ZERO【完結】

Lucas

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トケイ ―4日目―

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「何で髪が白いかって?え? 白髪?違う違う。これは、染めてるんです。え? 意外と普通? 普通じゃないでしょ、これは」
 

「トケイ」
「…………」
「トケイ、終わったよ? 行こう?」
 アオイが俺の手を引く。真っ白な扉を開けて、俺達は『診察室』から出た。さすが二回も倒れたとなると、診てもらう方がいいと言われて、今日は朝から病院に来ていた。俺の額にはまた絆創膏。何で顔面から倒れるんだよ。
「怪我は大した事なくて良かったね。さすがに今日の遅刻は先生も怒らないでしょ!」
 アオイは鞄を持ったまま両手を上げて伸びをする。医者にはまだ記憶は戻っていなし、特に変わった事はないとだけ伝えた。記憶がポッカリと抜ける事は言わなかった。言ったら、治療されると思ったから。
「トケイ! 今日は飛ばすよー!」 
「はあ? 勘弁してくれよ」
 せっかく、アオイと付き合えるようになったんだ。大丈夫。『記憶』なんか取り戻さなくていい。もし、昨日『本当の自分』が戻って来ていたにしろ、もう、渡さない。
「そういえば」
 アオイが足を止め、こちらを振り返る。
「何で昨日ダイスケと旧校舎にいたの?」
「…………」
 そう、俺は昨日旧校舎で倒れたらしい。あの『ダイスケ』と。何故かは分からないが、いい事なわけがない。
「トケイ?」 
「さあね。どうだっていいだろ」
 あいつは気に入らない。
「なーに怒ってるの?」
「別に」
 俺はアオイを追い越し、病院の外へと出た。そこにいつもの空はなく、今にも泣き出しそうな空が広がっていた。雨が降り出す前に、と。やっぱりハイスピードで学校へ向かうアオイ。俺はとにかく必死にしがみついていた。……何か、格好悪い。
「やっぱり……自転車乗る練習しようかな」
「本当? じゃあ今日の放課後、雨降ってなかったら一緒に練習しようね? 約束だよ!」
 アオイは嬉しそうに振り返る。自転車がグラグラと揺れた。
「分かったから前見ろって」
「はーい」
 俺達はその後もくだらない話で笑いあった。まだ二人でいたかったけど、あっという間に学校に着いてしまった。  
 教室に入ると、授業の真っ最中でみんなが一斉にこっちを見た。
「おはようございまーす!」
「遅いぞ、早く席に座れ。何で二人揃って遅刻なんだ?」
「病院に付き添ってたの」
 先生にそう答えアオイは席に着く。病院だと言われると何も言えないのか、先生はそのまま授業へ戻った。俺も、みんなと目を合わせないように席に着く。と、同時にチャイムが鳴る。あ、もう四時間目が終わったのか……病院混んでたもんな。
 昼休みになり、先生が教室を出て行った。と、同時に俺の前に現れるでかい影。『ダイスケ』だった。
「病院どうだった?」
 そいつは俺の前の席に座ると、小声でそう言った。
「別に」
「そっか。何か大変だなぁ、お前も。あんまり無理するなよ?」
「…………」
 そこへ弁当を持ったアオイがやって来た。
「あれ? ダイスケも一緒にお昼食べる?」
「え? いいの?」
「うん! ね、トケイ?」
 アオイは隣の席から椅子だけ持って来て座ると、俺の机に弁当を広げる。
「あー、お腹すいたー」
「弁当いいなー。俺いつもパンだからさー」
 ダイスケは鞄からパンの袋を取り出す。本当に一緒に食べるのかよ。俺は仕方なく鞄から弁当箱を出した。
「ダイスケ、もっとしっかり食べなきゃ。部活中にお腹すいちゃうよー? あ、良かったらどれか食べる?」
 ダイスケの表情がパッと明るくなる。
「マジで? んじゃ卵焼き!」
「オッケーオッケー」
 俺はそのやり取りを、弁当を箸でつつきながら見ていた。卵焼きを刺したフォークをそのまま渡され、ダイスケはガックリと肩を落とした後それを受け取る。
「お母さんの卵焼きは絶品なんだよ」
 アオイがダイスケに笑いかける度にイライラする。 
「おー、かなり美味いよ」
 屋上の時から気になってたけど、今確信した。こいつ、『アオイ』の事が好きだ。
 ガタンと椅子を鳴らして俺は立ち上がった。
「トケイ? どうしたの?」
「…………」
「どしたよ?」
「…………」
 俺は何も言わない。
「ちょっと悪い」
 ダイスケが俺の腕を掴んで教室の端へ連れていく。そして、壁の方を向き小声で話し掛けて来た。
「お前、もしかしてまた記憶喪失……?」
「は?」
「昨日、言ってたろ? アオイの前で演技するのは分かるけど、何か様子変だからさ」
 こいつ、何を言ってるんだ? 演技なんかしてるわけないだろ。
「違うよ」
「ん? ああ、違うのか。良かったー。あ、じゃあ昨日頼んだ事ってさ……」
 アオイの視線を背中に感じながら、話は続く。
「頼んだ事?」
「アオイを祭りに誘う事だよ! 忘れるなよー。俺は真面目に情報収集してたのに」
 祭り? 
「ん? どした?」
「……アオイは」
「え?」
「アオイは俺と祭りに行くんだよ」
 俺は真横にあるダイスケの顔を睨みつけた。
「お前、何言ってんの?」
「アオイは!」
 俺の出した大声に、一瞬静まり返る。
「アオイは俺と付き合ってるんだ!」
 教室が再びざわめきだした。
「……は?」
 ダイスケの顔が引き攣る。アオイが立ち上がってこっちを見ている。俺はというと、何かが邪魔をして次の言葉が紡げないでいた。
 ――やめろ!
 そんな声がどこからか聞こえて来た。
 それは紛れも無く俺の声で、俺の中から聞こえて来るもので。
 ――それ以上言うな!
 周りの声が聞こえないくらい大きくなっていった。何なんだこれ……。視界が揺れ始めて、気持ち悪くなって目を閉じた。すると、たくさんの映像が見えた。
 これは、今までの俺? 失くした記憶なのか? いつ頃かは分からないが、そう遠くない過去だ。でも、俺には信じられなかった。映像の背景がすべて……『この町』だったから。俺は……この町に住んでいたのか?
「トケイ! しっかりしてよ!」
 アオイに揺さぶられ、俺の意識は『今』に戻って来た。いつの間にかその場に膝をついていた。みんなが俺の周りに集まっていて、その中にダイスケの顔もあった。
「大丈夫……?」
 アオイは泣きそうだった。大丈夫って言いたかったけど、ぶっちゃけ気分が悪すぎて吐きそうだ。
「保健室、行く? 帰る?」
 アオイが耳元で囁いた。アオイもこの場所にいたくないようだ。俺のせいなんだけど。
「立てる?」
 アオイに支えられて何とか立ち上がる。
「ちょっと、保健室に行ってくるね」
 できるだけいつも通り、明るくアオイは言った。
「お、おう。ついていこうか?」
 ダイスケの声にアオイは首を横に振る。
「ううん、大丈夫。五時間目始まったら、先生に言っておいてね」
 俺達はそのまま一階へ降りて行った。その間、何も話さなかった。


「気分が悪いの? あなた、一昨日倒れて保健室に来たばかりじゃない。大丈夫なの?」
 保健室の先生が俺に尋ねる。俺は大丈夫ですと答えて布団を頭まで被った。
「先生、後は私がついてますから。お昼行って来て下さい」
「そ、そお? 何かあったらすぐに知らせてね」
 アオイの声と、保健室の扉が閉まる音が聞こえる。アオイが保健室の先生を追い出したようだ。次いでカーテンの引かれる音がする。俺はそっと起き上がった。後ろ手にカーテンを掴んだままのアオイがじっと俺を見ていた。
「まだ、気分悪い?」
「もう平気」
「どうしちゃったの?」
「どうもしないよ」
 何かを思い出しかけた事は黙っておこうと思った。アオイに聞くのは怖かったから。俺がこの町の住人だったなら、アオイは俺を知ってるはずだと思ったから。
「何で言っちゃったの?」
 アオイの声に思考が遮られる。俺は「え?」と聞き返す。
「付き合ってる事……」
「ん。何となく」
「何となくって、そんな……。みんな、びっくりしてたよ?」
「みんなの事はどうでもいいじゃん。アオイ、俺の彼女でしょ?」
「彼女だよ?」
 会話が止まる。心がざわつく。俺の中の誰かは、よっぽど俺とアオイが付き合うのが気に入らないらしい。
「俺、いい加減な気持ちで付き合おうって言ったわけじゃないから」
「……うん。私も、いい加減な気持ちでオッケーしたわけじゃないから」
 窓の外でポツポツと雨が降り出した。
「雨、降って来ちゃった。自転車の練習できないね」
「明日の朝、しようよ」
 アオイはそう言ってニッコリ笑う。
「うん」
 二人でぼんやりと雨の粒を眺める。
 このまま何も思い出さないでいたい。でも、このままだと、確実にいつか記憶が戻り『今』が失われる。そんな気がするんだ。
 だから、俺は決めた。思い出すんじゃなくて『知ろう』と。
 調べるんだ。『俺』が本当にこの町にいたのか。アオイに気づかれず、調べるんだ。
 この町に、俺の足跡が残されているのなら、全部消してしまおう。
 俺は俺として、新しい時間をアオイと過ごして行くんだ。
 まず、どこで情報を集めようか。アオイの両親や、クラスメイトは、アオイに気づかれる恐れがある。
 あ、そうだ。俺の頭に浮かんだのは、アオイと一緒に行った商店。あの店のおばあさんなら、この町の住人を昔から知っていそうだし。学校じゃアオイが常にそばにいるから、聞き込みをするなら外の方がいい。
 俺はさっそく決行する事にした。すぐにでも、この心のざわめきの原因を消したかったからだ。
「アオイ、俺今日は念のため早退するよ」
「え、大丈夫? じゃあ私も一緒に帰るよ」
「さすがに何日も二人で授業受けなかったらまずいよ。俺は一人で平気だから」
「でも」
 まあ、あの雰囲気の教室には帰りにくいか。……俺のせいなんだけど。
「あ、じゃあ私家に電話してくるよ」
「は?」
「私達、傘持って来てないじゃない。車で迎えに来て貰うね」
「ま、待って!」
 走り出そうとしたアオイを慌てて呼び止める。車で迎えに来られたら、家まで一直線じゃないか。
「やっぱりいいよ。帰る時間になるまでここで休んでる」
「そう? 帰りまでに雨止むといいね。置き傘しておけば良かったな」
「小降りだし大丈夫だよ」
「そうだね。帰りも私が自転車飛ばすね」
 アオイはそう言ってベッドに腰掛ける。教室に戻る気配がまったくない。仕方ない……明日学校を休んで行ってみよう。その時、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「失礼しまーす! 先生ー!」
 入って来たのは、長い黒髪を二つに結った女子。アオイよりもスカートが長くて、真面目そうな雰囲気だ。
「あれ……? 先生は?」
 首をかしげてこっちを見てくる。
「あ、職員室だよ」
 アオイが答えた。
「えぇー、そっかぁ」
 目が大きくてかなり可愛い顔をしているが、どこか気の強そうな感じだ。
「すぐ戻ってくるかな?」
「うーん。お昼食べに行ったから、もう少しかかると思うよ」
 アオイと普通に会話を続ける。アオイの友達かな?
「……そっか」
「どうしたの?」
「ちょっと寝不足でね。昼休みの間だけでもベッド使わせて貰おうと思って」
「勝手に使って大丈夫だよ」
「駄目だよ。ちゃんと先生に聞かないと」
 大雑把なアオイと正反対な性格だな。女子が保健室を出ようとすると、アオイが立ち上がりそれを引き止めた。
「じゃあ、私が先生に伝えて来てあげるから。ほら、休んで休んで!」
 アオイは女子の背中を押して、俺の隣のベッドまで連れて行く。
「トケイ、ちょっと職員室まで行って来るね」
 アオイは、俺の返事も女子の答えも待たずに保健室を飛び出して行った。
「……いいのかなぁ」
 女子はベッドの脇に立ってまだ迷っている。
「……いいんじゃない? 寝てないの?」
「うん、昨日遅くまで勉強してて」
 やっぱり見た目通り真面目だ。女子はベッドに座ると俺の方を見た。
「記憶戻った?」
「えっ?」
「あたし、隣のクラスなんだけど……その様子じゃまだみたいだね」
「……」
「去年同じクラスだったのに。まあ、あんまり話した事はなかったけど」
「は?」
 同じクラス? 去年? 俺は、元々この学校の生徒? もし、俺がこの町の住人ならばありえない事ではない。小さな町だし、中学校はここしかないからだ。でも、だったらクラスメイトや先生達の態度はおかしい。俺の事をまるで知らないような態度だから。この女子の人違いか?
「ねえ、聞いてる?」
 ハッと顔を上げる。少し怒ったような顔の女子が、俺を指差した。
「その髪、校則違反だよ」
 間違いなかった。真っ白な髪の生徒なんて、俺しかいないから。俺は、この学校にいた……?
「髪、染めちゃ駄目なんだよ」
「染め……」
 てるのか? 俺は自分の髪の色が地毛かどうかも知らない。ただ、これはチャンスだ。今はアオイもいない。俺の事を聞き出せる。
「あのさ、ちょっと聞いていい?」
「何?」
「俺、この学校に……」
「お待たせー! ベッド使っていいって! 先生も早めに帰って来るって!」
「本当? ありがとう」
「うん。ん? トケイどうしたの? 変な顔して」
 う、うん。まあ明日聞けばいいし。別に今聞けなくても問題ないし。
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