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第1章 沈む世界
第10話 あい
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「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
響く絶叫。
また失うかも知れない恐怖に、守れなかった絶望に星斗の心が悲鳴を上げる。
もたつく足に鞭を打ち、駆け寄る星斗。
ザザッと落ち葉の中に倒れ込みながら3人の状態を確認する。
まず目に入るのが、熊の前脚に押し潰され爪が突き刺さっている母親と亜衣である。
そしてその傍には亜依がチリチリと霊子を散らして今にも消えてしまいそうな弱々しい光を放っている。
まるで蛍火の様なその光は、今際の際のように明滅していた。
「亜依!直ぐに助けてやるからな!ちょっと待ってろよ!」
亜依の状態も決して良いものではないだろう、しかし目の前の親子は一刻の猶予もない状態だ。幸い爪は寸前の所で急所は外していたが、圧倒的な質量の前脚に押し潰され、更に爪は2人の体を貫いている。
地面に染み出している血液の量がそれを物語っている。
通常、刺し傷の場合は刃物等を無闇に抜いたりしない。動脈等の大きな血管を傷つけている場合、刃物が抜けた拍子に更なる出血をしてしまう場合があるからだ。
それでも星斗は一縷の望みをかけて爪を引き抜くことにする。
元々ギリギリ繋いでいた命、更なる傷と出血で肉体そのものの活動も限界を迎えているはずだ。
ここを乗り越えるためには管理者の女やルフと呼ばれる男がやっていた、霊子を使った肉体の治療を施すしかない。
できるかどうかはやってみなければ分からない、一か八かのかけ。だがこのまま何もしなければ2人をただ黙って見送るだけになってしまう。
「もう、何もできないで見ているだけなんて、できないんだよ!」
巨大なクマの前脚は、普通ならば持ち上がるはずもない重量だ。それでも星斗が前脚の下に潜り込み、肩に担いで持ち上げる。
腰よりも足を使うイメージ、全身の霊子を足の筋肉に集中する。
ズルッと2人の身体から熊の爪が抜ける。
「「うっ……」」
思わず呻く2人。
すぐさま熊の前脚を投げ捨て、2人の治療を始める。
折り重なった2人を別々に寝かせ、傷口を確認する。
「……私は……いいから……亜衣を……」
母親が消えそうな声で訴えてくる。
正直、傷の具合は母親の方が重症に見える。だが、亜衣は既に意識が朦朧としている。母親の意思と状況を鑑みて亜衣の治療を始める。
「すぐに貴女も助けますからね!」
イメージを膨らませる、2人を治したいと願い、霊子を掌に集中させて、亜衣の傷口に流し込む。
だが、いくら霊子を集め、流し込んでも傷口が塞がらない。そして深紅の光も生まれない。
「何でだよ!またかよ!今度はちゃんとやってるだろ!」
2人の傷の回復を確かに願っている。霊子も操っている。
だが、星斗は心の奥底で、本人すらも気付かない所で、「もう助からない」と思ってしまっているのだろう。
それは雑念とは違う、願いとは相反する想い。
矛盾する想いは反発し合い、打ち消し合う。
また、霊子扱いに関しても星斗のイメージが追いついていない。
傷口を塞ぐイメージで治療をしようとしているが、それだけでは不十分であった。細胞を霊子で活性化させるイメージ、それはまだ星斗にはないイメージなのである。
「あ……りが……と……わたしは……へいき……だから……その……こを……たすけ……て……あげ……て……」
亜衣が小さく呟き、微笑む。
ぐしゃぐしゃな感情の中、「亜依を助けて」と言われ動けない星斗。
母親にも慌てて霊子をつぎ込んでみるが、やはり効果がない。
母親は娘の言葉を聞き、涙を流し嗚咽する。
「亜衣……亜衣……お巡りさん……私達は大丈夫……だから……その子を……私たちを守ってくれた……その光を」
母親も諦めろと促す。
分かってはいたのだ、助けることが厳しいことも。それでも、見捨てることはできなかった。何もしないで見送ることはできなかった。
しかし、届かなかった。手からスルリと抜け落ちてしまった命。
自責の念で苦しむだろうか、2人に恨まれてしまうだろうか。けれども、何もせずに後悔はしたくない、何もできずに見送りたくない。
今、目の前にはもう1つの命がある。
「亜依……今助けるからな……」
そっと亜依を救い上げ、両手の掌に乗せる。
亜依に注ぎ込むように霊子を集中する。
亜依には肉体が無い、その分ダイレクトに霊子を届けられる。
ゆっくりと、慎重に、優しく、丁寧に。
欠けた魂を埋めるように、星斗の霊子を注ぎ込む。
その光景をぼやけてきた視界で見つめる2人。
「……亜衣……ごめんね……助けてあげられなくて……」
「……だい……じょうぶ……おかあ……さんと……いっしょ……だもん……でも……あのこと……いっしょに……あそんで…………」
スッと亜衣の手から力が抜ける。優しく微笑みながら旅立つ。
「……ああぁぁぁぁ……ぁぁぁぁ…………ぁぁぁっぁぁっぁぁぁぁぁ……………………」
我が子の旅立ちを見つめる母親の目から大粒の涙が溢れ、亜衣の手を強く、強く握る。
「……ごめんなさい……お母さんも……すぐ行くから………………あぁ……貴女の成長した……姿……見たかった……」
溢れる想い。
星斗から注ぎ込まれた霊子と母親の深紅の願いが、亜衣の手を介して流れ込む。
ゆっくりと、亜衣の身体を巡る霊子と想い。
血管を流れ毛細血管に入り込み、細胞の1つ1つにまで入り込んでいく。
やがてそのエネルギーと深紅の願いは、細胞の分裂を促し、急激に肉体を成長させる。
スルリと母親の手を抜けた亜衣の身体は、身体は強烈な後光を纏いながら宙に浮く。
通常であれば在り得ない願いを、膨大な霊子のエネルギーが支え、成し遂げる。
成長のためのエネルギーは体外へも放出され、着ていた服は燃え上るが、亜衣の身体に火傷の1つも付けることはなかった。身体の傷は成長と共に癒され、綺麗に戻っていく。
四肢と髪は長く伸び、身体は数年後の在るべき姿へと成長を遂げる。
まるで、その姿は神の御子が誕生する一場面の様であった。
それどころか、母親の願いだろう、真っ白なワンピースの服まで織り上がっていく。
奇跡を目の当たりにし、母親は歓喜の涙を流しながら見つめる。
「――あぁ――ありがとう――最後に――私の願いを――叶えて――」
全身の霊子を亜衣に譲渡し、身体の活動限界を迎えた母親が、静かに眠りにつく。
自らが起こした奇跡を自覚することなく、安らかな肉体の最後を迎えたのだった。
その光景を目にしていた星斗もまた、あまりの神々しさに目を奪われ、涙していた。
母親の願い、想い、それを人は愛と呼ぶのだろうか。強烈な想いは人知を超えた奇跡を起こした。
やがて、亜衣の身体は成長が止まり、空中からゆっくりと地面に降りてくる。
ふっ、と光が収まり、亜衣の身体を支えるものがなく倒れ込んでくる。
「危ない!」
咄嗟に星斗が亜衣の身体を抱きかかえる様に受け止める。
ズシっと重みが圧し掛かかる身体を、そっと地面へと横たえる。
その姿は先程までの幼い園児から、小学校中学年位まで美しく成長していた。
その表情を見るも、目を開けることはなく、呼吸もしている様子がない。
「これは……身体だけが成長したのか……魂はないまま……」
目の前に横たわる少女は、魂の抜けた器。
このままでは、やがて少女の身体からも霊子が抜け、肉体も死んでしまう。
そう感じた星斗は、片手で亜依に霊子を注ぎながら、もう片手で亜衣の身体に霊子を注ぐ。
初めての試みに上手く霊子が操れない。
焦る気持ちを自ら宥めながら、霊子を注ぎ込んでいく。
やがて掌の上の亜依がピクリと反応する。
弱々しい浮かび上がる亜依。
「亜依!大丈夫か!お前はどこまで霊子を渡せばいい!」
浮かび上がる亜依は星斗からの霊子を受け取らず、フワリと星斗の前まで飛んでいき「もう大丈夫」とばかりにクルリと1回り円を描く。
「そうか……とりあえず大人しくしてろよ、今こっちも霊子を注入して延命を……」
目の前を浮いていた亜依がまたフワリと飛び上がり、横たわる亜衣の胸の上に飛び乗り、翠色の光が輝きを増す。
「亜依!そんな力使ったらお前が消えちゃうだろ!そこを退くんだ!」
明らかな亜依の献身、だがそれは己の命を削る行為。そんな自殺行為を目の前で見逃せるはずがない。
しかし、亜依は横に揺れ否定の意思を告げる。
輝きを増したまま、亜依は亜衣の身体の中へと入っていく。
その時、星斗の頭の中には先程までの光景が思い起こされる。
――ふむ、なかなか良い魂の輝きだ――
ルフと呼ばれる男が親子の魂を抜く光景を。
――魂がね、ないのよ――
管理者の女が言った言葉を。
――魂が戻らない限り、やがて肉体も死にゆくでしょう――
魂さえ戻れば。
「まさか……亜依!お前!」
星斗が思い至り、止めようとした時には既に……
――とぷん――
亜依と亜衣が溶け合うように混ざり合っていく。
「行くな!亜依!」
星斗の心の悲鳴。
亜衣の身体に「魂」という肉体を「人」たらしめる根源たる情報が流れ込む。
「もう二度と……失いたくないんだ!」
悲しみのに震えた慟哭が、蒼穹の空の下で新緑の林に響き渡る。星斗は亜衣の身体を抱え上げ、抱き締める。
流れ込んだ魂は細胞の隅々まで流れ込み、そして「脳」と「心臓」へと集約される。
「もう……愛する家族を……失いたくないんだ……」
星斗の心からの願い。
2人の異なる人物の肉体と魂は上手く融合できずにいた、相性のいい、似通った2人の魂ですら、やはり他人なのである。隣の人とDNAが99.9%同一であろうとも、0.1%の差異がお互を他人たらしめている。
「だから――帰って来てくれ!亜依!」
星斗の叫び、想い、願い、或いは願望。心の底から願われたそれは深紅の光となって亜衣の身体を包み込む。
星斗の願いによって、他人を他人たらしめる差異がゆっくりと連結され融合していく。
亜衣の身体は急速に生気を帯びていく。
心臓が鼓動を再開し、肺が酸素を欲して呼吸を始める。
体内から失われていた酸素が肺から取り込まれ、血液に乗って全身を駆け巡る。
頬に赤みが差し、「あい」が眩しそうに目を開ける。
「亜依!無事か!返事できるか!?」
「……あたしは……」
星斗の腕に抱かれたまま、あいは辿々しく答える。
「……亜依なのか?それともこのお母さんの子供の亜衣なのか?どっちだ?分かるか?」
星斗の疑問。別々の人格の魂と肉体が融合した時、果たして何方の人格が発現するのだろうか。或いは全く別の第三者の人格として発現するのか。
「……あたしは亜依。おとうさんのこどもの亜依。うまれてこれなかった亜依だよ」
「……亜依……亜依なの……か?……さっきまで一緒にいて、飛び回っていた亜依は何処に……」
「その亜依があたしだよ、あのすがたでおとうさんの所にきたんだよ。だがらどっちもおとうさんのこどもの亜依だよ」
辿々しい言葉使いで必死に説明する亜依。
星斗の目から感情が溢れ出す。声を押し殺すこともせず、心の赴くままに泣き、亜依を抱きしめる。
亜依は一瞬困った顔で星斗に抱かれる。だが、すぐさまにまるで母親が泣く子をあやすかの様な優しい表情となり、星斗の背中に手を回してポンポンと叩く。
そして、そっと目を瞑り呟く。
「――おとうさん、ごめんなさい。あたしね、あの子をたすけられなかったの」
亜依がそっと呟くのは、懺悔の言葉。
「あの子の中にはいったとき、もう空っぽだったの。だからね、あたしが代わりになろうとしたの。でもね、あの子のかけらが、それはダメって言ったの」
己の身を削る覚悟、否、魂すら捧げる程の献身。
何がそこまで亜依を突き動かすのかは分からない。それでも、亜依は亜衣を助けたかったのだ。
「だからあたしはあの子の身体を助けたの。あの子の魂はもうないけど、あの子の欠片は、あたしの中に在るから」
辿々しい言葉使いが急激に成長していく。
肉体の成長に、魂の成長が追いつこうと同調する。
「あたしはあの子と一緒に生きるの。あたしはお父さんと一緒に生きたいの。それがあたし達の願いなの」
亜依の魂と亜衣の魂の残滓、それらが混ざり合い、融合し、新たな魂となる。
じっと亜依の話に耳を傾け、状況を理解しようと努める星斗。
「つまり、俺は2人のお父さんになるのか?」
難しい思考を放棄して、至極単純な答えを導き出す。
「違うよ!あの子のお父さんはあの子のお父さんだよ!でもあたし達のお父さんはお父さんだよ!」
混乱する星斗。だが1つの結論に至る。
「亜依は、2人で亜依なんだな――あの子の魂はここにないから……」
「うん……そうだよ……いつか助けに行かないと……」
「ああ、そうだな。助けに行かないとな……」
ルフに捕らわれた親子の魂。どうすればいいのか、見当も付かないが、やらねばならない事と心に刻む。
「でもその前に――初めまして、お父さん。ずっと、ずっと逢いたかった……」
満天の笑顔から幾つもの星が零れ落ちる中、亜依が改まって星斗に挨拶する。
「あの亜依なんだよな……生まれて来られなかった……あの……」
「――うん――」
「はは……理解が追いつかないけど……娘が来てくれたんだな……」
「うん」
「――ありがとう。生まれてきてくれて、ありがとう――」
「うん!」
逢いたいという想いの果てに、親子は再開を果たす。
響く絶叫。
また失うかも知れない恐怖に、守れなかった絶望に星斗の心が悲鳴を上げる。
もたつく足に鞭を打ち、駆け寄る星斗。
ザザッと落ち葉の中に倒れ込みながら3人の状態を確認する。
まず目に入るのが、熊の前脚に押し潰され爪が突き刺さっている母親と亜衣である。
そしてその傍には亜依がチリチリと霊子を散らして今にも消えてしまいそうな弱々しい光を放っている。
まるで蛍火の様なその光は、今際の際のように明滅していた。
「亜依!直ぐに助けてやるからな!ちょっと待ってろよ!」
亜依の状態も決して良いものではないだろう、しかし目の前の親子は一刻の猶予もない状態だ。幸い爪は寸前の所で急所は外していたが、圧倒的な質量の前脚に押し潰され、更に爪は2人の体を貫いている。
地面に染み出している血液の量がそれを物語っている。
通常、刺し傷の場合は刃物等を無闇に抜いたりしない。動脈等の大きな血管を傷つけている場合、刃物が抜けた拍子に更なる出血をしてしまう場合があるからだ。
それでも星斗は一縷の望みをかけて爪を引き抜くことにする。
元々ギリギリ繋いでいた命、更なる傷と出血で肉体そのものの活動も限界を迎えているはずだ。
ここを乗り越えるためには管理者の女やルフと呼ばれる男がやっていた、霊子を使った肉体の治療を施すしかない。
できるかどうかはやってみなければ分からない、一か八かのかけ。だがこのまま何もしなければ2人をただ黙って見送るだけになってしまう。
「もう、何もできないで見ているだけなんて、できないんだよ!」
巨大なクマの前脚は、普通ならば持ち上がるはずもない重量だ。それでも星斗が前脚の下に潜り込み、肩に担いで持ち上げる。
腰よりも足を使うイメージ、全身の霊子を足の筋肉に集中する。
ズルッと2人の身体から熊の爪が抜ける。
「「うっ……」」
思わず呻く2人。
すぐさま熊の前脚を投げ捨て、2人の治療を始める。
折り重なった2人を別々に寝かせ、傷口を確認する。
「……私は……いいから……亜衣を……」
母親が消えそうな声で訴えてくる。
正直、傷の具合は母親の方が重症に見える。だが、亜衣は既に意識が朦朧としている。母親の意思と状況を鑑みて亜衣の治療を始める。
「すぐに貴女も助けますからね!」
イメージを膨らませる、2人を治したいと願い、霊子を掌に集中させて、亜衣の傷口に流し込む。
だが、いくら霊子を集め、流し込んでも傷口が塞がらない。そして深紅の光も生まれない。
「何でだよ!またかよ!今度はちゃんとやってるだろ!」
2人の傷の回復を確かに願っている。霊子も操っている。
だが、星斗は心の奥底で、本人すらも気付かない所で、「もう助からない」と思ってしまっているのだろう。
それは雑念とは違う、願いとは相反する想い。
矛盾する想いは反発し合い、打ち消し合う。
また、霊子扱いに関しても星斗のイメージが追いついていない。
傷口を塞ぐイメージで治療をしようとしているが、それだけでは不十分であった。細胞を霊子で活性化させるイメージ、それはまだ星斗にはないイメージなのである。
「あ……りが……と……わたしは……へいき……だから……その……こを……たすけ……て……あげ……て……」
亜衣が小さく呟き、微笑む。
ぐしゃぐしゃな感情の中、「亜依を助けて」と言われ動けない星斗。
母親にも慌てて霊子をつぎ込んでみるが、やはり効果がない。
母親は娘の言葉を聞き、涙を流し嗚咽する。
「亜衣……亜衣……お巡りさん……私達は大丈夫……だから……その子を……私たちを守ってくれた……その光を」
母親も諦めろと促す。
分かってはいたのだ、助けることが厳しいことも。それでも、見捨てることはできなかった。何もしないで見送ることはできなかった。
しかし、届かなかった。手からスルリと抜け落ちてしまった命。
自責の念で苦しむだろうか、2人に恨まれてしまうだろうか。けれども、何もせずに後悔はしたくない、何もできずに見送りたくない。
今、目の前にはもう1つの命がある。
「亜依……今助けるからな……」
そっと亜依を救い上げ、両手の掌に乗せる。
亜依に注ぎ込むように霊子を集中する。
亜依には肉体が無い、その分ダイレクトに霊子を届けられる。
ゆっくりと、慎重に、優しく、丁寧に。
欠けた魂を埋めるように、星斗の霊子を注ぎ込む。
その光景をぼやけてきた視界で見つめる2人。
「……亜衣……ごめんね……助けてあげられなくて……」
「……だい……じょうぶ……おかあ……さんと……いっしょ……だもん……でも……あのこと……いっしょに……あそんで…………」
スッと亜衣の手から力が抜ける。優しく微笑みながら旅立つ。
「……ああぁぁぁぁ……ぁぁぁぁ…………ぁぁぁっぁぁっぁぁぁぁぁ……………………」
我が子の旅立ちを見つめる母親の目から大粒の涙が溢れ、亜衣の手を強く、強く握る。
「……ごめんなさい……お母さんも……すぐ行くから………………あぁ……貴女の成長した……姿……見たかった……」
溢れる想い。
星斗から注ぎ込まれた霊子と母親の深紅の願いが、亜衣の手を介して流れ込む。
ゆっくりと、亜衣の身体を巡る霊子と想い。
血管を流れ毛細血管に入り込み、細胞の1つ1つにまで入り込んでいく。
やがてそのエネルギーと深紅の願いは、細胞の分裂を促し、急激に肉体を成長させる。
スルリと母親の手を抜けた亜衣の身体は、身体は強烈な後光を纏いながら宙に浮く。
通常であれば在り得ない願いを、膨大な霊子のエネルギーが支え、成し遂げる。
成長のためのエネルギーは体外へも放出され、着ていた服は燃え上るが、亜衣の身体に火傷の1つも付けることはなかった。身体の傷は成長と共に癒され、綺麗に戻っていく。
四肢と髪は長く伸び、身体は数年後の在るべき姿へと成長を遂げる。
まるで、その姿は神の御子が誕生する一場面の様であった。
それどころか、母親の願いだろう、真っ白なワンピースの服まで織り上がっていく。
奇跡を目の当たりにし、母親は歓喜の涙を流しながら見つめる。
「――あぁ――ありがとう――最後に――私の願いを――叶えて――」
全身の霊子を亜衣に譲渡し、身体の活動限界を迎えた母親が、静かに眠りにつく。
自らが起こした奇跡を自覚することなく、安らかな肉体の最後を迎えたのだった。
その光景を目にしていた星斗もまた、あまりの神々しさに目を奪われ、涙していた。
母親の願い、想い、それを人は愛と呼ぶのだろうか。強烈な想いは人知を超えた奇跡を起こした。
やがて、亜衣の身体は成長が止まり、空中からゆっくりと地面に降りてくる。
ふっ、と光が収まり、亜衣の身体を支えるものがなく倒れ込んでくる。
「危ない!」
咄嗟に星斗が亜衣の身体を抱きかかえる様に受け止める。
ズシっと重みが圧し掛かかる身体を、そっと地面へと横たえる。
その姿は先程までの幼い園児から、小学校中学年位まで美しく成長していた。
その表情を見るも、目を開けることはなく、呼吸もしている様子がない。
「これは……身体だけが成長したのか……魂はないまま……」
目の前に横たわる少女は、魂の抜けた器。
このままでは、やがて少女の身体からも霊子が抜け、肉体も死んでしまう。
そう感じた星斗は、片手で亜依に霊子を注ぎながら、もう片手で亜衣の身体に霊子を注ぐ。
初めての試みに上手く霊子が操れない。
焦る気持ちを自ら宥めながら、霊子を注ぎ込んでいく。
やがて掌の上の亜依がピクリと反応する。
弱々しい浮かび上がる亜依。
「亜依!大丈夫か!お前はどこまで霊子を渡せばいい!」
浮かび上がる亜依は星斗からの霊子を受け取らず、フワリと星斗の前まで飛んでいき「もう大丈夫」とばかりにクルリと1回り円を描く。
「そうか……とりあえず大人しくしてろよ、今こっちも霊子を注入して延命を……」
目の前を浮いていた亜依がまたフワリと飛び上がり、横たわる亜衣の胸の上に飛び乗り、翠色の光が輝きを増す。
「亜依!そんな力使ったらお前が消えちゃうだろ!そこを退くんだ!」
明らかな亜依の献身、だがそれは己の命を削る行為。そんな自殺行為を目の前で見逃せるはずがない。
しかし、亜依は横に揺れ否定の意思を告げる。
輝きを増したまま、亜依は亜衣の身体の中へと入っていく。
その時、星斗の頭の中には先程までの光景が思い起こされる。
――ふむ、なかなか良い魂の輝きだ――
ルフと呼ばれる男が親子の魂を抜く光景を。
――魂がね、ないのよ――
管理者の女が言った言葉を。
――魂が戻らない限り、やがて肉体も死にゆくでしょう――
魂さえ戻れば。
「まさか……亜依!お前!」
星斗が思い至り、止めようとした時には既に……
――とぷん――
亜依と亜衣が溶け合うように混ざり合っていく。
「行くな!亜依!」
星斗の心の悲鳴。
亜衣の身体に「魂」という肉体を「人」たらしめる根源たる情報が流れ込む。
「もう二度と……失いたくないんだ!」
悲しみのに震えた慟哭が、蒼穹の空の下で新緑の林に響き渡る。星斗は亜衣の身体を抱え上げ、抱き締める。
流れ込んだ魂は細胞の隅々まで流れ込み、そして「脳」と「心臓」へと集約される。
「もう……愛する家族を……失いたくないんだ……」
星斗の心からの願い。
2人の異なる人物の肉体と魂は上手く融合できずにいた、相性のいい、似通った2人の魂ですら、やはり他人なのである。隣の人とDNAが99.9%同一であろうとも、0.1%の差異がお互を他人たらしめている。
「だから――帰って来てくれ!亜依!」
星斗の叫び、想い、願い、或いは願望。心の底から願われたそれは深紅の光となって亜衣の身体を包み込む。
星斗の願いによって、他人を他人たらしめる差異がゆっくりと連結され融合していく。
亜衣の身体は急速に生気を帯びていく。
心臓が鼓動を再開し、肺が酸素を欲して呼吸を始める。
体内から失われていた酸素が肺から取り込まれ、血液に乗って全身を駆け巡る。
頬に赤みが差し、「あい」が眩しそうに目を開ける。
「亜依!無事か!返事できるか!?」
「……あたしは……」
星斗の腕に抱かれたまま、あいは辿々しく答える。
「……亜依なのか?それともこのお母さんの子供の亜衣なのか?どっちだ?分かるか?」
星斗の疑問。別々の人格の魂と肉体が融合した時、果たして何方の人格が発現するのだろうか。或いは全く別の第三者の人格として発現するのか。
「……あたしは亜依。おとうさんのこどもの亜依。うまれてこれなかった亜依だよ」
「……亜依……亜依なの……か?……さっきまで一緒にいて、飛び回っていた亜依は何処に……」
「その亜依があたしだよ、あのすがたでおとうさんの所にきたんだよ。だがらどっちもおとうさんのこどもの亜依だよ」
辿々しい言葉使いで必死に説明する亜依。
星斗の目から感情が溢れ出す。声を押し殺すこともせず、心の赴くままに泣き、亜依を抱きしめる。
亜依は一瞬困った顔で星斗に抱かれる。だが、すぐさまにまるで母親が泣く子をあやすかの様な優しい表情となり、星斗の背中に手を回してポンポンと叩く。
そして、そっと目を瞑り呟く。
「――おとうさん、ごめんなさい。あたしね、あの子をたすけられなかったの」
亜依がそっと呟くのは、懺悔の言葉。
「あの子の中にはいったとき、もう空っぽだったの。だからね、あたしが代わりになろうとしたの。でもね、あの子のかけらが、それはダメって言ったの」
己の身を削る覚悟、否、魂すら捧げる程の献身。
何がそこまで亜依を突き動かすのかは分からない。それでも、亜依は亜衣を助けたかったのだ。
「だからあたしはあの子の身体を助けたの。あの子の魂はもうないけど、あの子の欠片は、あたしの中に在るから」
辿々しい言葉使いが急激に成長していく。
肉体の成長に、魂の成長が追いつこうと同調する。
「あたしはあの子と一緒に生きるの。あたしはお父さんと一緒に生きたいの。それがあたし達の願いなの」
亜依の魂と亜衣の魂の残滓、それらが混ざり合い、融合し、新たな魂となる。
じっと亜依の話に耳を傾け、状況を理解しようと努める星斗。
「つまり、俺は2人のお父さんになるのか?」
難しい思考を放棄して、至極単純な答えを導き出す。
「違うよ!あの子のお父さんはあの子のお父さんだよ!でもあたし達のお父さんはお父さんだよ!」
混乱する星斗。だが1つの結論に至る。
「亜依は、2人で亜依なんだな――あの子の魂はここにないから……」
「うん……そうだよ……いつか助けに行かないと……」
「ああ、そうだな。助けに行かないとな……」
ルフに捕らわれた親子の魂。どうすればいいのか、見当も付かないが、やらねばならない事と心に刻む。
「でもその前に――初めまして、お父さん。ずっと、ずっと逢いたかった……」
満天の笑顔から幾つもの星が零れ落ちる中、亜依が改まって星斗に挨拶する。
「あの亜依なんだよな……生まれて来られなかった……あの……」
「――うん――」
「はは……理解が追いつかないけど……娘が来てくれたんだな……」
「うん」
「――ありがとう。生まれてきてくれて、ありがとう――」
「うん!」
逢いたいという想いの果てに、親子は再開を果たす。
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キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
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春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
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