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メロンと呼ばれた男
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僕の名前? どうでもいいだろ。
競輪場に行けば、皆が僕のことを「メロン」と呼ぶよ。名前なんて呼んでもらえやしない。自分の名前も忘れるほどだ。
僕は万年6号車。
だから、名前なんて要らない。
メロンでいいんだ。
だけどいつか、せめてピンクの勝負服で走りたいな。
今朝も、冷える。
だけど、街道での練習に力を入れている僕は、寒いなんて言ってられない。
自宅の練習場でローラーを転がすだけじゃ付かない力を付けに行くんだ。
だから斡旋がない日は、毎朝3時から愛車で街道を走る。
街道を走るときだけは、僕はメロンじゃない。
少なからず応援してくれる人もいるようで、たまに声をかけられる。
犬の散歩中のおじいちゃんとよく会うんだ。
犬の名前は、メロン。
おじいちゃんの名前は、知らない。
***
僕はまだ独り身で、実家暮らしで、万年6号車だから親には迷惑をかけっぱなしだ。ロクに賞金も持って帰れやしない。
両親は、競輪学校に入りたいと言った僕のことを、笑いはしなかった。少し揉めたが、お前のやりたいようにやりなさいと言ってくれた。
どうせダメだと思っていたんじゃないだろうか。いまの僕は少しやさぐれていて、そんな風にしか思えない。
明日からの開催では、少しは賞金なり何なりを手にして帰りたいな、そう思いながら、どこにでもありそうな、だからこそ貴重な食事を摂っていた。
特に栄養バランスを考えたわけでもなく、特にアスリート向きというわけでもない、ごく普通の一般のご家庭の食卓だ。醤油色をした、普通の食卓だ。
僕はこの食事がいちばん好きで、前検日の今日、これから競輪場に向かう足は、あまり軽くはなかった。
両親や弟妹と離れてひとり孤独にあの場所にいるのもイヤだったし、なにより食事がおいしくないのだ。きちんと管理されている食事がおいしくないのは当たり前かもしれないが、一度入院したときの病院食、あれに似ていて、味気ないのだ。
選手によっては、どこそこの競輪場の食事はおいしいだのと言う。だけど、僕はたぶん『競輪場に入ってから食べる食事』が嫌いなんだ。サラリーマンがおいしいはずの仕出し弁当を渋々食べるのと似たようなものだろう。サラリーマンになったことはないから、本当に理解しているかどうかはわからないが。
***
前検日だ。
前検日とはいっても、どの斡旋でも初日は1レースの6号車が定位置の僕のところにインタビューに来る物好きなどいない。
だから、ただ入って、ただ食べて、ただ練習して、ただ寝るだけだ。
今日もそうあるはずだったのだ。
大浴場での付き合いもそこそこに、4人部屋でもほぼ無言。それが僕だ。
大して美味しくもない食事を腹いっぱい食べて、僕は寝ようとしていた。
食う寝る育つ、それが競輪選手だと信じて。
ところが今日は、寝るのを邪魔するお客様があった。
物好きが1人。
ふん、どうせこのままじゃデビューから1年やそこらでクビになるから、僕を笑いものにしようと思って来たんだろう。
前検日インタビューなど、それこそよほどの物好きでなければ見ないし、僕が出ていたところで、お前誰だよと思って聞き流すに違いないんだ。
僕は眠そうな目でインタビューに不真面目に答えた。
「明日の競走は、四国ラインの3番手ですかね?」
「いえ、四国ラインの先頭ですね、3番手でもよかったんですが、僕なんてどうせいてもいなくても変わりませんし」
「先頭を任せられて、プレッシャーは?」
「ありませんね。いつも通り走ります。番手の先輩のためになんてこれっぽっちも思ってません」
全くの本音だった。
逃げを得意としていたチャレンジA級時代も、番手選手をちぎって一人で勝つことが多かったのだ。師匠からは散々怒られていた。
「自分だけが勝ってどうするんだ! 番手の先輩を連れて行けないような駆け方をするんじゃあ、お前の番手なんて誰も走りたくなくなるだろうが! いつかお前が歳喰ってそんな目に遭ってみろ、誰にも文句言えねえぞ!?」
確かに、その通りなのだ。だけど、僕にはまだそこまでの思い入れも、技術も、何もないのだ。
***
開催初日は、1レースに番組を組まれていた。尤も、いつも1レースの6号車が点数のない僕の定位置なのだが。
初日予選なのだ。しかも1レースなのだ。特選に行けるようなら、こんな色の服は着ていない。
特選のメロンなら、まだハクも付こうというものを。
僕はチャレンジA級で9連勝してA級2班に特別昇班してきた、期待のルーキーだった。――だったのだ。チャレンジでは7色それぞれのいろいろな色の服を着ていた。2号車だとよく勝てた気がする。だから僕の好きな色は、黒だ。
だが、A級2班に昇班してからというもの、最初に着たメロン色の服がよく似合うと自分でも思えるほど、1レース6号車から抜け出すことはできなかった。
実力が付くのを待つよりも、降級するのを待った方が勝てるんじゃないかと思うほどだ。
僕の師匠は今日、初日特選の6号車で走る。
「師匠、同じ色ですね」
ふざけてみたが、師匠は冷たかった。
「そりゃお前、特選周りできるだけでじゅうぶんってぐらいの点数しかないんだよ俺ぁ。だったらメロンでもなんでもいいじゃねえか。てめーは何なんだ、ずっと1レースでこんな服着て、なんとか特選に出ようとは思わねえのかよ。だいたいいつまでも2班じゃ、特選どころじゃねーじゃねーか」
特選に出られる選手は基本的にA級1班とS級S班・1班の選手だ。
ダービーなどでS級S班やS級1班が出払っているときには、S級2班でも特選に乗ることはあるが。
僕はずっとA級2班から落ちそうで落ちない程度の点数しかないので、特選なんて夢のまた夢だ。
そういえば、師匠と同じ斡旋は初めてだ。そうだ、師匠は今期からA級1班に落ちてきたから、僕がS級に上がれなかったのに同じ斡旋になってしまったんだ。僕はF1開催にも斡旋がほとんどないから、僕がA級で師匠がS級という同じ斡旋にすらなったことがなかった。
そして、僕は悪いことを言ってしまったことに、そこでようやく気付いた。
「昨日、前検日インタビューが来たんですけど、師匠のところには?」
「そりゃ、特選なんだから来るに決まってんだろ。てめーが決勝まで上がって来るのを待っててやるって言っといたからよ、せめて準決には入れよな?」
***
僕は、四国ラインの先頭であることを生かして必死に先行から突っ張りきって、最後の最後で番手の先輩に差されて、2着だった。
ハンドルを投げた瞬間には、もうわかっていた。僕は負けたんだ、と。
けど、2着だ。準決勝には行けるじゃないか。
師匠と同じ斡旋での準決勝進出に、少し浮かれていたのは事実だ。
競走が終わったあとのことは、よく覚えていない。
師匠に変な絡み方をしたような気がした。
***
2日目。準決勝だ。
同県の先輩とともに、4レースに番組は組まれた。
師匠は6レースのA級準決勝に出るようだった。
僕は今日も当然ながら6号車だ。言うまでもないだろう。
選手紹介のときに野次が飛んできたのが聞こえた。
「メロン、今日も大穴頼むぞ!」
そう、僕に名前なんて、必要ないのだ。
昨日もメロンで今日もメロン。
お客様からしたら、大穴を持ってくるためだけに存在する、昨日2着だったメロンが、僕なんだ。
くそったれ。
僕にだって少しは意地があるんだ。
そんな風に言われたら、せめて名前で呼んでほしい、そう思うじゃないか。
***
今日は同県の先輩の番手を回ることになっていた。僕は先行逃げ切りに不安があるから、付いて来いと言われたのだ。美味しいところは持って行っていいから、思いっきり付いてきて、後ろを捌いて、そのうえで1着を取れ、先輩はそう言っていた。
マーク戦なんて、初めてで不安しかなかった。後ろを捌いているうちに脚をなくして着外がいいところだろうと思っていた。だが、先輩に言われたからにはやるしかなかった。僕は夢中で先輩の後ろを追いながら、後ろから来る他の選手をブロックして捌いた。落車させて失格になるようなことがあると困るので、僕は初めての番手の仕事を丁寧にこなした、と思いたい。
・
・
・
「決定! 1着、6番」
2着3着がどうなったかなど、まるで覚えていなかった。ものすごい声援に包まれて、わけがわからないまま走って、捌いて、ゴールした。1着だった確信もなかった。だが、審判が「1着、6番」と言ったのだけははっきりと聞こえた。僕は勝利者インタビューにどう答えたのかすら覚えていない。
6レースで師匠が綺麗なマークの2着で決勝進出を決めたことだけは、はっきりと見ていた。
明日は初めて師匠と同じ番組で走れる。それも、決勝戦という大舞台で。僕は嬉しすぎて、あまりよく眠れなかった。
***
開催3日目、最終日。A級の5レースまで、そしてS級の6レースから10レース、僕は何を見ても頭に入らなかった。僕が師匠と一緒に決勝戦を走る。そのことで頭がいっぱいで、選手紹介の前に敢闘門のところで師匠に声をかけられるまで、ぼーっとしていたんだと思う。
「今日は俺の前を走れ、お前なら逃げ切れるはずだから」
師匠はそう言っていた。だが、師匠はマーク屋としては超一流なのだ、師匠はどうせ僕をうまく使ってあっさりと優勝するつもりだろう。
僕は性格が悪いから、そういう風にしか思えなかった。
それでも、師弟で決勝進出ということで、ある程度の注目を集めるレースにはなったようだ。
僕はお決まりのメロン色の6号車、師匠はまぶしいピンクの8号車。四国から決勝進出は2人だけだったので、僕と師匠でライン形成する以外に、僕か師匠が勝つ道はなかった。
・
・
・
選手紹介のとき、迷ってしまって、師匠と並走してしまった。
新聞屋や予想屋やお客様、いろんな人に迷惑をかけただろうと思う。
僕は師匠と競り合うつもりなどなく、だがあんな選手紹介になってしまった以上は、単騎で走る誰かの後ろで競り合いをするしかないだろうな、と思った。
・
・
・
単騎で走る選手は、他に1人だけ居た。
寒い中での開催に耐えられない九州勢から、特選シードの宮崎県の選手だけが残っていたのだ。
四国九州の即席ラインを作る。本来なら、そうなるはずだった。そうするはずだった。
だがこうなっては仕方がない、あいつの番手競りをして、取れた方が勝ちだ!
・
・
・
4周目バックストレッチ、大きな鐘の音が鳴る。
僕と師匠はずっと競り合いを続けていて、どちらも脱落せず、ただ脚だけを使っていた。
ふと、目の前にいたはずの選手の背中を見失いそうになり、僕は慌てて踏んだ。師匠も踏んだ。だが、僕の方が若い分だけ脚が残っていた。
気が付けば風を切る選手の番手を取っていた。
なんとしても優勝したい、強く思った。
だがここはチャレンジA級予選などではなく、A級決勝だ。そう簡単にいくわけもなく、後ろからカラフルな勝負服の選手が何度も何度も飛んでくる。2回目の番手の仕事のため、必死で捌く、捌く、捌く。
もう脚など残っていない。あとは歩くしかできない、そう思った4コーナーで、野次が聞こえた。
「メロンたまにはいいとこ見せろやー!」
ここまで来てもまだ僕の名前を呼んではくれないんだな、苦笑いしながら、僕はありったけの力をこめて、踏んだ。
・
・
・
「決定! 1着、6番、鈴木英司。2着――」
そうだ、僕の名前は、そんな名前だった。死刑囚と同じ名前なだけで、特に珍しいわけでもなく、覚えにくいわけでもない、中途半端な名前。
ああ、優勝したんだ――そう思った瞬間に僕は、倒れそうになるのを我慢して、表彰台へと走った。
「師匠と競りになったのは残念な結果でした、次は師匠とワンツーフィニッシュできるよう、頑張ります!」
整わない息で、インタビューに答えた。
その後、相変わらず僕はただのメロンとして過ごし、師匠とのワンツーを決めることもなければ、S級に上がることもなかった。
そんな選手がいたって、いいじゃないか。
競輪場に行けば、皆が僕のことを「メロン」と呼ぶよ。名前なんて呼んでもらえやしない。自分の名前も忘れるほどだ。
僕は万年6号車。
だから、名前なんて要らない。
メロンでいいんだ。
だけどいつか、せめてピンクの勝負服で走りたいな。
今朝も、冷える。
だけど、街道での練習に力を入れている僕は、寒いなんて言ってられない。
自宅の練習場でローラーを転がすだけじゃ付かない力を付けに行くんだ。
だから斡旋がない日は、毎朝3時から愛車で街道を走る。
街道を走るときだけは、僕はメロンじゃない。
少なからず応援してくれる人もいるようで、たまに声をかけられる。
犬の散歩中のおじいちゃんとよく会うんだ。
犬の名前は、メロン。
おじいちゃんの名前は、知らない。
***
僕はまだ独り身で、実家暮らしで、万年6号車だから親には迷惑をかけっぱなしだ。ロクに賞金も持って帰れやしない。
両親は、競輪学校に入りたいと言った僕のことを、笑いはしなかった。少し揉めたが、お前のやりたいようにやりなさいと言ってくれた。
どうせダメだと思っていたんじゃないだろうか。いまの僕は少しやさぐれていて、そんな風にしか思えない。
明日からの開催では、少しは賞金なり何なりを手にして帰りたいな、そう思いながら、どこにでもありそうな、だからこそ貴重な食事を摂っていた。
特に栄養バランスを考えたわけでもなく、特にアスリート向きというわけでもない、ごく普通の一般のご家庭の食卓だ。醤油色をした、普通の食卓だ。
僕はこの食事がいちばん好きで、前検日の今日、これから競輪場に向かう足は、あまり軽くはなかった。
両親や弟妹と離れてひとり孤独にあの場所にいるのもイヤだったし、なにより食事がおいしくないのだ。きちんと管理されている食事がおいしくないのは当たり前かもしれないが、一度入院したときの病院食、あれに似ていて、味気ないのだ。
選手によっては、どこそこの競輪場の食事はおいしいだのと言う。だけど、僕はたぶん『競輪場に入ってから食べる食事』が嫌いなんだ。サラリーマンがおいしいはずの仕出し弁当を渋々食べるのと似たようなものだろう。サラリーマンになったことはないから、本当に理解しているかどうかはわからないが。
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前検日だ。
前検日とはいっても、どの斡旋でも初日は1レースの6号車が定位置の僕のところにインタビューに来る物好きなどいない。
だから、ただ入って、ただ食べて、ただ練習して、ただ寝るだけだ。
今日もそうあるはずだったのだ。
大浴場での付き合いもそこそこに、4人部屋でもほぼ無言。それが僕だ。
大して美味しくもない食事を腹いっぱい食べて、僕は寝ようとしていた。
食う寝る育つ、それが競輪選手だと信じて。
ところが今日は、寝るのを邪魔するお客様があった。
物好きが1人。
ふん、どうせこのままじゃデビューから1年やそこらでクビになるから、僕を笑いものにしようと思って来たんだろう。
前検日インタビューなど、それこそよほどの物好きでなければ見ないし、僕が出ていたところで、お前誰だよと思って聞き流すに違いないんだ。
僕は眠そうな目でインタビューに不真面目に答えた。
「明日の競走は、四国ラインの3番手ですかね?」
「いえ、四国ラインの先頭ですね、3番手でもよかったんですが、僕なんてどうせいてもいなくても変わりませんし」
「先頭を任せられて、プレッシャーは?」
「ありませんね。いつも通り走ります。番手の先輩のためになんてこれっぽっちも思ってません」
全くの本音だった。
逃げを得意としていたチャレンジA級時代も、番手選手をちぎって一人で勝つことが多かったのだ。師匠からは散々怒られていた。
「自分だけが勝ってどうするんだ! 番手の先輩を連れて行けないような駆け方をするんじゃあ、お前の番手なんて誰も走りたくなくなるだろうが! いつかお前が歳喰ってそんな目に遭ってみろ、誰にも文句言えねえぞ!?」
確かに、その通りなのだ。だけど、僕にはまだそこまでの思い入れも、技術も、何もないのだ。
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開催初日は、1レースに番組を組まれていた。尤も、いつも1レースの6号車が点数のない僕の定位置なのだが。
初日予選なのだ。しかも1レースなのだ。特選に行けるようなら、こんな色の服は着ていない。
特選のメロンなら、まだハクも付こうというものを。
僕はチャレンジA級で9連勝してA級2班に特別昇班してきた、期待のルーキーだった。――だったのだ。チャレンジでは7色それぞれのいろいろな色の服を着ていた。2号車だとよく勝てた気がする。だから僕の好きな色は、黒だ。
だが、A級2班に昇班してからというもの、最初に着たメロン色の服がよく似合うと自分でも思えるほど、1レース6号車から抜け出すことはできなかった。
実力が付くのを待つよりも、降級するのを待った方が勝てるんじゃないかと思うほどだ。
僕の師匠は今日、初日特選の6号車で走る。
「師匠、同じ色ですね」
ふざけてみたが、師匠は冷たかった。
「そりゃお前、特選周りできるだけでじゅうぶんってぐらいの点数しかないんだよ俺ぁ。だったらメロンでもなんでもいいじゃねえか。てめーは何なんだ、ずっと1レースでこんな服着て、なんとか特選に出ようとは思わねえのかよ。だいたいいつまでも2班じゃ、特選どころじゃねーじゃねーか」
特選に出られる選手は基本的にA級1班とS級S班・1班の選手だ。
ダービーなどでS級S班やS級1班が出払っているときには、S級2班でも特選に乗ることはあるが。
僕はずっとA級2班から落ちそうで落ちない程度の点数しかないので、特選なんて夢のまた夢だ。
そういえば、師匠と同じ斡旋は初めてだ。そうだ、師匠は今期からA級1班に落ちてきたから、僕がS級に上がれなかったのに同じ斡旋になってしまったんだ。僕はF1開催にも斡旋がほとんどないから、僕がA級で師匠がS級という同じ斡旋にすらなったことがなかった。
そして、僕は悪いことを言ってしまったことに、そこでようやく気付いた。
「昨日、前検日インタビューが来たんですけど、師匠のところには?」
「そりゃ、特選なんだから来るに決まってんだろ。てめーが決勝まで上がって来るのを待っててやるって言っといたからよ、せめて準決には入れよな?」
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僕は、四国ラインの先頭であることを生かして必死に先行から突っ張りきって、最後の最後で番手の先輩に差されて、2着だった。
ハンドルを投げた瞬間には、もうわかっていた。僕は負けたんだ、と。
けど、2着だ。準決勝には行けるじゃないか。
師匠と同じ斡旋での準決勝進出に、少し浮かれていたのは事実だ。
競走が終わったあとのことは、よく覚えていない。
師匠に変な絡み方をしたような気がした。
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2日目。準決勝だ。
同県の先輩とともに、4レースに番組は組まれた。
師匠は6レースのA級準決勝に出るようだった。
僕は今日も当然ながら6号車だ。言うまでもないだろう。
選手紹介のときに野次が飛んできたのが聞こえた。
「メロン、今日も大穴頼むぞ!」
そう、僕に名前なんて、必要ないのだ。
昨日もメロンで今日もメロン。
お客様からしたら、大穴を持ってくるためだけに存在する、昨日2着だったメロンが、僕なんだ。
くそったれ。
僕にだって少しは意地があるんだ。
そんな風に言われたら、せめて名前で呼んでほしい、そう思うじゃないか。
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今日は同県の先輩の番手を回ることになっていた。僕は先行逃げ切りに不安があるから、付いて来いと言われたのだ。美味しいところは持って行っていいから、思いっきり付いてきて、後ろを捌いて、そのうえで1着を取れ、先輩はそう言っていた。
マーク戦なんて、初めてで不安しかなかった。後ろを捌いているうちに脚をなくして着外がいいところだろうと思っていた。だが、先輩に言われたからにはやるしかなかった。僕は夢中で先輩の後ろを追いながら、後ろから来る他の選手をブロックして捌いた。落車させて失格になるようなことがあると困るので、僕は初めての番手の仕事を丁寧にこなした、と思いたい。
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「決定! 1着、6番」
2着3着がどうなったかなど、まるで覚えていなかった。ものすごい声援に包まれて、わけがわからないまま走って、捌いて、ゴールした。1着だった確信もなかった。だが、審判が「1着、6番」と言ったのだけははっきりと聞こえた。僕は勝利者インタビューにどう答えたのかすら覚えていない。
6レースで師匠が綺麗なマークの2着で決勝進出を決めたことだけは、はっきりと見ていた。
明日は初めて師匠と同じ番組で走れる。それも、決勝戦という大舞台で。僕は嬉しすぎて、あまりよく眠れなかった。
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開催3日目、最終日。A級の5レースまで、そしてS級の6レースから10レース、僕は何を見ても頭に入らなかった。僕が師匠と一緒に決勝戦を走る。そのことで頭がいっぱいで、選手紹介の前に敢闘門のところで師匠に声をかけられるまで、ぼーっとしていたんだと思う。
「今日は俺の前を走れ、お前なら逃げ切れるはずだから」
師匠はそう言っていた。だが、師匠はマーク屋としては超一流なのだ、師匠はどうせ僕をうまく使ってあっさりと優勝するつもりだろう。
僕は性格が悪いから、そういう風にしか思えなかった。
それでも、師弟で決勝進出ということで、ある程度の注目を集めるレースにはなったようだ。
僕はお決まりのメロン色の6号車、師匠はまぶしいピンクの8号車。四国から決勝進出は2人だけだったので、僕と師匠でライン形成する以外に、僕か師匠が勝つ道はなかった。
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選手紹介のとき、迷ってしまって、師匠と並走してしまった。
新聞屋や予想屋やお客様、いろんな人に迷惑をかけただろうと思う。
僕は師匠と競り合うつもりなどなく、だがあんな選手紹介になってしまった以上は、単騎で走る誰かの後ろで競り合いをするしかないだろうな、と思った。
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単騎で走る選手は、他に1人だけ居た。
寒い中での開催に耐えられない九州勢から、特選シードの宮崎県の選手だけが残っていたのだ。
四国九州の即席ラインを作る。本来なら、そうなるはずだった。そうするはずだった。
だがこうなっては仕方がない、あいつの番手競りをして、取れた方が勝ちだ!
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4周目バックストレッチ、大きな鐘の音が鳴る。
僕と師匠はずっと競り合いを続けていて、どちらも脱落せず、ただ脚だけを使っていた。
ふと、目の前にいたはずの選手の背中を見失いそうになり、僕は慌てて踏んだ。師匠も踏んだ。だが、僕の方が若い分だけ脚が残っていた。
気が付けば風を切る選手の番手を取っていた。
なんとしても優勝したい、強く思った。
だがここはチャレンジA級予選などではなく、A級決勝だ。そう簡単にいくわけもなく、後ろからカラフルな勝負服の選手が何度も何度も飛んでくる。2回目の番手の仕事のため、必死で捌く、捌く、捌く。
もう脚など残っていない。あとは歩くしかできない、そう思った4コーナーで、野次が聞こえた。
「メロンたまにはいいとこ見せろやー!」
ここまで来てもまだ僕の名前を呼んではくれないんだな、苦笑いしながら、僕はありったけの力をこめて、踏んだ。
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「決定! 1着、6番、鈴木英司。2着――」
そうだ、僕の名前は、そんな名前だった。死刑囚と同じ名前なだけで、特に珍しいわけでもなく、覚えにくいわけでもない、中途半端な名前。
ああ、優勝したんだ――そう思った瞬間に僕は、倒れそうになるのを我慢して、表彰台へと走った。
「師匠と競りになったのは残念な結果でした、次は師匠とワンツーフィニッシュできるよう、頑張ります!」
整わない息で、インタビューに答えた。
その後、相変わらず僕はただのメロンとして過ごし、師匠とのワンツーを決めることもなければ、S級に上がることもなかった。
そんな選手がいたって、いいじゃないか。
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