5 / 10
蘇りし復讐者
4
しおりを挟むシャルマットを囲う森を抜け、そこから離れた小高い丘の上に、オリアスの領主オイカノスの屋敷がある。
馬を使えばそれほど遠い道のりではないが、徒歩だとかなりの時間を要し、途中険しい道のりもあるため、辿り着く頃にはへとへとになってしまう程だ。
昨日の夜から翌日の早朝、シャルマットを任されていたオイカノス兵達が疲労困憊で屋敷に着いたのはその頃だった。
部下は外でひと休みしている最中、今はリーダーだけがオイカノスの広い自室にて、昨日の出来事を首を傾げながら肩で息をしつつ報告している。
しかし彼は聞いているのかそうで無いのかリーダーには一切目もくれず、皿に乗っている白身魚のムニエルを食べ、白ワインを飲みながら朝食を優雅に過ごしていた。
(……チッ! こっちとらヘトヘトなのに呑気にまぁメシかよ。相変わらずいいご身分なこった)
やがて食べ終えたオイカノスは口元をナプキンで拭き、冷たい視線を彼に向けた。
「ふむ…なるほど。それで? キミはこうして私が与えた持ち場を離れ、私の屋敷に戻って来たわけか。実にくだらんな」
「し、しかし、あの野郎は…!」
「魔術を使うのだろう。それにとても強かった……そんな言い訳が通用するとでも?」
「ッ!!!」
その冷やかな物言いは男を震え上がらせるには充分だった。
オイカノスが椅子から立ち上がり、男の元へゆっくり向かい、肩に手をかける。
男は小さく肩がはね上がり、恐怖で顔が引き攣った。自分でも分かるほど震えだし、パニックに陥らないよう自制する事で動けずにいる。冷や汗が背筋を通った。
「勿論だ。敵が強ければ退くことも大事だぞ。それによって被害を抑え、次に備えることが出来る。キミの判断は正しい、よくやった」
予期してなかった言葉に驚き、思わずオイカノスを仰ぎ見た。
その表情はとても人の良さそうな顔つきに変わっており、先程までの冷やかさは何だったのだろうかと見間違うくらいだ。それを見た男は緊張が緩み、思わず愛想笑いを浮かべてしまった。
「へ、へへ……あ、ありがとうございます!! この落とし前は必ず──!」
「いや、キミはこれから休んでいたまえ。今度はビクトラムを向かわせる。ビクトラム!」
手を二回叩いて呼び掛ける。するとドアの向こうから深緑の制服をきちんと着こなした細身で長身の男が入って来た。腰には長剣を携え、制服の縁に金刺繍と剣の所々に文様や装飾が施されている。
ビクトラムは表情一つ変えず、その場で主人に深々と一礼するとそのまま姿勢を保つ。
「オイカノス様、如何なさいましたか」
「兵を率いてシャルマットへ行く準備をしろ。これ以上反抗出来なくなるよう、今度は徹底的に蹂躙しろ」
「かしこまいりました」
「あぁ、そうだ。可愛いペット達も連れて行きたまえ。たまには外を走り回らせてあげないといかんからな、フハハハ!」
「んなッ!!?」
「ハッ、仰せのままに」
オイカノスのペット。
それは一般的に連想されるモノではない。
“魔獣”だ。
一体いつ何処で手に入れたかは知らない。
しかし、その凶暴さや獰猛さは仲間の間でも知れ渡っている。聞いた話では、手懐けられるのは主人のオイカノスと、ドア前にいるビクトラムだけ。
どちらにせよ、そんな危険な生物が町中に放たれれば、あっという間に地獄図が描かれる事になる。
「オイカノス様! いくら何でもそれは、むグッ!?」
訴えを進言しようとしたリーダーの口をオイカノスが片手で塞ぎ、万力のような力で締め付ける。顎骨が軋んで痛みが増していき、掴まれている手を放そうとしてもがくが、全くビクともしない。
「何だ、口答えするのかね?」
「ン、ンンッ!!」
「いいかね。この私に刃向かう者は誰だろうと許さない。誰だろうと、なぁ」
「ンンッ! んんンンンッ!!」
「その者が何であろうと、私の邪魔や妨げ、気分を害なす者は全て立派な罪だ。それに最近のシャルマットは何かと反抗する輩が多い。実に良い機会だ。そうは思わんかね?」
「はい。一度懲らしめ、オイカノスの威厳さを今一度知らしめておく必要がございます」
「仮に皆殺しとなってしまっても何の問題も無い。そうしたら気兼ねなく私好みの街に変えることが出来るからな。さて、その空っぽの頭は今言ったことを理解出来たかね?」
「ン! ン!!」
「宜しい」
オイカノスは満足した様子で手を放し、ようやく解放されたリーダーは四つん這いになったまま大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
「あぁ…ビクトラム。準備の前にそろそろペット達の餌の時間か?」
「ご安心を、すでに済ませております。ですが、これから動き回るのであれば、もう少し量を増やしてもよろしいかと思います」
「ほう?」
「こちらに出向く前、外で呑気にしていた者達を捕らえました。その者らを餌にするのは如何でしょう」
リーダーはビクトラムの発言に何故か胸騒ぎが起きた。
(外、呑気……? ッ!? まさか!!)
「ふむ、よかろう。其奴らの肉は美味そうか?」
「いえ。どれも家畜肉にも劣る程の質でございますが、それでも腹の足しにはなるかと…」
二人の会話はリーダーの耳に入らなかった。
ビクトラムが捕まえたのは、間違い無く彼と一緒に戻って来た部下達の事であろう。
そして、彼らは魔獣達の餌に……。
リーダーは窓に急いで向かい、彼らのいた場所を窓越しから覗く。
いたはずであろう石畳と芝生には、血の跡が飛散していた。
「!!! ぁ…あぁ……」
その光景に恐れを抱いたリーダーは尻餅をついて窓から離れた。
その背後では、悪魔の談笑が聞こえる。
「ふむ、まあ良かろう。食事に好き嫌いは良くないからな。その気遣い、嬉しく思うぞ」
「ありがたき幸せ。では……そこにいる餌も直ちに」
耳を疑ったその一言に、リーダーは素早くビクトラムのいる方へ振り返る。彼は冷たい眼差しでゆっくりと歩み寄り、腰に下げた剣をスラリと抜いた。
その様子に絶望が男を襲い始める。
「う、嘘だろ?! 冗談だろ、なぁ!? オイカノス様ぁッ!!」
「騒々しいな。先程にも言ったはずだ、キミは休めと……あぁ、なるほど。もう少し分かりやすく言えば良かったかね? これから、永遠に休んでいたまえ……ペット達の血肉となれ」
思考が止まり、そして後悔した。
普段ならこの男の残忍さに警戒していたはずなのに、僅かに垣間見せた優しさを真っ先に疑わなかった自分を呪う。
後ずさろうにもすぐに壁が背後を打ち、左右を見渡しても逃げ場など無い。
「ビクトラム、ここを下賤な輩の血で汚すことは許さん」
「申し訳ございません」
ビクトラムが淡々とした口調で応えると剣を鞘に収めた。
その時瞬間──
「う、ウゥオォォォォォォォォォ!!」
雄叫びを上げ、体勢を低くした状態で駆け出し、ビクトラムとオイカノスの横を一気にすり抜けドアまで一目散に向かう。
意外にも何の障害も無く、このまま部屋から抜け出せる。
出入り口まであともう少しだ──僅かな希望の光がリーダーには見えていた。が──
バキンッ……
彼の足下から何かが砕けた音が聞こえたと同時に右脚が激痛に襲われ力が入らなくなり、一気に失速すると派手につまずく。突然何が起きたのか分からず、感覚の無い脚を見ると、脹脛から下が垂れ、あり得ない方向へと歪んでいた。
「ッ、ガあああァァァァァァ、アアアッ!!!」
目の前の現実を認識すると再び激痛に襲われ、その場でのたうち回りだすと今度は左脚が、さらには両腕まで同じ様な事が起こり、今まで味わったことの無い耐え難い苦痛が全身に容赦無く襲う。
悲鳴がさらに大きくなると、それを嬉々として聞くオイカノスは満足気に頷いた。
「んんー…中々良い声で啼くではないか。よかろう、其奴は生きたまま与えよ。久しぶりに愉しく見物しようではないか」
「な、あぁ…ッ!!?」
「御意。では、準備を始めます」
「うむ、あまり待たせるなよ」
「承知致しました」
ビクトラムは動けなくなった彼の襟首を掴み、引きずる。
「イヤダぁぁぁ! 助けて……アァアア!! ダズゲでぐれえぇェェェェェェ……ッ!!!」
男の慟哭も空しく、扉は閉まった。
外から聞こえる声はどんどん遠去かっていく。
一人残ったオイカノスはガラス越しから小さく見えるシャルマットを眺め、これからあの町で起きる“宴”を密かに思いながら、冷酷に微笑んだ。
†
昨夜の出来事からすでに陽は高くまで昇り、通りを行き交う人々の声が聞こえる。
今日も雲一つ無い晴れ晴れとした空模様だ。
が、そんなお天道様の下《緑の涼風亭》近くにある椅子くらいの高さで丁度いい切り株に、ラムセルは頬杖を付きながらふてくされた表情で腰掛けていた。
その隣では、クラスラーが宙に浮きながら、どうしたものかと困ったような表情で主人の顔を眺めている。
「ご主人様、いつまでそんな顔をしていらっしゃるのですか?」
「別に。普段通りだ」
と、明らかに普段通りでない事は見え見えなのに、そう答える始末だ。
「……ミャム様に魔力負けしたからって、そんなにむすっとしなくとも…」
「そんなんじゃねぇ」
クラスラーは「どう見ても説得力がございません」と、内心こぼした。
主人のこうした態度は大抵悔しかった時や、納得の出来ない時という事はすでに分かっているのだが、それはみっともないと思っている事であり、直してほしい部分とも思っている。しかし毎度その頑固さが邪魔をして一向に改善されないでいる始末だ。
今日もその様子が無い事を早々に感じ取ったのか、クラスラーの口から小さなため息が出る。
(やれやれ。相当悔しかったのですね……しかし、アレにはワタクシも驚かされましたなぁ)
それは、今から数時間前に遡る……。
昨夜の騒動の片付けに徹夜した人々が、へとへとになりながら家へ帰ろうとした頃、ようやく朝陽が昇って明るくなりだした時間に、手伝ってくれた人達はみな、各々の家路を歩く。
「みんなこんな時間まで手伝ってくれて本当に助かった、ありがとな! 今度来た時はうんとサービスしてやるぜ!」
「おーぅ、楽しみにしてるよー」
「それじゃあねぇ」
「オイカノスの野郎がいなくなる日を楽しみにしてるぜぃ! んじゃあなー!」
そう言ってギャバンは手伝ってくれた全員が見えなくなるまで手を振って見送った。
その様子にラムセルが片肘でギャバンを小突く。
「愛されてんな、おやっさん」
「あ?」
「あんなに沢山の人達が自分から手伝いにいくなんて常連であってもそうそう見ねぇさ。よっ、人気者」
「……ふん。特別な事は何もしちゃいねぇよ」
「素直じゃねぇな」
「うっせぃ。ところで、おめぇは寝なくていいのか? 寝床なら案内するぜ」
「いんや大丈夫。こんな徹夜ぐれぇ普段どおりだ」
「そうか。まぁ無茶すんなよ」
扉を開けると、すでに寝ているはずのソフィーが私服のドレス姿でカウンターの内で何かをしていた。彼女の近くには湯気も立っている。
彼女が二人の姿を見掛けると、姿勢を正して笑顔で「おはようございます」と挨拶をする。その仕草を見たラムセルは、新ためて好印象を得た。
「ソフィー! おめぇ寝てなくて平気か?」
「なんだか寝付けなくて。そうだ、お二人ともこれからハーブティを淹れるところなんですが、いかがですか?」
「あぁ頼む」
「ありがてぇ。いただきます」
「すぐご用意しますから、カウンターで座って待っていてください」
と、二人は言われた通りにカウンターへ座り、そこから彼女の淹れる姿を眺めた。
茶葉をスプーンで一杯ずつ二つのポットに入れ、中にお湯を中程まで注いで蒸らす。たったそれだけの短い行程だったが、その淹れている姿にラムセルは目が離せずにいた。
「? どうかしましたか?」
「あ、いや…」
「何だ見惚れてたか? オメェもやっぱ男だなぁ。ソフィーはこの町一番の美人と云われてんだ!」
「もう! やめてくださいってば。恥ずかしい…」
そう言った彼女は僅かに頬を赤らめ、困ったような仕草で俯いた。
「なるほど。自慢の従姉妹ってやつだな」
「なんだ、ミャムから聞いたのか?」
「ああ。ここに来る前にちらっとね。この店を三人で切り盛りしてるから一人でも欠けると大変だ、って慌ててたな。親思いの良い娘だぜ」
「……フン」
「お待たせしました。熱いので気をつけてくださいね」
ソフィーは予め温めてあったカップをソーサーに乗せてカウンターに差し出し、茶こしの上から中身を注ぐ。
清涼感のある爽やかな香りが鼻孔をくすぐる。
「いただきまーす………ほぅ。いいなコレ」
「うふふ、よかったです。改めてラムセルさん。昨日はミャムちゃんやマスター、私達を助けていただいて、本当にありがとうございました」
「どういたしまして。けどこれで終わり、って訳じゃねぇから油断出来ねぇけどよ」
「そうだな。いつ襲ってくるか分からん……」
「……でもまぁ、マスターの愛娘を助けることが出来てホント良かったぜ」
と、ギャバンはカップに口を付けたまま盛大に中身を吹いた。
「ま、愛娘だぁ!? バッキャロー! そんなんじゃねぇ!!」
「とか言って。耳、赤いぜ?」
「るせぇ!!」
「もぅマスターったら、素直じゃないんですから。ミャムちゃんが一向に帰って来なくて一番そわそわしていたくせに」
「バッ!? ソフィー、テメェまで…!」
「恥ずかしがらなくてもいいじゃねーか。あいされてるのは良いことだぜ?」
「?! ッッ───フンッ!!!」
と、今度は背中を向けてそっぽ向いてしまった。
ラムセルはカウンターを拭いているソフィーと顔を見合わせて、お互い小さく微笑んだ。
と、今度はギャバンが突然ふくみ笑いを浮かべながら首だけ振り返る。
「そういやラムセルよ。おめぇ、ミャムの事どう思ってる?」
「何だよ急に」
「いや、ミャムがおめぇさんを見つめる面がヤケに良い顔してやがったからな。片付けの時だって、チラッチラお前のこと見てたんだぜ? で? お前はミャムをどう思ってるんだ?」
「どうって、まだ会ってそんなに経ってないしなぁ………そうだな…健気で、元気あってなかなか可愛げあるしなぁ…うん。正直言って、好きな方だ」
「んん、んなにぃぃい!?!?」
あっさりと気になる返答にギャバンは驚きのあまり目を見開いてラムセルの前に身を乗り出し、同時に彼の両肩を掴んで前後に揺らすが、彼はされるがままでも笑顔を崩さずに取り繕っている。
「おい、冗談だな!? 冗談だろ!!?」
「いんやー、素直に思ったことを言っただけだぜー」
「てめぇぇぇ!! その煮え切らねぇ態度は気に入らねぇんだよぉ、からかってんならそう言いやがれぃぃッ!!」
「ふふふ、仲がよろしいですね」
「ソフィー、笑い事じゃねーぃ!!」
「もー………お父さんうるさいよー。そんな大声出してどうしたのよぉ? ふぁぁぁ…」
と、ミャムが寝ぼけ眼で目元を擦りながら階段から下りてきた。
彼女の姿を見たギャバンは、どこかぎこちない様子になりながらも、不器用な笑顔を見せて「すまんすまん」と、片手を上げて詫びる。
「もぅ…って、みんな起きてたの? へ? 今何時? もしかしてお昼過ぎちゃった?」
「おはようミャムちゃん。安心して、まだお昼にもなってないわ」
「それどころか、まだ朝だ。おはようさん」
「う、うん、おはよう。みんな寝なくて平気なの? あたしとソフィーは先に寝かせてもらえたから……あれ、コンラッドって人は?」
「あいつなら買い出しに行かせた」
「買い出しに? 大丈夫なの? あの人オイカノスの手先だったでしょ」
「心配すんな。もう足を洗うって言ってきたからな。買い出しのメモも渡してあるし、行かせたのも顔馴染みの店だけだ。あいつらもオレのメモを見てくれりゃ分かってくれるだろうよ」
「ふーん。あ、ねぇねぇラムセルさん。朝ごはんまだ?」
「あぁ、まだだが」
「それじゃ、今から用意するね! 昨日ご馳走するって言った矢先にあの騒ぎだったから」
「んじゃ、手頃に軽めのやつを頼む。あー……あのメニューに書かれてある野菜と香草のスープと、チキンサンドで」
「はーい!」
嬉しそうに返事をしたミャムは、カウンターに入るとそのまま厨房へ向かった。
彼女のあの表情と様子に、ギャバンは無言で腕組みしながらジト目でラムセルを睨む。
およそ、十分弱──不意に漂う威圧感にラムセルはもとい、ソフィーもハーブティを口にしながらも会話を挟めずに沈黙が続き、しばらくは厨房から小さく聞こえる鼻歌と調理音だけが店内に響いた。
「……………」
「………」
「……おやっさん、そんな睨むなよ」
「…オレは許さんからな」
「何をだよ…」
「お待たせしましたー、みんなの分も作ったよー!!」
厨房から完成の報告を聞いたソフィーが、真っ先に配膳の手伝いへ向かった。
二人がトレイの上に並んだ料理を運び、カウンターに並べる。スープ皿からは香草独特の芳ばしい香りが温かい湯気と共に立ちのぼり、もう一つの皿には、鶏肉の燻製を葉野菜で挟んだサンドイッチ。一つ一つの厚みもあり、朝食にしては充分とラムセルは思った。
「おー! 美味そうだな」
「昨日のお礼も兼ねて、普通よりちょっとサービスしちゃった。それでは、いただきます!」
ミャムが合掌し、みんなも同じようにした。
その後はミャムの料理に舌鼓を打ち、他愛のない事で笑い合い、そうしながらあっという間に料理を平らげ、これまた食後の一杯とソフィーが新しいお茶を淹れる──そんな団欒のひと時を愉しんだ。
「ごちそうさまでした。ミャム、美味かったぜ」
「どういたしまして! 喜んでもらえて良かった」
「それじゃ後片付けは私がするわね」
と、ソフィーが食器をトレイにまとめて持って行こうとするも、不安定な積み方にギャバンが口を挟み、彼も片付けを手伝うことに
なった。
二人きりなったミャムは厨房の様子を遠くで伺うと、上半身をラムセルに寄せて声を潜める。
「ねぇ。あの魔符、使わせて?」
「あ? あれは魔力の無い奴が持ってても紙切れ──」
「だーかーらー。あたしにその魔力があるかを知りたいの」
「…まぁ、いっか」
そう言って魔符を取り出し、ミャムに渡す。
ミャムは嬉々として受け取るも、すぐに困惑顔になり、角度を変えながら魔符を見つめた。
「え……えっと……どうすればいいの??」
「そうだな…こう、おでこ辺りに掲げて、魔符に自分の魔力を送るよう念じてみな。ちなみにクラスラーの姿は覚えているか?」
「バッチリ!」
「ならそれも頭の中でイメージしてみな。それでお前さんに魔力があれば姿を現す」
「よーし……こう? ンン~~~~~~……」
素直に言われた通りにミャムは額に魔符を近づけ、目を瞑って唸るように念じる。
………………………………………………
しかし、彼女からはおろか、魔符にも何の変化は見られない。それでも彼女は眉間をしわ寄せながらも念じ続ける。
その様子にラムセルは半笑いを浮かべて頬杖をつく。
「ま、あん時も言ったが魔力が無いとそれはただの紙キレでしかない。あればとっくに姿を見せてるさ」
「ご、ご主人様……あのぅぅ…」
「そうそう、そんなかん……クラスラー? ……は?」
不意に現れていないはずのクラスラーから声を掛けられ、耳を疑った。
辺りを見渡すが姿が無い。が、窓から陽が射していたにも関わらず、妙に陰っている。
まさかと思い、上を見上げる──そこには、まるで空気をいっぱい入れた風船のように膨れ上がったクラスラーが、手足をバタバタ動かしながら苦しそうにもがいていた。
そして今も尚、少しずつ膨らんでいる。
さしものラムセルもその様子に焦りを感じた。
「おいおい嘘だろッ!? ミャム、もういい! クラスラーいる! いるから!!」
「へ? どこどこ?!」
「上だ、上!!」
ラムセルの指差す方向にミャムは顔を上げた。
すると両手を口元にあてて驚きの声を上げるが、驚きはすぐに喜びへ変わり、今度は満面の笑みで元気に立ち上がるとその場を飛び跳ねた。
「やった、出来たー!! クラスラー出てきたー!! でも、クラスラーって元々こんなに大きかったの?」
「何だ、うるせ…うぉっ?!! 何じゃありゃあ!?!?」
「!! まぁ…大きな………綿、菓子??」
厨房から出てきた二人も天井にある巨大な物体に目を見開いて丸くする。
「いやはや……ミャム様は相当量な魔力をお持ちの方だったようですなぁ。く、苦しい~…っ」
召霊とは術者の魔力を供給して具現化する存在。そして召霊には個体差があり、それに伴って供給出来る限度もある。
ラムセルもクラスラーをここまで供給した事がなく、初めての光景に唖然と見上げていた。
(んな、バカな……)
魔術に関して何の心得も経験も技術も無く、今目の前で無邪気にはしゃいでいる少女は、明らかに自分よりも魔力がある。
この思いもよらなかった事実に、ラムセルは衝撃を受け、額を押さえた。
「お、おいラムセル! こいつぁ……!?」
「あの大きな塊にされちまったのは、俺の相棒で、クラスラーっていう召霊だ。本当はこんなにでっかくないんだが……どうやらおやっさんの娘は相当量の魔力を持ってるぞ」
「ミャムが??」
「ねぇねぇ、お父さん! あたし魔力があるんだって! ね、ね、スゴイでしょー!!」
「?? な、なにが一体、どういうしたってんだ?」
まだ困惑するギャバンに、ラムセルはほんの少し前の出来事を簡潔に説明した。
しかしそれを聞いてもギャバンの頭は未だ整理がつかない様子だったが、証拠にと、ミャムが今度は小さくなるよう念じるとみるみるクラスラーはしぼみ──ついには、ミャムの手の平に乗るほど小さくなってしまった。その急な様変わりにソフィーはミャムの所まで小走りで向かい、小さくなったクラスラーを自分の片手に移してもらうと、彼の頭を指で愛で撫でる。
「まぁ…! 可愛い♪」
「ホッホー、ワタクシここまで小さくなったのは初めてですぞ~」
「……認めたくねーけど、俺よりも才能ある」
「おいおい、本気か?」
「……そこは察してくれ…」
「…ま、まぁ、そんなに落ち込むんじゃねぇ! 人にゃ得手不得手、生まれ持った天性の才能にゃ敵わんもんだ!」
「それフォローになってねぇのは気のせいか?」
「バカ、誰がフォローなんぞするか。そんな事より頼みがある」
「頼み?」
「ああ。ザム遺跡の近くに眠ってる鉱石でザムダイトを採掘してほしい」
「ザムダイト?」
「この辺の、しかもそのザム遺跡にしかない貴重な石だ。生憎、武器を鍛え直すにも並みのもんじゃすぐに脆くなっちまう。だから上等モンに鍛えるにゃそれなりに上質な材料が必要だ。ザムダイトは見た目ただのそこらにころがってる石っころと同じなんだが、光を当てると薄緑色に光るから判るはずだ。量は、この袋一杯で頼む」
と、ラムセルのベルトポーチと同じくらいの大きさの革袋を投げ渡した。
「あいよ、お安い御用だ。けど、こんな少なくて平気なのか?」
「武器一本鍛えるだけならそれで充分だ……まぁ、オイカノスのせいで乱獲されちまったってあまり残ってねぇってのもあるが、それでもオレの腕ならその量で立派に仕上げてやるさ」
「…頼もしいね。で、そのザム遺跡ってのは何処なんだ?」
「あたしが案内する!」
そう勢いよく挙手して宣言したミャムにギャバンは渋い顔をした。
「ミャム、これは子供のお遣いじゃねぇんだ。前なら任せたが、今じゃ荒れ放題な上、猛獣やオイカノスの連中も未だいやがるって話しだ。そのせいでもうあそこにはほとんどの人間が行かなくなったのは、オメェも分かってるだろが」
「大丈夫。ラムセルさんが守ってくれるもん」
「おいおい、俺はお前さんのナイト様じゃねーだろ。それにさっきの話しじゃオイカノスの一味に出くわす可能性だって大いにある。昨日の事もあるんだ、危険すぎる」
「コイツの言う通りにしろ。今回はダメだ」
「でも私が付いて行けば、安全で早く辿り着く道を案内出来るわよ」
「何ぃ?」
「危ないのは知ってるわ。だからあたし独自の道を色んなとこに作ってあるの。ちなみに、山菜を採るときもその道を使ってるのよ?」
「…だからってなぁ……」
「お願い! 決して足手まといな事はしないから!」
そう拝むように懇願しても、二人の気持ちが簡単には変わらなかった。
ミャムはそのままの姿勢で、ラムセルは困り果てた様子で頭を掻き、ギャバンに至っては隠そうともせず深いため息を漏らす。
それを静観していたクラスラーは飛び上がり、ギャバンの元へ近づいた。
「ギャバン様、お伺いしたいことがございます。その遺跡は今もオイカノスの輩共が出るのですか?」
「お、おぅ。聞いた話じゃ、一日にいっぺんのペースで交代してるらしい。ザムダイトを採掘してるわけじゃねーみたいなんだが、何してるかさっぱりだ」
「どの時間に交代かは?」
「そんなんまで知るか」
「では、ギャバン様が遺跡の到着に掛かる時間は?」
「そうだなぁ……一時間とちょっとだな」
「お父さん、あたしなら三十分くらいで着くよ」
「ナニッ!?」
「昨夜あの青年や他の人々の話しからすれば、そのオイカノスは必ず報復にやって来るはずでは」
「そうだ、それも近いうちに何か仕掛けてくるはずだ」
「ご主人様、ギャバン様。ワタクシも最大限の助力を致します。ここはミャム様と同行される方がよろしいかと」
「おまえなぁ…」
「急ぎの要件、しかもミャム様独自のルートであればかなり短縮されます。助けは多いに越した事はございません」
「……とは言うが、お前そんな状態で大丈夫なのか?」
その問いに対し、クラスラーは縮んだ身体を力ませ、少しずつ元のサイズへと膨らむ。
「……はい、問題ございません。幸いにも先程いただいた魔力で、今まで以上にすこぶる快調でございます! より強固な防護魔術を展開することも可能でございますぞ!」
「はぁ……わーったわーった。おやっさん、すまねぇがミャムと同行させてくれ。もちろん危ないマネはさせねぇから安心してくれ。ミャムも、連れて行くからには大人しく言う事聞いてくれよ。これは絶対条件だ、いいな?」
「ハーイ!!」
「……まぁ、オメェなら任せてもいいか。分かった。必ず一緒に帰って来い!」
父親の許可もようやく降り、ミャムは表情を輝かせた。
「それじゃあ、すぐ支度するから外で待っててねー!」
そう言ってミャムが足早に階段を上り、ラムセルも手早く身支度を整えて先に外で待ち、そして今に至る──それから約十分後。
「お待たせ!」
ようやくミャムが店から走って来た。
今度は青空色のハーフズボンに白いシャツの上からポケット付きの茶色の革ベストと、軽装で動きやすい格好になっており、背中に小さめのバックパックを背負っている。その姿はまるで冒険者のようだった。
最初会った時の印象はガラリと変わり、活き活きとした気配を感じる。
「へぇ、ずいぶん様になってるじゃねーか」
「うん。オイカノスが来る前は、お父さんと一緒にそんな遠くじゃないけど、登山や洞窟探検して鉱石なんかの採掘のお手伝いをした事があったの。それにしても、この格好は久しぶり! 何だか嬉しくなっちゃった!」
そう言ってドレスを翻すように一回転し、久しぶりに味わう喜びを表現した。
「なるほどね、改めてよろしく頼むぜ。おっとそうだ、こいつを渡しとかないとな」
そう言いながら魔符を取り出し、ミャムに手渡した。
「へ? いいの?」
「やるよ。悔しいが俺よりも魔力はあるし、万が一の時にはそこからクラスラーを召喚出来るからな。そう考えたら、これはミャムが持っておいた方がいい。そういや、体調はどうだ?」
「うん、絶好調よ! それがどうかしたの?」
「コントロールを知らない人間がいきなり魔力を使ったりすると、身体が怠くなったりするんだ。一応本当に大丈夫か確認させてもらうぜ」
と、ラムセルが突然顔を近づけるとミャムの眼を見つめ、瞳孔の確認のために瞼を広げたり、手首を掴んでは脈を測った。
突然見つめられ、大人しくされるがままの彼女は表情が緊張で強張り、頬がみるみる紅くなっているが、ラムセルは特に気にしていない様子で一通りを終える。
「……ん。よし、本当に平気そうだな。ん? そんな変に固まってどうした?」
「ううん、何でもなーい! ちょっとはしゃいで体が暖まったからかなー、あはは!」
「? そうか。あーあと、クラスラーをさっきみたいに膨らませるなよ。あれ以上やっちまったら破裂しちまう」
「いやはや、何卒ご容赦を」
「うん……でも、たまにいい?」
「そ、それも何卒ご勘弁を…あの大きさになって分かったのですが、本当に苦しくなりまして…」
「えー」
「エェッ!?」
「おいおい…クラスラーを殺す気かよ」
「でもー…大きくなったクラスラーを抱いたりしたらとーっても気持ち良さそう、て思ったんだけどなぁ」
子供のように拗ねてみせるミャムにクラスラーは唸った。ラムセルは何も言わずにいたが、その目は呆れを含んでいる。
「……か、可能な範囲でしたら、善処させていただきます」
「ホント!? 約束だよ♪」
まさに即答。
その無邪気な笑顔が小悪魔に見えたのは言うまでもない。彼らは目を合わせた。
「おい、大丈夫なのか?」
「……粉骨砕身の覚悟で参ります」
「死ぬこと前提にしてんのかよ」
「ラムセルさーん! 何してるのー? 早く行こー!!」
いつの間にか先に進んでいたミャムが呼びかけ、クラスラーが一旦魔符に戻るとラムセルは早足で向かった。
「わりぃわりぃ。ほんじゃ、案内は任せたぜ」
「はーい。では、ご案内しまーす!」
鼻歌を唄いながら意気揚々と歩くミャムの後ろ姿にほんの少しだけ不安を抱きつつ、ラムセルも後を歩く。
†
ラムセル達が遺跡に向かった頃と時同じくして──
ギャバンにお使いを頼まれてからというもの、コンラッドは遅くあってはならないと、駆け足でメモに書かれてある場所へ向かった。
しかし……
「あ? テメェに売るモンなんざねーよ」
「オイカノスの手先が何の用だい!?」
「帰れ!!」
などと行く先々の店員から開口一番に罵声や批難を浴び、買うまでにメモを見せて事の次第を説明をしたり、信じてもらうために土下座までして根気強く説得することもあったりと、中々思うように買い物が出来ずにいた。
「はあぁ~~~………ちょっとは覚悟していたつもりだったけど……」
そう愚痴をこぼしながら、中身がいっぱいになった籠を両手に持って帰り道をとぼとぼ歩いている。
そして、これまで自分達がしてきた行いがどんなに住民達を酷く傷付けていたかを身を以て味わい、心中深く反省し、嫌々でも従順してしまっていた頃の己の弱さを振り返りながら悔いていた。
(おれに、おれにもっと力があれば……あんな事せず、むしろ…そんな奴らから、ホントは守りたかったな…)
ただ俯きながら、脳裏で繰り返される過去の後悔を思い返しては嘆く。
こうしている今も、通り行く人々から時折罵声を浴びせられ、声を潜めては怒りを露わにし、はたまた石を投げつけられもしていた。
しかし、コンラッドはひたすら耐え続け、ゆっくり進んで行く。
心が何度も押し潰され、削られて折れそうになってしまう──目元に涙が滲む。
「いた! コンラッドさぁーーん!」
そこへ自分を呼ぶ声を聞き、顔を上げ正面を見た。
前からソフィーが駆け寄って来ている。
「ソ、ソフィーさん!? どうして…」
「いくら何でも帰りが遅いから、探していたの」
「おれを、探しに……?」
「お、おいおいおい!? ソフィーちゃん何でこんな奴探してたんだよ!」
「そうだ! コイツはオイカノスの手下なんだぜ! その荷物だって、奪った物に決まってる!!」
「そうやってアタシ達を苦しめて何が面白いんだい、このひとでなしッ!!」
「おぅ!! オイカノスの鬼畜どもなんざさっさと死んじまえってんだぁー!!」
「こんなヒョロっこいの、オレがさっさとふん縛ってブッ殺してやるぜぃッ!!」
と、人々が集まっている中から、一人の巨漢な男が右手に斧を持って二人に近づく。
殺気を露わに息巻いて近づいてくる男の様子にコンラッドは怯えてしまう。が、そんな彼の前にソフィーが両手を広げて立ち塞がった。
「どきなお嬢ちゃん!! そんなクソ野郎、庇うこたぁねぇ!!」
「いいえ。この人はもう、オイカノスの手下ではありません。昨夜からオイカノスの袂を断ったのです」
「そんなデタラメ信じれるかぁぁ!!!」
「俺昨日の夜、アイツらがあんたの店の方に向かったの見て、その中にそいつがいるのも見たんだ!」
「昨日の事なら聞いた。アンタの店襲われたんだろ?」
「はい」
「だったら──!!」
「でも、その後この方だけは、自分の行いを悔い、ようやくこれまでの過ちを償うという決心をし、最後までお店の片付けをして下さいました。途中で抜け出せる機会はいくらでもあったはず。しかしちゃんとそうはしなかった。私はその姿に誠意を感じました」
「そ、そんなのその場凌ぎに我慢してただけじゃないのか!? ソフィーさん騙されてるんだよ!」
「いえ!! そんなこと断じてありえません!!」
ソフィーの叫びに誰もが口を紡いだ。
普段の彼女を知る者に関しては、ここまで声を荒げたことが無かった事に対してどよめいていた。
「この中に、昨日《緑の涼風亭》にいた方はいらっしゃいますか! いらしたら思い出してください。この方は…コンラッドさんは、何をしていましたか?」
ソフィーはゆっくり辺りを見回し、人々に呼び掛けた。周りが小さく騒めく中──
「……………………店の片付けをしてたぜ。信じられねぇかもしれねーが、本当に、最後までしてた」
一瞬で声のした方へ皆が振り向き、驚きを露わにした。
そこにいたのは、ギャバンだった。
「おい……ホントかよ…?」
「マスター……」
「ったく、このガキ。いつまでも帰ってこねぇから仕込みが出来ねぇだろうが」
そう言って人々の間を割って入り、皆が道を譲るように慌てて避けていく。
「…………よぅ兄ちゃん。そんな斧持ってどうするつもりだった?」
「こ、コイツの頭カチ割ってやろうと──ッ!!?」
突然胸ぐらを掴まれ、ギャバンの凄まじい威圧に男は言葉を詰まらせた。
「バッキャローッ!!! その斧は人の頭カチ割るために使ってたわけじゃねぇだろがぁ!! オメェは木こりだろ! その斧は商売道具だろがッ!!」
そう言い放つと掴んでいた手を放し、男は力無く尻餅をついた。
「いいか。仕事で使い込んだ代物はな、いわばお前の魂だ。その魂を血で汚すようなマネは二度とするな。一度染まっちまったら…落とすのに苦労するぞ?」
「あ……あぁ…」
「さぁて帰るぞー」
「…行きましょう」
「あ…はぃ」
ギャバンを先頭に三人は再び間を通り、店へ帰って行った。
……………………………………………………
店に到着するまで、三人は言葉を交わすことはなかった。
沈黙は到着した後も続き、ギャバンとソフィーはカウンターの中へ入り、コンラッドはカウンター台に荷物を置いたまま俯いて動かずにいる。
「あの、コンラッドさん?」
「……さっきは助けてくださってありがとうございました。それじゃ……」
いきなりお辞儀をして踵を返し、コンラッドは再び入り口へ向かい出す。
「待ってください! どこへ行くつもりなんですか?」
「…ここにいたらあなた達にまた迷惑が掛かる。だから、どっか遠くに。もしかしたら故郷に帰るかも」
そう言ってソフィーに無理矢理笑顔を作って見せた。しかし、ちっとも笑えていない。
そんな彼に胸が痛んだ。
「そうか。まぁ達者でな」
「マスター!?」
「…………じゃ」
コンラッドが取っ手を握る。
「しかし、それでいいんだな? そうやって何だかんだ理由をつけて、結局は目の前の現実から逃げる。それで、いいんだな?」
「逃げるって…でもさっきの見ましたよね。おれはこの先ずっと“オイカノスの手下”っていう目で見られる。ここにいちゃ…きっとまた………」
「なーに、そん時はそん時だ」
「へ?」
ギャバンがコンラッドの元へ歩き出す。
そして呆然とする彼の前で立ち止まった。
「昨日おめぇ、半べそになりながら『償わせてください』って言ったよな」
「…………はい」
「ありゃ嘘か?」
「ち、違う!! おれは──!」
「だったらウチの店で働きながらみんなに償っていけ」
「へ?」
「そうやって逃げても何も変わらん。むしろ苦しむだけだ。それに、真っ先に探しに行ったソフィーの事を裏切ることになるぞ」
「マスター……」
「…………」
「時間は掛かるだろうが、少しずつ頑張ってやってけ。これからはちゃんと自分の意思で、誰かの為に働け」
そう言ってコンラッドの肩を力強く叩き、何度もさする。
すると、コンラッドの両目から涙が止めどなく溢れ、子供のように泣きじゃくった。
ソフィーも二人の所へ向かい、コンラッドの両手を手に取ると優しく包み込んだ。
「コンラッドさん。大丈夫。貴方ならきっと皆さんから受け入れてもらえる日が必ず来る。そう信じています」
「ソ…ソフィ~ざぁん!! おれ、おれぇぇぇ……」
「そら、男がいつまでもめそめそしてんな! これから遅れた分取り戻さなきゃなんねぇんだ。ソフィー、この坊主に仕事を教えてやれ。オレぁ……ふぁ~~~…すまん、やはりちと寝てから仕事にかからぁ」
「はい、お休みなさい。適当な時間になったら起こしますね」
ソフィーは再び大あくびをして肩を回しながら二階へ向かったギャバンの背中を見送り、コンラッドの手を引いてカウンターに戻り、胸ポケットを探る。
「はい。ハンカチをどうぞ。これで涙を拭いてください」
「あ、ありがとうございまず……ソフィーさん、これから精一杯頑張りますので、どうかよろしくお願いします!!」
「はい。一緒に頑張りましょう」
ソフィーが最初の仕事にと、道具や材料などの場所を教え、それを覚えようとコンラッドは紙にメモして熱心に聞く。
今日も忙しい事に変わりは無い。
だが、これまで味わう事の無かった暖かさを、コンラッドは噛み締めていた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
婚約破棄の代償
nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」
ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。
エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。
聖女を追放した国は、私が祈らなくなった理由を最後まで知りませんでした
藤原遊
ファンタジー
この国では、人の悪意や欲望、嘘が積み重なると
土地を蝕む邪気となって現れる。
それを祈りによって浄化してきたのが、聖女である私だった。
派手な奇跡は起こらない。
けれど、私が祈るたびに国は荒廃を免れてきた。
――その役目を、誰一人として理解しないまま。
奇跡が少なくなった。
役に立たない聖女はいらない。
そう言われ、私は静かに国を追放された。
もう、祈る理由はない。
邪気を生み出す原因に目を向けず、
後始末だけを押し付ける国を守る理由も。
聖女がいなくなった国で、
少しずつ異変が起こり始める。
けれど彼らは、最後まで気づかなかった。
私がなぜ祈らなくなったのかを。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる