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第七章

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 ようやく元通りの学校生活が戻って来たというのが、慈愛の実感で、おそらくそれは間違っていない。

 学校の自室でコーヒーを飲みながら、慈愛は報告書の作成をしていた。

 キーボードの横には、二つに折れた観測者のカードがある。

 あの日の後、慈愛は観測者のカードの軌跡を追って、街が見える高台まで行ってみた。そこに残っていたのは、真新しい自動車の車輪の跡と、折れたカードだった。

 カードから吸い出せた情報は、三人の男がその場にいたこと。そのうちの一人が、<縁脈>への強引な介入を行ったことだった。

 三人の男は、どれも「強い」男だ。しかしその強さは八咫鴉の強さではない。人間としての、脅威的な強さだった。

 その強さをもってしても、通常の人間では<縁脈>に介入することはできない。八咫鴉の資質を持っているか、あるいは何らかの秘具を使ってのことか。

「心柱とはねえ。……道具は使いようってことかしらね」

 つぶやきながら、キーを叩く。カードの記録は秦悠大に送ってあるが、あれだけの情報から人物を特定することは難しいだろう。しかし、八咫鴉でない人間が<縁脈>に介入したとすれば、心柱を使ったと考えるのが自然であり、心柱を盗んだのは現真律世会だ。

 となると、現真律世会が心柱を使って、何らかの行動を始めたと考えるのが当然の帰結だ。

 よりによって、一般人を巻き込んで。

 カードの記録は秦悠大に送ってあるが、これだけの情報から原因を特定することは難しいだろう。

 終業のチャイムが鳴った。放課後が始まる。しなやかな生徒達の<縁脈>が、活発に活動を開始する。

 慈愛は報告書を書き終えて、秦悠大へと送信した。どうせ折り返しやってくる指令は分かりきっている。先手を打って動いてしまおう。

 慈愛は白衣を羽織って、部屋を出た。



 美香奈と二人でコンピュータ部の部室にいたら、白衣を着た慈愛がやってきた。

「丁度良いわ、二人ともちょっと座って」

「なんですか」

 千尋達は椅子を三角に並べ、顔を揃える。

「この前の天城さんのことだけど」

「天城さんがまた何か?」

「違うわ。<綻澱>が天城さんを汚染した原因――いいえ、そこまでは言い切れないわね。天城さんの<綻澱>を操ろうとした人間がいるみたいなの」

「それって、悪い人ですか!」

 美香奈が乗り出した。

「まあ、待って。順番に説明するわね。漢波羅のことは話したわよね。漢波羅が護っている、そうね、御神体みたいなものがあるの。三心柱と言って、三つの神器からなるんだけど、そのうちの一つが盗まれたの」

「誰が盗んだんですか?」

「現真律世会という組織があるの。これは八咫鴉とは関係ない、普通の人の集まりなんだけど、簡単に言ってしまうと、表の世界で権力を握っている人達ね」

「そんな人がどうして泥棒なんかするんですか」

「裏から神道を支えているのは、漢波羅だからよ。表の人達から見たら、目の上のコブなのでしょうね。現真律世会は盗んだ心柱を使って、この街で<縁脈>に介入して、天城さんを操ったらしいというところまで推測できているわ」

「はーい、先生。先生達は鴉外衆で、漢波羅から抜け出たんでしょ。だったら、そのナントカ会の人には協力したほうが良いんじゃないの?」

「鴉外衆が対立しているのは、裏神道の権力を維持することだけを考えている漢波羅の体質よ。現真律世会は同じように今の権力を強くしたいだけ。どっちもどっちね。でも、現真律世会は一般人の天城さんを巻き込んでしまった。これは鴉外衆として許せないわ」

「それで僕らはどうすればいいんですか?」

「そういう先回りした質問をする子、嫌いじゃないわ」

 慈愛は言葉を止め、二人の顔を見比べる。覚悟を決めるかのように、何度も何度も見比べる。

「二人に協力して欲しいの。現真律世会が何を計画しているのかは分からないけれど、鴉外衆の一員として、彼らからみんなを守って欲しい」

「やります」

 美香奈は即答した。

「私は、ちゃんと、力を使いたいです。ちゃんとした使い方を、教えて欲しいです。師匠!」

「いや、師匠って、あのね」

「だって師匠じゃないですか」

「まあ、そうだけど」

 弟子のほうがよっぽど覚悟が座っている様子に、慈愛は苦笑する。今度は千尋に目を移した。

「僕がいないと、誰が美香奈を止めるんですか」

「何よっ! 千尋がいなくても平気だもん」

「ふうん」

「なによう。なんかムカつくわ」

「千尋くん、いいのね」

「救うことなら、僕にも出来ると思うから」

 千尋は自分というものを、少しだけ考えてみた。きっと自分はどこまでも、こういう考え方しかできないのだろう。

 きっと自分たちの行く先には、幾つもの山が現れるだろう。慈愛だって師匠という人と一緒に、苦労したはずなんだ。高校生の自分たちが、前途洋々なんてあるはずもない。山そして山、越えても越えても山ばかり。

 それでも乗り越えられるんじゃないかという気がする。美香奈が一緒にいて、慈愛が自分たちを導いてくれるのなら。慈愛が先生として半人前なのは分かっているし、むしろ先生としては大丈夫なのかと言いたくなるくらいだけれど、きっとこの人は自分たちを導いてくれる。

 部室のドアががらりと開いて、部長の梶山が入ってきた。

「どうしたんですか、三人で首を揃えて」

「ちょっとね、相談事。――さあ、そういうことなら始めるわよ」

「何をです」

「ゼミの活動よ。姫末ゼミが、本格的に動き出すの」

「はーい、先生。勉強はあんまり」

「文句言わなーい。時間があるうちに、経験できることは経験しておきなさい」

 今の自分にどれだけの時間があるのかなんて、千尋には分からない。もしかしたら少しだけ離れた慈愛には、先が見えているのかもしれない。それなら尚のこと、慈愛は指針になってくれるはずだ。

「我らの前途に、多難あれ、ですか?」

 慈愛は余裕たっぷりに笑ってみせた。

「大丈夫よ。だって、乗り越えてみせるから、ね」

 古文書において、八咫鴉は道案内を果たしたという。

 彼らの八咫鴉は、どこに導いてくれるのだろうか。

 そして彼らは、誰を導いていけるだろう。

 そんなことを考えながら、千尋はほんの少しだけ、未来が視える気がした。

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