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8.夫の葛藤(5)
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「あ。やっぱり、この時間だと空いてますね」
昼食には少し遅い時間。ジョアンのことだから、わざとこの時間帯を狙って誘ってきたような気がする。
食堂は、誰でも利用することができる。ハバリー国の軍の拠点とする建物の前に別の建物があって、それが食堂なのだ。二つの建物は回廊でつながっているが、軍専用の食堂というわけでもなく、ガイロの街に住む者、訪れた者などが自由に利用できるようになっている。そのため、時間帯によってはものすごく込む。
ジョアンとアーネストが席につくと、給仕の女性がやってきた。
「やった。今日はリリーさんだ」
子どものようにはしゃぐジョアンを見て、彼女がジョアンの想い人なのだろうと察した。
「あ、ジョアンさん。こんにちは」
「こんにちは、リリーさん。僕はおすすめランチ。閣下はどうされます?」
「俺は、なんでもいい」
「うわ、出た。めんどくさい男の典型。なんでもいい。てことで、おすすめランチを二つで」
「はい、おすすめランチ。二つですね。少々お待ちください」
注文を聞き終えた給仕は、カウンターのほうに戻っていく。
「閣下。見ました? 今の子です。かわいいですよね。あの子、ミルコ族だと思うんです」
ミルコ族は黒い髪が特徴であり、ジョアンも同じようにミルコ族である。
そして彼女は、黒い髪を一本の三つ編みにして後ろに垂らしていた。だからジョアンが言ったようにミルコ族なのだろう。
地味な格好をしているものに、かわいいと思うから不思議だった。
いや、それよりも――
アーネストは既視感を覚えた。彼女とはどこかで会ったことがあるような、そんな気がする。
「閣下、閣下……どうしました?」
ジョアンがアーネストの顔の前で、ひらひらと手を振る。
「なんだ?」
「なんだじゃないですよ。心ここにあらずみたいな顔をして。最近、やっぱり変ですよ。奥さんが恋しい? でも、そろそろ僕たちもサランに戻れますよね?」
「サランに戻りたいのか? 彼女はどうするんだ?」
アーネストは、顎でカウンターのほうをしゃくった。先ほどの女性はそこで料理の準備をしている。
「彼女はそういうんじゃないですよ。こう、目の保養的な? 会えたらラッキーみたいな。そんな感じです。でも、サランに戻る話があるなら、戻る前に口説いてみたいですね」
ジョアンの言っていることが、アーネストにはさっぱりと理解ができない。
「お前の話は、さっぱりわからん」
「うわ。ひどい。最近の閣下、冷たい。昔はもっとこう、僕の話に付き合ってくれていたのに。年とって、怒りっぽくなったんじゃないですか? もしかして、あれ? 更年期っていうやつ?」
「お前なぁ……」
アーネストが「うるさい」「黙れ」としか言い返さないためか、近頃のジョアンは調子にのっている。
「昔の閣下でしたら、僕を黙らせる屁理屈の一つや二つ、言っていたのに。頭の回転も衰えているんですね」
本当に先ほどから失礼なやつである。だけど、言い返すだけの気力もない。
「うるさい。疲れているだけだ」
ジョアンは不満そうにアーネストを見た。その視線に耐えきれず、アーネストは横を向く。しかしその先にはカウンターがあって、やはり先ほどの女性が忙しなく料理をトレイに並べていた。
ぼんやりとその様子を眺める。理由はない。だけど、つい目で追ってしまう。
あの女性はオレリアと同じくらいの年だろうか。いや、もう少し年上だろう。
オレリアはどうしているだろうか。
そもそも十二年も会っていない。手紙の一つくらい出せただろうにと責められれば、言い訳はできない。だけど、それでよかったのだ。彼女を危険に晒さないためにも、オレリアがアーネストをきっぱりと捨てるためにも。
そこに情があってはならない。
アーネストは彼女から捨てられる。それだけひどいことをした。アーネストはオレリアを弄んだひどい男なのだ。
手紙とともに離縁届を送ったのも、けじめのつもりだった。
オレリアはアーネストがやったことを知れば、間違いなくアーネストを恨む。だからこれ以上、関係を続けてはならない。
「お待たせしました」
彼女の明るい声で我に返る。
「おすすめランチ二つになります」
ほくほくと湯気の立ち上がるスープを目にしたのはいつ以来だろう。
「ごゆっくりどうぞ」
微笑みと共に言葉を放つ女性の給仕の声が、なぜかアーネストの耳にいつまでも残った。
「ほらほら。閣下。美味しそうじゃないですか。あたたかいうちに食べましょう」
「そうだな」
アーネストの言葉にジョアンは目を丸くした。
「どうしたんですか? 閣下。急に素直になって。それはそれで、気持ち悪いんですけど」
相変わらずジョアンは生意気である。
昼食には少し遅い時間。ジョアンのことだから、わざとこの時間帯を狙って誘ってきたような気がする。
食堂は、誰でも利用することができる。ハバリー国の軍の拠点とする建物の前に別の建物があって、それが食堂なのだ。二つの建物は回廊でつながっているが、軍専用の食堂というわけでもなく、ガイロの街に住む者、訪れた者などが自由に利用できるようになっている。そのため、時間帯によってはものすごく込む。
ジョアンとアーネストが席につくと、給仕の女性がやってきた。
「やった。今日はリリーさんだ」
子どものようにはしゃぐジョアンを見て、彼女がジョアンの想い人なのだろうと察した。
「あ、ジョアンさん。こんにちは」
「こんにちは、リリーさん。僕はおすすめランチ。閣下はどうされます?」
「俺は、なんでもいい」
「うわ、出た。めんどくさい男の典型。なんでもいい。てことで、おすすめランチを二つで」
「はい、おすすめランチ。二つですね。少々お待ちください」
注文を聞き終えた給仕は、カウンターのほうに戻っていく。
「閣下。見ました? 今の子です。かわいいですよね。あの子、ミルコ族だと思うんです」
ミルコ族は黒い髪が特徴であり、ジョアンも同じようにミルコ族である。
そして彼女は、黒い髪を一本の三つ編みにして後ろに垂らしていた。だからジョアンが言ったようにミルコ族なのだろう。
地味な格好をしているものに、かわいいと思うから不思議だった。
いや、それよりも――
アーネストは既視感を覚えた。彼女とはどこかで会ったことがあるような、そんな気がする。
「閣下、閣下……どうしました?」
ジョアンがアーネストの顔の前で、ひらひらと手を振る。
「なんだ?」
「なんだじゃないですよ。心ここにあらずみたいな顔をして。最近、やっぱり変ですよ。奥さんが恋しい? でも、そろそろ僕たちもサランに戻れますよね?」
「サランに戻りたいのか? 彼女はどうするんだ?」
アーネストは、顎でカウンターのほうをしゃくった。先ほどの女性はそこで料理の準備をしている。
「彼女はそういうんじゃないですよ。こう、目の保養的な? 会えたらラッキーみたいな。そんな感じです。でも、サランに戻る話があるなら、戻る前に口説いてみたいですね」
ジョアンの言っていることが、アーネストにはさっぱりと理解ができない。
「お前の話は、さっぱりわからん」
「うわ。ひどい。最近の閣下、冷たい。昔はもっとこう、僕の話に付き合ってくれていたのに。年とって、怒りっぽくなったんじゃないですか? もしかして、あれ? 更年期っていうやつ?」
「お前なぁ……」
アーネストが「うるさい」「黙れ」としか言い返さないためか、近頃のジョアンは調子にのっている。
「昔の閣下でしたら、僕を黙らせる屁理屈の一つや二つ、言っていたのに。頭の回転も衰えているんですね」
本当に先ほどから失礼なやつである。だけど、言い返すだけの気力もない。
「うるさい。疲れているだけだ」
ジョアンは不満そうにアーネストを見た。その視線に耐えきれず、アーネストは横を向く。しかしその先にはカウンターがあって、やはり先ほどの女性が忙しなく料理をトレイに並べていた。
ぼんやりとその様子を眺める。理由はない。だけど、つい目で追ってしまう。
あの女性はオレリアと同じくらいの年だろうか。いや、もう少し年上だろう。
オレリアはどうしているだろうか。
そもそも十二年も会っていない。手紙の一つくらい出せただろうにと責められれば、言い訳はできない。だけど、それでよかったのだ。彼女を危険に晒さないためにも、オレリアがアーネストをきっぱりと捨てるためにも。
そこに情があってはならない。
アーネストは彼女から捨てられる。それだけひどいことをした。アーネストはオレリアを弄んだひどい男なのだ。
手紙とともに離縁届を送ったのも、けじめのつもりだった。
オレリアはアーネストがやったことを知れば、間違いなくアーネストを恨む。だからこれ以上、関係を続けてはならない。
「お待たせしました」
彼女の明るい声で我に返る。
「おすすめランチ二つになります」
ほくほくと湯気の立ち上がるスープを目にしたのはいつ以来だろう。
「ごゆっくりどうぞ」
微笑みと共に言葉を放つ女性の給仕の声が、なぜかアーネストの耳にいつまでも残った。
「ほらほら。閣下。美味しそうじゃないですか。あたたかいうちに食べましょう」
「そうだな」
アーネストの言葉にジョアンは目を丸くした。
「どうしたんですか? 閣下。急に素直になって。それはそれで、気持ち悪いんですけど」
相変わらずジョアンは生意気である。
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