9 / 33
第9話【デリートマンの葛藤③】
しおりを挟む
転がりこむように玄関へ出ると、目の前に木岡が立っていた。
「おう田坂。お前、何やってんだ?」
木岡の声だ。あの病院で見た廃人のような木岡ではない。自分が大好きな、記憶の中の元気な木岡だった。
「木岡さん…」
声が震えていた。
「遅くなって悪かったな。あれ、お前、泣いてるのか?」
木岡を実際に見ると、様々な思いが涙という形であふれだした。
「ゆうくんお帰りー、今日、田坂くん変なのよ」
京子も玄関まで迎えに出てきた。
「そうみたいだな。田坂、とりあえず中入ろう」
ポンと田坂の肩をたたき、リビングへむかう木岡。二人もそれに続く。
「美菜は寝た?」
「うん。9時過ぎくらいに。今日は疲れてたからすぐ寝ちゃった」
「そうか」
木岡がちらっと時計に目をやる、10時を少し過ぎたところだった。
「飲み始めたのが6時くらいだったからもう少し早く帰ってきたかったけど、課長が離してくれなくてさ。お前はほんとによくやってくれてる。って何回も何回も言われて。課長なりに気を使ってくれてるのがわかったから、切り上げにくくなっちゃって」
「門脇さん、ほんとにゆうくんに感謝してるんだね」
「うん。それが凄く伝わってきてさ、課長も大変だろうに・・・おい田坂。お前いつまで突っ立って泣いてんだ。座ってゆっくりしろよ」
「はい…」
声にならない声でそう答え、田坂は椅子に座った。
「田坂くん、だいじょうぶー?」
京子が向かいに座り、おれの顔を覗き込む。
「田坂、飲みすぎたのか?いや、飲んで泣くようなやつじゃないな。あれ、そのワインは?」
おれが持ってきたワインを見て木岡が聞く。
「田坂くんが持ってきてくれたんだよ。突然電話して、突然おしかけて悪いからって。美味しくいただいちゃった」
「田坂、お前は弟みたいなもんだっていつも言ってるだろ。突然だろうが何だろうが、変な気を使わなくていい」
「ほら、言われちゃった」
京子が田坂を見て微笑む。
「でも、気持ちは嬉しいよ。ありがとうな」
「はい…」
まだちゃんと声にならない。ここは温かい、温か過ぎる。この空間にいると、自分のしたことは間違いではないと思えてくる。
「せっかくだし、オレもワインいただこうかな」
木岡が上着を脱ぎ、ネクタイを緩めて京子の横に座る。京子がグラスを用意し、ワインつぐ。
「じゃあ、あらためて乾杯しようか。田坂、久しぶり感まったくないけどいらっしゃい」
木岡が笑ってそう言い、3人がグラスを合わせる。
「でも、三人でこうやって飲むの久しぶりだよ。いつも二人で難しい話してるから、私蚊帳の外にされるもん」
京子がすねるそぶりを見せる。
「そうか、そういえば田坂とは仕事の話することが多くなったからな。今日は仕事の話はなしにしよう。そういえば田坂、突然連絡くれたみたいだけど、なんかあったのか?お前の様子見てると、いつもと違うのはわかるけどな。このワイン、美味いな」
ワインを一口飲んで、木岡が尋ねる。
「はい。いや、いえ…聞きたいことがあったんですけど、京子さんに全部聞けました。あと、元気な木岡さんを見たかったので、見れて安心しました」
「今日、田坂くんね。あたりまえのことばっかり聞くんだよ。田坂くんも知ってるようなことばっかり」
今ここにいる自分は知らないことだらけなのだが、京子からすればそうだろう。
「そうなのか。オレの元気な姿って、いつも元気だろ?おかしなやつだな。まあいい。ここでこうやってゆっくり飲むのは久しぶりだし、田坂が来てくれるとおれたちも嬉しいんだ、遠慮せずにゆっくりしてってくれ」
「はい。ありがとうございます」
それからは、三人で他愛もない話を続けていたのだが、三人揃って、笑って話せていることが田坂には夢のように思えた。2年前、病室で廃人になった木岡を見たときからは、想像できない光景だった。
「でね、美菜も来年から小学校に通うし、私も在宅の仕事探して働こうかと思うの」
京子の仕事の話になっていた。
「オレも探してみてるんだけど、出版社にいたからそういった経験が活かせそうな仕事があるんだよ。京子が働きたいっていうなら、やりたいようにやらせてあげたいんだ」
木岡らしいなと田坂は思った。絶対に自分のことより京子さんや家族のことを第一に考える人だ。
(そうだ。堀越さんの会社)
堀越の会社がどうなっているか京子に聞こうと思って忘れていた。なくなってなどないはずだ。
「京子さん、話変わるんですけど、ちょっと聞きたいことがあって」
「うん。何かな?」
「京子さん、出版社で働いてたとき、担当している雑誌でIT関連企業特集みたいな企画なかったでしたっけ?」
「そういえば、そんなのあったね。私、そんな話田坂くんにしたっけ?自分でも忘れてたわ」
「あったあった。おれたちがまだ付き合ってる頃だ。京子がIT関連のエリートたちに取材に行くって張り切ってたから、オレも覚えてるよ」
木岡も覚えていたようだ。もし堀越がいれば、この取材がきっかけで京子を堀越に奪われてしまうのだが、そんなことを木岡が知る由もない。
「少し気になるIT関連の会社があって調べてるんですが、ネットだと何も情報出てこなくて、京子さんなら何か知ってるかなと思いまして」
「もうずいぶん前の話だけど、取材した会社とか、勢いのあったベンチャー企業とかなら覚えてるかなぁ。何て会社かな?」
堀越たちが立ちあげた社名を京子に告げた。
「もしかしたら社名が違うかもしれません。でも、20年くらい前に数人で始めたベンチャー企業で、京子さんの雑誌で特集を組んだ当時、既に有名だったはずです。有名でなくても、勢いはあったはずなんです」
質問というより願望に変わっていた。
「う~ん。覚えてるような、覚えてないような。ちょっと当時の取材記録調べてくるね」
そういって京子はリビングを出ていった。
「すみません。お手数かけます」
「京子は取材の仕事が好きだったから、こういった調べものをめんどくさいとかは思わないよ。気にすることはない。飲んで待ってよう。でも、どんな会社なんだ?」
木岡に聞かれるが、返答に困った。日本を代表するIT企業になっていたはずの会社です。とは言えない。
「直接の知り合いではないのですが、ITのスペシャリストみたいな方ばかりが数人で立ち上げた会社なんです。みんな頭が良い人たちばかりで。風の噂で最初は順調だったと聞いてたんですが、その後どうなったかわからなくて、直接の知り合いでもないから連絡も取れなくて、社名も曖昧なんです」
苦しい説明だなと自分で思ったが、木岡は気にしなかったようだ。
「そうなのか。でもそういったIT関連のベンチャー企業とかたくさんあるんじゃないのか?調べて何も出てこないんだったら、なくなってるんじゃないのか?」
(なくなることなんかないはずだ。日本を代表するIT企業にまで成長して、学生の就職したい企業ランキング常に上位の会社だ。なくなるわけがない)
自分でそう思いながらも、その可能性を完全には否定できなかった。
京子がリビングに戻ってきた。
「すみません京子さん、お手数おかけして」
「いいよ。そんなに手間じゃなかった。取材記録から出てきた会社で一つ気になるのがあった。聞いてる社名とは違うけど似てる社名で○○って会社。設立は20年前。数人で立ち上げたベンチャー企業で、当時確かに勢いがあった」
そう言いながら、当時の資料を出してくれた。社名、頭の部分が少し違ったが、おそらくこの企業だろうと思った。設立時期、数人で立ち上げたベンチャー企業という点も一致する。しかし、京子が取材を担当した者の名前は「須永」となっていた。
堀越がいたときは当時既に有名企業になっていたが、堀越がいないことで当時まだ「勢いのあるベンチャー企業」にとどまっていたのかもしれない。
「この会社って今どうなってるかわかりますか?」
「当時勢いがあったんだよ。この会社、私が取材にいったからよく覚えてる。担当した人が「僕たちは日本を代表するIT企業になる」って言ってた。でもね、今はもうつぶれちゃったよ。確か、この取材の5年くらい後だったと思う」
(つぶれた?今はもうない?いや、そんなはずはない。やっぱり違う会社かもしれない)
「やっぱり、違う会社かもしれません。僕が気になっている会社は、人気ポータルサイトの立ちあげや、ブログサービス、ゲームなど、幅広く展開していったはずなので」
「じゃあ違うかもね。ポータルサイトの立ち上げはやろうとしてたみたいだけど、ブログサービスやゲームみたいな話はなかったから」
確かに京子の取材記録には事業計画の中にブログやゲームといったサービスは含まれてなかった。
「お手数おかけしてすみませんでした。」
「ぜんぜんいいよ。私も当時のこと思い出せて楽しかった。当時、何社が取材したけどこの会社の担当の人が一番勢いあったんだよ。でも、勢いだけでは会社は成り立たないんだなと思ったもん。やっぱり大きくなるには戦略が不可欠で、この会社にはそういう戦略を考える参謀役的な人がいなかったんだなと思う」
「戦略を考える参謀役的な人」というフレーズを聞いて、なぜか真っ先に堀越信也が出てきた。
(もし、堀越さんが参謀役だったら、会社は…)
「田坂、ほんとうに違う会社か?直接の知り合いでなくても、立ち上げメンバーの名前はわかるんじゃないのか?」
そう、掛橋だ。木岡にそう言われ、社長の掛橋を思い出したが、取材の相手は須永となっていた。
「京子さん、当時取材された方、須永って人ですが、この人が社長でしかたか?」
「いや、違うと思う。その人も幹部だったけど、社長は違う人って言ってた気がする」
「社長の名前、わかりますか?」
「京子、その社長が田坂の知り合いかもしれないんだ」
木岡が続けてくれる。しばらく考え込んだ京子が「そうだ」と立ち上がった。
「取材の内容まとめたものはそれだけなんだけど、元にするのは相手の話を書きこんだ手帳なの。取材中は相手の話をひたすら手帳に書き込んでいくから。そこに書いたかもしれない。ちょっと待ってて」
再び京子がリビングから出ていく。
「田坂、社長の名前はわかるのか?」
木岡が心配そうに聞く。
「掛橋さんって人です」
「そうか、直接でないにしても知り合いの会社だ。お前がつぶれていてほしくないという気持ちもわかるが、可能性がある以上はっきりさせておいた方がいいんじゃないかと思う」
確かにそうだ。少しの間沈黙があった。その沈黙の中、京子が戻ってくる。
「あったよ。手帳に書いてた」
(お願いだから違う名前を言ってくれ)
そう願っていたが、結果は残酷だった。
「掛橋さんって人だよ、かなりのやり手だって話を聞いた須永さんが言ってた」
目の前が真っ暗になった。
(オレは二人の幸せと引き換えに、この国を代表する優良企業を消してしまった。いったい、どれくらいの損失になるんだ…)
想像もつかなかった。想像したくなかったのかもしれない。堀越たちの会社が生み出したサービスを生活のの一部としていた人たちは数えきれないほどいた。人々の暮らしに完全に溶け込んでいた。
(おれは…なんてことを…)
「田坂、大丈夫か?顔色が悪いぞ」
ほんのさっきまでは、自分がしたことに自信を持てていたはずだった。でも、今は。
「木岡さん、京子さん、すみません。おれ、今日は帰ります」
「田坂、ショックなのはわかるけど、今日はもう遅い。泊っていって明日ゆっくり帰ればいい」
「そうよ田坂くん。今から帰られる方が心配だよ」
二人がそう言ってくれるが、二人の優しさが今はつらかった。
「ちょっと一人で考えたくて。まだ終電ありますし。今日は突然来たくせに、突然帰ってすみません」
それでも二人は引きとめてくれたが、半ば二人を振り払うようにして家を後にした。
(おれのやったことは良いことなのか?悪いことなのか?もう…わからない)
駅へ向かう途中、真っ暗な空を見上げながらそう思った。
(木岡と京子の笑顔と優良IT企業の消滅。これを天秤にかけて判断するのか?そんなのどうやって判断するんだよ。できっこない。オレにそんな判断できない)
「・・・さか。おーい!田坂!!」
声に気づき、振り返ると木岡がすぐ後ろまで来ていた。
「駅まで送るよ。今日のお前やっぱり変だからさ。心配なんだ。何か、俺たちにも言えない重大な悩みがあるんだろう。無理に相談してくれとも言わないから、せめて駅まで送らせてくれ」
そう言って木岡は笑った。
(この笑顔取り戻したくてオレはやったんだ。この笑顔に対してどれほどの損害なら釣り合うのか、誰か教えてくれ)
木岡に肩をたたかれ、また涙があふれてきた。しかし、その涙は先ほど木岡の家で流した純粋な嬉し涙とは違っていた。
「おう田坂。お前、何やってんだ?」
木岡の声だ。あの病院で見た廃人のような木岡ではない。自分が大好きな、記憶の中の元気な木岡だった。
「木岡さん…」
声が震えていた。
「遅くなって悪かったな。あれ、お前、泣いてるのか?」
木岡を実際に見ると、様々な思いが涙という形であふれだした。
「ゆうくんお帰りー、今日、田坂くん変なのよ」
京子も玄関まで迎えに出てきた。
「そうみたいだな。田坂、とりあえず中入ろう」
ポンと田坂の肩をたたき、リビングへむかう木岡。二人もそれに続く。
「美菜は寝た?」
「うん。9時過ぎくらいに。今日は疲れてたからすぐ寝ちゃった」
「そうか」
木岡がちらっと時計に目をやる、10時を少し過ぎたところだった。
「飲み始めたのが6時くらいだったからもう少し早く帰ってきたかったけど、課長が離してくれなくてさ。お前はほんとによくやってくれてる。って何回も何回も言われて。課長なりに気を使ってくれてるのがわかったから、切り上げにくくなっちゃって」
「門脇さん、ほんとにゆうくんに感謝してるんだね」
「うん。それが凄く伝わってきてさ、課長も大変だろうに・・・おい田坂。お前いつまで突っ立って泣いてんだ。座ってゆっくりしろよ」
「はい…」
声にならない声でそう答え、田坂は椅子に座った。
「田坂くん、だいじょうぶー?」
京子が向かいに座り、おれの顔を覗き込む。
「田坂、飲みすぎたのか?いや、飲んで泣くようなやつじゃないな。あれ、そのワインは?」
おれが持ってきたワインを見て木岡が聞く。
「田坂くんが持ってきてくれたんだよ。突然電話して、突然おしかけて悪いからって。美味しくいただいちゃった」
「田坂、お前は弟みたいなもんだっていつも言ってるだろ。突然だろうが何だろうが、変な気を使わなくていい」
「ほら、言われちゃった」
京子が田坂を見て微笑む。
「でも、気持ちは嬉しいよ。ありがとうな」
「はい…」
まだちゃんと声にならない。ここは温かい、温か過ぎる。この空間にいると、自分のしたことは間違いではないと思えてくる。
「せっかくだし、オレもワインいただこうかな」
木岡が上着を脱ぎ、ネクタイを緩めて京子の横に座る。京子がグラスを用意し、ワインつぐ。
「じゃあ、あらためて乾杯しようか。田坂、久しぶり感まったくないけどいらっしゃい」
木岡が笑ってそう言い、3人がグラスを合わせる。
「でも、三人でこうやって飲むの久しぶりだよ。いつも二人で難しい話してるから、私蚊帳の外にされるもん」
京子がすねるそぶりを見せる。
「そうか、そういえば田坂とは仕事の話することが多くなったからな。今日は仕事の話はなしにしよう。そういえば田坂、突然連絡くれたみたいだけど、なんかあったのか?お前の様子見てると、いつもと違うのはわかるけどな。このワイン、美味いな」
ワインを一口飲んで、木岡が尋ねる。
「はい。いや、いえ…聞きたいことがあったんですけど、京子さんに全部聞けました。あと、元気な木岡さんを見たかったので、見れて安心しました」
「今日、田坂くんね。あたりまえのことばっかり聞くんだよ。田坂くんも知ってるようなことばっかり」
今ここにいる自分は知らないことだらけなのだが、京子からすればそうだろう。
「そうなのか。オレの元気な姿って、いつも元気だろ?おかしなやつだな。まあいい。ここでこうやってゆっくり飲むのは久しぶりだし、田坂が来てくれるとおれたちも嬉しいんだ、遠慮せずにゆっくりしてってくれ」
「はい。ありがとうございます」
それからは、三人で他愛もない話を続けていたのだが、三人揃って、笑って話せていることが田坂には夢のように思えた。2年前、病室で廃人になった木岡を見たときからは、想像できない光景だった。
「でね、美菜も来年から小学校に通うし、私も在宅の仕事探して働こうかと思うの」
京子の仕事の話になっていた。
「オレも探してみてるんだけど、出版社にいたからそういった経験が活かせそうな仕事があるんだよ。京子が働きたいっていうなら、やりたいようにやらせてあげたいんだ」
木岡らしいなと田坂は思った。絶対に自分のことより京子さんや家族のことを第一に考える人だ。
(そうだ。堀越さんの会社)
堀越の会社がどうなっているか京子に聞こうと思って忘れていた。なくなってなどないはずだ。
「京子さん、話変わるんですけど、ちょっと聞きたいことがあって」
「うん。何かな?」
「京子さん、出版社で働いてたとき、担当している雑誌でIT関連企業特集みたいな企画なかったでしたっけ?」
「そういえば、そんなのあったね。私、そんな話田坂くんにしたっけ?自分でも忘れてたわ」
「あったあった。おれたちがまだ付き合ってる頃だ。京子がIT関連のエリートたちに取材に行くって張り切ってたから、オレも覚えてるよ」
木岡も覚えていたようだ。もし堀越がいれば、この取材がきっかけで京子を堀越に奪われてしまうのだが、そんなことを木岡が知る由もない。
「少し気になるIT関連の会社があって調べてるんですが、ネットだと何も情報出てこなくて、京子さんなら何か知ってるかなと思いまして」
「もうずいぶん前の話だけど、取材した会社とか、勢いのあったベンチャー企業とかなら覚えてるかなぁ。何て会社かな?」
堀越たちが立ちあげた社名を京子に告げた。
「もしかしたら社名が違うかもしれません。でも、20年くらい前に数人で始めたベンチャー企業で、京子さんの雑誌で特集を組んだ当時、既に有名だったはずです。有名でなくても、勢いはあったはずなんです」
質問というより願望に変わっていた。
「う~ん。覚えてるような、覚えてないような。ちょっと当時の取材記録調べてくるね」
そういって京子はリビングを出ていった。
「すみません。お手数かけます」
「京子は取材の仕事が好きだったから、こういった調べものをめんどくさいとかは思わないよ。気にすることはない。飲んで待ってよう。でも、どんな会社なんだ?」
木岡に聞かれるが、返答に困った。日本を代表するIT企業になっていたはずの会社です。とは言えない。
「直接の知り合いではないのですが、ITのスペシャリストみたいな方ばかりが数人で立ち上げた会社なんです。みんな頭が良い人たちばかりで。風の噂で最初は順調だったと聞いてたんですが、その後どうなったかわからなくて、直接の知り合いでもないから連絡も取れなくて、社名も曖昧なんです」
苦しい説明だなと自分で思ったが、木岡は気にしなかったようだ。
「そうなのか。でもそういったIT関連のベンチャー企業とかたくさんあるんじゃないのか?調べて何も出てこないんだったら、なくなってるんじゃないのか?」
(なくなることなんかないはずだ。日本を代表するIT企業にまで成長して、学生の就職したい企業ランキング常に上位の会社だ。なくなるわけがない)
自分でそう思いながらも、その可能性を完全には否定できなかった。
京子がリビングに戻ってきた。
「すみません京子さん、お手数おかけして」
「いいよ。そんなに手間じゃなかった。取材記録から出てきた会社で一つ気になるのがあった。聞いてる社名とは違うけど似てる社名で○○って会社。設立は20年前。数人で立ち上げたベンチャー企業で、当時確かに勢いがあった」
そう言いながら、当時の資料を出してくれた。社名、頭の部分が少し違ったが、おそらくこの企業だろうと思った。設立時期、数人で立ち上げたベンチャー企業という点も一致する。しかし、京子が取材を担当した者の名前は「須永」となっていた。
堀越がいたときは当時既に有名企業になっていたが、堀越がいないことで当時まだ「勢いのあるベンチャー企業」にとどまっていたのかもしれない。
「この会社って今どうなってるかわかりますか?」
「当時勢いがあったんだよ。この会社、私が取材にいったからよく覚えてる。担当した人が「僕たちは日本を代表するIT企業になる」って言ってた。でもね、今はもうつぶれちゃったよ。確か、この取材の5年くらい後だったと思う」
(つぶれた?今はもうない?いや、そんなはずはない。やっぱり違う会社かもしれない)
「やっぱり、違う会社かもしれません。僕が気になっている会社は、人気ポータルサイトの立ちあげや、ブログサービス、ゲームなど、幅広く展開していったはずなので」
「じゃあ違うかもね。ポータルサイトの立ち上げはやろうとしてたみたいだけど、ブログサービスやゲームみたいな話はなかったから」
確かに京子の取材記録には事業計画の中にブログやゲームといったサービスは含まれてなかった。
「お手数おかけしてすみませんでした。」
「ぜんぜんいいよ。私も当時のこと思い出せて楽しかった。当時、何社が取材したけどこの会社の担当の人が一番勢いあったんだよ。でも、勢いだけでは会社は成り立たないんだなと思ったもん。やっぱり大きくなるには戦略が不可欠で、この会社にはそういう戦略を考える参謀役的な人がいなかったんだなと思う」
「戦略を考える参謀役的な人」というフレーズを聞いて、なぜか真っ先に堀越信也が出てきた。
(もし、堀越さんが参謀役だったら、会社は…)
「田坂、ほんとうに違う会社か?直接の知り合いでなくても、立ち上げメンバーの名前はわかるんじゃないのか?」
そう、掛橋だ。木岡にそう言われ、社長の掛橋を思い出したが、取材の相手は須永となっていた。
「京子さん、当時取材された方、須永って人ですが、この人が社長でしかたか?」
「いや、違うと思う。その人も幹部だったけど、社長は違う人って言ってた気がする」
「社長の名前、わかりますか?」
「京子、その社長が田坂の知り合いかもしれないんだ」
木岡が続けてくれる。しばらく考え込んだ京子が「そうだ」と立ち上がった。
「取材の内容まとめたものはそれだけなんだけど、元にするのは相手の話を書きこんだ手帳なの。取材中は相手の話をひたすら手帳に書き込んでいくから。そこに書いたかもしれない。ちょっと待ってて」
再び京子がリビングから出ていく。
「田坂、社長の名前はわかるのか?」
木岡が心配そうに聞く。
「掛橋さんって人です」
「そうか、直接でないにしても知り合いの会社だ。お前がつぶれていてほしくないという気持ちもわかるが、可能性がある以上はっきりさせておいた方がいいんじゃないかと思う」
確かにそうだ。少しの間沈黙があった。その沈黙の中、京子が戻ってくる。
「あったよ。手帳に書いてた」
(お願いだから違う名前を言ってくれ)
そう願っていたが、結果は残酷だった。
「掛橋さんって人だよ、かなりのやり手だって話を聞いた須永さんが言ってた」
目の前が真っ暗になった。
(オレは二人の幸せと引き換えに、この国を代表する優良企業を消してしまった。いったい、どれくらいの損失になるんだ…)
想像もつかなかった。想像したくなかったのかもしれない。堀越たちの会社が生み出したサービスを生活のの一部としていた人たちは数えきれないほどいた。人々の暮らしに完全に溶け込んでいた。
(おれは…なんてことを…)
「田坂、大丈夫か?顔色が悪いぞ」
ほんのさっきまでは、自分がしたことに自信を持てていたはずだった。でも、今は。
「木岡さん、京子さん、すみません。おれ、今日は帰ります」
「田坂、ショックなのはわかるけど、今日はもう遅い。泊っていって明日ゆっくり帰ればいい」
「そうよ田坂くん。今から帰られる方が心配だよ」
二人がそう言ってくれるが、二人の優しさが今はつらかった。
「ちょっと一人で考えたくて。まだ終電ありますし。今日は突然来たくせに、突然帰ってすみません」
それでも二人は引きとめてくれたが、半ば二人を振り払うようにして家を後にした。
(おれのやったことは良いことなのか?悪いことなのか?もう…わからない)
駅へ向かう途中、真っ暗な空を見上げながらそう思った。
(木岡と京子の笑顔と優良IT企業の消滅。これを天秤にかけて判断するのか?そんなのどうやって判断するんだよ。できっこない。オレにそんな判断できない)
「・・・さか。おーい!田坂!!」
声に気づき、振り返ると木岡がすぐ後ろまで来ていた。
「駅まで送るよ。今日のお前やっぱり変だからさ。心配なんだ。何か、俺たちにも言えない重大な悩みがあるんだろう。無理に相談してくれとも言わないから、せめて駅まで送らせてくれ」
そう言って木岡は笑った。
(この笑顔取り戻したくてオレはやったんだ。この笑顔に対してどれほどの損害なら釣り合うのか、誰か教えてくれ)
木岡に肩をたたかれ、また涙があふれてきた。しかし、その涙は先ほど木岡の家で流した純粋な嬉し涙とは違っていた。
0
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
思いを込めてあなたに贈る
あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる