8 / 76
夫41歳、妻22歳、娘6歳(6)
カチャカチャとカトラリーの静かな音が響く。必死でナイフを動かしているエルシーの姿は、見ていて飽きない。
広い食堂の翡翠色のテーブルクロスの映えるテーブルに、イグナーツはエルシーと向かい合って座り、食事をとっていた。
「旦那様、こちらは苦手なものでしたか?」
パトリックがそう声をかけてきたのも、イグナーツのフォークがなかなか動かないからだろう。
「お父さま、好ききらいをしてはいけません」
いきなりエルシーからそのように言葉をかけられて、思わずイグナーツは目を細めた。彼女の口元には、ソースがついている。
その様子を見ていたパトリックは、ぷっと噴き出した。
「ああ。そうだな。久しぶりにエルシーと食事をして、嬉しすぎて喉が通らないんだ。食事はどれも美味しいよ」
慌ててイグナーツはフォークを口元にまで運んだ。
あの件をどうやってエルシーに伝えるか、悩んでいたせいもある。
エルシーは、しばらく会わない間にずいぶんと成長したようだ。食事も一人で食べるし、カトラリーの使い方もよく学んでいる。
だが、好き嫌いをしてはいけないと言った彼女自身が、苦手な野菜を皿の隅に避けていた。それには微笑みすら零れる。
食事が終わり、お茶が運ばれてきた。エルシーの前には、彼女の好きなチョコレートのババロアが置かれる。
「エルシー」
名を呼ぶと、ババロアをすくっていた彼女が顔をあげた。
「新しいお母さまがきてもいいか?」
ポロリと彼女のスプーンの上からババロアが落ちた。慌ててエルシーはすくい直すと、パクリと口に入れる。
そんな彼女の様子をイグナーツは黙って見ていた。彼女が嫌がる素振りを見せるなら、結婚を断る絶好の機会である。
ババロアを噛みしめたエルシーは、にかっと顔中を輝かせた。
「はい。うれしいです」
彼女が嫌がるだろうと思っていたイグナーツは面食らった。笑顔のエルシーに対して、イグナーツの顔はひくひくと引き攣り始めている。
「エルシーは、新しいお母さまが嫌ではない?」
「はい!」
元気よく返事されてしまうと、今までイグナーツだけでは不満だったのかと思ってしまうくらいだ。
寂しい思いをさせてしまったのか。
やはり父親だけでは満たされなかったのか。
瞬間的に、さまざまな思いが、イグナーツの頭を支配し始めた。
「エルシーもお母さまと仲良くなれますか?」
まだ居ぬ母親に、彼女は想像を広げている。
イグナーツは失敗したと思っていた。完全に裏目に出た。イグナーツは、彼女が拒むと思っていたのだ。
二人の家族に割り込む他人。それを嫌がるだろうと勝手に思っていた。
「そうだな。お母さまはエルシーと仲良くしたいと思っているよ」
イグナーツですら目にしたことのない彼女を、勝手に美化して口にした。エルシーの期待を裏切りたくない。となれば、彼女の「新しいお母さま」をこの屋敷に連れてこなければならない。
「お父さまは、新しいお母さまと結婚式をするのですか?」
エルシーに聞かれ、はっとする。
幻の王女をエルシーが母親として望むのであれば、この屋敷に受け入れようと思っていたが、結婚式をどうするかまでは考えていなかった。その辺はあの王と相談しなければならないだろう。むしろ、彼のことだから勝手に決めている可能性もある。
エルシーの瞳は期待に満ちて、きらきらと輝いていた。結婚式に憧れる年頃なのだろう。
「それは……。俺も若くないからなぁ。まずは一緒に住んでから、お母さまの意見を聞いてから考えるというのはどうだろう?」
「わかりました。でも、お母さまも結婚式をしたいと思います。エルシーも結婚式をしたいです」
後方から熱い視線を感じた。チラリとそこに目を向けると、パトリックがニヤニヤと口元を歪めながら立っていた。
*~*~花の月五日~*~*
『きょうは おとうさまがかえってきました
あたらしいおかあさまがほしいか きかれました
それは おとうさまにすきなひとができたあいずです
エルシーは おとうさまがすきなひとと しあわせになってもらいたいです
エルシーは おとうさまのこどもになれて しあわせです
あたらしいおかあさまは エルシーのことを すきになってくれるかな』
広い食堂の翡翠色のテーブルクロスの映えるテーブルに、イグナーツはエルシーと向かい合って座り、食事をとっていた。
「旦那様、こちらは苦手なものでしたか?」
パトリックがそう声をかけてきたのも、イグナーツのフォークがなかなか動かないからだろう。
「お父さま、好ききらいをしてはいけません」
いきなりエルシーからそのように言葉をかけられて、思わずイグナーツは目を細めた。彼女の口元には、ソースがついている。
その様子を見ていたパトリックは、ぷっと噴き出した。
「ああ。そうだな。久しぶりにエルシーと食事をして、嬉しすぎて喉が通らないんだ。食事はどれも美味しいよ」
慌ててイグナーツはフォークを口元にまで運んだ。
あの件をどうやってエルシーに伝えるか、悩んでいたせいもある。
エルシーは、しばらく会わない間にずいぶんと成長したようだ。食事も一人で食べるし、カトラリーの使い方もよく学んでいる。
だが、好き嫌いをしてはいけないと言った彼女自身が、苦手な野菜を皿の隅に避けていた。それには微笑みすら零れる。
食事が終わり、お茶が運ばれてきた。エルシーの前には、彼女の好きなチョコレートのババロアが置かれる。
「エルシー」
名を呼ぶと、ババロアをすくっていた彼女が顔をあげた。
「新しいお母さまがきてもいいか?」
ポロリと彼女のスプーンの上からババロアが落ちた。慌ててエルシーはすくい直すと、パクリと口に入れる。
そんな彼女の様子をイグナーツは黙って見ていた。彼女が嫌がる素振りを見せるなら、結婚を断る絶好の機会である。
ババロアを噛みしめたエルシーは、にかっと顔中を輝かせた。
「はい。うれしいです」
彼女が嫌がるだろうと思っていたイグナーツは面食らった。笑顔のエルシーに対して、イグナーツの顔はひくひくと引き攣り始めている。
「エルシーは、新しいお母さまが嫌ではない?」
「はい!」
元気よく返事されてしまうと、今までイグナーツだけでは不満だったのかと思ってしまうくらいだ。
寂しい思いをさせてしまったのか。
やはり父親だけでは満たされなかったのか。
瞬間的に、さまざまな思いが、イグナーツの頭を支配し始めた。
「エルシーもお母さまと仲良くなれますか?」
まだ居ぬ母親に、彼女は想像を広げている。
イグナーツは失敗したと思っていた。完全に裏目に出た。イグナーツは、彼女が拒むと思っていたのだ。
二人の家族に割り込む他人。それを嫌がるだろうと勝手に思っていた。
「そうだな。お母さまはエルシーと仲良くしたいと思っているよ」
イグナーツですら目にしたことのない彼女を、勝手に美化して口にした。エルシーの期待を裏切りたくない。となれば、彼女の「新しいお母さま」をこの屋敷に連れてこなければならない。
「お父さまは、新しいお母さまと結婚式をするのですか?」
エルシーに聞かれ、はっとする。
幻の王女をエルシーが母親として望むのであれば、この屋敷に受け入れようと思っていたが、結婚式をどうするかまでは考えていなかった。その辺はあの王と相談しなければならないだろう。むしろ、彼のことだから勝手に決めている可能性もある。
エルシーの瞳は期待に満ちて、きらきらと輝いていた。結婚式に憧れる年頃なのだろう。
「それは……。俺も若くないからなぁ。まずは一緒に住んでから、お母さまの意見を聞いてから考えるというのはどうだろう?」
「わかりました。でも、お母さまも結婚式をしたいと思います。エルシーも結婚式をしたいです」
後方から熱い視線を感じた。チラリとそこに目を向けると、パトリックがニヤニヤと口元を歪めながら立っていた。
*~*~花の月五日~*~*
『きょうは おとうさまがかえってきました
あたらしいおかあさまがほしいか きかれました
それは おとうさまにすきなひとができたあいずです
エルシーは おとうさまがすきなひとと しあわせになってもらいたいです
エルシーは おとうさまのこどもになれて しあわせです
あたらしいおかあさまは エルシーのことを すきになってくれるかな』
あなたにおすすめの小説
異世界に逃げたシングルマザー経理は、定時退勤だけは譲れない
木風
恋愛
DV夫から一歳の娘を抱えて逃げた鈴木優子は、光に飲まれて異世界の王宮へ転移してしまう。
生きるために差し出した武器は簿記と経理経験――崩壊寸前の王宮会計を『複式簿記』で立て直すことに。
ただし譲れない条件はひとつ、「午後五時の定時退勤」。娘の迎えが最優先だからだ。
その姿勢に、なぜか若き国王ヴィクトルが毎日経理室へ通い始めて――仕事と子育ての先に、家族の形が芽吹いていく。
王宮の万能メイド、偏屈魔術師を餌付けする
葉山あおい
恋愛
王宮で働く勤続八年のメイド、エレナ・フォスター。仕事は完璧だが愛想がない彼女は、いつしか「鉄の女」と呼ばれ恐れられていた。
そんな彼女に下された辞令は、王宮の敷地内にありながら「魔窟」と呼ばれる『北の塔』の専属メイドになること。そこの主である宮廷魔術師団長・シルヴィス・クローデルは、稀代の天才ながら極度の人嫌い&生活能力ゼロの偏屈男だった!
ゴミ屋敷と化した塔をピカピカに掃除し、栄養失調寸前の彼に絶品の手料理を振る舞うエレナ。黄金色のオムレツ、とろける煮込みハンバーグ、特製カツサンド……。美味しいご飯で餌付けされた魔術師様は、次第にエレナへの独占欲を露わにし始めて――?
意地悪な聖女や侯爵夫人のいびりも、完璧なスキルで華麗に返り討ち。平民出身のメイドが、身分差を乗り越えて幸せな花嫁になるまでの、美味しくて甘いシンデレラストーリー。
[完結]私を巻き込まないで下さい
シマ
恋愛
私、イリーナ15歳。賊に襲われているのを助けられた8歳の時から、師匠と一緒に暮らしている。
魔力持ちと分かって魔法を教えて貰ったけど、何故か全然発動しなかった。
でも、魔物を倒した時に採れる魔石。石の魔力が無くなると使えなくなるけど、その魔石に魔力を注いで甦らせる事が出来た。
その力を生かして、師匠と装具や魔道具の修理の仕事をしながら、のんびり暮らしていた。
ある日、師匠を訪ねて来た、お客さんから生活が変わっていく。
え?今、話題の勇者様が兄弟子?師匠が王族?ナニそれ私、知らないよ。
平凡で普通の生活がしたいの。
私を巻き込まないで下さい!
恋愛要素は、中盤以降から出てきます
9月28日 本編完結
10月4日 番外編完結
長い間、お付き合い頂きありがとうございました。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi(がっち)
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
モブ令嬢は脳筋が嫌い
斯波@ジゼルの錬金飴③発売中
恋愛
イーディスは海のように真っ青な瞳を持つ少年、リガロに一瞬で心を奪われた。彼の婚約者になれるのが嬉しくて「祖父のようになりたい」と夢を語る彼を支えたいと思った。リガロと婚約者になってからの日々は夢のようだった。けれど彼はいつからか全く笑わなくなった。剣を振るい続ける彼を見守ることこそが自分の役目だと思っていたイーディスだったが、彼女の考えは前世の記憶を取り戻したことで一変する。※執筆中のため感想返信までお時間を頂くことがあります。また今後の展開に関わる感想や攻撃的な感想に関しましては返信や掲載を控えさせていただくことがあります。あらかじめご了承ください。
体育館倉庫での秘密の恋
狭山雪菜
恋愛
真城香苗は、23歳の新入の国語教諭。
赴任した高校で、生活指導もやっている体育教師の坂下夏樹先生と、恋仲になって…
こちらの作品は「小説家になろう」にも掲載されてます。
王女殿下のモラトリアム
あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」
突然、怒鳴られたの。
見知らぬ男子生徒から。
それが余りにも突然で反応できなかったの。
この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの?
わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。
先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。
お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって!
婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪
お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。
え? 違うの?
ライバルって縦ロールなの?
世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。
わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら?
この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。
※設定はゆるんゆるん
※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。
※明るいラブコメが書きたくて。
※シャティエル王国シリーズ3作目!
※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、
『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。
上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。
※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅!
※小説家になろうにも投稿しました。
ちょっと不運な私を助けてくれた騎士様が溺愛してきます
五珠 izumi
恋愛
城の下働きとして働いていた私。
ある日、開かれた姫様達のお見合いパーティー会場に何故か魔獣が現れて、運悪く通りかかった私は切られてしまった。
ああ、死んだな、そう思った私の目に見えるのは、私を助けようと手を伸ばす銀髪の美少年だった。
竜獣人の美少年に溺愛されるちょっと不運な女の子のお話。
*魔獣、獣人、魔法など、何でもありの世界です。
*お気に入り登録、しおり等、ありがとうございます。
*本編は完結しています。
番外編は不定期になります。
次話を投稿する迄、完結設定にさせていただきます。