輝くときの中で

冬桜

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輝く時の中で

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 今年の冬は気が早い。
 テレビのニュースではどこも”1月中旬並みの気温“とか、”真冬並みの寒さ“などと、いまいちよくわからない表現で天気を伝えようとしていた。
 どうせ1月中旬にちょっと暖かかったら、“12月上旬並みの”とかいうのであろう。もう何が基準なのかわからない。
  六畳一間のボロアパートに住む、クリスマス前に彼女もいなければ、パーティーをする友だちもいない彼、岬灯(みさきあかり)はテレビに向かい一人ごちていた。
「この調子やとクリスマスは雪やな」
 天気予報終盤の週間天気予報をみて呑気に考える彼に、フワッとあの頃の思い出が蘇る。
「雪...。俺はやっぱり相変わらずやわ。」
 乾いた冬の空を眺めながら彼はもう遠くに行ってしまったあの人を思い浮かべていた。
 何に対しても無気力だった。一人が楽だと自分に言い聞かせ、誰とも接点を持とうとしなかった。
 何故こうなったのか。思い起こせば理由はいくらかあったが、結局は自分の心の根の部分が腐っていたんだろうという結論にいたる。腐る要因を排除せず、腐らせたのは自分自身だった。
 どうにかしようとは思わなかった。もう手遅れだと不貞腐れていたわけではないが、どうにかしなければいけない理由も特に見当たらなかった。一人で良かった。腐ったままで良かった。
 
  彼女が現れるまでは。

 海岸沿いの駅から一本真っ直ぐに伸びたアスファルトを500m程歩くと、やがて左手に蛇が山を登ったような坂道がそびえ立つ。その頂きに灯の学校はある。
 市立海明高校。(かいめいこうこう)
春の桜。夏の海。秋の紅葉。冬の雪。
四季を鮮やかに彩る通学路は、この学校に通う生徒達の青春をより華やかなものにしていた。
 東校舎屋上のドア。その手前の空間が灯の唯一の居場所だった。少子化に伴う生徒数現象の影響から東校舎はほとんど使われなくなっていて、出入りするのは3階に部室を構える吹奏楽部ぐらいだ。たまに個人練習をしに数名の生徒が4階まで上がってくるが、(校舎は4階建て)それ以外は殆ど誰も来ない。
 灯は毎日のように“自分の居場所”に足を運んでいた。昼休み。放課後。単位を落とさない程度には、授業中も足を運んだ。そのそれぞれに楽しみがあった。昼休みは1人でゆっくり昼食が摂れるし、授業中は驚くほど静かで、昼寝に最適だ。しかし彼が最も気に入っていたのは放課後だった。吹奏楽部の洗練された演奏を聴きながら本を読む時間が、何より心を穏やかにしてくれた。
 高校2年の秋にその場所を偶然見つけ、今はもう桜が咲いている。1人でいることがもう彼の日常になっていた。

 
 
 3年目の春の始業式。彼は自分のクラスが何組かだけを確認し、教室に向かった。周りは最後の高校生活を過ごすメンバーに一喜一憂していたが、彼には全くどうでも良いことだ。
 席に座りホームルームが終わったらどうしようか考える。
「食堂は今日は空いてへんな。コンビニでパンでも買ってあそこ行こかな。」
 ふと見ると、クラスの派手めな男子グループが何やら騒いでいる。
 彼はこのグループが嫌いだった。愛の反対は無関心だとよく聞くが、それは絶対違う。自分は大多数の生徒に無関心だが、彼らには大きな嫌悪を抱いている。無関心が0なら嫌悪はどう考えても0以下、マイナスだ。無関心な他の生徒が嫌悪の目でしか見れない彼らの下に来るはずがない。普通にしてる分には良いのだが、彼らは自分たちが楽しむために平気で人を傷つける。彼らが何か楽しそうにしている時はだいたい誰かの心をえぐっている時なのだ。
 でも今日ざわめきは少し様子が違っていた。
「転校生が来るって!しかも東京の子らしいで。」
 「マジか⁉︎女子か⁉︎」
 「女の子らしい。」
 「可愛いかったらソッコーで声かけな」
 「ブスやったら?」
 「そらフル無視やわ。」
  苛立ちが募るだけで転校生のことなど右から左だった。
  その時である。教室のドアが力なく開いた。
 「えー、今年一年、みんなの担任を務める荒垣です。進路のことなどみんなと一緒に考えていきたいと思っています。どうぞよろしく。」
 荒垣 里美(あらがきさとみ)。日本史を教えている30代後半の女性教師だ。
 良い意味で、熱くない。授業はとてもわかりやすいし、生徒の相談には親身になって聞いてくれる(らしい)。だが自分からのアクションはあまり起こさない。坦々と自分の職務を全うしている印象を持っていた。
  そんな彼女だから、ホームルームもすぐ終わるだろうとタカを括っていた灯だったが、いきなり黒板に1人の名前を書いた。
「白石 雪...。」
 彼が黒板の名前を追った瞬間、
「本日より皆さんのクラスメイトが1人増えます。ここにお呼びする前に皆さんに少しお話があります。」
 先生の目が、何か明確な意志を纏っているような気がした。
「何すかー?アイドル活動してるとかですかー?」
下衆な笑い声が巻き起こっていた。
「マジ⁉︎最高やん‼︎」
「彼女は、白石さんは機能性発声障害という病気を患っています」
 下衆たちを完全に無視した荒垣先生の目には明確に怒りが現れていた。
「その為声を出すことが出来ません。コミュニケーションに最初は苦労するかもしれませんが、皆さん仲良くしてあげて下さい。では、呼んで来ます。」
 荒垣先生は極めて事務的にそう告げると教室を出て行った。一瞬の沈黙ののち、にわかに教室がざわめいた。
「喋られへんってことは耳も聞こえへんのかな?」
「手話とか?」
 今日のざわめきがピークに達っしようとしたまさにその時、力強くドアが開いた。

 



岬 灯。暗い海を照らす灯台の灯の様に、いつか出来る大切な人たちを照らしてほしい。海がきれいな港町で高校教師をしている父が彼に与えた名前だ。
 理想的な家族であったと思う。灯は幼い価値観の全てで父を尊敬していた。仕事への熱量は夜遅くに帰宅する父を見て。家族への想いは父を一途に支える母を見て推し量っていた。
「おかえりなさい。」
 母は全てを包み込むような笑顔で、いつも遅く帰って来る父を出迎えた。その光景は何よりも灯の心を落ち着かせた。
 お互いがお互いをなくてはならないものだと、思い合っていた。
 
あの日。あの事件がなければ。過不足なき愛は消えはしなかった

 灯が中学生2年の冬。その日は金曜日だった。年末の忘年会シーズン。街は1年の労をねぎらう人々であふれていた。
 その日は父も職場の忘年会があり、帰りが遅くなるそうだ。
 夕飯をいつものように2人で食べる。母と過ごす何気ないこの時間が灯は好きだった。
「学校は楽しい?」
「クラブしんどくない?」
「好きの子とかいないの?」
 いつも暖かく灯を見守っていた。
「好きな子なんかおらんよ。部活はきついけど楽しいよ。」
 少し突き放し気味で返す。
「そう。彼女が出来たら連れて来なさいね」
「連れて来るどころか出来ても言わんよ」
「何でよ」
少し残念そうに笑う。
 親父が母さんを選んだ理由が少しわかったような気がした。
 そんな2人の時間を遮るように家の電話がなった。
「岬さんのお宅でしょうか?」
母が応える。
「はい、そうですが?」
「私〇〇警察の佐藤と申します。実はお宅のご主人が痴漢で現行犯逮捕されました」


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