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第七話【ネバーランド編】
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「お疲れさまでしたー」
金曜日の定時後、山本は仕事を早々に切り上げようとしていた。
「池手名さん、お疲れさまでした」
「山本、今日は残業しないのか?珍しいな」
残業の多いSE(システムエンジニア)という仕事柄、山本は残業することが多かった。ちなみに、同じSEでもいぞうはほとんど残業をしない。
もちろん、いぞうはやることをやらず、仕事を残したまま毎日帰っている。
「今日はちょっと予定がありまして、お先に失礼させていただきます。あれ?池手名さん、何か見てるんですか?」
いぞうのパソコンに明らかに業務とは関係なさそうなサイトが表示されていた。
「山本、君は死ぬまでに行っておきたいところどかあるかい?」
「唐突ですね。う~ん…どっか海外とかかなぁ…今言われてもパッと思い浮かばないですね。池手名さんはどこかあるんですか?」
「僕はね、ネバーランドに…」
「お疲れっしたぁ」
いぞうの言葉を遮りオフィスを出ようとする山本。
「おい!山本!話だけでも聞いたらどうだ」
「どうせロクな話じゃないでしょ?僕、今日そんなに時間なくて…」
「話も聞かないうちからそうやって決めつける。君の悪い癖だ。きっと君はその性格のせいで、人生において大きなチャンスをいくつか逃しているような気がするよ」
(いつもロクな話しないくせに何言ってんだよ…)
そう思ったが、ここで帰るといぞうの機嫌が悪くなる。そうなるとさらにうっとしさが増すので山本は話を聞くことにした。
「今日、彼女と7時から約束してるんですが、それに間に合うまでならいいですよ」
山本は彼女の穂花と7時から約束をしていた。今は6時を少し回ったところである。
「時間は取らせない。ネバーランドは知ってるね?」
「はあ…まあ、有名ですからね」
「僕は子供の頃から、いつかネバーランドに行きたいと思っていてね。この歳になった今もそう願い続けているんだよ」
(どこまで痛いんだ、この40歳のおっさんは…)
「池手名さん、でも、ネバーランドは物語の中の話であって、実在しないところには行きようがないですよね」
「山本、君は『ネバーランドは実在しない』そう決めつけているね。さっきも言ったが、そうやって決めつけるのが君の悪い癖だ。僕は純粋な心で信じ続けていてね。そして、ついに見つけたんだよ」
「はあ…」
得意気な様子で山本にパソコンの画面を見せるいぞう。さきほどはチラッとしか見なかったが、山本はちゃんとパソコンの画面を見てみた。
「どうだ、山本。『ネバーランド』は実在しているだろ?」
「いや、池手名さん、それ…だめですよ…」
「なぜだい?子供の夢が詰まっていそうな煌びやかなサイトじゃないか」
「いや、子供の夢じゃなく、おっさんの欲望しかないですよ。そこ。確かに『ネバーランド』って書いてありますけど、それお店の名前ですよ。そして、明らかにそんな感じのお店ですもん」
いぞうが見ていたのは、どこからどうみても風俗関連のサイトだった。
「山本、この期に及んでもまだ認めないのか。君に納得してもらうためにもこのサイトの中に入って詳細を確認したいんだが、なぜか、これ以上、サイトの中には入れないんだ」
(会社のサーバーがいかがわしいところへ行かないようにブロックしてんだよ…)
「池手名さん、とりあえず会社のパソコンでそんなの見たらダメです。何回もそんなとこいってると、サーバー管理してる人に怒られますよ。てか、もうすでにアウトですけど…」
「確かに、業務とは関係ないな。住所は控えたし、サイトを閉じるとしよう」
「あの…聞いてもらえないと思いますけど、そこ行かない方がいいですよ」
「なぜだい?サイトで詳細が確認できない以上、自分の足で行くしかないと思っているんだがね」
こうなったら、もう何を言ってもムダだということを山本はよく知っている。
「そうですね。じゃあ、また感想聞かせてください。では、失礼します」
「ちょっと待て!」
今度こそ帰ろうと帰ろうとする山本をいそうが再び呼び止める。
「池手名さん、僕、時間がですね…」
「わかってる。7時だろ。ネバーランドに入れるのはどうやら8時かららしいんだ。まあ、そういうルールなら従うしかないから、それまでゆうこちゃんのところで飲もうと思ってね。1杯だけでも付き合わないか?」
ゆうこのお店はいぞう行きつけのバーだ。
山本も何回か一緒に行ったことがあり、ここから5分とかからない場所にある。
穂花との約束も会社の近くだから、1~2杯なら付き合えないことはない。そして、いぞうもそれをわかった上で誘っているに違いなかった。
(時間がないって言っても、『あるじゃないか』って引かないんだろうな…)
「わかりました。でも、1杯だけですよ。穂花、時間に厳しくて、遅れると凄く機嫌悪くなるんです」
「もちろんだ。君と穂花ちゃんの関係を悪くするようなことはしないと約束するよ」
山本は嫌な予感しかしなかったが、断ることができず、二人はお店に向かった。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
「いぞうくんいらっしゃい、あら、山本くんお久ぶりね」
二人が店に入るとゆうこが笑顔で迎えてくれた。
「お久しぶりです。でも、今日は約束あって1杯で帰らせてもらいます。すみません」
「そうなんだ。残念。でも、そんな急ぐのに来てくれたってことは、いぞうくんに無理やり連れてこられたんだね、きっと」
「そうなんで…」
「人聞きの悪い。ゆうこちゃん、そんなわけないだろう。山本は僕と飲みたくて、自ら進んできてくれたんだよ」
(そんなわけあるよ…まあでも、ゆうこさんに敢えて説明する必要もないか)
「はいはい。わかりました。何にする?」
「えーと、じゃあ僕ターキーロックで」
「はーい。いぞうくんもバーボン?」
「いや、今日はカクテルにしよう」
「そうなの?珍しいね」
普段、いぞうはウイスキーか焼酎である。カクテルなど滅多に飲まない。
ゆうこが驚くのも無理はなかった。
「で?どんなの?」
「ティンカーベルを頼む」
「は?」
「だから、ティンカーベルだよ」
「あの、うちそんなカクテルないけど…」
「なかったら想像して作ってくれ。もちろん、あの有名な妖精のイメージだ。お客の要望に対し臨機応変に応える。これも一流のバーテンには必要なスキルだ」
「はぁ…」
「トイレに行ってくる。帰ってきたとき素敵なカクテルができていることを期待しているよ」
いぞうは席を立ってトイレに向かった。
「山本くん、いぞうくんなんかあったの?」
「話せば長くなるんですけど…いや、そんな長くもならないかな。とにかく、池手名さんこの後ネバーランドに行くそうなんです」
「なんかめんどくさそうだから、もうその情報だけでいいや」
「ええ、賢明だと思います」
「しかし、ティンカーベルねぇ…」
「適当なリキュール混ぜて何かで割っときゃいいですよ」
「そうだね。そうするわ」
ゆうこは、本当に適当にリキュールを何種類かまぜて、最後にそれをトニックで割った。
「なんか、赤いですね」
適当にできたティンカーベルという名のカクテルは、濃い赤色をしていた。
「ほんとだね。これ、相当甘いんじゃないかな…いぞうくんの口には…」
ゆうこが言いかけたとき、いぞうが戻ってきた。
「これがティンカーベルかい?」
「うーんと…そうなるかな」
「きれいな、深い赤だ。やはりゆうこちゃん、君は一流のバーテンだ」
「ありがとう。それ飲んだ後も今のその気持ちを忘れないでね」
いぞうがそのカクテルを口にしようとしたとき、山本の携帯がなった。
「穂花からだ。すみません、ちょっと出ますね。もしもし、うん。こっちも早く終わったんだけど、今、ちょっと池手名さんと一緒にゆうこさんのところなんだ。今からそっちに…え?こっちにくる?ちょっと待って…」
山本は電話をいったん離し、ゆうこといぞうを見た。
「あの、穂花が今近くまで来てて、こっちに顔出したいって。1杯飲んだらすぐ出ていこうと思うんですけど…」
「いいじゃない。穂花ちゃんしばらく見てないし」
「断る理由なんかないじゃいか。じゃあ、乾杯は穂花ちゃんが来てからということにしよう」
山本はできれば呼びたくなかったが、二人にこう言われてしまっては仕方がない。
「穂花、じゃあ待ってるよ。うん。わかった。それじゃ」
山本は電話を切った。
「すぐ来るそうです」
うなずくゆうこといぞう。
そして、ほどなくして穂花がやってきた。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
「ゆうこさん、池手名さんもお久ぶりです」
そう言って、ゆうこは山本の横に座った。
「山本くんも久しぶりだったけど、穂花ちゃんはそれ以上に久しぶりだね」
「穂花ちゃん、ほんとに久しぶりだね。山本と仲がよさそうで何よりだよ」
ゆうこもいぞうも親しい訳ではないが、山本の彼女ということで穂花とは面識があった。
「ゆうこさんのお酒美味しいからもっと来たいんですけど、なかなか来れなくてすみません。池手名さん、いつも彼がお世話になってるみたいでありがとうございます」
(世話してるのこっちだよ)
山本はそう思ったが、口には出さないでおいた。
「いや、気にすることはないよ。慕ってくれる後輩ってのは可愛いもんだからね。そうだ!良いことを思いついた!」
山本は瞬時に嫌な予感がした。そして、いぞうと一緒にいるときの嫌な予感は外れたことがなかった。
「いいことってなんですか?池手名さん」
「穂花。池手名さんはこれから用があるんだ。邪魔しちゃ悪いから、俺たちは1杯だけ飲んで早く行こう」
「いや、気にすることはない。その用についてなんだ。どうだろう。三人で一緒に行かないか?ネバーランドへ」
見事に山本の予感は的中した。
「なんですか?ネバーランドって?」
「穂花ちゃん、君も知っているだろう。あのネバーランドだよ。僕はついに見つけてしまってね。ついさっき山本にもその話をしてたんだ。山本も行きたそうにしてたんだが、今日は穂花ちゃんと約束があるから行けないと言ってたんだが、穂花ちゃんが一緒に行くなら問題は解決だ」
(問題発生だよばかやろう!)
「池手名さん!僕、乗り気だったとかとかやめてください!穂花、これだけは言っておく。おれはほんとにそんな話はしてない。勘違いしているこの人を正そうと…」
「穂花ちゃんこれがネバーランドだよ」
山本を遮り、いぞうがスマートフォンにネバーランドのサイトを表示させた。
「へー、どんなとこなんですか?」
いぞうの方へ歩いていき、穂花はスマートフォンを覗きこんだ。
「え?ちょっと?なんなの!これ!!」
「穂花、違うんだ…」
「最っ低!!乗り気だったなんて信じられない!!」
「ほんとに…この人が勝手に…」
「あったま来た!!」
穂花はいぞうの目の前の赤いカクテルを手に取り、一気に飲み干した。
「あ…それ…」
「おえー!!なによ!!これ!!」
「それ、特別なんだ…」
「なによ!この下品な甘さは!!ほんとにまずい…これ、なんなのよ!!」
「あの…ティンカーベル…」
「あなた、バカなの?」
「おれじゃねーよ!池手名さんが…」
「もういい!!ネバーランドでもどこでも行ってきてよ!!」
穂花は勢いよく店を飛び出した。
「ちょっと…あーもう!」
「山本、何か、僕たちは彼女の機嫌を損ねるようなことをしてしまったのかい?」
「池手名さん!『たち』じゃなくてあなた一人ですよ!なにが『君と穂花ちゃんの関係を悪くするようなことはしないと約束する』ですか!けっこう修復不可能なところまで追い込まれましたよ!」
「いや、彼女に問題がありそうだ。どうやら、彼女はかなり情緒不安定なようだ。この先、付き合っていくのは難しいかもしれないよ」
「山本くん、とりあえずいぞうくんほっといて早く穂花ちゃん追いかけたほうがいいよ」
「そうします!池手名さん!今回のは許しませんからね!!」
山本はいぞうをきつく睨みつけてから店を出ていった。
「山本も怒っていたのかな?」
「そりゃそうでしょ」
「彼も情緒不安定なところがある。まったく、世話が焼けるよ」
やれやれ、という表情でタバコに火をつけるいぞう。
「ゆうこちゃん、ティンカーベルがなくなってしまった。新しいのを作ってくれないか」
「同じのでいいの?」
もちろん、適当に作っているので同じものなどできない。
「いや、次は、フック船長を頼む」
「はーい」
ゆうこはジン、ウォッカ、テキーラを適当に混ぜ始めた。
彼の名は、「池手名 伊三(いけてな いぞう)」
ピンク街に夢を抱く、ある意味純粋な男である。
金曜日の定時後、山本は仕事を早々に切り上げようとしていた。
「池手名さん、お疲れさまでした」
「山本、今日は残業しないのか?珍しいな」
残業の多いSE(システムエンジニア)という仕事柄、山本は残業することが多かった。ちなみに、同じSEでもいぞうはほとんど残業をしない。
もちろん、いぞうはやることをやらず、仕事を残したまま毎日帰っている。
「今日はちょっと予定がありまして、お先に失礼させていただきます。あれ?池手名さん、何か見てるんですか?」
いぞうのパソコンに明らかに業務とは関係なさそうなサイトが表示されていた。
「山本、君は死ぬまでに行っておきたいところどかあるかい?」
「唐突ですね。う~ん…どっか海外とかかなぁ…今言われてもパッと思い浮かばないですね。池手名さんはどこかあるんですか?」
「僕はね、ネバーランドに…」
「お疲れっしたぁ」
いぞうの言葉を遮りオフィスを出ようとする山本。
「おい!山本!話だけでも聞いたらどうだ」
「どうせロクな話じゃないでしょ?僕、今日そんなに時間なくて…」
「話も聞かないうちからそうやって決めつける。君の悪い癖だ。きっと君はその性格のせいで、人生において大きなチャンスをいくつか逃しているような気がするよ」
(いつもロクな話しないくせに何言ってんだよ…)
そう思ったが、ここで帰るといぞうの機嫌が悪くなる。そうなるとさらにうっとしさが増すので山本は話を聞くことにした。
「今日、彼女と7時から約束してるんですが、それに間に合うまでならいいですよ」
山本は彼女の穂花と7時から約束をしていた。今は6時を少し回ったところである。
「時間は取らせない。ネバーランドは知ってるね?」
「はあ…まあ、有名ですからね」
「僕は子供の頃から、いつかネバーランドに行きたいと思っていてね。この歳になった今もそう願い続けているんだよ」
(どこまで痛いんだ、この40歳のおっさんは…)
「池手名さん、でも、ネバーランドは物語の中の話であって、実在しないところには行きようがないですよね」
「山本、君は『ネバーランドは実在しない』そう決めつけているね。さっきも言ったが、そうやって決めつけるのが君の悪い癖だ。僕は純粋な心で信じ続けていてね。そして、ついに見つけたんだよ」
「はあ…」
得意気な様子で山本にパソコンの画面を見せるいぞう。さきほどはチラッとしか見なかったが、山本はちゃんとパソコンの画面を見てみた。
「どうだ、山本。『ネバーランド』は実在しているだろ?」
「いや、池手名さん、それ…だめですよ…」
「なぜだい?子供の夢が詰まっていそうな煌びやかなサイトじゃないか」
「いや、子供の夢じゃなく、おっさんの欲望しかないですよ。そこ。確かに『ネバーランド』って書いてありますけど、それお店の名前ですよ。そして、明らかにそんな感じのお店ですもん」
いぞうが見ていたのは、どこからどうみても風俗関連のサイトだった。
「山本、この期に及んでもまだ認めないのか。君に納得してもらうためにもこのサイトの中に入って詳細を確認したいんだが、なぜか、これ以上、サイトの中には入れないんだ」
(会社のサーバーがいかがわしいところへ行かないようにブロックしてんだよ…)
「池手名さん、とりあえず会社のパソコンでそんなの見たらダメです。何回もそんなとこいってると、サーバー管理してる人に怒られますよ。てか、もうすでにアウトですけど…」
「確かに、業務とは関係ないな。住所は控えたし、サイトを閉じるとしよう」
「あの…聞いてもらえないと思いますけど、そこ行かない方がいいですよ」
「なぜだい?サイトで詳細が確認できない以上、自分の足で行くしかないと思っているんだがね」
こうなったら、もう何を言ってもムダだということを山本はよく知っている。
「そうですね。じゃあ、また感想聞かせてください。では、失礼します」
「ちょっと待て!」
今度こそ帰ろうと帰ろうとする山本をいそうが再び呼び止める。
「池手名さん、僕、時間がですね…」
「わかってる。7時だろ。ネバーランドに入れるのはどうやら8時かららしいんだ。まあ、そういうルールなら従うしかないから、それまでゆうこちゃんのところで飲もうと思ってね。1杯だけでも付き合わないか?」
ゆうこのお店はいぞう行きつけのバーだ。
山本も何回か一緒に行ったことがあり、ここから5分とかからない場所にある。
穂花との約束も会社の近くだから、1~2杯なら付き合えないことはない。そして、いぞうもそれをわかった上で誘っているに違いなかった。
(時間がないって言っても、『あるじゃないか』って引かないんだろうな…)
「わかりました。でも、1杯だけですよ。穂花、時間に厳しくて、遅れると凄く機嫌悪くなるんです」
「もちろんだ。君と穂花ちゃんの関係を悪くするようなことはしないと約束するよ」
山本は嫌な予感しかしなかったが、断ることができず、二人はお店に向かった。
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「いぞうくんいらっしゃい、あら、山本くんお久ぶりね」
二人が店に入るとゆうこが笑顔で迎えてくれた。
「お久しぶりです。でも、今日は約束あって1杯で帰らせてもらいます。すみません」
「そうなんだ。残念。でも、そんな急ぐのに来てくれたってことは、いぞうくんに無理やり連れてこられたんだね、きっと」
「そうなんで…」
「人聞きの悪い。ゆうこちゃん、そんなわけないだろう。山本は僕と飲みたくて、自ら進んできてくれたんだよ」
(そんなわけあるよ…まあでも、ゆうこさんに敢えて説明する必要もないか)
「はいはい。わかりました。何にする?」
「えーと、じゃあ僕ターキーロックで」
「はーい。いぞうくんもバーボン?」
「いや、今日はカクテルにしよう」
「そうなの?珍しいね」
普段、いぞうはウイスキーか焼酎である。カクテルなど滅多に飲まない。
ゆうこが驚くのも無理はなかった。
「で?どんなの?」
「ティンカーベルを頼む」
「は?」
「だから、ティンカーベルだよ」
「あの、うちそんなカクテルないけど…」
「なかったら想像して作ってくれ。もちろん、あの有名な妖精のイメージだ。お客の要望に対し臨機応変に応える。これも一流のバーテンには必要なスキルだ」
「はぁ…」
「トイレに行ってくる。帰ってきたとき素敵なカクテルができていることを期待しているよ」
いぞうは席を立ってトイレに向かった。
「山本くん、いぞうくんなんかあったの?」
「話せば長くなるんですけど…いや、そんな長くもならないかな。とにかく、池手名さんこの後ネバーランドに行くそうなんです」
「なんかめんどくさそうだから、もうその情報だけでいいや」
「ええ、賢明だと思います」
「しかし、ティンカーベルねぇ…」
「適当なリキュール混ぜて何かで割っときゃいいですよ」
「そうだね。そうするわ」
ゆうこは、本当に適当にリキュールを何種類かまぜて、最後にそれをトニックで割った。
「なんか、赤いですね」
適当にできたティンカーベルという名のカクテルは、濃い赤色をしていた。
「ほんとだね。これ、相当甘いんじゃないかな…いぞうくんの口には…」
ゆうこが言いかけたとき、いぞうが戻ってきた。
「これがティンカーベルかい?」
「うーんと…そうなるかな」
「きれいな、深い赤だ。やはりゆうこちゃん、君は一流のバーテンだ」
「ありがとう。それ飲んだ後も今のその気持ちを忘れないでね」
いぞうがそのカクテルを口にしようとしたとき、山本の携帯がなった。
「穂花からだ。すみません、ちょっと出ますね。もしもし、うん。こっちも早く終わったんだけど、今、ちょっと池手名さんと一緒にゆうこさんのところなんだ。今からそっちに…え?こっちにくる?ちょっと待って…」
山本は電話をいったん離し、ゆうこといぞうを見た。
「あの、穂花が今近くまで来てて、こっちに顔出したいって。1杯飲んだらすぐ出ていこうと思うんですけど…」
「いいじゃない。穂花ちゃんしばらく見てないし」
「断る理由なんかないじゃいか。じゃあ、乾杯は穂花ちゃんが来てからということにしよう」
山本はできれば呼びたくなかったが、二人にこう言われてしまっては仕方がない。
「穂花、じゃあ待ってるよ。うん。わかった。それじゃ」
山本は電話を切った。
「すぐ来るそうです」
うなずくゆうこといぞう。
そして、ほどなくして穂花がやってきた。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
「ゆうこさん、池手名さんもお久ぶりです」
そう言って、ゆうこは山本の横に座った。
「山本くんも久しぶりだったけど、穂花ちゃんはそれ以上に久しぶりだね」
「穂花ちゃん、ほんとに久しぶりだね。山本と仲がよさそうで何よりだよ」
ゆうこもいぞうも親しい訳ではないが、山本の彼女ということで穂花とは面識があった。
「ゆうこさんのお酒美味しいからもっと来たいんですけど、なかなか来れなくてすみません。池手名さん、いつも彼がお世話になってるみたいでありがとうございます」
(世話してるのこっちだよ)
山本はそう思ったが、口には出さないでおいた。
「いや、気にすることはないよ。慕ってくれる後輩ってのは可愛いもんだからね。そうだ!良いことを思いついた!」
山本は瞬時に嫌な予感がした。そして、いぞうと一緒にいるときの嫌な予感は外れたことがなかった。
「いいことってなんですか?池手名さん」
「穂花。池手名さんはこれから用があるんだ。邪魔しちゃ悪いから、俺たちは1杯だけ飲んで早く行こう」
「いや、気にすることはない。その用についてなんだ。どうだろう。三人で一緒に行かないか?ネバーランドへ」
見事に山本の予感は的中した。
「なんですか?ネバーランドって?」
「穂花ちゃん、君も知っているだろう。あのネバーランドだよ。僕はついに見つけてしまってね。ついさっき山本にもその話をしてたんだ。山本も行きたそうにしてたんだが、今日は穂花ちゃんと約束があるから行けないと言ってたんだが、穂花ちゃんが一緒に行くなら問題は解決だ」
(問題発生だよばかやろう!)
「池手名さん!僕、乗り気だったとかとかやめてください!穂花、これだけは言っておく。おれはほんとにそんな話はしてない。勘違いしているこの人を正そうと…」
「穂花ちゃんこれがネバーランドだよ」
山本を遮り、いぞうがスマートフォンにネバーランドのサイトを表示させた。
「へー、どんなとこなんですか?」
いぞうの方へ歩いていき、穂花はスマートフォンを覗きこんだ。
「え?ちょっと?なんなの!これ!!」
「穂花、違うんだ…」
「最っ低!!乗り気だったなんて信じられない!!」
「ほんとに…この人が勝手に…」
「あったま来た!!」
穂花はいぞうの目の前の赤いカクテルを手に取り、一気に飲み干した。
「あ…それ…」
「おえー!!なによ!!これ!!」
「それ、特別なんだ…」
「なによ!この下品な甘さは!!ほんとにまずい…これ、なんなのよ!!」
「あの…ティンカーベル…」
「あなた、バカなの?」
「おれじゃねーよ!池手名さんが…」
「もういい!!ネバーランドでもどこでも行ってきてよ!!」
穂花は勢いよく店を飛び出した。
「ちょっと…あーもう!」
「山本、何か、僕たちは彼女の機嫌を損ねるようなことをしてしまったのかい?」
「池手名さん!『たち』じゃなくてあなた一人ですよ!なにが『君と穂花ちゃんの関係を悪くするようなことはしないと約束する』ですか!けっこう修復不可能なところまで追い込まれましたよ!」
「いや、彼女に問題がありそうだ。どうやら、彼女はかなり情緒不安定なようだ。この先、付き合っていくのは難しいかもしれないよ」
「山本くん、とりあえずいぞうくんほっといて早く穂花ちゃん追いかけたほうがいいよ」
「そうします!池手名さん!今回のは許しませんからね!!」
山本はいぞうをきつく睨みつけてから店を出ていった。
「山本も怒っていたのかな?」
「そりゃそうでしょ」
「彼も情緒不安定なところがある。まったく、世話が焼けるよ」
やれやれ、という表情でタバコに火をつけるいぞう。
「ゆうこちゃん、ティンカーベルがなくなってしまった。新しいのを作ってくれないか」
「同じのでいいの?」
もちろん、適当に作っているので同じものなどできない。
「いや、次は、フック船長を頼む」
「はーい」
ゆうこはジン、ウォッカ、テキーラを適当に混ぜ始めた。
彼の名は、「池手名 伊三(いけてな いぞう)」
ピンク街に夢を抱く、ある意味純粋な男である。
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