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9 絶望

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 目を覚ましたら、御伽の国の世界で、一瞬、我を忘れてぼんやりした。

 白く清潔な寝具の中に寝かされている。上に見えるのは天蓋付きのベッドの上部で、白に金で小鳥が描かれている。開け放たれた両開きの窓から、白と緑色のカーテンを揺らす風が入って来る。風は緑と花の香り、土の香りを運んで来て、遠くから小鳥の囀りが聞こえて来る。

 それは暖かな幸せの風景で、ティアは頬に涙が流れているのを知る。

 悲しい。
 幸せが悲しい。

「気づいたか」

 窓とは反対側のドアからアシュが入って来る。とても申し訳ない気持ちになった。

「ごめんなさい……ごめん、なさい」

 苦しい。
 この人に兄をと望んでいたのに、壊してしまった。

「おまえだけでも無事で良かった。もう考えるな、あれもおまえの幸せを望んでいた。俺はその手伝いをさせてもらっている。もうそれで良い」

 無理だと思う。兄はティアを捨て置いた償いとして、ティアを側に置いた。なのにティアは兄に何の償いもできない。

「兄さまを、取り戻すことはできませんか? せめて安らかに眠らせてあげることは……」

 ティアが泣きながら訴えると、アシュはベッドに座り、ティアの涙を拭った。

「例えば、おまえが俺の地位にあったとしよう。それでも彼の国に攻め込むのは難しい。彼の国は特殊だ。たとえ暗躍し、兄の体を盗もうとしても、あるのは王城の奥深くだ。逆に捕らえられる。意味はない」

 ティアの涙は止まらない。声を上げずに泣く姿は、いっそう辛く映る。

「妖精族に言わせれば、人の全ては魂だ。兄の魂は浄化され、すでに神世に送られている。忘れろ。誰もおまえを咎めはしない」

 ティアは頷き、目を閉じた。
 心が現実を拒んでいる。それは仕方のないことだった。


◇◇◇


 ティアは時折、目を覚まし、侍女に水を与えられ、涙を流して、また眠る。それをひと月続けた。

 栄養は魔術を取り込んだ液体を体に流すことで補っていたが、元々痩せていた体はさらに細り、貧相になった。

 アシュはいっそ記憶を消してやろうかとティアに問うたが、ティアは頑なにそれを拒んだ。

 ひと月後、目を覚ましたティアは、鏡を見て絶望を感じた。

「以前の姿は魔術でも掛けられていたのか?」

 アシュは絶望するティアを見て、そう言った。

 ティアの容姿が変わっている。兄と似た白銀の髪と薄い青色の瞳へ。ただ美しさはない。痩せて貧相な骸骨のような姿だ。

「……わかりません。でも兄弟です。同じ方が通常なのかもしれません」

 黒髪黒目は珍しい。獣人と鬼人にはいるが、人はティア以外見たことがない。だからティアが鬼か悪魔かと疑われた。

「体が元に戻れば、おまえも美しくなるのだろうな」

「いいえ、兄は特別な人でした。あんな心も姿も美しい存在にはなれません。……髪を切っても良いですか?」

 以前は肩ほどしか無かった髪が、なぜか背中まで伸びている。たったひと月で。その長さは兄を思わせ、ティアを苦しめる。忘れるのか? 忘れるなと、問い詰められているようで、苦しい。

「好きにすれば良い。後ほど従者を呼ぼう」

「ありがとうございます。もう一つお願いがあります。僕をアシュ様の側から離れさせてもらえませんか? 僕の存在がアシュ様を悲しませていますよね。それが辛いです」

 アシュは兄を側に置きたかった。だから義務とはいえ7日置きに神殿に通っていた。兄を手にする為に、ティアに施しをくれた。

「俺から全てを奪うのか?」

 アシュの声は苦しそうで、ティアは思わずアシュを見上げた。美しい青い瞳がティアを見ている。揺れる瞳が辛そうに見える。

「でも、でも僕はお荷物でしかない」

 逞しい腕に抱きすくめられ、頬に触れる胸の温もりが、懐かしいと思った。

「苦しいです、アシュ様」

 立つのも辛いくらい、体力が落ちている。アシュの足元にペタンと座り込んで、笑いが浮かんだ。

「本当にお荷物ですね。これでは出て行くことも叶いませんね。すみません、わがままを言いました。もう少し、体力が戻るまで、ここに置いてください。お願いします」

 アシュのズボンに手を触れさせ、その足元に口付けをしようとして、拒まれた。

 ティアはガッカリした。庶民の何の地位も名誉もないただの子どもが、国の軍隊長位にある貴族に、お願いをするには乞わなければならない。足先への口付けがそれにあたる。

「そんなことをする必要はない」

「では、この体が元に戻ったら、伽にお呼びください」

 ティアが対価を支払うには、体しかない。
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