26 / 36
〔26〕実現しうる可能性の中に先取りされた未来。
しおりを挟む
『私』が現実において実現しうる可能性として、私自身にすでに見出されているところのものである、「未来において何か意味があり価値のある何者かになる」という、私自身の可能性。その一点に賭けて現在を生きている私にとって、「私であることの価値=意味」は、未来において見出されるところの「何者かになった私」にしかない。それは、私において見出されるばかりでなく、誰においても見出しうるところの「何者か」であるからこそ、『意味=価値』がある。「誰もが所有できるような価値=意味を、私が所有している」からこそ、その所有している私の価値=意味が、「価値=意味として見出せる」ことになるのだ。
そのように、「所有=獲得できるはずの未来」に私自身を賭けて、『私』は今を生きている。「そうではない私」であれば、たしかに今ここにいる。しかし、「それ」に一体何の意味=価値があるのか?今ここにない価値=意味を、「私の価値=意味」と言うことは、私自身としてできないのだ。つまり、「何者かである私にこそ価値=意味がある」のであれば、「その何者かにでなければ、私自身を見出すことなど、私自身にもできない」のである。「何者かであるところの者が、私自身である」からこそ、「私自身に価値=意味があると私自身として言いうる」のだから。「私自身に価値=意味があるから、私は何者かになりうる」のではなく、「何者かとなった私に、何者かとしての価値=意味があると見なされる」からこそ、「私は、何者かにならなければならない」のだ。「そうではない私」など、私自身にとっても他の誰にとっても、「何の意味=価値もない」のである。
しかし一方、「むしろ現実とはそんなものではないのか?」という考えもあるかもしれない。「むしろ普通の人生なんて、そのようなものではないのか?」と。「誰もが、そのような不毛な人生を生きているにすぎないのではないか?」と。
ところで「それ」は一体、「誰の人生」なのか?「誰にでもありうるような人生」であれば、「誰の人生でもない人生」ということになるのか?だから、「誰もが」ということが言えてしまうのではないのか?『期待』とは、そもそもそのような「誰でもない人生」を、もっと言えば「他人の人生」を、「私の人生として期待している」ということなのではないのだろうか?
期待とは言うまでもなく欲望であり、なかんずく未来を欲望する、現在においての欲望である。それは、予測可能な結果すなわち「そうなることがわかりきった結果」を、「自分の権利として要求することができる」ものとすることへの欲望、ということである。そしてそれが、「予測可能な満足」として、現実として間違いなく訪れることを、人は、それがまだ訪れていない現在において当てにしているのだ。
期待することにおいて、人はその結果を、それが実際に訪れる前にすでに先取りしている。つまり、「今この現実を生きている間」においても、実はすでに「来たるべき現実を部分的に先取り」して、今この現在を実際に生きているのであり、言い換えれば、将来的なその取り分を、部分的にすでに現実において消費しながら、今この現在を生きているのである。人が自らの期待することの、その来たるべき結果に頼るのは、そのような先取りされた消費分の、間違いのない埋め合わせが「期待されている」からだ。それはそれは、非常に切実な思いをもって。
たとえばもし、「明日になれば何かいいことがあるかもしれない」と期待しているならば、それは「明日がまたやってくる」ということの自明性の上に成り立っている期待である。その自明性が、「まだやってきてもいない明日」を、「期待の回収として当てにできるもの」にしている。そのように「当てにされている明日」は、実はすでに「今日において前払いされている」のだ、と言える。それはたとえば、今まで積み立ててきたものを明日になったら受け取ることができるというような、「当てにしている」ということの通常の意味ばかりではなく、今日において前払いされた明日を、実際に明日になって受け取れることを先取りするようにして、人はその当て込み分を元手にして、今日の実際の支払いに当てている、ということでもある。実際に見積もられた分だけの明日がやってくるものなのかどうかは、本当のところは「実際に明日になってみないとわからない」のかもしれない。誰でも本当はそのことを、うすうす承知しているのかもしれない。しかし、「それでも明日はやってくる」というのならば、そこに何も期待しないというのは無理な話だろう。逆に、本当のところはわからないというのも、一つの「期待」なのではないか?
しかし人はおそらく、「自分が期待していたものが実際に実現した」としても、それに対して別に取り立てて「満足する」ような、自分にとってそれが何かしらのプラスになるものというようには、実はあまり感じられないだろう。それは、期待の上では実現して当たり前なものであり、ただ単にそれで「期待が埋め合わせられる」という意味で、その実現によって現状としてようやくイーブンなものとして受け止められるだろう。逆にもしそれが訪れないとしたら、それは先取りして使い込んだ分が現状では回収できないということが、現実として明らかになるということであり、その収支として欠損が生じるということであり、つまり、自分自身においてはマイナスを抱える、ということになる。このようなマイナスは、ただ単に期待が無駄骨になるだけではなく、先取りして使い込んだ期待が、現実的な負債となって我が身にのしかかってくるということを意味するのでもある。期待において前払いされた未来は、その期待を使い果たしてしまう前に訪れてくれなければ、ただの負債として残るだけである。そして後は、その返済に追われる人生だけが残る、ということになる。
そのように、「所有=獲得できるはずの未来」に私自身を賭けて、『私』は今を生きている。「そうではない私」であれば、たしかに今ここにいる。しかし、「それ」に一体何の意味=価値があるのか?今ここにない価値=意味を、「私の価値=意味」と言うことは、私自身としてできないのだ。つまり、「何者かである私にこそ価値=意味がある」のであれば、「その何者かにでなければ、私自身を見出すことなど、私自身にもできない」のである。「何者かであるところの者が、私自身である」からこそ、「私自身に価値=意味があると私自身として言いうる」のだから。「私自身に価値=意味があるから、私は何者かになりうる」のではなく、「何者かとなった私に、何者かとしての価値=意味があると見なされる」からこそ、「私は、何者かにならなければならない」のだ。「そうではない私」など、私自身にとっても他の誰にとっても、「何の意味=価値もない」のである。
しかし一方、「むしろ現実とはそんなものではないのか?」という考えもあるかもしれない。「むしろ普通の人生なんて、そのようなものではないのか?」と。「誰もが、そのような不毛な人生を生きているにすぎないのではないか?」と。
ところで「それ」は一体、「誰の人生」なのか?「誰にでもありうるような人生」であれば、「誰の人生でもない人生」ということになるのか?だから、「誰もが」ということが言えてしまうのではないのか?『期待』とは、そもそもそのような「誰でもない人生」を、もっと言えば「他人の人生」を、「私の人生として期待している」ということなのではないのだろうか?
期待とは言うまでもなく欲望であり、なかんずく未来を欲望する、現在においての欲望である。それは、予測可能な結果すなわち「そうなることがわかりきった結果」を、「自分の権利として要求することができる」ものとすることへの欲望、ということである。そしてそれが、「予測可能な満足」として、現実として間違いなく訪れることを、人は、それがまだ訪れていない現在において当てにしているのだ。
期待することにおいて、人はその結果を、それが実際に訪れる前にすでに先取りしている。つまり、「今この現実を生きている間」においても、実はすでに「来たるべき現実を部分的に先取り」して、今この現在を実際に生きているのであり、言い換えれば、将来的なその取り分を、部分的にすでに現実において消費しながら、今この現在を生きているのである。人が自らの期待することの、その来たるべき結果に頼るのは、そのような先取りされた消費分の、間違いのない埋め合わせが「期待されている」からだ。それはそれは、非常に切実な思いをもって。
たとえばもし、「明日になれば何かいいことがあるかもしれない」と期待しているならば、それは「明日がまたやってくる」ということの自明性の上に成り立っている期待である。その自明性が、「まだやってきてもいない明日」を、「期待の回収として当てにできるもの」にしている。そのように「当てにされている明日」は、実はすでに「今日において前払いされている」のだ、と言える。それはたとえば、今まで積み立ててきたものを明日になったら受け取ることができるというような、「当てにしている」ということの通常の意味ばかりではなく、今日において前払いされた明日を、実際に明日になって受け取れることを先取りするようにして、人はその当て込み分を元手にして、今日の実際の支払いに当てている、ということでもある。実際に見積もられた分だけの明日がやってくるものなのかどうかは、本当のところは「実際に明日になってみないとわからない」のかもしれない。誰でも本当はそのことを、うすうす承知しているのかもしれない。しかし、「それでも明日はやってくる」というのならば、そこに何も期待しないというのは無理な話だろう。逆に、本当のところはわからないというのも、一つの「期待」なのではないか?
しかし人はおそらく、「自分が期待していたものが実際に実現した」としても、それに対して別に取り立てて「満足する」ような、自分にとってそれが何かしらのプラスになるものというようには、実はあまり感じられないだろう。それは、期待の上では実現して当たり前なものであり、ただ単にそれで「期待が埋め合わせられる」という意味で、その実現によって現状としてようやくイーブンなものとして受け止められるだろう。逆にもしそれが訪れないとしたら、それは先取りして使い込んだ分が現状では回収できないということが、現実として明らかになるということであり、その収支として欠損が生じるということであり、つまり、自分自身においてはマイナスを抱える、ということになる。このようなマイナスは、ただ単に期待が無駄骨になるだけではなく、先取りして使い込んだ期待が、現実的な負債となって我が身にのしかかってくるということを意味するのでもある。期待において前払いされた未来は、その期待を使い果たしてしまう前に訪れてくれなければ、ただの負債として残るだけである。そして後は、その返済に追われる人生だけが残る、ということになる。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
新しい家族は保護犬きーちゃん
ゆきむらさり
エッセイ・ノンフィクション
〔あらすじ〕📝初めて🐶保護犬ちゃんを迎え入れる我が家。
過去の哀しい実情のせいで人間不信で怯える保護犬きーちゃん。
初日から試行錯誤の日々と保護犬きーちゃんがもたらす至福の日々。
◇
🔶保護犬ちゃん達の過去・現在の実情の記述もあります🐾
🔶日々の些細な出来事を綴っています。現在進行形のお話となります🐾
🔶🐶挿絵画像入りです。
🔶拙いエッセイにもかかわらず、HOTランキングに入れて頂き(2025.7.1、最高位31位)ありがとうございます🙇♀️
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
島猫たちのエピソード2025
BIRD
エッセイ・ノンフィクション
「Cat nursery Larimar 」は、ひとりでは生きられない仔猫を預かり、保護者&お世話ボランティア達が協力して育てて里親の元へ送り出す「仔猫の保育所」です。
石垣島は野良猫がとても多い島。
2021年2月22日に設立した保護団体【Cat nursery Larimar(通称ラリマー)】は、自宅では出来ない保護活動を、施設にスペースを借りて頑張るボランティアの集まりです。
「保護して下さい」と言うだけなら、誰にでも出来ます。
でもそれは丸投げで、猫のために何かした内には入りません。
もっと踏み込んで、その猫の医療費やゴハン代などを負担出来る人、譲渡会を手伝える人からの依頼のみ受け付けています。
本作は、ラリマーの保護活動や、石垣島の猫ボランティアについて書いた作品です。
スコア収益は、保護猫たちのゴハンやオヤツの購入に使っています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる