天空詠みの巫女

鷹矢竜児

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叙章 アガルタの記憶に徒花を

叙の三 炎の河童に記念日を ①

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「ごめんなさい……」

 夕暮れも間近な放課後の屋上に、女子生徒の声は空しく響く。


 ’三六年〇四月、一七日(約束の日まで、あと二〇八日)


 神威市郊外――太平洋を眼下に見下ろす小高い丘の上に、私立極東学院高等部の校舎は建っていた。

 全校生徒、約三百六十人。併設する幼稚園から大学までを含めると、およそ千五百人以上が通う、ちょっとした学園地区のほぼ中央にその校舎はある。

 生徒会長を勤める神矢かみやサヲリは、校舎の屋上に呼び出され、今まさに同じクラスの男子生徒から“告白”を受けている最中であった。

「私たち、来年は受験でしょう? 今はそんな気分になれないのよ……ごめんなさい」

 全校生徒の代表である、“生徒会長”として――そんな立場を崩すことなく、サヲリは男子生徒からの申し入れを断っていた。

「僕としては、君とのことを励みに受験を乗り切りたいと思っているんだが……」

 なおも食い下がる彼に対し、サヲリは深々と頭を下げる。

「……本当にごめんなさい」

 まったく揺るがない彼女の決意を、男子生徒は受け入れるしかなかった。

「そうか、わかったよ……呼び出して悪かったね?」

「いいえ、気にしないで。確か、前川まえかわ君の第一志望は北斗大だったかしら……? あなたも、受験がんばってね」

 なにを話そうにも、彼女の口からは『受験』や『進学』のことしか出てこない。これでは、残りの高校生活をそれなりに楽しみ尽くす……という彼の願望は、到底叶いそうになかった。

「ああ、ありがとう。神矢も……」

 そう言い残すと、意気消沈した男子生徒は、屋上からすごすごと退散していく。サヲリはその場に留まったまま、彼の姿が校舎へと消えていくのを見届けると、深くため息をつ吐《つ》いた。

(ハァー……本当に面倒なことね。励みにしたい? 自分勝手な都合ばかり押しつけて。、こちらの事情など考えもしないで……まったくもって身勝手なことだわ。どうして私が、彼に対して謝罪をしなければならないの? 面倒事を持ってきたのは彼の方ではなくって? そんな暇があるのなら、ほかにやるべきことは山ほどあるでしょうに……本当、『男』って理解し難い生き物だわ)


 こういったことは一度や二度ではない。

 一年生の頃から、クラス委員長としてリーダーシップを発揮してきた神矢サヲリは、数々の校内行事でクラス内を取り纏めてきた。それでいて、誰にでも分け隔てなく接する物腰の柔らかな人柄で、男子生徒は元より女子生徒からも慕われる存在である。

 二年生になると、ひょんなことから“理事長の娘である”ことが公になった。それがきっかけで……そして当然の成りゆきであるかのように、ほとんどの生徒たちの支持を得て生徒会長の座に就いたのだった。

 だがそれは、ただの虚像でしかない……。

 学校生活のためだけに作り上げてきた、神矢サヲリの一部分でしかなかった。“校内での権限を掌握する”という目的のために、ことで手に入れた“もう一人の居場所”がそこにはあった。

(なにか、方法を間違ってしまったのかしら?)

 こんなことが度々あると、自分のを疑ってしまいがちになる。

 実はある理由から、彼女はこの土地から離れることができない立場にあった。進路はすでに付属の極東学院大学に推薦入学が決まっており、ほかの大学を受験することなど当初から予定には入ってはいない。

 祖父に決められた許嫁もいる。それを包み隠さず、全部話してしまった方がよかったのだろうか? いや、そんなことはないはず。すべては、御霊の流れのままに……若さ故、“迷いと決意”――その残滓が、サヲリの心中から頭を持ち上げてくるのだった。

 そんな折、彼女の持つモバイル・ギアが低い振動音を立てる。見ると、立て続けに同じ人物から着信が入っていた。


「――わかりました。詳しくは帰宅してから、直接報告を聞きます。それと、車の用意をお願い」

 それだけを告げると、サヲリは一方的に電話を切った。

 彼女はごく普通の高校生であると同時に、それとは異なる“立場と肩書”を有している。今の電話はそれに関した者からの着信であり、先ほどの告白劇の最中からずっとコールされ続けていたことを、サヲリは先ほど初めて知ったのだった。

 これだから『男』って奴は……などと、すでにこの場を去った男子生徒に、理不尽な八つ当たりをしてみる。

(でも、少しばかり目立ち過ぎたのかもしれないわね……)

 そしてもう一人――この屋上で息を潜め、物影に隠れている存在があることを、サヲリは先刻から気がついていた。意を決し、そして半ば呆れながら彼女はその者の名を口にする。

「そんな所でコソコソと……いったい、何をしているのかしら? ねえ……池神いけがみ織子おりこさん?」

 ――ぎくっ⁉

 その気配は、空調の室外機の奥から発せられていた。

「ハーッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハー! ばー、れー、たー、かー、らー、にー、はー、しょうがない!」

 悪の大幹部のような台詞と共に、室外機の陰から一人の華奢な女子生徒が、勢いよく飛び出してくる。ショートカットの明るい髪に猫科を思わせる目元が特徴的な、一見可愛らしい感じの女子生徒……それは、同じクラスの池神織子であった。

 サヲリに確信はなかった。だが、こんな場所で身を隠し、自分の行動を覗き見るような不審者に当てはまる者を、織子のほかに知りようがない。うんざりするほどの有り余る心当たりが、彼女と推察した決め手であった。

 それはまるで、自分を監視するかのように――席こそ離れてはいたが、気づくと常に視界の端に織子の存在を感じ、その視線はいつも痛いほどに突き刺さってくる。ここ最近、それはより顕著なものになっていた。

 これまでは表立ってかかわってくることはなかったし、たとえ不測の事態を招いたとしても、サヲリには充分対応できる自信はある。それ故に、彼女の目的を知った上であえて放置し、むやみな干渉はできる限り避けてきたのだった。


 たとえそれが、“あのの親友”という殻を被っていたとしても……。


 だが、今日の織子かのじょはこれまでの行動とは完全に違っていた。

 別段、悪びれた様子もないままサヲリの前に立ちはだかると、持っていたデジタルカメラを構えて、唐突にシャッターを切り始める。

「そろそろ、本当の自分を曝け出してみてはいかがかニャ? 
 生徒会長、神矢サヲリ――容姿端麗、才色兼備、質実剛健、頭脳明晰、学業優秀? えー……あと、スポーツ万能。えーと、誕生日は七月七日。蟹座のA型で、フった男子は今日で十六人目……だっけ?
 しかーし、その私生活に関しては分厚いヴェールに閉ざされて、一切が謎! 果たして、その実態やいかに?
 高校生探偵、池神オリコ……またの名を『名探偵オリリン』が、知られざる彼女の全容を、すべて、隅から隅まで、ズバババーンと解明するのであったー! っと……お、いいねーその表情! いいっ! いいよー、最高だー!
 今度はチラッと上着を脱いで、ガバーッと大胆にいってみよっかー?」

 耳障りなシャッター音と、やりたい放題の織子に対し、サヲリは心の底からワナワナと怒りの炎が込み上がってくるのがわかった。

(この手の『女』も苦手なのよね……)

 えもいわれぬ怒りをなんとか堪えたサヲリは、ふと視線を上空へ移す――

「あ! ねぇ池神さん、ちょっとあそこを見てみて! あれ……って、もしかして『UFO』なんじゃないかしら⁉」

「えっ、どこ? どこ?」

 その隙に、サヲリはサッと織子からデジカメを取り上げると、直ぐさまメモリに目を通していった。

「あー! 嘘つきー‼」

「どれどれー……? ずいぶんな数を撮っていたものね……それも私ばかり」

 言った先から、次々とデータを消去していくサヲリ。カメラを必死に取り戻そうにも、小柄な織子では割と背の高いサヲリに翻弄されて成す術がない。

「あー! あー! バックアップは取ってないのにー!」

「――そうはいってもね」

 最後には本体からメモリーカードを抜き取って、それを二本の指でパキっと折り曲げる。

「あー、もー、最悪ぅ……せっかく苦労して撮ったのにさー」

 口を尖らせながらふてくされると、織子はその場にぺたんと座り込んでしまう。

「すごくよく撮れていたわ。でもね、あなたのやっていることは立派な犯罪行為よ。今度また、こんなことをしたら……その時は、ただでは済まさないから。よく覚えておくことね?」

 その時、屋上の扉を勢いよく開けて、その場へと飛び込んでくる人影があった。
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