心の面影

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1章 いびつなこころ

23話 睡眠導入剤

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23話 睡眠導入剤
「死んでしまいたい……」
 衝撃的な言葉を噛み砕くのに時間がかかった。間違いだと信じたかった。文字がぐちゃぐちゃだから、ほかの組み合わせがあるかもしれない――と。だがそんなことはなかった。一見バラバラに見える文字も、組み合わせれば……。
 いや、もっと前から気づくべきだったと後に思う。食事、睡眠、趣味、息子、私さえも拒絶して。そういう兆候はあった。
「……」
 同時に、信じたくなかった。
 まさか、彼女が本当に終わらせようとしたなんて。
 そんなの、信じられるわけない。
「……ノナ?」
 彼女専用のバスルーム。ドアを開けると、息苦しくなるほどの湯気に視界と鼻がやられる。一段と濃い。もはや何があるのかもよく見えない。ドアを開けっ放しにして、慎重に、転ばないよう一歩を踏む。くるぶしまで漬かっていた水が外に溢れ出た。薬瓶も流れる。他の人たちは彼女を見つけられず、後ろから追いかけてくる。びちゃびちゃと音を立てて。やっと視界が晴れてきて、バスタブでぐったりしている彼女を見つけた。
「ノナ!」
「旦那様、奥様は!」
「ここにいます! タオルをください!」
「まずは息を……!」
 バスタブに張られていた湯は、冷えて水になり、限界を超えて満たされている。彼女は目を閉じて浮かび、全身の力が抜けているように見えた。髪は乱れているが、目立った外傷はない。静かに眠っているようで、息をしていない。流れていた水を止め、呆然と立ち尽くした。
「あ、あああああ、あああああああ」
 足元に転がっていた薬瓶。拾ってみると、「睡眠導入剤」と書かれている。そうだ。彼女はまったく眠れなくて、強制的に薬を使って眠っていた。これは……3日前に補充したばかりのはず。残念ながら、中身は空っぽだった。

「奥様は程なくお目覚めになるでしょう。それまで心の整理をしてお待ちください」
「ありがとうございます……」
 間一髪、彼女の命は救われた。喉に詰まっていた異物……薬を取り出し、応急処置を済ませた。今、彼女はかすかに息をして眠っている。私は椅子に座り、彼女が目覚めるのをずっと待っていた。仕事など手につかず、食事も睡眠もやめて祈り続けた。
 使用人の話によると、昨日の夕方はそこまで荒れていたわけではないという。床に本が転がり、紙が散らばっていた程度だったと。おびただしい呪文は確かになかったと語った。ということは、昨夜思い詰め、至るところに文字を書き殴ったのだろう。そして、今日の夕方、バスタブに湯を張り、睡眠導入剤をすべて飲み干し、眠りについた。閉め切ったバスルームは湯気が覆い尽くし、バスタブから溢れた湯が床を水だらけにした。薬のせいで眠っていた彼女は、湯船に溺れて気絶した。あとほんの少し遅れていたらと思うと恐ろしい。2年前の事故を彷彿させるような、苦しい記憶が刻まれた。
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