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四年目のジレンマ
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『ごめん、今日も遅くなる』
恋人からのそんなメッセージに気付いたのは、日付けを跨いで帰宅したあとだった。
ここ二ヶ月お互い忙しくて顔さえ合わせてないし、休みもバラバラ、会話だって全然してない。最後にしたのって、「明日から残業続きそう」だもんな。
しかもここ連日、洗濯物には知らない奴の香水の匂いがするし。
「⋯もうダメかもな、俺たち」
付き合って四年、すでに倦怠期なんて言葉では片付けられないくらい心が離れてる気がする。もしかしたら、アイツにはもう他に好きな人がいるのかもしれない。
この香水の持ち主とか。
でもまさか、浮気されるとは思わなかったな。
俺、大森 叶和と恋人の宮坂 愁は、大学二年の時に友人経由で知り合いすぐに意気投合した。
愁は背も高くイケメンで男女問わずモテるんだけど、元々ゲイでその時は付き合ってる奴がいたんだ。でも、俺と過ごすうちに俺を好きになって別れたらしい。らしいってか、そいつに詰められてるから知ってるんだよな、俺。
で、俺は俺で男とどうこうなる気はなくて、愁の気持ち知ってても知らないフリをしてたのに、ある日の宅飲みで酔っ払った愁に熱烈な告白されて⋯まぁ絆された訳だ。だってその時点で一年経ってるんだぞ。その間ずっと俺を想ってくれてたんだって考えたら何か⋯いじらしくて。
まさか俺が挿れられる側だとは思わなかったけど。
そんなこんなで四年。それなりに楽しかったしそれなりに幸せだった。
『俺には叶和だけだから』
なんてクサイ事言ってたのに、今その気持ちは俺じゃない誰かに向けられてる。
まぁ四年って、続いた方だよな。
「風呂入って寝よ」
明日も仕事があるんだ、少しでも睡眠時間は確保しておかないと。
そう思いソファから立ち上がった俺は、着替えを手に浴室へと向かった。
洗濯は次の休みにまとめてしよう。
五日後、久し振りに日付が変わる前に帰れた俺は玄関に見知った靴がある事に気付いて目を瞬いた。
愁の奴、今日は早かったんだな。
でももう寝てるだろうしと音を立てないようリビングに行くと愁はソファにいて、膝にパソコンを乗せたまま首を項垂れさせて寝息を立ててた。相変わらず寝顔もイケメンだ。
どうやら持ち帰った仕事をやってる途中で力尽きたらしい。
ってかこれ、起きたら首どころか身体にもくるやつじゃんか。仕方ない、ちょっと失礼して、横にしてやるか。
「⋯⋯ん?」
そっとパソコンを持ち上げてテーブルに移動させ、起こさないようクッションを枕に愁を横たえさせたところでスマホが落ちて、電源ボタンにでも当たったのかパッと画面がついた。反射的に目で追ってしまい、見るつもりなかったのに表示された通知につい意識が向く。
『宮坂先輩、昨日はありがとうございました! すーっごく楽しかったです! また一緒に行きましょうね♪』
昨日⋯? 昨日は確か、会社の飲みがあるって言ってなかったっけ。
〝先輩〟って事は会社の後輩で間違いはないんだろうけど、この文面から察するに二人でどこかに行ったっぽい⋯?
愁は、このメッセージにどんな返事をするんだろう。
パスワードを解除してまで人のスマホの中身を覗く趣味はないし、とりあえずパソコンの横に置いて立ち上がり、寝室から毛布を持ってきて愁にかけてやる。
「⋯いい加減、お前の声忘れそう」
実際そんな事はないんだけど、どんな風に触れてたとか、どんな風に抱き締めてくれてたとかはすでに曖昧になってる。
もう二ヶ月以上、触れ合ってないしな。
疲れきった顔を一頻り眺め、少し考えた俺は薄く開いた唇に軽く口付けた。これくらいしたってバチは当たんないだろ。
「⋯⋯叶和⋯」
今日はシャワーだけでいいやと腰を上げたところで微かに呼ばれ、起きたのかと思って見たけど寝言だったみたいだ。
まだ、俺の名前を呼んでくれるんだな。
それだけであのメッセージのモヤモヤも晴れるんだから恋人って凄いよ。
「風呂行って来るな」
さっきよりも明るい気持ちでそう呟いた俺は今度こそその場をあとにした。
でも、せっかく早く帰って来てるのに一緒に寝られないのは残念だな。
それから更に二週間が経って、ようやく忙しさから抜け出せた俺は明るい街中を家に向かって歩いていた。
この時間にここを歩くのも久し振りだし、お気に入りの店が開いてるのを見るのも数ヶ月振りで若干テンションが上がってる。
愁からの連絡はまだ来てないけど、そろそろ終わりそうってメッセージはきてたから落ち着いたらデートしたいな。
それがもしかしたら最後になるかもしれないし、泊まりとかありかも。
「今日は夕飯作ろうかな。置いておいたら愁も食べるかもだし」
俺が作った飯を美味そうに食べてくれる愁を見るのが好きだった。
失敗しても美味いよって笑って完食してくれて、料理苦手だけどコイツの為に頑張って覚えようって思ったんだよな。
愁は煮物が好きだし、和食一択だ。
「そうと決まれば買い物して⋯⋯」
最寄りのスーパーに行く為には信号を渡らなければいけない。だから俺は横断歩道に視線を向けたんだけど、向こう側に愁の姿を見つけて一瞬気分が浮上した。でもすぐに沈んで、口を引き結ぶ。
横断歩道を待つ愁の隣に、愁と同じくスーツ姿の小柄な男性がいたから。
男同士なのにその距離は近くて、顔を見合わせて話す姿に親密さが伺える。
信号が変わって周りの人たちが渡り出しても俺の足は動いてくれなかった。どんどん二人と距離が縮んで、渡り終わった愁が俺に気付いて驚いた顔をする。
「叶和⋯」
何を言えばいいか分からなくて視線をうろうろさせてたら、一緒にいた人が愁の腕に触れ首を傾げた。
俺よりも背の低い、少し幼く見える顔立ちにチクリと胸が痛む。
小柄で可愛い子は⋯愁のタイプだ。
「え、もしかして宮坂先輩の彼氏さんですか? 初めまして。僕、同じ部署で働いてる笹原って言います。宮坂先輩にはお世話になってまーす」
「ど、どうも⋯」
同じ部署で先輩呼びって事は愁にとっては後輩で、これだけ懐いてるなら教育担当ってところか? 愁は優しくて教えるの上手いから、大学の時も後輩に慕われてた。
それよりも、笹原くんとやらの手の位置が気になる。
「綺麗な人ですね、先輩」
「うん。⋯叶和、今からちょっと笹原と飲んでくる。なるべく早く帰るから⋯」
「分かった、行ってらっしゃい」
「先輩、お借りしますね」
笹原くんから例の香水の匂いがして、早く終わっても連絡してくれなかった事に俺は納得した。そりゃ今からデートするんなら、俺にはバレたくないよな。
ふんだ、俺一人で美味いもん食って食って食いまくってやる。
愁には一つも残してやらない。
「ほら先輩、行きますよ」
「あ、うん。じゃあ叶和⋯⋯」
早く行けバカ。今日から俺は一人で寝る。
予備の布団リビングに持って行ってソファで壁作って寝てやるからな。
「⋯叶和?」
愁に対して頭の中で文句を言ってたら本人の戸惑った声が聞こえ、眉を顰めて目線を上げた俺は何でまだ二人がいるのかと訝しむ。
でも二人とも目を瞬いて斜め下を見てて、つられるように見て俺は目を見瞠った。
俺の手が愁のスーツの裾を握ってる。
「叶和」
「あ、いや⋯これは⋯⋯」
「ちょっと、予約時間来ちゃいますから」
「⋯⋯⋯」
笹原くんに迷惑そうに言われて離そうとするけど離れない。
この手を離したら愁は笹原くんとデートに行く。一人で夕飯を食べる俺なんて気にもしないで、二人で楽しく飲んで食べるんだ。
⋯⋯何で? お前は俺の彼氏じゃないのか?
「叶和、どうしたの?」
「⋯⋯⋯」
行くなよ。せっかく二人とも早く帰れるのに、何で俺じゃなくソイツといるんだ。
「もー、先輩。さっさとその手外して⋯」
「ごめん笹原、悩み聞くのまた今度でいい?」
「ええ? 僕が先約なのに?」
「先約って言っても、もう何回も聞いてるし。今回はパス」
え、悩み相談? しかも何回もされてる?
愁は納得いかないって顔してる笹原くんに背を向けると、俺の手を裾から離して握りふっと微笑んだ。あ、この笑顔久し振りに見る。
「そんな顔してる叶和を放ってはおけないから。帰ろう」
そんな顔ってどんな顔って思ったけど、愁は通りのタクシーを捕まえると先に俺を乗せて行き先を伝え、シートに凭れて長く息を吐いた。
邪魔した事に腹立ててるかな。愁に怒られた事はないけど、さすがに今回はブチ切れ案件かもしれない。
お互い何も話す事なくマンション前に着いてタクシーから降りたら、料金を払ってくれてた愁が隣に来て手を繋いでくれる。そのままエントランスからエレベーターに乗り、目的の階に上がって玄関に入るまで離される事はなかった。
「とりあえず着替えようか」
そう言われて二人ともスーツからラフな格好に着替え、また手を引かれて今度はソファに座らされる。隣に愁が座って、不穏さを感じて俺の心臓がドクドクしてきた。
これはもしかして⋯まさかのまさかになる?
「そうだ。叶和、この間ありがとう」
「この間?」
「俺がここで寝落ちて、叶和が毛布かけてくれた」
「ああ。どういたしまして」
そういえばそんな事あったっけ。体調が心配だったけど、風邪とかは引かなかったみたいで良かったよ。
何て安心してのも束の間、不意に沈黙が落ちて、愁が何かを考えるように目を伏せ小さく頷いた。
「あのさ、こうして話すのも本当に久し振りだから、何から言えばいいのか分からないんだけど⋯俺たち忙し過ぎていろいろ擦れ違ってたよね」
「⋯うん」
「だから俺、ちょっと前から考えてた事があるんだ」
「考えてた事⋯?」
「うん。このままじゃ良くない、どうにかしないとって」
つまりそれは、このぎくしゃくした関係に終止符を打つって事か?
確かに顔だって合わせなかったし会話もなかった。付き合ってるのにらしい事なんて何もしないで、ただ同じ家から仕事に行って同じ家に帰ってきて寝るだけ。
それに愁にはもう、好きな人がいる。
本当に俺たちの関係が終わる? 朝起きても、帰って来ても愁はいない。名前を呼んで貰えない、デートも出来ない、触れ合えない。
愁が隣にいないなんて⋯⋯そんなの嫌だ。
「俺たち恋人になって四年経つでしょ? 結構長く付き合って来たし、もうそろそろ⋯」
「嫌だ」
「え?」
「別れたくない」
みっともなくたっていい、女々しいって言われたっていい。
愁がいない日々を当たり前になんてしたくない。
「確かに俺、いい彼氏じゃなかった⋯お前にベタベタされて怒った事あるし、疲れてるからってエッチを断った事もあった。でも、嫌なんて思った事ない⋯」
「叶和⋯?」
「そういうとこ直す。全部直すから⋯⋯別れるのは⋯待って⋯」
う⋯心臓が痛くなってきた。
でも、俺は本当に愁が嫌だって思う部分があるなら直すつもりだ。
愁の顔が見れなくて俯いたまま拳を握ってたら、その手が包まれてあの頃よりも節榑た指に開かれた。
「叶和」
「⋯⋯⋯」
「俺は別れる気なんてこれっぽっちもないよ」
「⋯⋯え?」
予想と違う言葉が返ってきて俺は間抜けな声を漏らした。
ん? あれ? だって笹原くんは? 好きなんじゃないのか?
ポカンとする俺に愁は苦笑し、いつもするみたいにこつんと額を合わせてきた。
「確かに俺の態度とかそっちに向いてるように見えたかもしれないけど、それっていろいろ考えてたからで⋯別れるとかは頭に過ぎった事すらない」
「⋯⋯嘘⋯」
「ホントだって。こんなに叶和の事好きなのに、今さら手放す訳ないでしょ」
「じゃあ笹原くんは⋯」
「? 何で笹原が? アイツはただの後輩だよ」
あっちは確実にお前を狙ってたけどな。
でもそっか、浮気してた訳でも俺に愛想を尽かした訳でもないんだ。
「⋯良かった⋯」
「もしかしてずっと不安にさせてた?」
「今考えたら、俺が勝手に思い込んで勘違いしてただけだった」
「でも、俺がちゃんと話してたらそうならなかったんだから、俺のせいだよ」
出た、甘やかし。これのせいで俺が我儘になったとも言えるからな。
愁の腕が俺の背中に回されしっかりと抱き締められる。この温もりももう俺のじゃなくなるって思ってたから、今こうして貰えて安心するし嬉しい。
俺も抱き返し、肩に頭を寄りかからせて目を閉じる。
「叶和、愛してる」
「俺も」
「今日からはまたたくさんイチャイチャしようね」
気になった事とかもっと早く言っておけば良かった。
もう二度と愁の事疑わない。不安に思ったりしない。
俺はちゃんと、愁に愛されてるって分かったから。
そのあとたくさんキスをして、一緒に風呂に入って久し振りに肌を重ねたけど、盛り上がり過ぎて次の日も仕事あるんだって事忘れてた。
でも二人とも後悔はしてない。寝不足上等。
「そういえば⋯いろいろ考えてたって、何を考えてたんだ?」
「⋯結婚とか」
「え」
「パートナーシップか養子縁組かでちょっと迷ってた。今度二人でしっかり考えよう」
「う、うん」
「あ、指輪は用意してあるから安心してね」
安心とは一体⋯。
俺たちこんなに長い時間一緒にいるのに、一人でいろいろ考え過ぎてたって今回の事でよーく分かった。
これからはもっとたくさん、言葉を交わさないとだな。
FIN.
恋人からのそんなメッセージに気付いたのは、日付けを跨いで帰宅したあとだった。
ここ二ヶ月お互い忙しくて顔さえ合わせてないし、休みもバラバラ、会話だって全然してない。最後にしたのって、「明日から残業続きそう」だもんな。
しかもここ連日、洗濯物には知らない奴の香水の匂いがするし。
「⋯もうダメかもな、俺たち」
付き合って四年、すでに倦怠期なんて言葉では片付けられないくらい心が離れてる気がする。もしかしたら、アイツにはもう他に好きな人がいるのかもしれない。
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でもまさか、浮気されるとは思わなかったな。
俺、大森 叶和と恋人の宮坂 愁は、大学二年の時に友人経由で知り合いすぐに意気投合した。
愁は背も高くイケメンで男女問わずモテるんだけど、元々ゲイでその時は付き合ってる奴がいたんだ。でも、俺と過ごすうちに俺を好きになって別れたらしい。らしいってか、そいつに詰められてるから知ってるんだよな、俺。
で、俺は俺で男とどうこうなる気はなくて、愁の気持ち知ってても知らないフリをしてたのに、ある日の宅飲みで酔っ払った愁に熱烈な告白されて⋯まぁ絆された訳だ。だってその時点で一年経ってるんだぞ。その間ずっと俺を想ってくれてたんだって考えたら何か⋯いじらしくて。
まさか俺が挿れられる側だとは思わなかったけど。
そんなこんなで四年。それなりに楽しかったしそれなりに幸せだった。
『俺には叶和だけだから』
なんてクサイ事言ってたのに、今その気持ちは俺じゃない誰かに向けられてる。
まぁ四年って、続いた方だよな。
「風呂入って寝よ」
明日も仕事があるんだ、少しでも睡眠時間は確保しておかないと。
そう思いソファから立ち上がった俺は、着替えを手に浴室へと向かった。
洗濯は次の休みにまとめてしよう。
五日後、久し振りに日付が変わる前に帰れた俺は玄関に見知った靴がある事に気付いて目を瞬いた。
愁の奴、今日は早かったんだな。
でももう寝てるだろうしと音を立てないようリビングに行くと愁はソファにいて、膝にパソコンを乗せたまま首を項垂れさせて寝息を立ててた。相変わらず寝顔もイケメンだ。
どうやら持ち帰った仕事をやってる途中で力尽きたらしい。
ってかこれ、起きたら首どころか身体にもくるやつじゃんか。仕方ない、ちょっと失礼して、横にしてやるか。
「⋯⋯ん?」
そっとパソコンを持ち上げてテーブルに移動させ、起こさないようクッションを枕に愁を横たえさせたところでスマホが落ちて、電源ボタンにでも当たったのかパッと画面がついた。反射的に目で追ってしまい、見るつもりなかったのに表示された通知につい意識が向く。
『宮坂先輩、昨日はありがとうございました! すーっごく楽しかったです! また一緒に行きましょうね♪』
昨日⋯? 昨日は確か、会社の飲みがあるって言ってなかったっけ。
〝先輩〟って事は会社の後輩で間違いはないんだろうけど、この文面から察するに二人でどこかに行ったっぽい⋯?
愁は、このメッセージにどんな返事をするんだろう。
パスワードを解除してまで人のスマホの中身を覗く趣味はないし、とりあえずパソコンの横に置いて立ち上がり、寝室から毛布を持ってきて愁にかけてやる。
「⋯いい加減、お前の声忘れそう」
実際そんな事はないんだけど、どんな風に触れてたとか、どんな風に抱き締めてくれてたとかはすでに曖昧になってる。
もう二ヶ月以上、触れ合ってないしな。
疲れきった顔を一頻り眺め、少し考えた俺は薄く開いた唇に軽く口付けた。これくらいしたってバチは当たんないだろ。
「⋯⋯叶和⋯」
今日はシャワーだけでいいやと腰を上げたところで微かに呼ばれ、起きたのかと思って見たけど寝言だったみたいだ。
まだ、俺の名前を呼んでくれるんだな。
それだけであのメッセージのモヤモヤも晴れるんだから恋人って凄いよ。
「風呂行って来るな」
さっきよりも明るい気持ちでそう呟いた俺は今度こそその場をあとにした。
でも、せっかく早く帰って来てるのに一緒に寝られないのは残念だな。
それから更に二週間が経って、ようやく忙しさから抜け出せた俺は明るい街中を家に向かって歩いていた。
この時間にここを歩くのも久し振りだし、お気に入りの店が開いてるのを見るのも数ヶ月振りで若干テンションが上がってる。
愁からの連絡はまだ来てないけど、そろそろ終わりそうってメッセージはきてたから落ち着いたらデートしたいな。
それがもしかしたら最後になるかもしれないし、泊まりとかありかも。
「今日は夕飯作ろうかな。置いておいたら愁も食べるかもだし」
俺が作った飯を美味そうに食べてくれる愁を見るのが好きだった。
失敗しても美味いよって笑って完食してくれて、料理苦手だけどコイツの為に頑張って覚えようって思ったんだよな。
愁は煮物が好きだし、和食一択だ。
「そうと決まれば買い物して⋯⋯」
最寄りのスーパーに行く為には信号を渡らなければいけない。だから俺は横断歩道に視線を向けたんだけど、向こう側に愁の姿を見つけて一瞬気分が浮上した。でもすぐに沈んで、口を引き結ぶ。
横断歩道を待つ愁の隣に、愁と同じくスーツ姿の小柄な男性がいたから。
男同士なのにその距離は近くて、顔を見合わせて話す姿に親密さが伺える。
信号が変わって周りの人たちが渡り出しても俺の足は動いてくれなかった。どんどん二人と距離が縮んで、渡り終わった愁が俺に気付いて驚いた顔をする。
「叶和⋯」
何を言えばいいか分からなくて視線をうろうろさせてたら、一緒にいた人が愁の腕に触れ首を傾げた。
俺よりも背の低い、少し幼く見える顔立ちにチクリと胸が痛む。
小柄で可愛い子は⋯愁のタイプだ。
「え、もしかして宮坂先輩の彼氏さんですか? 初めまして。僕、同じ部署で働いてる笹原って言います。宮坂先輩にはお世話になってまーす」
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それよりも、笹原くんとやらの手の位置が気になる。
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「うん。⋯叶和、今からちょっと笹原と飲んでくる。なるべく早く帰るから⋯」
「分かった、行ってらっしゃい」
「先輩、お借りしますね」
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ふんだ、俺一人で美味いもん食って食って食いまくってやる。
愁には一つも残してやらない。
「ほら先輩、行きますよ」
「あ、うん。じゃあ叶和⋯⋯」
早く行けバカ。今日から俺は一人で寝る。
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「⋯叶和?」
愁に対して頭の中で文句を言ってたら本人の戸惑った声が聞こえ、眉を顰めて目線を上げた俺は何でまだ二人がいるのかと訝しむ。
でも二人とも目を瞬いて斜め下を見てて、つられるように見て俺は目を見瞠った。
俺の手が愁のスーツの裾を握ってる。
「叶和」
「あ、いや⋯これは⋯⋯」
「ちょっと、予約時間来ちゃいますから」
「⋯⋯⋯」
笹原くんに迷惑そうに言われて離そうとするけど離れない。
この手を離したら愁は笹原くんとデートに行く。一人で夕飯を食べる俺なんて気にもしないで、二人で楽しく飲んで食べるんだ。
⋯⋯何で? お前は俺の彼氏じゃないのか?
「叶和、どうしたの?」
「⋯⋯⋯」
行くなよ。せっかく二人とも早く帰れるのに、何で俺じゃなくソイツといるんだ。
「もー、先輩。さっさとその手外して⋯」
「ごめん笹原、悩み聞くのまた今度でいい?」
「ええ? 僕が先約なのに?」
「先約って言っても、もう何回も聞いてるし。今回はパス」
え、悩み相談? しかも何回もされてる?
愁は納得いかないって顔してる笹原くんに背を向けると、俺の手を裾から離して握りふっと微笑んだ。あ、この笑顔久し振りに見る。
「そんな顔してる叶和を放ってはおけないから。帰ろう」
そんな顔ってどんな顔って思ったけど、愁は通りのタクシーを捕まえると先に俺を乗せて行き先を伝え、シートに凭れて長く息を吐いた。
邪魔した事に腹立ててるかな。愁に怒られた事はないけど、さすがに今回はブチ切れ案件かもしれない。
お互い何も話す事なくマンション前に着いてタクシーから降りたら、料金を払ってくれてた愁が隣に来て手を繋いでくれる。そのままエントランスからエレベーターに乗り、目的の階に上がって玄関に入るまで離される事はなかった。
「とりあえず着替えようか」
そう言われて二人ともスーツからラフな格好に着替え、また手を引かれて今度はソファに座らされる。隣に愁が座って、不穏さを感じて俺の心臓がドクドクしてきた。
これはもしかして⋯まさかのまさかになる?
「そうだ。叶和、この間ありがとう」
「この間?」
「俺がここで寝落ちて、叶和が毛布かけてくれた」
「ああ。どういたしまして」
そういえばそんな事あったっけ。体調が心配だったけど、風邪とかは引かなかったみたいで良かったよ。
何て安心してのも束の間、不意に沈黙が落ちて、愁が何かを考えるように目を伏せ小さく頷いた。
「あのさ、こうして話すのも本当に久し振りだから、何から言えばいいのか分からないんだけど⋯俺たち忙し過ぎていろいろ擦れ違ってたよね」
「⋯うん」
「だから俺、ちょっと前から考えてた事があるんだ」
「考えてた事⋯?」
「うん。このままじゃ良くない、どうにかしないとって」
つまりそれは、このぎくしゃくした関係に終止符を打つって事か?
確かに顔だって合わせなかったし会話もなかった。付き合ってるのにらしい事なんて何もしないで、ただ同じ家から仕事に行って同じ家に帰ってきて寝るだけ。
それに愁にはもう、好きな人がいる。
本当に俺たちの関係が終わる? 朝起きても、帰って来ても愁はいない。名前を呼んで貰えない、デートも出来ない、触れ合えない。
愁が隣にいないなんて⋯⋯そんなの嫌だ。
「俺たち恋人になって四年経つでしょ? 結構長く付き合って来たし、もうそろそろ⋯」
「嫌だ」
「え?」
「別れたくない」
みっともなくたっていい、女々しいって言われたっていい。
愁がいない日々を当たり前になんてしたくない。
「確かに俺、いい彼氏じゃなかった⋯お前にベタベタされて怒った事あるし、疲れてるからってエッチを断った事もあった。でも、嫌なんて思った事ない⋯」
「叶和⋯?」
「そういうとこ直す。全部直すから⋯⋯別れるのは⋯待って⋯」
う⋯心臓が痛くなってきた。
でも、俺は本当に愁が嫌だって思う部分があるなら直すつもりだ。
愁の顔が見れなくて俯いたまま拳を握ってたら、その手が包まれてあの頃よりも節榑た指に開かれた。
「叶和」
「⋯⋯⋯」
「俺は別れる気なんてこれっぽっちもないよ」
「⋯⋯え?」
予想と違う言葉が返ってきて俺は間抜けな声を漏らした。
ん? あれ? だって笹原くんは? 好きなんじゃないのか?
ポカンとする俺に愁は苦笑し、いつもするみたいにこつんと額を合わせてきた。
「確かに俺の態度とかそっちに向いてるように見えたかもしれないけど、それっていろいろ考えてたからで⋯別れるとかは頭に過ぎった事すらない」
「⋯⋯嘘⋯」
「ホントだって。こんなに叶和の事好きなのに、今さら手放す訳ないでしょ」
「じゃあ笹原くんは⋯」
「? 何で笹原が? アイツはただの後輩だよ」
あっちは確実にお前を狙ってたけどな。
でもそっか、浮気してた訳でも俺に愛想を尽かした訳でもないんだ。
「⋯良かった⋯」
「もしかしてずっと不安にさせてた?」
「今考えたら、俺が勝手に思い込んで勘違いしてただけだった」
「でも、俺がちゃんと話してたらそうならなかったんだから、俺のせいだよ」
出た、甘やかし。これのせいで俺が我儘になったとも言えるからな。
愁の腕が俺の背中に回されしっかりと抱き締められる。この温もりももう俺のじゃなくなるって思ってたから、今こうして貰えて安心するし嬉しい。
俺も抱き返し、肩に頭を寄りかからせて目を閉じる。
「叶和、愛してる」
「俺も」
「今日からはまたたくさんイチャイチャしようね」
気になった事とかもっと早く言っておけば良かった。
もう二度と愁の事疑わない。不安に思ったりしない。
俺はちゃんと、愁に愛されてるって分かったから。
そのあとたくさんキスをして、一緒に風呂に入って久し振りに肌を重ねたけど、盛り上がり過ぎて次の日も仕事あるんだって事忘れてた。
でも二人とも後悔はしてない。寝不足上等。
「そういえば⋯いろいろ考えてたって、何を考えてたんだ?」
「⋯結婚とか」
「え」
「パートナーシップか養子縁組かでちょっと迷ってた。今度二人でしっかり考えよう」
「う、うん」
「あ、指輪は用意してあるから安心してね」
安心とは一体⋯。
俺たちこんなに長い時間一緒にいるのに、一人でいろいろ考え過ぎてたって今回の事でよーく分かった。
これからはもっとたくさん、言葉を交わさないとだな。
FIN.
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※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
コメントありがとうございます🙇♀️
何だかんだと相性がいい二人ですよね😊
なかなかに可愛らしいカップルが生まれたかなと🤭
わんわんバージョンもちょっと考えていたので、書きたいなと思ったら書くかもしれません(笑)
いつになるかは分かりませんが、前向きに検討させて頂きます🫡
コメントありがとうございます🙇♀️
攻めのにゃーも見てみたいけど、やっぱり受けちゃんがにゃーにゃー言ってるのがいいですね😊
ネコなだけに(笑)
コスプレとはまた違った可愛さがあって良きです🤭
二人はたまーに言い合いしながらもラブラブで過ごすと思いますよ✨