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いぬぐるい編
第二王子
しおりを挟む「まさか、こんなところで旦那様のお話が聞けるなんて驚きましたね!」
「本当にね!」
「流石アオイ様。旦那様の事となると鼻が利きますねぇ」
「まぁね! でも本当に鼻が利くわんこのステラに言われてもねぇ~」
「ちょっと! 声が大きいですよっ! 聞かれたらどうするんですかっ……!」
他愛ない会話を楽しむ、駅までの帰り道。
居候の姫と、犬に変身できるただの掃除が得意なメイド(別の掃除も含まれているが)という異質な関係なのに、まるで普通の女友達だ。
すると車道を通った一台の馬車が、ふたりを追い越した後、停車した。
位の高い人間が乗っているのだと見て分かるとても華美な馬車だ。
その馬車で誰が乗っているのか気付いてしまったステラは「あ……」と呟き、身も表情も固まる。
ステラの変化を察したアオイも、その馬車を見つめる。
「どうしたの? 誰が、乗ってるのかしら……?」
「アオイ様。別人の仮面を被って下さい。第二王子です」
「え、」
その言葉を聞いてアオイも固まる。
(えぇと、なまえ、たしか……、レイド、蒼明レイド様だ)
名前をなんとか思い出したところで馬車の窓が開き、「お前、ルイ・ハモンドが連れてた女だろ?」と男性の声。
つり上がった目と、千鳥柄のダークブラウンのスーツ、深い赤のタイがレイドの少し焼けた肌にとても馴染んでいる。
アオイは直様、「御初に御目にかかります」と仮面を被り、上品にお辞儀をした。
物怖じしないアオイの態度に、第二王子であるレイドが逆に怖気づいてしまう。
それもほんの少しだけだが、どこか姉や王妃である母を思わせたのだ。
アオイは特に用もないのでただ黙って見つめていると、「ちょっとぉ、どーっだっていいじゃないですかぁ? こんな女ぁ~」と奥から甘ったるい女性の声。
どうやら何方かとデート中のようだ。
甘ったるい声の持ち主は身を乗り出しアオイを頭から爪先まで眺めると、くすりと笑った。
「やだぁ~~、今どき着物とかぁ~~。流石オーランドって言っても田舎者よねぇ~」
睫毛はバサバサでリップもドレスも何もかも濃いその女性は、早く行きましょうよとレイドを急かすが、レイドは暫し考えて「悪いが今日はこのまま帰ってくれ」と言う。
単純に興味が湧いたのだ。
恐がりもせず不思議そうに首を傾げる着物の女に。
「っどーしてぇ!? だって今日は一日……!」
「埋め合わせはするから、な。俺が御願いしてんだ。分かるよな」
「で、でもぉ……」
「この女、ルイが夢中になってる女だろ? その女が俺に夢中になったらあいつ、ルイ・ハモンドはどんな顔するだろうな」
「あぁ、そーゆーこと……まぁ、それなら……、今度、絶対埋め合わせしてくれるのよね……?」
「俺は嘘はつかない」
「分かったわ……。じゃあ……、また今度……」
馬車を降りてくるレイド。
そして走り去っていく馬車。
困惑するアオイとステラだが、平静を装って「えっと、レイド殿下?」と、代表でアオイが問うた。
「なぁお前、俺に付き合えよ。断るわけ無いよな?」
なんとも嫌な言い方だ。
分かってると思うが王子だぞと威圧してくるが、此方とて一国の姫。
それなりに威厳は備わっている。
「それは勿論、嬉しいお誘い有難う御座います。ですが付き合うと言っても、わたし今日初めて街へ出たもので、先程この通りは見回って来たばかりなのです。何処か他に良い場所を御存じですか?」
「ふん、…………少し歩いたところに、この国自慢の公園がある。今は花も咲いていて美しいだろう」
「わぁ! 是非! 行ってみたいわ!」
「……付いてこい……案内する」
単純に美しい花を見てみたいなと思いにこやかに笑うアオイと、それに調子を崩されるレイド、王子と王族付きの従者一人に緊張するステラ。
レイドからしてみればアオイはオーランド国男爵令嬢であるからこの態度は余計に不可思議だろうが、ステラは改めてラモーナの姫なんだなと感心した。
──そして連れられた松藤公園。
王宮敷地内に植えられている松に、負けず劣らず青々とした松と、たおやかに咲いた藤がその花弁を垂らしている。
薄紫の星々が連なるベンチに案内され、「ここに座れ」と一言。
ステラはベンチにハンカチを敷いたところで、王族付きの従者が少し離れた場所で待機していることに気が付いた。
恐らく男女の会話が聞こえないところまで下がっているのだろう。
貴女も離れて、という男性従者の視線に、同じく距離を取る。
本音を言えば勿論心配だが、王族付きの従者がそうしているのだから仕方がない。
しかし少し離れた場所で見ることによって、今日の山吹色の着物と藤の花がとても美しいコントラストだなとなんだか嬉しくなった。
そして後でこっそり写真を撮って、旦那様や、皆に自慢でもしようと、そんな呑気な事を考えていた。
「わぁ、本当に綺麗に咲いているのね、素敵な場所だわ!」
「丁度、藤の時期だからな……。この国では松は男性、藤は女性を表現していると言われている。ここは男女が逢瀬する場所として昔から親しまれてきたんだ」
「まぁ」
ロマンチックねと呟き、そっと手のひらに乗せるように藤を眺めるアオイ。
(フローラがとても喜びそうな場所……)
ふと花の妖精を思い出し、微笑んだ。
そんな表情さえ見られているとは気付かずに。
「それで……、今日は宜しかったのですか? 別の方がいらっしゃいましたけど」
「お前が気にすることじゃない」
「そうですか? でももっと一緒に居たそうだったのに」
「関係ないだろ」
「あら、そんな事はないと思うけれど……」
威圧的な態度をとっているにも関わらず、アオイは全く動じない。
田舎の男爵令嬢如きが何故だと、そう思い、レイドは素直に聞いた。
「お前、俺が恐くないのか」と。
「こわい……、うぅん……」
そう聞かれ、改めてまじまじ目を見つめると、レイドはものの数秒で目を逸らす。
以前、怜が言っていた『戦争を望んでいる』と言う第二王子。
しかしアオイの目の前に居る第二王子は、話で聞き、想像していた王子とはどこか違う。
戦争を望んでいると言うわりには、刺々しい空気感は感じられず、逆にまあるいと言うか、もっとふわふわとしたような、そう、まるで紐で繋がれた風船のようだ。
犬嫌いの激しいクリスの方がもっと刺々しく、初めて会ったときはとても息苦しかった。
その時と比べるとやはり怖くはない。
手を離すと飛んで行ってしまって、二度と帰ってこない、そんな感じだ。
「なんか……風船みたいな……?」
そんな風に頭で考えていたのが、それがまたうっかり馬鹿正直に口に出ていたようで、「は? 風船? 誰が? まさか俺のことを言っているのか!?」とどうやら怒らせてしまったらしい。
「あっ! 申し訳御座いません! 素直に言葉にしてしまいました……!」
「素直にだと!? そもそもお前の言っている意味が分からない! 風船!? 馬鹿にしているのか!?」
「いえっ! そいう訳では! 風船ってホラ、可愛いじゃないですか!? いえ、あのっ、あぁ! もう! 私ったら! すみません……!」
「はぁ!?」「誰に向かって!」「俺のどこが!」「初対面のくせして!」「生意気な!」「歳も下のくせに!」
等色々と暴言を吐いているが、はてさて本気で怒ってはいないらしい。
顔を真っ赤にして、照れているようにも見える。
何だかそれが本当に可愛く思えて、それで「ごめんなさい、だからね? ちょっと落ち着きましょう?」と諌めるように、動物に接するように、ぽん、ぽん、と背中を叩いた。
そう、第二王子に対して。
「なッ、はぁ……!!?」
「あ、」
またやってしまったなと思いすぐに謝るが、謝罪は耳に届かずレイドは顔を真っ赤にして立ち上がると「もう良い。気分を乱された」と何処かへ歩いていってしまった。
「あら? もうお帰りに?」
「お、お前が俺の気分を乱すからだ! っ……引き留めて悪かった、気を付けて帰れば良い……」
「レイド殿下も気を付けて下さいね」
「……ふん、」
一応は心配してくれるのか。
仮にも王子であるから紳士なのだろうか。
恐ろしく短い時間だったが思ったよりも良い人だったなと、すたすた振り返りもせず歩いていくレイドを見送った。
王族付きの従者も少し驚いてレイドの後を追っている。
「えっと、もう帰られたのですか……?」
「ステラ。お待たせ。えぇ、何だか思ったより可愛い人だったわ」
「可愛い……!?」
何を仰ってるんですかそもそも何処が!と驚くステラに、アオイは微笑みながら「さ、帰りましょう」と言う。
次此処へ来る時は怜と一緒にゆっくり見て回りたい。
翠玉の瞳には薄紫の藤がきっと似合うだろう。
「あっ! アオイ様、暫し此方でお待ち下さい! 私、先程居た場所に忘れ物をしました!」
そう言うとステラはパタパタと走って行き、「アオイ様っ!」と呼び、振り返ればパシャリとシャッターの音。
「よしっ! 撮りました! 忘れ物!」
「もう、ステラったら」
「うん、うん、我ながら美しい構図です」
そしてやっと山犬の待つ別邸へと戻るのだった。
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