たとえ秋には君が隣にいなくとも

神崎みこ

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 洋行は、ただ秋絵を避けるために、次の週もどう考えてもいい訳にしか聞こえない理由で、会う事から逃れていた。
秋絵にしても、明らかにおかしい洋行の行動を咎めることすらせず、電話口でどこかほっとしたような口ぶりだったことに、洋行は気が付けないでいた。
偶然、とはもはや言えないほど、亜紀子との接触は頻度を増し、洋行の心は急速に彼女の方へと惹き付けられていた。甘ったれた話し方で、どこか猫を思わせるような容姿の女に、自分が惹かれていることを認めたくなくて、子どもが嫌々をするように頭を振った。
なのに、亜紀子の姿がみえなければ 一抹の寂しさを覚え、亜紀子の姿が見えれば後ろめたく感じてしまう。
感情の一部が彼女に支配されているようで、どうにも不快な気分を押さえる事ができない。そんなときは、秋絵と将来二人で暮らしている様子を想像することで、自分自身の気持ちを落ち着かせもしたし、そのことで洋行は自分が好きなのはまだ秋絵であることを確認することができた。本来ならばそんな確認作業をすることすらおかしなことなのだが、混乱した洋行はそのことに縋る事でなんとか平静を保っていられたのだ。

だけど、これ以上は無理だ、いや、いっそ素直になればよい。

そんな思いが浮かんではみるものの、秋絵と付き合ってきた年月の長さ、その居心地のよさを身に染みている立場としては、その一時的で軽薄な思いに身を任せるわけにはいかないのだと、強く言い聞かせる。
彼女の体を押し倒したいと思った衝動。
それは全て肉欲からくるものであり、それだけでしかありえない。肉体的に若いオスならばおこるべくただの欲求でしかないのだと、繰り返し繰り返し呟いてみる。
不安定な心を持て余した中、唯一の光のような計画を思いつく。洋行にとっては、いや、秋絵にとってもこの上もなく幸せなその提案は、一時的に洋行の精神を安定させ、予定された未来に思いを馳せる事で彼は健やかな眠りにつくことができた。
来週は、秋絵に会わなくてはならない。
洋行は、久しぶりに夢を見ることなく朝まで眠る事ができた。




「どうした?」
「ん?ううん、なんでもない」

中二週を経たデートだというのに、あまり気乗りのしない秋絵は、明らかに生返事を繰り返していた。
原因は、今現在もかばんの中に転がっている携帯電話の中身にある。
あれ以来、仲とは頻繁に、というほどではないけれど、それなりにメールのやりとりを繰り返している。今朝もやはりメールがきていた。秋絵は、今日洋行と会うことを思い出し、なんとなくその返事を出しそびれていたのだ。
先ほどからそのことが気になってしかたがない。
今現実に目の前にいる洋行のことなど、意識のどこかへ押しやってしまったかのようだ。
そんな恋人の変化に気がつかないはずも無く、洋行はずっと心ここにあらずの彼女に対して戸惑っていた。
なにしろ長い付き合いだというのに、彼女がこのような態度を取ることがはじめてだったからだ。
思えば、どちらかといえば彼女の方が熱心に洋行に合わせていた。
だからこそ、初めてこんな風に自分自身を蔑ろにされているともいえる行動をとられても、戸惑う以外のことができないでいるのだ。
なにより、今の洋行には彼女に対して引け目をかんじているからなおさらだ。
亜紀子との接触は回数を重ね、いつのまにかお昼ご飯を一緒に食べるところまでいきついていた。その先に何があるか、など、予想できないほど洋行は幼くもない。これ以上ずるずると長引けば、そちらの方向へと流されてしまう自分を自覚してもいる。もちろん、洋行は秋絵のことを愛している。だが、この不可解な思いをどう呼べばいいのかはわからないのは本当のところで、それなのに、秋絵のことを手放すつもりは毛頭なく、また、亜紀子のことが忘れられないのも事実なのである。

「あのさ」
「ん?」
「俺たち年も年だしさ」
「うん、そうね。もうすぐ三十……」
「だからさ」
「なに?」
「結婚しないか?俺たち」

昼間のカフェで突然もたらされた洋行の言葉を、秋絵は直ぐには理解できないでいた。
徐々に頭が動いていくなか、ようやく理解できたその言葉は、今まで待ち焦がれていた言葉そのものであるにも関わらず、彼女の神経をひどく逆撫するものだった。

「年だから?私が三十路越えだから結婚するわけ?」

いつもは穏やかな秋絵の雰囲気が一変し、それなりの緊張をもって放った言葉に対する答えがあんまりなものだったにもかかわらず、二の句を告げないでいる。

「それでなに?おたくのお嬢さんもいい年ですから僕が貰って差し上げますよって、うちの父親に挨拶するわけ?」
「いや、いくらなんでもそれは」

ようやく言い返せたものの、ペースは完全に秋絵のものとなっている。彼女がこんなにも激しくつっかかってきたことが初めてで、どうにも上手く対処ができない。
そもそも、純粋な意味でプロポーズをしていたわけではないことを、自分自身が痛感している。
秋絵の勢いに押されなくとも簡単にボロを出していただろう。土井亜紀子の存在そのものを忘れるために洋行が考えて考えて、考え抜いた結論が秋絵と結婚すること、だったのだから。

「じゃあなに?年も年だしって、なんなわけ?それだけの理由で結婚したいだなんて言ってるわけ?」

トーンアップした秋絵の声は、周囲の注目を浴び、内容が内容なだけに周りも声を立てずに、でも好奇心を隠せない様子でこちらの状況を窺っている。
目の前で感情的になる彼女も、周囲の視線にも耐えられない洋行は、咄嗟に伝票を掴み彼女を連れ出してその場から逃げ出そうとする。 そんな洋行の手を振り払い彼女は自分の分のお金をテーブルにのせる。

「悪いけど、帰る」

慌てて秋絵に追いつこうとするものの、清算が残っている洋行にはそれができるはずも無く、慌しく会計を済ませた後には、彼女の姿はどこにも発見することができなかった。
ただ一人取り残された洋行は、呆然と立ち竦み、しばらくしたのち自分の家へと足を向けた。

そのとき、秋絵の家へと行かなかったことを後になって後悔することなど知らずに。

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