嘘月の夜

fireworks

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9章

164話 息子

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 散々な一日だったな……。
 中庭で父とやり合い、母の遺品を突きつけられて、胸の奥はまだ重いままだ。
 けれど文化祭は待ってくれない。気づけば午後、俺は男子五人で各クラスを巡っていた。

 
 教室を渡り歩きながら、ふと考える。
 ――穢れが何処かに集まっているかもしれない。
 この浮ついた喧騒の裏に、何かが潜んでいるような気がしてならない。

 
 だが、周囲はそんなこと気にも留めない。
「なあ、次は2年の演劇見に行こうぜ」
「いやいや、まずはあっちのタピオカだろ」
 男子たちの声に合わせて俺も歩調を合わせる。けれど、俺だけ心がどこか浮ついていた。

 
 やがて、ひときわ大きな歓声が耳を突いた。
 何だろう?
 人混みをかき分けると――そこにいたのは。

 
 朝比奈詠先生。そして、その奥さん。そして……小学生くらいの少年。

 
 あれが朝比奈さんの弟か。
 場違いなほど整った三人家族の姿に、生徒たちが集まっていた。

 
「先生だ! 本物の朝比奈先生!」
「うちの祖父母、朝比奈先生に病気を治してもらったんだ」
「ほんと?」

 
 噂の声が飛び交う。
 ――朝比奈万歳、か。
 医者として尊敬されているのは分かる。だが、俺の胸に去来するのは別の感情だった。

 
 弟はまんざらでもなさそうに胸を張っている。
 一方で朝比奈先生は無表情。誇らしい場面のはずなのに、氷のような顔。
 ……奥さんが、横でうなずくように見守っている。

 
 聞きたい。
 でも――聞けない。
 俺はただ立ちすくんでいた。

 
 それにしても……あの弟。
 朝比奈先生にも、奥さんにも、まったく似ていない。
 どこか、浮いている。
 ――やはり、この家も調べなければ。

 
 …父(冬真)に頭を下げるか?
 いや、それだけは。
 分からない。分からないが――。

 
「君は……笹倉澄人くんかな?」

 
 唐突に、低い声が俺を射抜いた。
 顔を上げると、朝比奈先生が真っ直ぐこちらを見ていた。

 
 息が止まる。
 なぜ、俺が――。

 
 澄人。
 朝比奈さんと付き合っているのは、笹倉澄人。
 俺じゃない。

 
 けれど、聞きたいことは山ほどあった。
 ここで否定して背を向ければ、二度と機会はないかもしれない。

 
「……ええ」

 
 俺は頷いた。
 自分でも信じられないほど、自然に。

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