魔法の絵描き

灰塔アニヤ

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魔法の絵描き

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少年は絵を描く事が大好きでした。
物心ついた時には傍らに紙と鉛筆。

とにかく何でも描きました。

初めてお母さんに、24色の色鉛筆を貰った時の喜びは今でも忘れられません。

数年後、少年のおばあちゃんが大変な病気に罹ってしまいました。
おばあちゃんはいつも顔色が悪く、食欲もなく、自慢の美しい白髪もすっかり抜け落ちてしまいました。
街一番のお医者様が手術をしてくださると、決まった日もおばあちゃんは浮かない顔をしていました。

そこで、少年はおばあちゃんの白髪が美しく、いつも笑顔でいた頃の事を思い出して、似顔絵を描きました。
おばあちゃんは久しぶりの笑顔を見せて、
「手術中の御守りにするからね、ありがとう」
と、少年の頭を優しく撫でました。

おばあちゃんの手術は見事成功し、今ではすっかり元気です。
助からないかも知れない、とさえ言われていた病気でしたから、お医者様も街の人達もびっくり。

珍しい事だと新聞記者達も駆けつけました。
その時、おばあちゃんはふと口にしたのです。
「助かったのは、孫の絵のお陰かしら」
と。
少年の絵の事もすぐに新聞に載りました。
元々絵が上手なうえに、珍しい病気でさえ治してしまう力がある。
……そんな記事がたくさんの新聞に載ったものですから、少年の家には絵を書いて貰いたい人々がたくさん訪れました。

少年は少し人見知りでしたが、お母さんは来客者を温かいお茶と美味しいお菓子で歓迎しました。
少年もたくさん絵が描けて、毎日が楽しくて仕方ありませんでした。

ある日の事です。

絵を描き終え、お母さんからのお遣いを済ませた帰り道の事。
髭面に赤ら顔、足元も覚束無い男が少年に声を掛けました。
「坊主、お前の絵は願い事が叶うんだろう?」
男の息は酒臭く、ポケットにはお酒を持ち運ぶためのスキットルが見えます。
少年は買ったばかりの食材の入った紙袋を、ぎゅっと握りしめました。
男から少し距離を取りながら、
「……そうだよ」
と小さく答えました。
「それじゃあよぉ、俺が博打で大勝ちする様を描いてくれよ」
「ばくち……?」
「知ってるぜ?坊主が知らないものでも、ちゃんと説明してやればきちんと描けるってよぉ。なぁ、描いてくれよ」
少年は少し嫌な気分になって答えられずにいると、彼の帰りが遅い事を心配したお母さんが向こうの通りからやってきました。

男はお母さんにも同じ事を言いました。
お母さんも少年と同様、嫌な気配を感じましたが、断る事も怖く、しぶしぶ男を家に招き入れました。

早速、少年は説明を聞きながら絵を描き始めます。

お母さんはいつもは美味しいお茶とお菓子を用意するのに、男には水しか出しませんでした。
四苦八苦しながら絵を描き、男に渡します。
「今日は大勝ちだぜ!」
とスキットルの酒を飲みながら、男は上機嫌で少年の家を後にしました。
少年の心の中には、嵐の前の木々のざわめきのような、不安感が残りました。

少年の予感は的中しました。

その晩は月の光もない真っ暗な夜でした。
静かで、遠くの森でフクロウが鳴く声さえ聞こえました。

その静けさを打ち壊すように、家の扉が激しく叩かれました。家族の皆が飛び起きました。
扉の向こうでは何やら喚き散らす声も聞こえます。おばあちゃんは、少年をぎゅっと抱きしめ、お母さんは扉が蹴破られ無い様にと、家中の椅子を扉の前に置きました。

息を殺して、恐る恐る扉の向こうに耳をそばだてます。
声の主はさっきの酒飲み男でした。
酔っ払っていて、何を言っているのか殆ど分かりませんでしたが、たくさんの暴言と共に扉に何かを投げつけました。
ビンの割れる甲高い音も響きます。

その日以来、少年は一切絵を描かなくなりました。

少年は元々大人しい子供でしたが、あれ以来、家に籠りがちになってしまいました。
紙と鉛筆も、お気に入りだった24色の色鉛筆も机の中から出す事は無くなりました。

お母さんは、少年を元気づけようと毎日美味しいご飯を作りました。
が、少し口にするばかりで自室に籠もってしまいます。
おばあちゃんは、彼の絵をたくさん褒めて優しく諭しましたが、少年は無表情で頷くだけでした。
そんな日々が続きましたが、お母さんはそれでも少年に元気になって欲しい一心で頑張りました。

今日は彼の大好きな黒すぐりのタルトを作ろうと市場へと出掛けました。
食卓が少しでも明るくなるように季節の花も買おう。
色あせてきたテーブルクロスもこれを機に新しくしよう。
段々、明るくうきうきとした気分になってきました。
考えを巡らせながら歩いていると、市場の手前の大きな広場に差し掛かりました。
広場には野外演奏会が出来る、ちょっとした舞台があります。

お母さんは舞台を見てあおざめました。
さっきまでの明るい気持ちが、吹き消されたろうそくの火の様にすっと消えました。
舞台上には例の酒飲み男がいて、男を囲むように人々が集まっています。
あの晩と違い、男の言葉ははっきりと聞こえました。
「あの坊主の描いた絵は何も叶えやしない!」
お母さんは、叫び出しそうになるのを懸命に堪えながら後退りをしました。
「私は好きな人の絵を描いてもらったのに振られたわ!」
「飼っていた猫がすぐに死んじゃった……」
「家業がどんどん傾いていくばかりだ」
「あいつらはペテン師家族だ!」
集まった人々は絵を破いたり、踏みにじったり、火を放ったりしました。
すぐに役人が駆けつけましたが、それよりも早く、お母さんは一切の買い物もせず家には向かって走り出しました。

「お母さん……どうしたの?」
ただならぬ様子で帰ってきたお母さんを見て、少年は動揺しました。
お母さんは彼の質問には答えず、強く抱きしめました。そして涙声で言いました。
「ねぇ、お願いがあるの。……お母さんの似顔絵を描いて?」
少年はためらいましたが、机の中から紙と鉛筆、24色の色鉛筆を久しぶりに取り出しました。
涙を滲ませるお母さんの顔を見ながら、一生懸命絵を描こうとします。

が、今までどんなふうに鉛筆を持っていたのか、どうやって絵を描いていたのか、描こうとしているお母さんの顔の輪郭さえもぼやけてしまって……。
紙は真っ白のまま、何も描かれる事はありませんでした。
「ごめんなさい。僕には描けないよ」
「お母さんこそ……ごめんなさいね」

それから時は経ち、おばあちゃんは老衰で亡くなり、少年も青年へと成長しました。

年老いたお母さんを支えながら、二人慎ましく暮らしていました。
とある晴れた昼下がり。
控えめに家の扉を叩く者がおりました。
郵便屋かと青年が扉を開けると、思いがけない小さな来訪者が、じっと彼を見上げていました。

近所に住む少女でしたが、あまり言葉を交した事はありません。
手には不思議な色の花を持っていました。
「ねぇ、お兄さんは絵がとっても上手なんでしょう?このお花の絵を描いて」
突然少女は言いました。
「……僕は絵なんて、描けないよ」
「嘘よ。ここのおばさんから何度も聞いたもの。絵もたくさん見せてもらった。ぜんぶ、とても素敵だったわ」
青年は、台所に立つお母さんをはっと、見遣りました。
お母さんはお転婆娘のように、ぺろりと小さく舌を出して見せました。
「このお花はとても綺麗だけど、一日で枯れてしまうの。でも、何度もつみ取るのはかわいそうで……お願い、このお花の絵を描いて」
青年は柔らかくほほえんで、
「母さん、お客さんに美味しいお茶とお菓子を。君の為に……絵を描くよ」
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