日常(?)ショートショート集

新床成実

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道の半ばにて

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 砂をるような足音が、どんどん遅く、小さくなってゆく。それはとうとう止まってしまい、俺は道の真ん中に突っ立って、ただ隣で流れる川の音を聞き流すだけになっていた。

「あぁ……駄目だ。歩けねぇや」

 ぽつりと零す。
 この坂、そんなにキツくないのにな。ぼやけた頭でひとごとのように、前に進まない自分の体を感じる。気を抜いたら後ろへ転がり落ちてしまいそうにも思えた。




「――あれ、西崎? 偶然だな! 今帰りか?」

 ……よりによって。今、一番会いたくない奴の声がした。
 振り向くと、遠くから声の主――吉永が自転車を押して歩いてきていた。

「西ざ……おい、どうした? 何かあったのか」

 ほら、こうして突っ込んでくる。
 吉永は俺に近づくと、肩を掴んで少し声を低くした。心配する目に抗えず、俺は事情を話してしまう。

「――別れたんだよ。あいつと。美咲と」
「えっ、何で!? あんなに仲良かったじゃねぇか! もう、二年くらいになるだろうに」

「〝重い〟って。〝耐えられなくなった〟って。〝家族や周囲の目が気になる〟とも言ってた。嫌な事は直すって、小一時間粘ったけど、ダメだった。もう無理だって……謝られるばかりで、取りつく島もなかったよ」

「はーっ! なんだよ、それ。あっちから告っておいて、勝手だな! そんな奴だったのか!」

 美咲を悪しざまに言う吉永に腹が立ち、ついつい噛みつくように言い返した。

「お前には分からないだろうけど、俺はあいつのことが本当に好きだったんだよ。あいつの願いなら何だって叶えたかった。送り迎えは毎日行ったし、デートの頻度を増やすと言えば時間を空けて、減らすと言えば我慢した。好き嫌いや趣味もなるべく寄せて、同じ大学に来てほしいと冗談でも言ってくれたから、頑張って、ようやく、A判定にまでなった所だったのに……」

 うだうだと話していると、不意に乾いた笑いが浮かぶ。吉永はただ黙っている。

「ははっ、こういう所が、重いってヤツだったんだろうな……。ずっとあいつを優先して、あいつの為にやってきて……何も残らなかった。全部無駄にして、何の意味も無くしちまった」

 声が掠れてきた。滲む視界の中で、吉永がまっすぐ俺を見ていた。

「そりゃあ、辛かったな……。悪いことを言った。……けどな、意味がすべて無くなったって訳ではないと思うぞ?」
「は?」

「少なくとも、お前の成績は格段に伸びた。人と話すのも、場を盛り上げるのもうまくなった。楽しかった思い出も嘘じゃない。全部、ちゃんとお前の中に残ってる」

 ぽかんとする俺をよそに、吉永は続ける。

「志望校、あいつより下には落とすなよ。お前自身がせっかく努力して積み上げてきたものだ。わざわざ坂を下りるようなことをする必要はないからな」

 こいつは、鬼だ。畜生だ。人が落ち込んでいるときに、平気でこんなことを言いやがる。

「今は考えなくていい。後ろに倒れないように、俺が背中くらいは支えてやる」

 ぽん、と背中を押されて、自然と足が前に出た。

「今日はゆっくり休め。また明日、学校に来いよ」


 吉永に肩を借り、俺は涙でぐしゃぐしゃの視界のまま、長い坂道をまた歩き出した。
 耳にはただ、砂を擦るような音ばかりが聞こえていた。



  *



「おかえり、兄ちゃ……あれ、吉永さん?」
「おー、久しぶり、詩織ちゃん」

 玄関の扉を開けると、妹の詩織が出迎えてくれた。

「今こいつ、訳あって傷心中なんだ。悪いけど、しばらくはくれぐれも気にかけてやってくれ」
「そ、そっか。そりゃそうだよね……。分かった! 任せて!」

 詩織は俺とは対照的に、何かいいことでもあったのだろうか。元気に動き回る詩織の姿に、俺は少しだけ、気持ちが上向きになった気がした。

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