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「もうちょっと良くんを信用してあげてもいいと思うんですよね」
散々口ごもった末に出てきた牧の台詞に、裕司は瞬いた。
牧の店の定休日に、良には仕事とだけ言って家を出てきた。それは嘘ではなかったのだが、その後に牧に会う約束を取り付けていたことは黙っていたから、後ろめたい気持ちがいくらかあった。
定休日とは言っても店長は相変わらず多忙らしく、裕司は牧の車から荷物を降ろして店に運び込むのを手伝ったし、牧がようやくバックヤードに腰を落ち着けた頃には二人してシャツ一枚で袖をまくりあげていた。身体を動かすとまだ暑くて、冷えたお茶が有り難かった。
そうしながらも部外者がバックヤードに居座っていいのだろうかと思ったが、牧は気にするふうもなく、裕司が一人で落ち着けずにいるだけだった。従業員の身内なら広義の関係者と言えなくもない、と考えかけて、自分に言い訳をしているのがいかにも小心でおかしかった。
壁に貼られたシフト表に良の名前があるのがこそばゆく、彼がいつもここでどんなふうに過ごしているのかが気になったが、それを単刀直入に訊くのもまたはばかられた。
それでも話はどうしても互いの共通項となった良の方向に向き、そのうちに牧が柄にもなく奥歯に物が挟まったような物の言い方をしていることに気が付いた。何か言いたいが言いにくいことがある、と、その顔に書いてあって、そんな彼は珍しくて裕司はそこをつつかずにはいられなかった。
そして散々言い淀んだ末に出たのが先の台詞で、裕司は何のことを言われているのかわからずぽかんとしてしまった。
「ああ、いや、すみません。いきなりこんなこと言ったら誤解しかされませんね」
牧は弱ったふうに頭を垂れたが、裕司は誤解も何もない、とさらに惑うしかなかった。
「あの、ここは本当に信用してほしいんですけど、良くんには純粋に情が移ってるんですよ。つい肩入れしたくなるというかですね……決して、まったく、変な下心とかは一切ないので」
「ああ……うん」
状況がわからないなりに、裕司は頷く。良が牧によく懐いていることに対して嫉妬する気持ちがないではなかったが、二人の間に邪推するような感情があるとは思っていなかった。
「その上で、彼は裕司さんとの関係をすごく真剣に考えてますし、それは前向きでいいことだと思うんです」
「うん……?」
何となく褒められているような気もしたが、それでは牧の先の発言とつながらない。何より、牧が必死で言葉を探している様子なのが、あまりにも見慣れないそれで不可思議に思えた。
牧は息を吐き、己を落ち着けるように胸を撫でて、言った。
「だからですね、つまり、二人にはうまくいってほしいんです。こんなのは余計なお世話だってわかっているんですけど、こう……歯痒い気持ちがですね、どうにも湧いてきちゃって」
裕司はやはり首を傾げた。良の話をしていたはずだったのに、まるで視点が違っているようだと感じる。牧に見えているものが裕司には見えていなくて、もはや牧が何の話をしているのかもわからない。そんな心地だった。
「その、俺も裕司さんの立場だったら同じようになるというか、もしかしたら裕司さんよりよっぽど煮えきらないかもしれないんですけど」
これはけなされているのだろうか、と感じ始めた裕司の顔色を読んだのか、牧は急に居住まいを正して言った。
「すみません、俺の勘違いだったら怒られても仕方ないんですけど、できたら殴らないでくださいね。──裕司さん、裕司さんは良くんとほんとに、一生一緒にいるとは思ってないんじゃないですか」
裕司は牧の目を見て、声を聞いて、急に視界が開けたような、世界に照明がついたような感覚を覚えた。
何故知っているんだ、と言いそうになったが、幸か不幸か、声が喉に引っかかって、それは言葉にならなかった。
牧は裕司の表情から返答を読み取ったのか、困ったような笑みを浮かべながら、彼らしい穏やかな声音で言った。
「……こんなずけずけしたこと言うつもりじゃなかったんですけど、すみません、ほんとに。自分にできないことを人に求めちゃだめだって思ったんですけどね、良くんが可愛くて、理性が負けました」
また語弊のあることを言ってしまった、と、牧は口元を押さえたが、裕司はむしろ彼がそんなに心を砕いてくれていたことに驚いていた。
人見知りをする質の良が、牧や他の従業員や、もちろん客に対しても懸命に向き合っていることは知っていた。裕司の姉ともやりとりは続いているという。彼は──その動機まではわからなかったが──新しい環境の中で、努力して人間関係を築こうとしていると感じていたが、牧の態度はそのひとつの結実であるように思われた。
「……怒りましたか」
牧は様子を窺う顔をしてそう訊いてきた。その声も表情も、実に憎めないそれで、これが彼の才能なのだと改めて感じた。
「いや……なんでバレたんだろうと思っただけだよ」
我ながら間が抜けた台詞だと思われて、裕司はつい笑ってしまった。
散々口ごもった末に出てきた牧の台詞に、裕司は瞬いた。
牧の店の定休日に、良には仕事とだけ言って家を出てきた。それは嘘ではなかったのだが、その後に牧に会う約束を取り付けていたことは黙っていたから、後ろめたい気持ちがいくらかあった。
定休日とは言っても店長は相変わらず多忙らしく、裕司は牧の車から荷物を降ろして店に運び込むのを手伝ったし、牧がようやくバックヤードに腰を落ち着けた頃には二人してシャツ一枚で袖をまくりあげていた。身体を動かすとまだ暑くて、冷えたお茶が有り難かった。
そうしながらも部外者がバックヤードに居座っていいのだろうかと思ったが、牧は気にするふうもなく、裕司が一人で落ち着けずにいるだけだった。従業員の身内なら広義の関係者と言えなくもない、と考えかけて、自分に言い訳をしているのがいかにも小心でおかしかった。
壁に貼られたシフト表に良の名前があるのがこそばゆく、彼がいつもここでどんなふうに過ごしているのかが気になったが、それを単刀直入に訊くのもまたはばかられた。
それでも話はどうしても互いの共通項となった良の方向に向き、そのうちに牧が柄にもなく奥歯に物が挟まったような物の言い方をしていることに気が付いた。何か言いたいが言いにくいことがある、と、その顔に書いてあって、そんな彼は珍しくて裕司はそこをつつかずにはいられなかった。
そして散々言い淀んだ末に出たのが先の台詞で、裕司は何のことを言われているのかわからずぽかんとしてしまった。
「ああ、いや、すみません。いきなりこんなこと言ったら誤解しかされませんね」
牧は弱ったふうに頭を垂れたが、裕司は誤解も何もない、とさらに惑うしかなかった。
「あの、ここは本当に信用してほしいんですけど、良くんには純粋に情が移ってるんですよ。つい肩入れしたくなるというかですね……決して、まったく、変な下心とかは一切ないので」
「ああ……うん」
状況がわからないなりに、裕司は頷く。良が牧によく懐いていることに対して嫉妬する気持ちがないではなかったが、二人の間に邪推するような感情があるとは思っていなかった。
「その上で、彼は裕司さんとの関係をすごく真剣に考えてますし、それは前向きでいいことだと思うんです」
「うん……?」
何となく褒められているような気もしたが、それでは牧の先の発言とつながらない。何より、牧が必死で言葉を探している様子なのが、あまりにも見慣れないそれで不可思議に思えた。
牧は息を吐き、己を落ち着けるように胸を撫でて、言った。
「だからですね、つまり、二人にはうまくいってほしいんです。こんなのは余計なお世話だってわかっているんですけど、こう……歯痒い気持ちがですね、どうにも湧いてきちゃって」
裕司はやはり首を傾げた。良の話をしていたはずだったのに、まるで視点が違っているようだと感じる。牧に見えているものが裕司には見えていなくて、もはや牧が何の話をしているのかもわからない。そんな心地だった。
「その、俺も裕司さんの立場だったら同じようになるというか、もしかしたら裕司さんよりよっぽど煮えきらないかもしれないんですけど」
これはけなされているのだろうか、と感じ始めた裕司の顔色を読んだのか、牧は急に居住まいを正して言った。
「すみません、俺の勘違いだったら怒られても仕方ないんですけど、できたら殴らないでくださいね。──裕司さん、裕司さんは良くんとほんとに、一生一緒にいるとは思ってないんじゃないですか」
裕司は牧の目を見て、声を聞いて、急に視界が開けたような、世界に照明がついたような感覚を覚えた。
何故知っているんだ、と言いそうになったが、幸か不幸か、声が喉に引っかかって、それは言葉にならなかった。
牧は裕司の表情から返答を読み取ったのか、困ったような笑みを浮かべながら、彼らしい穏やかな声音で言った。
「……こんなずけずけしたこと言うつもりじゃなかったんですけど、すみません、ほんとに。自分にできないことを人に求めちゃだめだって思ったんですけどね、良くんが可愛くて、理性が負けました」
また語弊のあることを言ってしまった、と、牧は口元を押さえたが、裕司はむしろ彼がそんなに心を砕いてくれていたことに驚いていた。
人見知りをする質の良が、牧や他の従業員や、もちろん客に対しても懸命に向き合っていることは知っていた。裕司の姉ともやりとりは続いているという。彼は──その動機まではわからなかったが──新しい環境の中で、努力して人間関係を築こうとしていると感じていたが、牧の態度はそのひとつの結実であるように思われた。
「……怒りましたか」
牧は様子を窺う顔をしてそう訊いてきた。その声も表情も、実に憎めないそれで、これが彼の才能なのだと改めて感じた。
「いや……なんでバレたんだろうと思っただけだよ」
我ながら間が抜けた台詞だと思われて、裕司はつい笑ってしまった。
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