DEAREST【完結】

Lucas

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第186話 NAGI

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「まさか浜に乗り上げるとはな……」
「雑すぎでしょ……」
 船から浜へ降りてぐったりとしたアランとタキがそう言った。
「どーんががーんって! 楽しかったね!」
「毎回これだけ移動が早いと楽ちんだよね!」
「見てみて! 馬もみんなすんごい喜んでるよ!」
 フロルとベルとディーは楽しかったのか、やたらと元気だ。
「馬はしゃぎすぎだろ。何でピンピンしてんだよ」
 リサが馬を見てそう言った。
「みんな無事で良かったね」
「ああ……」
 朝靄がわずかに残るこの時間、海の街アクアマリンへ僕達は到着した。
 城下町のように悲惨な状態になっているものだと思った。だけど、街は何事もなかったかのように静かにそこに佇んでいた。
「なんというかまあ……変わらず悪趣味な事で」
 しかめっ面のリサがため息をつく。大きな白いマスク。白いワンピースにカーディガン。背中には弓。そして、手には折り畳まれたあのベスト。
「カラフルでいいじゃん! ぼく初めて来たよ! リーダー達は来た事あるんだよね?」
「ああ……それに」
 アランがリサの方を見る。
「何だよ?」
「いや、何でもない」
 どうしたんだろう? リサも首を傾げる。
「リサー、何か返すタイミング間違ったみたいでごめんね」
 そこへフロルがリサのそばまできて小声で謝った。リサは「大丈夫」と言って少し笑う。
「タイミングは間違っちゃいない……行こう」
 そして僕達は街に向かって歩き出した。本当にやたらと静かなその街に。


 街には竜どころか魔物は一匹も見当たらなくて、人影さえないその街はもう誰も住んでいないように見えた。色んな色の屋根の建物は、すべて真っ白な壁で比較的高めの建物ばかりだった。敷石道が円を描くように続く。まるで何かを取り囲むような建物の配置。
 街の中央に近づくにつれその理由に気づく。
 街は教会を取り囲むようにして造られていたんだ。この……教会だった建物を。
「うっわぁ、やっぱり教団関係を狙ってるね……」
 ベルが馬から降りてそう言う。続いてディーも馬から降ろしてあげていた。僕達も馬から降りて建物の残骸に近づく。そういえば、病院に避難して来ていた人達の中には教団の人はいなかった。まさか、みんな……。
「…………」
「リサ? どうかした?」
 僕は何かをずっと見つめたままのリサに声をかけた。
「…………」
 リサの視線の先には、二階建ての立派な家が一軒。もしかして、あれがリサの家?
 すると、その家の扉が開き誰かが出てきた。リサはパッと僕の後ろに隠れる。
 出てきた人……それは、リサのお母さんではなかった。教団のマントをつけた男の人。その人は僕達に気づきこっちへ近づいてきた。
「外から来た者か? ここは竜に見張られた街。悪い事は言わない。早々に立ち去りなさい」
「あの、僕達は街の人達が残っていると聞いて救助に来たんです」
「必要ない。今ここに残っている者は皆自らの意思で残った」
 教団の人が低い声で答える。そこへベルが瓦礫を踏み越えてこっちへ来た。
「何で? ていうか、肝心の竜が見当たらないんですが」
「竜はこの街を出た所にある丘から我々を見張っている」
 僕達は辺りを見渡す。だけど、建物が高いのでここからは竜の姿は確認できない。
「あの、今そちらの家から出てこられましたよね? そこに住んでいた女性は?」
 アランがディーを抱っこして教団の人に近づいた。ディーは怖くなったのかアランにしがみついている。
「……救世主の母親と知り合いか?」
 救世主の母親。やっぱりリサの家なんだ。
「あの家にはもう誰も住んでいない。救世主の母親は……三ヶ月ほど前に亡くなった」
 リサがぎゅっと僕の服を掴んだのが分かった。
「亡くなった……? 何故ですか?」
 アランも顔色を変える。
「随分前から病を患い床に臥していた。だが、とうとう……」
 その時。
「いやあぁああああ!」
 リサの叫び声が木霊した。振り向くと、ベストを両手で抱えて膝をつくリサがそこにいて。
「どうして……そんな……」
 かなり錯乱した状態で泣き叫ぶリサを抱きしめる。
「お、落ち着いて!」
「その娘……まさか」
 教団の人が近づいて来る。まずい……。すると、どこからか竜の声が聞こえてきた。空気を震わせるその咆哮に、みんなが思わず耳を塞ぐ。
「しまった……竜が来るぞ! すぐに建物の中へ」
 教団の人がリサの家に向かって走って行く。
「リサ! 僕達も早く!」
 でもリサは動こうとはしない。
「どうして……嫌だ、お母さん……」
「リサ!」
「何で……」
「隊長さん! 早く!」
「ナギ!」
 みんなが僕を呼ぶ。リサを抱きかかえようとしたその時、黒い影が僕達に覆い被さった。
 ゆっくり、視線を上げる。
 瓦礫の上に降り立つ、その大きな体。僕達は動けなかった。
 目の前に、あの竜がいた。城下町を襲ったあの竜が。
「…………」
 僕は竜から目を離せないまま、リサを抱きしめた。
「ごめんなさい……お母さん。ごめんなさい」
 リサは僕の腕の中で泣きながら謝り続ける。竜がじっと僕達を見下ろす。
 剣を、抜く暇なんてない。
 近すぎる。
 誰もが動けずに、リサの声だけを聞いていた。そのリサの泣き声が止んだ瞬間、竜が動いた。
 大きな翼を広げ、突風が巻き起こる。僕はリサをさらに強く抱きしめて目を瞑った。
 剣を抜く音が聞こえる。だけど、フッと気配が消えるのを感じて目を開けた。そこに竜の姿はなく、影だけが残る。
 空を見上げれば飛び去っていく竜の姿が。
 途端に、馬達が我に返ったように騒ぎだし、みんなが僕達の方へ駆け寄ってきた。
「大丈夫か?」
「う、うん」
 タキが僕の腕を引っ張って立たせる。
「リサ! 大丈夫? よしよし、怖かったね!」
 フロルはリサを抱きしめるようにして立たせた。リサは力が抜けたようにフロルにもたれかかる。
「一体何だったんだろう?」
 竜の飛び去った方向を、手をかざしながら見つめるベル。
「分からない。だが、無事で良かった」
 アランがディーを下に降ろすと、ディーはすぐに僕の元へ走って来た。
「ディー、大丈夫だった?」
「う、うん。おれは大丈夫だけど」
 ディーがリサの方を見る。リサはフロルの肩に顔をうずめたまま何も言わない。
「やはり……そうか。お前は『リサ』だな。救世主『リサ』……戻ってきたのか」
 声のする方を見るとさっきの教団の人がスタスタと歩いてリサの家に入って行った。
「追いかけよう」
 ベルが走って後を追う。僕達もベルについて行った。リサもフロルに支えられながらついて来る。茫然と、ただ一点を見つめるようにして。
 扉を開き家の中へ。広い玄関。すぐ目の前にあった階段を。教団の人が登って行くのが見える。
「リサちゃんお嬢ー」
 ベルがトントンと階段を駆け上がる。でも、リサは何も答えない。二階へ上がってすぐの細い廊下。手前の扉にその人は入る。
 部屋の中は誰かの寝室のようだった。少し派手な家具や化粧台に並んだたくさんの化粧品。多分、リサのお母さんの部屋じゃないかな。教団の人はベッドに向かって膝まずくと祈り始めた。
「……どうかお許しを」
「何してるの?」
 ベルがその人の前に回り込んでしゃがんで顔を覗きこむ。
「救世主よ……何故帰って来た? 王妃になったのではなかったのか?」
 教団の人はベルには一切触れずにそう言った。でも、やっぱりリサは何も答えない。
「母に……懺悔でもしにきたのか?」
「どういう事ですか?」
 リサの代わりに僕が答えた。すると、とんでもない返事が返ってきた。
「……あの竜は、お前の『母親』だ。我々を恨み、皆の見てる前であの竜へと変化した」
 目の前が真っ暗になる。あの竜が、リサのお母さん?
「使命を放棄して逃げ出したお前の罪を被った彼女に、我々アクアマリンの人間はひどい仕打ちをして来た」
 誰も何も答えない。何も言えないのに、話はどんどん続けられる。
「彼女は最期に言った。『許せない』と。竜になった彼女はすぐにアクアマリンを離れ飛び去った。そして、つい先日再び戻ってきてあの教会を襲ったのだ。人々はすぐに街を離れ逃げ出した。だが、罪を感じこの街に留まる者も大勢いた。私もその一人だ。こうして、ここで毎日祈りを捧げている。救世主よ、我々はもう救いなど求めていない」
「…………」
「許されるのを望んでいるわけでもない。我々の謝罪に意味はないのだろう。ただここで、竜に裁きを与えられるのを待つだけだ」
 教団の人はゆっくり立ち上がると部屋を出ていこうとした。その背中に、ベルが言葉を投げかける。
「許して貰わなくてもいい謝罪って、ただの自己満足だよね?」
「……かも知れないな」
 教団の人は振り向かずに部屋を出た。扉の閉まる音。その音と同時に、リサがその場に崩れ落ちた。
「リサ!」
 僕はすぐにリサを抱き起こす。だけど、リサは目を覚まさない。
「リサ、しっかりして! リサ!」
 僕達の呼び掛けにまったく反応しないリサ。だけど、その手に握られたベストを決して離す事はなかった。
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