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アメジストの瞳の少年と泣き虫ヴィオラ
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どこまでも続く広大な林の中に色とりどりの花々が咲き乱れている。
ところどころに点在する大理石の台座の上には子供一人分くらいすっぽり入りそうな大きな花瓶がおいてあり、花瓶に描かれた精緻な動物たちが今にも飛び出してきそうなくらい写実的だ。そこにもランやユリやバラなど様々な花々が入れられこの世のものとは思えないほど幻想的な雰囲気を醸し出す。
だが道に迷った状態のヴィオラには霧が立ちこもる美しい庭園ですら、真っ暗で人一人いない場所であることから恐怖の対象にしかならなかった。
「……うっ…ひっ……ううっ」
声を抑えても誰一人いないその場所には、ヴィオラ一人きりで不安だけがどんどん増していく。
「どこにいるの。おかあさん。お母様」
たった一人の母が亡くなり、誰一人頼る人もいなくなった。
『おはよう、ヴィオラちゃん。お使いしてるんだ。おりこうだね』
『たくさんとれたんだ。ジャガイモ持っていくかい』
いつも声をかけてくれた近所の優しいおばさんやおじさんもここには誰もいない。
誰も誰もここにはいない。ヴィオラを見てくれる人も声をかけてくれる人も誰もいない。
その時、王宮から笑いさざめく人々の声が微かに聞こえてきた。しばらくするとオーケストラの弾んだ曲も聞こえてきた。
薄暗くなってきたヴィオラの周囲の庭もほんのりと色づくくらい宴の明かりがところどころにあって、恐怖心でいっぱいだったヴィオラの中にあったほんの少しの好奇心をたきつけた。
わずかに聞こえる楽しそうな曲に誘われて音の方向へと歩き始める。
この場所に来てからから初めてだった。夜遅く暗くなってからヴィオラが住む小さな家の外に出るのは。
でも初めて来た庭だったから迷ってしまった。広大すぎて元の場所に戻れない。王宮の反対方向に行けばヴィオラの住んでいる場所まで行けるはずなのに、行けども行けどもそこは見つからなかった。
どんなに泣いてもここでは誰も助けてはくれない。そんなことはヴィオラ自体すでに十分に理解できていた。
それでも誰かに助けを求めたかった。
「おかあさん」
思わず呟いた。
「どうかしたの?」
顔を上げると顔のすぐ近くにアメジストにも似た宝石がキラキラと輝いていた。
「え…」
こんな吸い込まれるほど綺麗な紫の瞳は見たことがない。
ヴィオラの国は黒、茶色、よくて緑の瞳がほとんどだ。
「君は誰?」
アメジストが瞬いた。
「私はヴィオラ。迷ったの。戻れない」
「どこに戻ろうと思っている? 君の家はどこにあるの?」
王宮に連れて行けばいいのかな、と少年は小さくつぶやいた。
「私のおうちはここからまっすぐ行ったところ。お父さんは……一緒に住んでいない。お母さんはなくなったの。ヴィオラ一人だけだよ。一人だけで住んでる」
「一人だけ……一人だけで、か。じゃあ、ちょっと僕と話そう」
アメジストの瞳の少年の優しい笑顔を見てヴィオラは理由もなく安心する。
それからヴィオラは自分の身の上を話した。お母さんがなくなり引き取られたこと。一人で住んでいること。 話しかけても誰も話をしてくれないこと。いつも一人きりなこと。
少年も騎士の中に混じって剣の練習をしていること。誰にも負けない強い剣士になりたいと思っていることを話してくれた。
「ここはとてもきれいなところよ。お姉さまもいるんだって。リコリスお姉さまっていってすごくきれいな人なんだって。会ってみたいけどヴィオラは平民だからダメだって。お兄様は会ったことがある。この前来てくれた。『汚い家だな。なんで侍女もいないんだ』って言ってた。ちょっと意地悪だった。だけどね、もう帰りたい。元のところに」
「元のところがいいのか、ヴィオラは」
「うん。ここはね誰もヴィオラのことに気づかないの。話しかけても笑いかけてもヴィオラのこと見てくれない。この前ね、頭が痛くてダイニングで倒れちゃったの。次の日の朝、掃除をしに来たお姉さんに怒られちゃった。具合が悪いときは言ってくださいって。でも誰に何を言っても聞いてくれないんだよ。ヴィオラが話すこと聞いてくれたのお兄様だけ。それと今話を聞いているからお兄ちゃんもだね」
首を横に傾げたヴィオラがその少年に話しかけると少年は困ったように笑い俯いた。
「……じゃあ、もうしばらくして僕がヴィオラを迎えに来たらヴィオラは僕のところに来る?」
「お迎えに来てくれたら、ヴィオラともっとお話ししてくれる?」
「今も話をしているよ」
「本当だ。こんなに話したの久しぶり。ヴィオラのこと意地悪しない?」
「しないよ。ヴィオラはどこの誰よりもかわいくてきれいだよ。だから絶対に意地悪したりしない。もうしばらくして僕が誰よりも強くなったらヴィオラを守る騎士になるよ」
「本当? 騎士になるの? すごいね」
ヴィオラは少年に向かって満面の笑みで笑った。
ヴィオラが王宮にやってきて初めて浮かんだ全開の笑顔だった。
それからヴィオラが今どうやって過ごしているのかを話した後、市井にいるときの暮らしや母のことを話した。
しばらくして少年を探しに来た侍従に付き添われてヴィオラは自分の小さな家に戻ることができた。あの少年が一体誰だったのかヴィオラは知らない。
夢だったのかもしれない。
夢じゃなく現実だったのかもしれない。
何度も何度も思い出して、少年と出会った場所まで何度も足を運んだ。また会いたくて。
けれどもう二度と少年と出会うことはなかった。
しばらくして、あれは誰かに助けてもらいたいという願望が見せた夢だったのだとヴィオラは思うようになった。だってすごく綺麗な少年だったから。妖精だったのかもしれない。
数日して、初めて出会った威厳のあるお父さんはヴィオラを一目見ただけで表情も変えず一言も発さず去っていった。その人を周りの人は『王様』と呼んでいた。
見たこともない豪華なドレスを着た新しいお母さんは「なぜこんな子が」と落胆した声を上げ目を吊り上げてヴィオラを見ていた。その人が『王妃様』だった。
絵本の王子様のような兄は「きったないやつだな」と興味なさそうに言い、
綺麗で優しいと評判だったお姫様のような姉は「今更私に妹とかいるわけないでしょう。しかも平民だなんて汚らしい。いやだ。本当に恥ずかしいわ、あなたが妹だなんて。どうしてこんなことがあるの。私のほうには近づかないで」と嫌そうに言い放った。誰からも愛される『リコリス王女』は優しく可愛らしい素直で純真で可憐な姫君だと噂だったのに。
この人たちが王様と王妃様と王子様とお姫様だった。
私の家族と言われたが、近所の人より近寄りづらく話しかけづらかった。
母と離れてからヴィオラに話しかける人は誰もいなくなった。
ヴィオラのそばを若い女の人や男の人が通りかかった時に話しかけても無視をされた。
ヴィオラの住むところからはお城が見えた。お城はとても大きくて高くて広いようだった。そこには王様たち家族が住んでいるということだった。
ヴィオラが住む小さな作業小屋のような家の前には大きな大きな林があり、その側には広大すぎるほどの庭園が広がっていた。
ヴィオラの住む離宮という名前の家には日中お城からヴィオラのためのご飯が一日3食運ばれてきて、掃除のための女中が数人来るだけで夜になればヴィオラ一人になった。
冬には朝と昼に暖炉に薪をくべたり屋敷の管理をする人が一人来た。
誰も話しかけてくれなかった。
ヴィオラは思い出の少年の声も顔も少しずつ忘れていった。
誰もヴィオラの側には来てくれなかった。
あの少年は夢だったのだと思うようになった。
1年ほどたつとヴィオラに家庭教師やマナー、ダンスの教師がつけられるようになり、少しずつ人と話すこともできるようになった。話すというより相手をしてもらえるようになった。
マナーやダンス、勉強の時だけは王宮に入ることを許された。
もしもの時を考えてだろう、勉強だけはしっかり教えてもらえた。
最初は優しい先生ばかりだったが途中から厳しい先生に全員変わった。理由はリコリス王女が厳しい先生を『先生が私に意地悪をする』と王妃に相談をしたとかで、厳しい先生たちがヴィオラ付きの先生になって誰よりも厳しくしっかりしたマナー、勉強を身に着けることができた。
厳しい先生たちだがヴィオラにとっては話すことができる人たち、ヴィオラの努力を誰よりも評価してくれる人たちということで慕うに十分な人たちだった。
毎日が楽しくなった。
ところどころに点在する大理石の台座の上には子供一人分くらいすっぽり入りそうな大きな花瓶がおいてあり、花瓶に描かれた精緻な動物たちが今にも飛び出してきそうなくらい写実的だ。そこにもランやユリやバラなど様々な花々が入れられこの世のものとは思えないほど幻想的な雰囲気を醸し出す。
だが道に迷った状態のヴィオラには霧が立ちこもる美しい庭園ですら、真っ暗で人一人いない場所であることから恐怖の対象にしかならなかった。
「……うっ…ひっ……ううっ」
声を抑えても誰一人いないその場所には、ヴィオラ一人きりで不安だけがどんどん増していく。
「どこにいるの。おかあさん。お母様」
たった一人の母が亡くなり、誰一人頼る人もいなくなった。
『おはよう、ヴィオラちゃん。お使いしてるんだ。おりこうだね』
『たくさんとれたんだ。ジャガイモ持っていくかい』
いつも声をかけてくれた近所の優しいおばさんやおじさんもここには誰もいない。
誰も誰もここにはいない。ヴィオラを見てくれる人も声をかけてくれる人も誰もいない。
その時、王宮から笑いさざめく人々の声が微かに聞こえてきた。しばらくするとオーケストラの弾んだ曲も聞こえてきた。
薄暗くなってきたヴィオラの周囲の庭もほんのりと色づくくらい宴の明かりがところどころにあって、恐怖心でいっぱいだったヴィオラの中にあったほんの少しの好奇心をたきつけた。
わずかに聞こえる楽しそうな曲に誘われて音の方向へと歩き始める。
この場所に来てからから初めてだった。夜遅く暗くなってからヴィオラが住む小さな家の外に出るのは。
でも初めて来た庭だったから迷ってしまった。広大すぎて元の場所に戻れない。王宮の反対方向に行けばヴィオラの住んでいる場所まで行けるはずなのに、行けども行けどもそこは見つからなかった。
どんなに泣いてもここでは誰も助けてはくれない。そんなことはヴィオラ自体すでに十分に理解できていた。
それでも誰かに助けを求めたかった。
「おかあさん」
思わず呟いた。
「どうかしたの?」
顔を上げると顔のすぐ近くにアメジストにも似た宝石がキラキラと輝いていた。
「え…」
こんな吸い込まれるほど綺麗な紫の瞳は見たことがない。
ヴィオラの国は黒、茶色、よくて緑の瞳がほとんどだ。
「君は誰?」
アメジストが瞬いた。
「私はヴィオラ。迷ったの。戻れない」
「どこに戻ろうと思っている? 君の家はどこにあるの?」
王宮に連れて行けばいいのかな、と少年は小さくつぶやいた。
「私のおうちはここからまっすぐ行ったところ。お父さんは……一緒に住んでいない。お母さんはなくなったの。ヴィオラ一人だけだよ。一人だけで住んでる」
「一人だけ……一人だけで、か。じゃあ、ちょっと僕と話そう」
アメジストの瞳の少年の優しい笑顔を見てヴィオラは理由もなく安心する。
それからヴィオラは自分の身の上を話した。お母さんがなくなり引き取られたこと。一人で住んでいること。 話しかけても誰も話をしてくれないこと。いつも一人きりなこと。
少年も騎士の中に混じって剣の練習をしていること。誰にも負けない強い剣士になりたいと思っていることを話してくれた。
「ここはとてもきれいなところよ。お姉さまもいるんだって。リコリスお姉さまっていってすごくきれいな人なんだって。会ってみたいけどヴィオラは平民だからダメだって。お兄様は会ったことがある。この前来てくれた。『汚い家だな。なんで侍女もいないんだ』って言ってた。ちょっと意地悪だった。だけどね、もう帰りたい。元のところに」
「元のところがいいのか、ヴィオラは」
「うん。ここはね誰もヴィオラのことに気づかないの。話しかけても笑いかけてもヴィオラのこと見てくれない。この前ね、頭が痛くてダイニングで倒れちゃったの。次の日の朝、掃除をしに来たお姉さんに怒られちゃった。具合が悪いときは言ってくださいって。でも誰に何を言っても聞いてくれないんだよ。ヴィオラが話すこと聞いてくれたのお兄様だけ。それと今話を聞いているからお兄ちゃんもだね」
首を横に傾げたヴィオラがその少年に話しかけると少年は困ったように笑い俯いた。
「……じゃあ、もうしばらくして僕がヴィオラを迎えに来たらヴィオラは僕のところに来る?」
「お迎えに来てくれたら、ヴィオラともっとお話ししてくれる?」
「今も話をしているよ」
「本当だ。こんなに話したの久しぶり。ヴィオラのこと意地悪しない?」
「しないよ。ヴィオラはどこの誰よりもかわいくてきれいだよ。だから絶対に意地悪したりしない。もうしばらくして僕が誰よりも強くなったらヴィオラを守る騎士になるよ」
「本当? 騎士になるの? すごいね」
ヴィオラは少年に向かって満面の笑みで笑った。
ヴィオラが王宮にやってきて初めて浮かんだ全開の笑顔だった。
それからヴィオラが今どうやって過ごしているのかを話した後、市井にいるときの暮らしや母のことを話した。
しばらくして少年を探しに来た侍従に付き添われてヴィオラは自分の小さな家に戻ることができた。あの少年が一体誰だったのかヴィオラは知らない。
夢だったのかもしれない。
夢じゃなく現実だったのかもしれない。
何度も何度も思い出して、少年と出会った場所まで何度も足を運んだ。また会いたくて。
けれどもう二度と少年と出会うことはなかった。
しばらくして、あれは誰かに助けてもらいたいという願望が見せた夢だったのだとヴィオラは思うようになった。だってすごく綺麗な少年だったから。妖精だったのかもしれない。
数日して、初めて出会った威厳のあるお父さんはヴィオラを一目見ただけで表情も変えず一言も発さず去っていった。その人を周りの人は『王様』と呼んでいた。
見たこともない豪華なドレスを着た新しいお母さんは「なぜこんな子が」と落胆した声を上げ目を吊り上げてヴィオラを見ていた。その人が『王妃様』だった。
絵本の王子様のような兄は「きったないやつだな」と興味なさそうに言い、
綺麗で優しいと評判だったお姫様のような姉は「今更私に妹とかいるわけないでしょう。しかも平民だなんて汚らしい。いやだ。本当に恥ずかしいわ、あなたが妹だなんて。どうしてこんなことがあるの。私のほうには近づかないで」と嫌そうに言い放った。誰からも愛される『リコリス王女』は優しく可愛らしい素直で純真で可憐な姫君だと噂だったのに。
この人たちが王様と王妃様と王子様とお姫様だった。
私の家族と言われたが、近所の人より近寄りづらく話しかけづらかった。
母と離れてからヴィオラに話しかける人は誰もいなくなった。
ヴィオラのそばを若い女の人や男の人が通りかかった時に話しかけても無視をされた。
ヴィオラの住むところからはお城が見えた。お城はとても大きくて高くて広いようだった。そこには王様たち家族が住んでいるということだった。
ヴィオラが住む小さな作業小屋のような家の前には大きな大きな林があり、その側には広大すぎるほどの庭園が広がっていた。
ヴィオラの住む離宮という名前の家には日中お城からヴィオラのためのご飯が一日3食運ばれてきて、掃除のための女中が数人来るだけで夜になればヴィオラ一人になった。
冬には朝と昼に暖炉に薪をくべたり屋敷の管理をする人が一人来た。
誰も話しかけてくれなかった。
ヴィオラは思い出の少年の声も顔も少しずつ忘れていった。
誰もヴィオラの側には来てくれなかった。
あの少年は夢だったのだと思うようになった。
1年ほどたつとヴィオラに家庭教師やマナー、ダンスの教師がつけられるようになり、少しずつ人と話すこともできるようになった。話すというより相手をしてもらえるようになった。
マナーやダンス、勉強の時だけは王宮に入ることを許された。
もしもの時を考えてだろう、勉強だけはしっかり教えてもらえた。
最初は優しい先生ばかりだったが途中から厳しい先生に全員変わった。理由はリコリス王女が厳しい先生を『先生が私に意地悪をする』と王妃に相談をしたとかで、厳しい先生たちがヴィオラ付きの先生になって誰よりも厳しくしっかりしたマナー、勉強を身に着けることができた。
厳しい先生たちだがヴィオラにとっては話すことができる人たち、ヴィオラの努力を誰よりも評価してくれる人たちということで慕うに十分な人たちだった。
毎日が楽しくなった。
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