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十六杯目『二人のキング』
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「……っと。ここだ」
休日の昼前、有紗はリストランテ・クオーリの前にいた。
一度訪れたきりのこのお店に、もう一度来てみたかったのだ。
ただ、地図で調べたところ、大学の最寄り駅から行くには遠く、一つ先の駅からなら近いことが解り、平日に訪れることは断念して休日に機会を窺っていた。
店、といわれなければ気付かないような隠れ家的雰囲気は日中に見ても同じだった。
黒板に店の名前とランチメニューが書かれている。
値段も良心的だ。とはいえ、大学生が足繁く通える程度ではない。
Openの札がかかった扉を、ゆっくりと開けた。
「おおー。アリスちゃんじゃん。久しぶり。来てくれて嬉しいよ。ほら、環。彼女がアリスちゃん」
瑛と目が合うなり矢継ぎ早に言われ、また、カウンターに座っていた青年に何故か紹介された。
くるり、と振り返ったカウンターの青年は、
「ああ、君が噂の」
と、落ち着いた声で言った。
――わ。綺麗な人だ。
まずはその容姿に目が行った。黒髪に黒い瞳。端正、という言葉がしっくりとくる。
そして次に気になったのは、
――どれだけ噂になっちゃってるんだろう……。
知らない間に話が広がっていることに不思議な感覚を覚えながら、中に足を踏み入れた。
「カウンターがいい? 奥のテーブルも空いてるけど」
「じゃあ、テーブルでお願いします」
「ジョリー、一名様ァ」
「はーい」
カウンターを向いてテーブル席に座ると、キッチンからジョリーがお冷やとお手ふきを持ってやってきた。先日、宇佐木から聞いて名前が判明した彼――ジョリーは、やはり中性的な雰囲気をまとっていた。
「いらっしゃい。ランチメニューもあるから、そっちがよかったらこのメニューから選んでね」
と、ランチ用のメニューを差し出してきた。
この店に来るのは二回目なのに、既に馴染みの常連のようだ。
ランチメニューはピザとパスタがある。マルゲリータ、カラブレーゼ、クアトロフォルマッジ、ビスマルク……。ペスカトーレ、ボンゴレビアンコとロッソ、ペペロンチーノ、アラビアータ……。
写真こそ付いてないが、名前だけで目移りしてしまう。
今日はピザにしよう。そうと決めて、ジョリーを呼んだ。
「ビスマルクとレモネードください」
「はーい。うちのレモネード、美味しいから楽しみにしててね」
去って行くジョリーを見送りながら、一度座り直す。ちら、と店を見渡すと、有紗以外にはカウンターの環以外居ないようだ。
――環さんって、瑛さんのご友人かな……。
環の端整な顔立ちは、つい見たくなってしまう。
盗み見するのは失礼だと思いつつも目線を上げた時、
「あーっ、やっぱりこんな所で油売って」
エースに似た雰囲気の黒髪の少年が飛び込んできた。ぱっと見は中学生か高校生。しかし、エースの例があるので油断は出来ない。
「うるさいぞ、朝。こんな所とはなんだ、こんな所とは」
瑛が少年に噛みついている。少年も負けじと口を尖らせて、
「こんな所じゃないか。もー、俺もお昼食べる!」
若干脈絡を失した発言をして、朝と呼ばれた少年は環の隣の席に着き、
「クアトロフォルマッジ頂戴」
「おまえそればっかりだな」
「いいじゃない、好きなんだから」
険悪なのか仲がいいのか。乱暴なやりとりが向こう側でかわされている。
朝は瑛にそっぽを向いて、環の方を向くと、
「ねえ、キングは何頼んだの?」
「ピザのマリナーラ」
「俺のと一切れ交換しよ?」
「ああ。いいぞ。解ったから静かにしろ、エース」
――あれ? 変だな。
今会話をしていたのは環と朝の二人だ。それなのに、朝は環のことを〝キング〟と呼んでいる。
――キングさんは瑛さんなんじゃ……? それに、エースはエースくんで……。あれれ?
脳内の人物名称と相関図が少し乱れ始めている。新たに加わった二人を何処に配置していいのか解らない。
そして同じあだ名を持つ者が二人ずつ居る。そのことが混乱を加速させた。
状況を解せず首を傾げていると、朝と目が合った。
「あれ。ねえ、あれってアリス?」
「エース。静かにしてろ」
環の制止も聞かず、朝が向かいの席にやってきた。
「ねえ、君がアリス?」
「あ、はい。初めまして……」
「俺は朝。あっちは環ね」
今度はきちんとした名前がやってきた。
二人のキングと、二人のエース。その疑問を解くために、有紗は向かいの朝に疑問を投げるべく、口を開いた。
「あの……訊いても、いいですか?」
「敬語とかやめてよ。痒くなりそう。で、何を訊きたいの?」
この界隈の人たちはジャック以外敬語が嫌いなようだ。
「キングさんは瑛さんで、エースはその……エースくんじゃない……の?」
必死に敬語を抑える有紗の前で、反対に朝が不思議そうに首を傾げた。
「うん? 瑛はハートのキングで、環はスペードのキング。俺はスペードのエースで、君が言ってるエースってのは真のことだろ?」
有栖川茶房で出会ったエースが真という名前であることは解った。が、聞き慣れない言い回しに有紗も朝と鏡写しのように首を傾げる。
「ハート? スペード?」
「何。知らないの? アリスなのに」
「あだ名のようなもの、ってしか聞いてなくて……」
「ダイヤとクローバーも居るけど、全員教えようか?」
「いやっ、待って。混乱するから今はまだいいですっ」
いよいよおかしな事になってきた。
混乱する思考の中で一つの可能性を思いつき、訊いてみることにする。
「もしかして……妃さんって……」
「ハートのクイーンだよ。うちのクイーンは何でか男だけど」
「はぁ……」
――そういうのもアリなんだ……。
どんな人なんだろう、と多少の興味を持ちつつ、頭が混乱を訴えている。
ハートにスペード、ダイヤにクローバー。まるでトランプだ。
「朝も真みたいにキャンキャン騒ぐなよ。それに、余計なコト言わなくていいから」
やってきた瑛が、はい、とレモネードを有紗の前に置いた。
「瑛さんはエースくんって言わないんですね」
「俺は名前で呼ぶ派だから。それに、同じ呼び方する奴が四人も居るんだ。ややこしいだろ」
この様子だと、四人ずつトランプの絵札のあだ名を持った人物がいることになる。
どういう組織か、はたまたシステムか解らないが、妙なこともあるものだ。
「あ、レモネード。俺も欲しい」
「わかったわかった。持ってきてやるから、もっと大人しくしろ」
「なんだよ。瑛もキングも騒ぐなとか大人しくとか。そんなに俺、うるさい?」
「うるさい。それにアリスちゃんは初対面だろ。引いてるじゃんか」
急に話を振られても、頭がわんわんしてすぐに言葉が出てこない。
うー、と少し呻いてから、
「引いてるっていうより……飲み込めないっていうか、なんていうか……」
「気にすることないって。ちょっとした呼び方の違いって程度だから」
「そう、……ですか?」
そうでは無い気がしてならなかった。何かある、気はする。だがそれを問うたところで、恐らく理解することは出来ない、そんな気がした。
直感的に、余り踏み込んではいけないように思えてならなかった。足を踏み出しそうになるのを必死に抑える。
瑛が去って行っても、向かいに座る朝はそのまま居座っていた。
気分を変えよう。
そう思い、運ばれてきたばかりのレモネードを口にする。甘く、そして程よいレモンの酸味が溜息を連れてきた。
声に出さない程度の小さな溜息をついたことに、朝が反応した。
「アリスも俺が居ると迷惑?」
「ちが、そうじゃなくて。知らないこといっぺんに聞いたからちょっと……」
「エース!」
環からの叱責を受け、朝は少し不満そうにしながらも、渋々口を閉ざした。
しかし、朝は立ち去ろうとはしない。ジョリーが持ってきたレモネードを啜ってふてくされている。
迷惑ではないが、変わっているな、とは思う。何故彼や、他の皆は自分に興味を持って近づいてくるのだろう。それが不思議でならなかった。
もう一つ不思議だったのは、本当に彼らがトランプの絵札通りであるのなら、スペードのエースは最強の筈だ。それが、キングの言葉に従っているように見える。
――でも、ルールによる、のかな。
彼らはそういうルールで動いている。そう思えば納得もいった。
「ほい、お待たせ。ビスマルクに、朝のクアトロフォルマッジ」
「わあ……!」
窯で焼き上がったばかりの生地に具材と半熟卵が載ったピザが、目の前に鎮座している。
「いただきまーす」
言いながら、熱々の一切れを手に取り、三角形の先に齧り付いた。卵の黄身が付いた生地やチーズが美味しい。まだ湯気の出ているその一切れを、あっという間に食べてしまった。
「ねえ、アリス。一枚交換しない? 同じのばっかりじゃ飽きるでしょ」
「う、うん。いいけど……」
許可をしたときには既に一枚が持って行かれていた。
「これ、いいよ」
と示されたのは少し大きめのカット。
「小さいのでいいよ?」
「いいから、ほらっ」
それ以上断り切れず、示されたカットを取った。チーズがたっぷりで持ってくる際に伸びて大変だった。
ちょっと得したような気分になりながら、貰ったばかりのクアトロフォルマッジを囓る。濃厚な数種類のチーズの味に、貰って良かったと笑みがこぼれた。
と、そこへ自分のピザが載った皿を持った環がやってきた。朝の横の空いている席に腰掛けると、
「ほら。一切れ交換するんだろう?」
「うん」
そう言って、ピザのやりとりが行われていた。
「アリスも交換するか?」
つ、と皿が差し出される。
「え。いいんですか?」
「ほら。好きなの取れ」
そうして、チーズばかりだった皿にマリナーラの赤が加わった。
有紗も皿を差し出し、一切れ進呈する。
「うん。ビスマルクは初めて食べたが、旨いな」
「ここのお料理ってみんな美味しいですよね。選ぶとき迷っちゃう」
「結構来てるのか?」
「いえ、今日で二回目です。一回目はジャックさん……えーっと、忠臣さんに連れてきて貰って」
「あいつもなかなかやるな」
早くも有紗があげた一切れを完食した環は、自分の分を食べつつ、しげしげとこちらを見てきた。
――観察されてる……。
少しだけ居心地が悪い。
噛んでいた分をおずおずと飲み込んだとき、
「見たところ、学生……か?」
「はい。今年大学に入ったところです」
「大学か。そしたらそろそろ初めてのテストだろう。単位、落とすなよ」
「は、はいっ」
環は薄い笑みを見せて、自分の席へと戻っていった。
――カッコいいなぁ……はぁ、テストかぁ。忘れてたぁ……。
現実を思い出し、少しだけしょんぼりした。とはいえ、今焦ったり落ち込んでも仕方がない。今日は食事を楽しみに来たのだ。
「お、環。ここに居た。って、朝もここかよ」
新たな人物が一人、クオーリの中に入ってきた。
カフェオレのような髪の何かのスポーツをやっていそうな雰囲気、且つ見た目爽やかな男性だ。
「今日はゆっくり食事もさせて貰えないのか」
「さっさと食って戻れよ。正臣(まさおみ)がキレてる」
「なんで」
「二人して色々ほっぽり出して飯食いに行っちゃったからじゃねぇの?」
振り返った環と、やってきた青年とで会話をしている。
「朝くん。あの人は?」
「あのでかいのがうちのクイーンの木葉(このは)」
「ええっ!」
「なんであんなのがクイーンなんだろうね。不思議」
「……もっと違う感じ想像してた」
――もっと女性的な、というかなんというか。
「で、正臣ってのがジャック」
その名前に聞き覚えがあった。
「もしかして、ジャックさん……っと、忠臣さんの弟さん?」
「そうそう」
首肯しながら朝は最後の一枚を口に放り込んだ。呼ばれる前に、とでも思ったのか、
「じゃあね。ありがと。楽しかったよ」
と簡単に挨拶してレモネードのグラスと皿を持って退席してしまった。
カウンターに戻った朝を加えて、三人で何か話をしている。
詳細は聞き取れなかったが、とにかく戻れ、という雰囲気だった。
取り残された形になった有紗は、残りのピザをゆっくりと食べ進めた。
やがて、環が会釈をし、朝が手を振りながら店を後にした。そして、完全に一人になる。
有栖川茶房と同じで、一人きりになると静かで、少し寂しい。
自分が咀嚼している音がよく聞こえる。カウンターの向こうで仕事をしている音もよく聞こえる。
最後の一口を頬張って、飲み込んだ後にレモネードで口の中を整える。
思いがけず楽しい食事だった。
同時に、新しい情報が多すぎて、整理するのが大変だ。
「ごめんなぁ、騒がしくって」
やってきた瑛が、ピザの皿を下げる代わりにコトンとガラスの器を置いた。
器に入っていたのはティラミスだ。
――美味しそうなティラミス……。
しかし、よく考えるとこの状況は変だ。
「瑛さん。私、頼んでないです」
「これ、環の奢り」
「ええっ」
「あと、お会計要らないから」
「何でまた!」
「環が払っていった。いいじゃん。奢られとけって」
「でも……」
そうは言っても、奢ったという当人は既に店を後にしている。断りようもなく、素直に奢られることにした。
せめて申し訳が立つように、単位を落とさないようテスト勉強に励もう。
そう決心して、ほろ苦いデザートを頂いた。
休日の昼前、有紗はリストランテ・クオーリの前にいた。
一度訪れたきりのこのお店に、もう一度来てみたかったのだ。
ただ、地図で調べたところ、大学の最寄り駅から行くには遠く、一つ先の駅からなら近いことが解り、平日に訪れることは断念して休日に機会を窺っていた。
店、といわれなければ気付かないような隠れ家的雰囲気は日中に見ても同じだった。
黒板に店の名前とランチメニューが書かれている。
値段も良心的だ。とはいえ、大学生が足繁く通える程度ではない。
Openの札がかかった扉を、ゆっくりと開けた。
「おおー。アリスちゃんじゃん。久しぶり。来てくれて嬉しいよ。ほら、環。彼女がアリスちゃん」
瑛と目が合うなり矢継ぎ早に言われ、また、カウンターに座っていた青年に何故か紹介された。
くるり、と振り返ったカウンターの青年は、
「ああ、君が噂の」
と、落ち着いた声で言った。
――わ。綺麗な人だ。
まずはその容姿に目が行った。黒髪に黒い瞳。端正、という言葉がしっくりとくる。
そして次に気になったのは、
――どれだけ噂になっちゃってるんだろう……。
知らない間に話が広がっていることに不思議な感覚を覚えながら、中に足を踏み入れた。
「カウンターがいい? 奥のテーブルも空いてるけど」
「じゃあ、テーブルでお願いします」
「ジョリー、一名様ァ」
「はーい」
カウンターを向いてテーブル席に座ると、キッチンからジョリーがお冷やとお手ふきを持ってやってきた。先日、宇佐木から聞いて名前が判明した彼――ジョリーは、やはり中性的な雰囲気をまとっていた。
「いらっしゃい。ランチメニューもあるから、そっちがよかったらこのメニューから選んでね」
と、ランチ用のメニューを差し出してきた。
この店に来るのは二回目なのに、既に馴染みの常連のようだ。
ランチメニューはピザとパスタがある。マルゲリータ、カラブレーゼ、クアトロフォルマッジ、ビスマルク……。ペスカトーレ、ボンゴレビアンコとロッソ、ペペロンチーノ、アラビアータ……。
写真こそ付いてないが、名前だけで目移りしてしまう。
今日はピザにしよう。そうと決めて、ジョリーを呼んだ。
「ビスマルクとレモネードください」
「はーい。うちのレモネード、美味しいから楽しみにしててね」
去って行くジョリーを見送りながら、一度座り直す。ちら、と店を見渡すと、有紗以外にはカウンターの環以外居ないようだ。
――環さんって、瑛さんのご友人かな……。
環の端整な顔立ちは、つい見たくなってしまう。
盗み見するのは失礼だと思いつつも目線を上げた時、
「あーっ、やっぱりこんな所で油売って」
エースに似た雰囲気の黒髪の少年が飛び込んできた。ぱっと見は中学生か高校生。しかし、エースの例があるので油断は出来ない。
「うるさいぞ、朝。こんな所とはなんだ、こんな所とは」
瑛が少年に噛みついている。少年も負けじと口を尖らせて、
「こんな所じゃないか。もー、俺もお昼食べる!」
若干脈絡を失した発言をして、朝と呼ばれた少年は環の隣の席に着き、
「クアトロフォルマッジ頂戴」
「おまえそればっかりだな」
「いいじゃない、好きなんだから」
険悪なのか仲がいいのか。乱暴なやりとりが向こう側でかわされている。
朝は瑛にそっぽを向いて、環の方を向くと、
「ねえ、キングは何頼んだの?」
「ピザのマリナーラ」
「俺のと一切れ交換しよ?」
「ああ。いいぞ。解ったから静かにしろ、エース」
――あれ? 変だな。
今会話をしていたのは環と朝の二人だ。それなのに、朝は環のことを〝キング〟と呼んでいる。
――キングさんは瑛さんなんじゃ……? それに、エースはエースくんで……。あれれ?
脳内の人物名称と相関図が少し乱れ始めている。新たに加わった二人を何処に配置していいのか解らない。
そして同じあだ名を持つ者が二人ずつ居る。そのことが混乱を加速させた。
状況を解せず首を傾げていると、朝と目が合った。
「あれ。ねえ、あれってアリス?」
「エース。静かにしてろ」
環の制止も聞かず、朝が向かいの席にやってきた。
「ねえ、君がアリス?」
「あ、はい。初めまして……」
「俺は朝。あっちは環ね」
今度はきちんとした名前がやってきた。
二人のキングと、二人のエース。その疑問を解くために、有紗は向かいの朝に疑問を投げるべく、口を開いた。
「あの……訊いても、いいですか?」
「敬語とかやめてよ。痒くなりそう。で、何を訊きたいの?」
この界隈の人たちはジャック以外敬語が嫌いなようだ。
「キングさんは瑛さんで、エースはその……エースくんじゃない……の?」
必死に敬語を抑える有紗の前で、反対に朝が不思議そうに首を傾げた。
「うん? 瑛はハートのキングで、環はスペードのキング。俺はスペードのエースで、君が言ってるエースってのは真のことだろ?」
有栖川茶房で出会ったエースが真という名前であることは解った。が、聞き慣れない言い回しに有紗も朝と鏡写しのように首を傾げる。
「ハート? スペード?」
「何。知らないの? アリスなのに」
「あだ名のようなもの、ってしか聞いてなくて……」
「ダイヤとクローバーも居るけど、全員教えようか?」
「いやっ、待って。混乱するから今はまだいいですっ」
いよいよおかしな事になってきた。
混乱する思考の中で一つの可能性を思いつき、訊いてみることにする。
「もしかして……妃さんって……」
「ハートのクイーンだよ。うちのクイーンは何でか男だけど」
「はぁ……」
――そういうのもアリなんだ……。
どんな人なんだろう、と多少の興味を持ちつつ、頭が混乱を訴えている。
ハートにスペード、ダイヤにクローバー。まるでトランプだ。
「朝も真みたいにキャンキャン騒ぐなよ。それに、余計なコト言わなくていいから」
やってきた瑛が、はい、とレモネードを有紗の前に置いた。
「瑛さんはエースくんって言わないんですね」
「俺は名前で呼ぶ派だから。それに、同じ呼び方する奴が四人も居るんだ。ややこしいだろ」
この様子だと、四人ずつトランプの絵札のあだ名を持った人物がいることになる。
どういう組織か、はたまたシステムか解らないが、妙なこともあるものだ。
「あ、レモネード。俺も欲しい」
「わかったわかった。持ってきてやるから、もっと大人しくしろ」
「なんだよ。瑛もキングも騒ぐなとか大人しくとか。そんなに俺、うるさい?」
「うるさい。それにアリスちゃんは初対面だろ。引いてるじゃんか」
急に話を振られても、頭がわんわんしてすぐに言葉が出てこない。
うー、と少し呻いてから、
「引いてるっていうより……飲み込めないっていうか、なんていうか……」
「気にすることないって。ちょっとした呼び方の違いって程度だから」
「そう、……ですか?」
そうでは無い気がしてならなかった。何かある、気はする。だがそれを問うたところで、恐らく理解することは出来ない、そんな気がした。
直感的に、余り踏み込んではいけないように思えてならなかった。足を踏み出しそうになるのを必死に抑える。
瑛が去って行っても、向かいに座る朝はそのまま居座っていた。
気分を変えよう。
そう思い、運ばれてきたばかりのレモネードを口にする。甘く、そして程よいレモンの酸味が溜息を連れてきた。
声に出さない程度の小さな溜息をついたことに、朝が反応した。
「アリスも俺が居ると迷惑?」
「ちが、そうじゃなくて。知らないこといっぺんに聞いたからちょっと……」
「エース!」
環からの叱責を受け、朝は少し不満そうにしながらも、渋々口を閉ざした。
しかし、朝は立ち去ろうとはしない。ジョリーが持ってきたレモネードを啜ってふてくされている。
迷惑ではないが、変わっているな、とは思う。何故彼や、他の皆は自分に興味を持って近づいてくるのだろう。それが不思議でならなかった。
もう一つ不思議だったのは、本当に彼らがトランプの絵札通りであるのなら、スペードのエースは最強の筈だ。それが、キングの言葉に従っているように見える。
――でも、ルールによる、のかな。
彼らはそういうルールで動いている。そう思えば納得もいった。
「ほい、お待たせ。ビスマルクに、朝のクアトロフォルマッジ」
「わあ……!」
窯で焼き上がったばかりの生地に具材と半熟卵が載ったピザが、目の前に鎮座している。
「いただきまーす」
言いながら、熱々の一切れを手に取り、三角形の先に齧り付いた。卵の黄身が付いた生地やチーズが美味しい。まだ湯気の出ているその一切れを、あっという間に食べてしまった。
「ねえ、アリス。一枚交換しない? 同じのばっかりじゃ飽きるでしょ」
「う、うん。いいけど……」
許可をしたときには既に一枚が持って行かれていた。
「これ、いいよ」
と示されたのは少し大きめのカット。
「小さいのでいいよ?」
「いいから、ほらっ」
それ以上断り切れず、示されたカットを取った。チーズがたっぷりで持ってくる際に伸びて大変だった。
ちょっと得したような気分になりながら、貰ったばかりのクアトロフォルマッジを囓る。濃厚な数種類のチーズの味に、貰って良かったと笑みがこぼれた。
と、そこへ自分のピザが載った皿を持った環がやってきた。朝の横の空いている席に腰掛けると、
「ほら。一切れ交換するんだろう?」
「うん」
そう言って、ピザのやりとりが行われていた。
「アリスも交換するか?」
つ、と皿が差し出される。
「え。いいんですか?」
「ほら。好きなの取れ」
そうして、チーズばかりだった皿にマリナーラの赤が加わった。
有紗も皿を差し出し、一切れ進呈する。
「うん。ビスマルクは初めて食べたが、旨いな」
「ここのお料理ってみんな美味しいですよね。選ぶとき迷っちゃう」
「結構来てるのか?」
「いえ、今日で二回目です。一回目はジャックさん……えーっと、忠臣さんに連れてきて貰って」
「あいつもなかなかやるな」
早くも有紗があげた一切れを完食した環は、自分の分を食べつつ、しげしげとこちらを見てきた。
――観察されてる……。
少しだけ居心地が悪い。
噛んでいた分をおずおずと飲み込んだとき、
「見たところ、学生……か?」
「はい。今年大学に入ったところです」
「大学か。そしたらそろそろ初めてのテストだろう。単位、落とすなよ」
「は、はいっ」
環は薄い笑みを見せて、自分の席へと戻っていった。
――カッコいいなぁ……はぁ、テストかぁ。忘れてたぁ……。
現実を思い出し、少しだけしょんぼりした。とはいえ、今焦ったり落ち込んでも仕方がない。今日は食事を楽しみに来たのだ。
「お、環。ここに居た。って、朝もここかよ」
新たな人物が一人、クオーリの中に入ってきた。
カフェオレのような髪の何かのスポーツをやっていそうな雰囲気、且つ見た目爽やかな男性だ。
「今日はゆっくり食事もさせて貰えないのか」
「さっさと食って戻れよ。正臣(まさおみ)がキレてる」
「なんで」
「二人して色々ほっぽり出して飯食いに行っちゃったからじゃねぇの?」
振り返った環と、やってきた青年とで会話をしている。
「朝くん。あの人は?」
「あのでかいのがうちのクイーンの木葉(このは)」
「ええっ!」
「なんであんなのがクイーンなんだろうね。不思議」
「……もっと違う感じ想像してた」
――もっと女性的な、というかなんというか。
「で、正臣ってのがジャック」
その名前に聞き覚えがあった。
「もしかして、ジャックさん……っと、忠臣さんの弟さん?」
「そうそう」
首肯しながら朝は最後の一枚を口に放り込んだ。呼ばれる前に、とでも思ったのか、
「じゃあね。ありがと。楽しかったよ」
と簡単に挨拶してレモネードのグラスと皿を持って退席してしまった。
カウンターに戻った朝を加えて、三人で何か話をしている。
詳細は聞き取れなかったが、とにかく戻れ、という雰囲気だった。
取り残された形になった有紗は、残りのピザをゆっくりと食べ進めた。
やがて、環が会釈をし、朝が手を振りながら店を後にした。そして、完全に一人になる。
有栖川茶房と同じで、一人きりになると静かで、少し寂しい。
自分が咀嚼している音がよく聞こえる。カウンターの向こうで仕事をしている音もよく聞こえる。
最後の一口を頬張って、飲み込んだ後にレモネードで口の中を整える。
思いがけず楽しい食事だった。
同時に、新しい情報が多すぎて、整理するのが大変だ。
「ごめんなぁ、騒がしくって」
やってきた瑛が、ピザの皿を下げる代わりにコトンとガラスの器を置いた。
器に入っていたのはティラミスだ。
――美味しそうなティラミス……。
しかし、よく考えるとこの状況は変だ。
「瑛さん。私、頼んでないです」
「これ、環の奢り」
「ええっ」
「あと、お会計要らないから」
「何でまた!」
「環が払っていった。いいじゃん。奢られとけって」
「でも……」
そうは言っても、奢ったという当人は既に店を後にしている。断りようもなく、素直に奢られることにした。
せめて申し訳が立つように、単位を落とさないようテスト勉強に励もう。
そう決心して、ほろ苦いデザートを頂いた。
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