不十分な世界の私―哲学断章―

ササキ・シゲロー

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〔36〕この世界にあらわれ去っていったという取り消すことができない事実を残して、私はこの世界を去っていく。(終)

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 アレントは『世界』を、「…私たちがやってくる前からすでに存在し、私たちの短い一生の後にも存続するものである…」(※1)と言い、それを「共通世界」と呼んでいる。
「…それは、私たちが、現に一緒に住んでいる人びとと共有しているだけでなく、以前にそこにいた人びとや私たちの後にやってくる人びととも共有しているものである。…」(※2)
「…共通世界とは、私たちが生まれるときにそこに入り、死ぬときにそこを去るところのものだ(中略)それは、過去の方向においても、未来の方向においても、私たちの一生を超越している。…」(※3)
 アレントは「共通世界」を、「そこに入り、そこを去るもの」と表現している。しかしもし「共通世界」が、そのように「私たちの一生を超越し、私たちがやってくる前からすでに存在していて、私たちの短い一生の後にも存続しているもの」だとしたら、見方を変えればそれは、「私たちとは無関係に存在し、私たちには無関係に存続しうるもの」だ、とは言えないだろうか?
 だが『世界』は、それ自体としては成立しない。言い換えると、「共通世界は、その中には何も含まない、何らの内容も持たない」ものなのである。アレント自身による有名な「公共のテーブル」という概念において言われているように、その「テーブル」はあくまでも、「…その周りに坐っている人びとの真ん中(ビトゥイーン)に位置している…」(※4)のであって、人々は、「そのテーブルの中に含まれているもの」ではけっしてない。テーブルは人々を、その人々の『間』において「介在(イン・ビトゥイーン)するもの」なのであって、そのような「介在=媒介」は、「互いに関係すること」という、人々の主体的な行動においてはじめて成立しているものなのであり、けっして人々を、「その中に回収する」ものではない。テーブルを囲むような関係が生じないところにおいては、そのテーブルとしての意味も生じないのであり、逆に、そのような「関係が生じる」のであれば、みかん箱であれ将棋盤であれ、テーブルとしての「意味を持つ」ことになる。要するに、そのような関係においては、テーブルが「関係の主体」になるということはないのである。
 ところで、「共通世界」が、私たちがやってくる前からすでに存在し、私たちの短い一生の後にも存続するものだということを、私たち自身で確かめる=認識することは不可能だろう、と言える。私たち自身がそれを確かめる=認識できるのは、他者の存在によってである。他者が生まれるときにそこに入り、死ぬときにそこを去るのを、私たちが目撃することによって、私たちはようやく、私たち自身が生きている「この場所」が『世界』であるということを確かめる=認識することができるようになるのであり、また同時に、私たち自身もかつて生まれたときに、そのようにその場所=世界に入ってきて、やがて死ぬことになるときには、やはりそのようにその場所=世界を出ていくことになるのだと、「考えることができるようになる」のだ。そのときには、私たちが他者の誕生と死を目撃したことで、私たちが考えることができるようになり、確かめること=認識できるようになったことが、私たち自身の誕生と死を他者が目撃することによって、他者においても考えられ・確かめられ・認識されるようになるのである。

 『世界』は、人々が互いに関係するようなところにおいては常にあるものであり、またそれは、人々が互いに関係することにおいてのみあるものなのだ、と言いうる。そのような『世界』に、存在者=他者は引きも切らず無限多数に入ってきて、そしてやがては一人の例外もなく去っていくことになる。現に生きている私は、その最初の存在者ではなかったし、おそらくその最後の存在者にもならない。私は、この世界が何であるかを予め知ることができないままこの世界にあらわれ、この世界を知り尽くすことができないままこの世界を去っていく。ただ、私がこの世界にあらわれ去っていったという、取り消すことができない事実=『歴史性』だけを残して。
 しかしこの、私が知り尽くすことができない世界が、「尽くされえないがゆえに、絶やされえないもの」として存続しうるのだとしたら、そのような世界に、取り消すことができずに残り続ける「私がこの世界にあらわれ去っていったという事実=『歴史性』の永続」が、私自身にたとえ小さく儚くとも何か希望を持たせるものとはならないだろうか?もし、期待なるものが、その結果を知り尽くしていることにおいて成り立つのであるとして、それとは異なり、『希望』が尽きることがない限り絶えないものとしてあるのなら、「この世界の結果を、私は知り尽くすことができない」という事実が、この世界において取り消されることなく永続する限り、けっして絶えることがないものとして、私が「この世界に希望を抱きうる」のだということが、もしかしてこの『世界』にとって何か、不都合なこととなりうるだろうか?

《了》

◎引用・参照
(※1)~(※4) アレント「人間の条件」第二章7 志水速雄訳

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