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4.つきつけられた現実

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「……ケイト、ケイト……」

 誰かが優しく頭をなでている。母親だろうか、父親だろうか。
 ここはどこだろう。今まで、何をしていたのだろう。

「ケイト……目が覚めた?」

 たゆたうような意識が、次第にはっきりとしてくる。もう少し夢をみていたかった。だけど、そんな願いはむなしく、現実に引き戻された。

「ラッシュ、私……」
「君が、どうしても夜会に参加したいというから、連れていったんだけど……」

 彼の瞳が揺れている。しかし、その言葉で思い出した。目にしてしまった冷たい現実だ。
 ケイトは、あの噂が事実であるかどうかを確かめるために、イアンが出席するという夜会へ参加したいとラッシュに頼み込んだのだ。

「突然、君が倒れてしまったから。ナナが僕を呼びにきてくれて。それで、もう帰ってきたんだ」

 ラッシュの視線の先をとらえると、はにかんで小首を傾げたナナの姿が目に入った。その身体は小さく震えている。
 ここはダリル家の別邸で、ケイトに与えられた部屋。
 ぼんやりとした記憶の点がつながっていく。
 寝具が与えてくれるぬくもりが心地よい。

「奥様が、急に倒れましたので。それで……」
 それでナナがラッシュを呼んでくれたのだろう。

「ありがとう、ナナ。心配をかけたわね」

 目にいっぱいの涙をこらえて、彼女は首を横に振った。

「あれを見たら、誰だってそうなります……。旦那様は、ひどいです」

 ケイトはぼんやりと天蓋を眺めた。幾何学模様で彩られた天蓋は、見ていると不思議な気分になる。

 ――見たくなかった。だけど、見てしまった。

 それを確かめるために、あの場に足を運んだのに、実際に目にしてしまうと心がえぐられるかのように痛んだ。
 あまりにも胸が苦しくなって、気を失ったのだ。情けない。

「やっぱり、あの噂は事実だったのね」

 その呟きに、ラッシュも顔をしかめた。

 マレリと腕を絡め楽しそうに話をしているイアンの姿を、はっきりと目にしてしまった。
 ラッシュだって間違いなく見ていただろうに。

「……っ」

 目頭が熱くなる。だけど、泣いてはいけない。
 悔しいのか、恐ろしいのか、悲しいのか。わけのわからない感情が、胸の奥でくすぶっている。どうしたらいいのだろう。

「ケイト、僕は帰るよ。君の意識が戻って安心した」

 ケイトの潤んだ目を見ないようにして、彼は扉へと向かう。
 その後ろ姿を引き留めたくなった。だが、ぐっと堪える。

「ありがとう、ラッシュ」
「ありがとうございました」

 ナナも深く腰を折る。

「また、何かあったら頼ってくれ。僕は、君の味方だから」

 そう言って彼は、部屋を出て行った。
 ラッシュの優しさに甘えている。だけど今は、それに頼るしかない。

 パタンと扉が閉まってから、ケイトは身体を起こした。夜会に参加したままのドレス姿である。彼らが慌てて対応してくれたのがわかる。

 今日は、わざと灰鼠色の地味なドレスにした。できるだけ目立たないように。ケイト・ダリルであると知られないように。
 ラッシュがうまく紹介してくれたから、彼の遠縁の女性ということになっていたはず。
 だから、イアンは気づいていないだろう。あの夜会にケイトが参加していたことを。

「奥様、着替えますか?」
「えぇ、頼めるかしら」
「もちろんです」

 ケイトよりも胸を痛めているのはナナかもしれない。
 彼女を励ますように、ケイトは笑みを作った。

 寝台から降りて着替えをする。

 だが、これからの身の振り方をどうしたらよいのかがわからない。イアンとは二年間は白い結婚を続ける必要がある。それまで離縁ができないのだから、仕方あるまい。

 では、二年後は?

 離縁の原因は、屋敷に戻ってこないイアンのせいにできる。そうなれば、慰謝料、もしくは財産分与分くらいは請求できるだろうか。今後のために、資産はないよりもあったほうがいい。

「奥様。やはり、気分がすぐれませんか?

 後ろの鈎をはずし、コルセットをゆるめながらナナが問うた。

「いえ、大丈夫よ。少し考え事をしていただけ。心配をかけて、ごめんなさいね」

 ナナは首を横に振る。

 しゅるりと音を立てながら、灰鼠のドレスが身体を流れ、足下に落ちた。

 イアンがマレリと会っているならば、こちらも考えなければならない。
 頼れる相手といえば、やはりラッシュだろう。
 できることならば、イアンと婚姻関係のあるうちに、彼がマレリと関係をもってくれないだろうか。そうすれば姦通罪でイアンとマレリは処罰され、イアンの財産がケイトのものとなる。

「奥様。気持ちが落ち着くように、ハーブティーなどはいかがですか?」

 ケイトの考えを吹き飛ばすようなナナのやわらかな声で我に返った。
 すでに肌触りのよい、絹のナイトドレスに着替えさせられている。

「えぇ、お願いしてもよいかしら?」
「もちろんです」

 これからのことを考えると、ケイト一人では背負いきれない。誰かに助けを求めなければ――。

 ハーブティーのさわやかな香りが、部屋を満たしつつあった。
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