有栖川茶房

タカツキユウト

文字の大きさ
52 / 59

五十杯目『郷愁の食卓』

しおりを挟む
 昼時。
 店の前に着いたとき、漠然とした違和感を感じて足を止めた。
 壁や屋根は以前のままだが、飾りの付いた窓だったところが、十字の格子窓に変わっている。ドアも一枚板のドアだったものがのぞき窓が付いている。ドアノブはアイアンのままだが、形が違う。屋号の板はそのままのようだ。
 ――今回のコンセプトって何だろ。
 外観からは判断が付かないまま、有紗は店の中に入った。その途端、トマトの香りが襲ってきた。
「こんにちは……」
 何事が起きているのかとゆっくりと歩を進めていると、
「おお、アリス! 久しぶりだな!」
 手前側のソファ席に座った妃が手を振っている。向かいには忠臣がいた。
 彼らの目の前には楕円のお皿があり、そこには真っ赤なパスタが盛り付けられていた。どうやらナポリタンのようだ。トマトの香りはこれによるものらしい。
「今日は私が無理を言ってな、ナポリタンを作って貰ったんだ! 昨日からどうしてもナポリタンが食べたくてな!」
「でも、お店まで地味に改装してある気がするんですけど……」
「ナポリタンを出してくれれば何でも良かったんだが、桂がレトロ喫茶風にしようと言いだしてこうなったんだ」
「レトロ喫茶……」
 有紗にはどの辺りがレトロなのかわかりかねたが、これが桂が思うレトロ喫茶の姿らしい。英国風と大差ないと言えばない。何しろ昭和の香りを知らないのだ。
 ひとまず席に着こうと店内を一望する。カウンター席は妃達に背を向けるので余りよろしい気がしない。ソファ席の指定席だと妙な距離が生まれる。気を遣った結果、
「お隣いいですか?」
「いいぞ。来い!」
 妃の隣の席に腰を下ろした。誰もいない側にどしりとした鞄を置いて、メニューを取る。
 いつも通りの紅茶とコーヒーの後に、ミルクセーキ、クリームソーダなどの飲み物が追加されている。フードの所にはナポリタン、オムライス、カレーがある。
「アリスちゃーん、いらっしゃい」
 どこからともなく現れた桂が、ゆらゆらしながらこちらへとやってきた。
「今日は昭和の喫茶店だからねー。何だか懐かしいよねー」
「私、平成生まれなので寧ろ新鮮です……」
「あっ、そっかー。じゃあ、新鮮なのを楽しんでねー。今日のお勧めはミルクセーキとナポリタンだよー。宇佐木くんが今必死にジャックのおかわり作ってるからアリスちゃんの分も頼めばすぐ出てくると思うよー」
 おかわり、とは言うが、忠臣はまだ自分の皿の中身を食している。予め注文しているのか、おかわりはするものと見込んでいるのか。
 ――でも、すぐ食べちゃいそうだね。
 いつもの豪快な食べっぷりが戻っている忠臣には、皿に山盛りにしても足りなさそうだ。
「じゃあ、私もナポリタン。それとミルクセーキもください」
「はーい。ありがとねー」
 去って行く桂を見ながら、今日は紅茶は勧めない事に気付き、意外な面持ちでいた。
「ぶな」
 声がしたので目を遣ると、ソファ席の一番奥からてっさがやってきた。
「ぶーな」
「うん。こんにちは。よしよし」
「ぐろろろろ」
 撫でてやると喉を鳴らしながら擦り寄ってきた。太い猫は腿や腰に気が済むまで額を擦り付けると、横にぴったりついて丸まった。猫の体温が伝わって、太ももが温かい。
「てっさは本当にアリスのことが好きだな」
 そう言って妃は笑った。似たようなことを以前桂も言っていた。理由まで知っていそうな彼だったが、真顔になって答えを失っていたのを見てから、深く考えないことにしていた。時々太いだ何だと言っててっさを傷つけてしまったことも多数あるが、それでも猫は懐いてくれている。こちらが可愛がる以上に好かれているようにさえ思う。
 膝に載せてあげられたら、と時々思うことがある。だが、猫の重さがそれを許さない。てっさも解っているのか、初めの一度きりしか載ってきたことがない。
 なんだか昔から飼っている家猫のようだ。
 そしてここは、昔から通っている田舎の家のようだ。若しくはかつて住んでいた家のようだ。
「どうした? アリス」
 妃の問いに、即答できなかった。
 ――どうしちゃったんだろう。
 疑問が先に浮かび、
「なんか、不思議な気分で……」
 そこまで口にしたところで、厨房から楕円の皿を二つ持った弥生がやってきた。
「お待たせー」
 先に有紗の前に一つ、そして忠臣の空いた皿を持ってからもう一つを彼の前に置いた。
 チープなトマトケチャップの香りがする。具材はタマネギにピーマン、ウインナにマッシュルーム。典型的とも言えるナポリタンのそれだ。
「おい、桂。アリスに水も出してねぇじゃん」
「あ~。忘れてた~」
「ったく。一人にしとくと水も出せねぇのかよ……」
 桂が紅茶を入れること以外をしないことはわかりきっていたので気にしていない。それよりも笑太のみならず、弥生にまで同じ事を言われている事に、有紗は苦笑した。
「そうだ宇佐木く~ん。ミルクセーキ作って~」
「そのくらいおまえが作れよ!」
「だって僕、紅茶専門だもん」
「そうやって仕事放棄すんな!」
 のしのしと歩いて弥生はミルクセーキを作りに厨房へ戻っていく。
 彼が戻ってくるまでの間にナポリタンを少し食べ進めてしまおうと、有紗はフォークを手に取った。一口分を巻き取って、口に入れる。久しく食べていないケチャップの味に、思わず童心に返った。
 ――ナポリタンなんて何年ぶりだろう。
 何年どころか子供の頃以来かも知れない。思い出したのは母親手作りの味。弥生が作ってくれたものと具材も同じで、味も似ているように感じた。
「どうしたの、アリスちゃん。硬直しちゃって」
 遅ればせながら水とお手ふきを持ってきた桂に声を掛けられ、我に返った。
「お母さんと同じ味がして懐かしくなっちゃって」
「ふふ。それは良かったね」
 笑みを残して桂は去って行く。
 有紗は懐古しながらナポリタンを巻き取っていく。ミルクセーキを待つつもりが、あっという間に半分程度食べてしまっていた。
「アリスにしちゃ早いな」
 卵色の飲み物を持ってきた弥生に言われ、自分でも驚いた。
「美味しいし何だか懐かしくて一気に食べちゃった」
「何処かのジャックと違うんだから、ちゃんと噛めよ。あと、そろそろ一回、実家帰った方がいいんじゃねぇの?」
「そうだねー……」
 ホームシックとはまた違った感情のように思うが、丸一年親と会っていない。弥生の言うように、一度帰るのもいいかもしれない。フォークでパスタを巻きながら思案する。機会があるとすればゴールデンウィークか夏休みか。
 ――でも、ゴールデンウィークはお誕生日あるからなぁ。
 祝って欲しいのは親よりも有栖川茶房の面々であった。無論、当日は店に顔を出すつもりでいた。
「面倒臭がるなよ?」
「はーい」
 見透かされたような気がして、ここは素直に返事をしておく。
 ここで一旦パスタを食べる手を止め、ミルクセーキに手を伸ばした。抱えるようにグラスを持ってストローで吸うと、バニラアイスのような味がケチャップの味を掻き消していく。もう一口飲むと、口の中は完全にバニラ味になった。
 今日は個性の強い味を頼んでしまったようだ。どちらかを食べると食べた方のの味に支配される。
 ――昭和って濃いんだなぁ。
 再びケチャップ味に満たされながら、有紗はぼんやり思っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

公爵令嬢は結婚式当日に死んだ

白雲八鈴
恋愛
 今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。 「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」  突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。 婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。  そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。  その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……  生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。  婚約者とその番という女性に 『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』 そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。 *タグ注意 *不快であれば閉じてください。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

処理中です...