろお払い箱だ。
 姫予約だったか何だか知らないが、向こうからそういったことを言い出すのは今回が始めてだった。前回呼んだ時から様子がおかしかった。何か余計なことをする前に終わらせた方がいい。それに、そろそろ彼女の口座も空になる。カードの支払いもきついし。彼女が帰ってきたら怒られそうだ。
 さくというあの女はどのくらい貯めこんでるかな。あの頭の弱そうな女のことだからたいした額ではないだろうけど。でも、今まで渡した分くらいは回収しなければ。
「豆太、ホームセンターが見えてきたよ。おとなしくしていてね」
 ホームセンターの中も人が少ない。入り口に置いてあるアルコールスプレーを素通りして工具売り場に向かう。
 のこぎりとロープ、あとはガムテープなんかも必要かな。
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